EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

JR鹿児島本線八代~西鹿児島間

2007年04月30日 | 九州

020816kagoshima787dreamtsubame4  JR鹿児島本線熊本~西鹿児島間の初乗車は夜も更けた時間のつばめだった。学生時代の私は当時インターネットが普及する前で宿の予約を取らずに旅行することが多く、極力宿代を浮かすために夜行を利用することが多かった。このときも宿を浮かすために博多から西鹿児島に23時前に着くつばめに乗り、折り返し西鹿児島からのドリームつばめに乗る行程で宿代を浮かしていた。行程上明朝博多に着く場合、西鹿児島や宮崎からの夜行に乗る必要があり、夜行の発車時間まで時間を潰すのに苦労するので、なるべく都会の博多を出る夜行に乗るようにしていた。しかし、前記のケースは博多からの鉄活動を前提とした場合の行程だったので、苦肉の策で上下のつばめに乗るという暴挙に出ている。その傾向は社会人になってからも変わらず、今度は効率的に撮影をできるかどうかで夜行を使って有効時間帯を増やすというこれまた暴挙に出るために夜行を使っている。このため熊本~西鹿児島間では夜行のドリームつばめによる移動が多かった。昼間に乗ったのは学生時代の第2次九州遠征で、鹿児島へ向かう時に夕方のつばめに乗った時に一部区間が明かり区間となり、建設中の九州新幹線の一端が見られたのと次の日に長躯鹿児島から大阪まで昼行移動で帰った時に朝からつばめに乗って鹿児島本線の旅を楽しんだ(疲れもあったので起きていたかどうかは不明)時に風光明媚な八代以南の景色を楽しんでいる。この時既にはやぶさの姿はなく、なはは九州新幹線開業前まで西鹿児島に乗り入れていたが、この頃は撮影に興味もなく何も撮っていない。

031221kagoshimanishikagoshima7  次に西鹿児島に足を踏み入れたのも第3次九州遠征でドリームつばめ利用だった。この時もグリーン豪遊を使っている為、それを有効に使うということからドリームつばめで博多~西鹿児島間を往復している。この時はデジカメを持って撮影の真似事はしていたが、西鹿児島でのなは撮影はこの時も適っていない。しかし、ドリームつばめを早朝鳥栖で降りて、なは、あかつき(両者はこの頃は単独運転だった)を撮影しているのだから、西鹿児島で何でなはを撮影しなかったのか不思議だ。

 次の九州遠征は九州新幹線開業前の惜別乗車で、ドリームつばめで鹿児島入りして、即折り返しつばめに乗ってつばめによる最後の鹿児島本線の旅を楽しんでいる。この時もなはは途中の駅で交換したのを見ただけで何も撮っていない。この頃も乗り潰しはすれで今ほど撮影には力を入れていなかった…とりわけ地方遠征は乗りがメインという感じで動いていたのだから仕方ないと言えば仕方ないが、今思い返せば勿体ない限りだ。もっともその時の行程は目一杯詰め詰めの行程で動いているので、撮影したくてもできなかったという痛い事情があるのは確かなところだ。

050828kagoshima817v8  九州新幹線開業後に新幹線試乗を兼ねて一度鹿児島は訪れているが、この時は転換後の肥薩オレンジ鉄道には乗らず、新幹線開業後もJRとして残る旧鹿児島本線こと肥薩線の旅を楽しんだ。海側を回る鹿児島本線に本線を取られてしまった肥薩線だが、新幹線開業により、肥薩線から主役の座を奪った鹿児島本線が新幹線開業によりJRの本体からまでも切り離され第3セクター鉄道として再出発させられる羽目になっているのは皮肉なものだ。


JR鹿児島本線(博多~八代間)

2007年04月27日 | 九州

050103kagoshima787bm11   JR鹿児島本線に初めて乗ったのは1997年春の九州初遠征の際だ。先にも書いたが、九州まで延々と山陽本線を西下して1日消化し、2日目に福岡見物をして、その後熊本入りしたが、その時に天神から西鉄大牟田線に乗り、大牟田でJR鹿児島本線に乗り換え、大牟田~上熊本間の初乗りを果たしている。記憶はおぼろげで写真もないが、この時乗った車両は確か急行形の475系だったと思う。今では815系や817系が大手を振るって走っているが、その頃はまだまだ国鉄型が九州でも多く見られた時代だった。3日目に熊本観光をして、福岡方面に戻る際にはJR鹿児島本線の熊本~博多間を乗り通している。この時は415系に乗ったような気がする。この遠征ではその後、特急ゆふに乗って別府から博多まで乗った時に久留米~博多間を乗っているし、翌日宮崎までドリームにちりんに乗って、宮崎から急行えびの~急行くまがわと乗り継いで熊本まで行って熊本から783系有明の先頭車に乗って熊本~博多間でかぶりつきをしている。さらに折り返して787系つばめに乗って西鹿児島まで行って、折り返し宿代わりのドリームつばめに乗っている。翌朝折り返しかもめに乗って長崎へ向かっているのだからこの頃から乗り鉄に関しては凄まじいことをやっていたのだと改めて思い返す。さらに長崎到着後先に宿を確保してから荷物を置いて、この頃必死になっていた競馬を見るために長崎から当時はまだ走っていた485系赤いかもめで博多へ出て、博多からソニックに乗って小倉まで行き、小倉からモノレールに乗って小倉競馬場まで行っている。競馬で見事に負けた後は小倉まで出て小倉から快速で博多へ。博多から大混雑の783系かもめで途中佐賀あたりまで立って長崎へ戻っている。翌日は長崎観光と大村線~佐世保線乗り潰しなどをしてその夜のあかつきのソロで帰阪した。

020817kagoshima7872  第2次遠征では博多~熊本間にドリームつばめで1回、つばめで1回、ゆふいんの森で博多~久留米間1回に乗っており、長崎へ行くのに博多~鳥栖間で往復している。また、宮崎から2度目の急行えびので八代~熊本の間も乗っている。このとき初めて八代以南で陽のある時間帯に乗っており、鹿児島からの帰りにも朝一のつばめと500系のぞみを乗りついで帰っているので、これでとりあえず鹿児島本線は全線景色を見たことになる。部分部分で九州新幹線の建設中の高架やトンネルなどがすでに見られていたのを覚えている。同時に西九州自動車道の建設を行われているのを見て、新幹線がなければ鹿児島本線も厳しい状況になっただろうなと思ったものだ。

 第3次遠征ではドリームつばめの上下を利用しているが、他の乗り潰しとの兼ね合いで鹿児島本線を陽のあるうちにはほとんど乗っていない。最終日にドリームつばめで博多に着いて阿蘇まで戻るのにつばめを利用している。この時期になると八代以南では新幹線工事もたけなわだったと思われるが、残念ながらこの時は陽のある時間帯に八代以南は乗っていない。

031221kagoshima787dreamtsubame  第4次遠征では博多以南に足を踏み入れたのは筑豊線に乗るために博多~原田間で415系普通に乗ったのと2枚きっぷを買って新幹線開業前のドリームつばめとつばめの乗り納めをしている。2004年7月24日、25日の第5次遠征では鹿児島本線博多以南にかなり乗っている。開業したての九州新幹線初乗りを目的に遠征したので、博多~新八代間では当然ながら鹿児島本線を利用している。リレーつばめのグリーン車に乗車し、新八代駅を初体験して、リレーつばめの乗継ぎ列車の1本後のつばめに乗って鹿児島中央初乗入を果たしている。博多~新八代間だけなら案外時間もかからないので新幹線を本当に造る必要があるのかなと思ったものだ。乗り換えの不便や博多以遠への直通を考えればやはり新幹線建設がベストなのだろうし、博多~鳥栖間の列車密度の高さは異常ともいえるのでここの新幹線建設は在来線は勿体ないけど造った方がいいのかなというという印象だ。この遠征では1日目に鹿児島地区の路線を乗り回し、肥薩線経由で八代へ出て鹿児島線815系普通で熊本まで戻り熊本で一泊している。翌日は早朝から三角線の乗り潰しをして熊本から延々と普通列車を乗り継いで鳥栖まで行って、鳥栖で名物のかしわ入りの駅うどんを食べて長崎へ向かっている。

020815kagoshimaed7691hayabusasakura  2005年1月2日、3日の第6次九州遠征では3日にはやぶさ・さくらの撮影のために弥生が丘にて撮影をしている。一番上の写真はその時撮った787系つばめだ。2005年8月27日、28日の第8次九州遠征では1日目に日豊本線を乗りつくし、2日目に指宿枕崎線に乗って、鹿児島本線~肥薩オレンジ鉄道~鹿児島本線と乗り歩いている。この時は大牟田で鹿児島線を降りて西鉄で薬院まで行って七隈線の乗り潰しをしている。

 2006年8月5日、6日の第9次九州遠征では5日に西里ではやぶさの撮影をし、6日には植木でなはの撮影をしている。その後久留米まで鹿児島本線を北上して久留米でも少々撮影をした。この辺りまで来ると新八代以北での新幹線建設も盛んに行われており、部分的に見れば前倒しで開業するのでは?と思うほどの勢いだ。


JR日豊本線小倉~大分間

2007年04月23日 | 九州

060806nippo883ao52  JR日豊本線小倉~大分間は1997年春の九州初遠征の際に小倉~別府間は883系ソニックにちりん、別府~大分間は特急ゆふで乗り潰しを達成している。この時はワイド周遊券を利用したのでソニック、ゆふともに自由席利用だった。

 次に日豊本線を訪れた時はグリーン豪遊券を利用して、883系ソニックのグリーン車に乗って別府から博多まで乗っている。初回も2度目も別府で駅前温泉に浸かってまた鉄に戻るというパターンを使っている。l3度目もアホの一つ覚えで別府を訪れ、駅から近い駅前温泉に浸かって、また鉄に戻るというワンパターンな手を使っている。3度目は885系ソニックに初乗りとなり、博多から別府までの旅を楽しんでいるが、予定より前の列車に乗って博多~小倉間ではグリーン車の席がなかったので、普通車に乗り、小倉からグリーン車の席を用意してもらうという厚かましいことをやっている。こういう厚かましいことをするマニアのせいでグリーン豪遊券は廃止されてしまったのかもしれない。

050102nippo415fm92  日豊本線小倉~大分間をじっくり乗ったのは第7次九州遠征の2005年8月27日で、この時は初めて日豊本線を18きっぷで乗り歩いている。小倉~大分間は普通、大分~延岡間は普通がないということもあり特急にちりんを利用、延岡からはまた普通に戻るというパターンで鹿児島中央まで乗っている。小倉からは415系普通に乗り柳ヶ浦まで行き、同駅で815系2連に乗り換えて大分へ。途中大変な混雑になったのを思い出す。地方へ行くと夏休み、土曜や日曜関係なしに高校生が大挙して乗り込んでくることが多い。この時はちょうど高校生が多く乗り込んでくる時間帯にぶち当たってしまったようだ。大混雑の車内から開放されて暑いさなかながら大分駅でかしわうどんを堪能して、783系にちりんのグリーン車に乗車した。グリーン車など豪遊券以外ではほとんど乗らないし、縁もないが、この時はかぶりつき好きの私が大奮発してグリーン車にしたという特殊な事情での利用となった。

050827nippo885sm115  第7次遠征は主に乗り鉄というか、この頃はまだ乗りが主体だったので、今度は撮りに徹する旅ということで第8次九州遠征をし、1日目は熊本の私鉄の乗りをして、2日目に鹿児島本線、久大本線、日豊本線で撮り鉄をしている。近畿圏での撮り鉄を始めてもう何年も経つが、地方ではあまり撮り鉄はしていない。本格的に撮り鉄をしだしたのは2006年年頭の新疋田遠征からぐらいで、このときぐらいから撮影の時に列車を待つという我慢を覚えた。日豊本線では普通で杵築まで行って、杵築の駅近辺の好撮影地へ行って、ソニックや富士の撮影を行った。雑誌やインターネットで見た写真のようなポジションは少し危険ということで、高台になった空き地付近から撮影をしたがまずまずの出来になった。とはいっても雑誌のように鉄橋が入った写真が撮れたら・・・とも思う。次回訪れる機会があればもう少し付近を研究してから撮影に向かいたい。


鹿児島本線門司港~博多間

2007年04月21日 | 九州

060805kagoshima885sm42  JR鹿児島本線門司港~博多間に初めて乗ったのは1997年春の九州初遠征の際だ。JR山陽本線を普通列車で西下していき、関門トンネルを抜けて九州に初上陸したのは既に日がどっぷり暮れた後だった。この時は友人が同行しており、1日目は山陽筋を西下して小倉に泊まる行程、2日目は小倉から博多に出て博多近辺を観光する行程で、博多から熊本へ移動して熊本で1泊している。3日目は熊本近辺の観光をして、博多へ出て宿を探すも空いている宿がなかったので、仕方なく小倉まで戻り、1日目に泊まったホテルに泊まっている。4日目からは単独行動になり、友人は一足先に帰阪している。ここから先は別途書いていくことになるが、小倉から当時のソニックにちりんに乗り別府へ。駅前温泉で一風呂浴びて、別府からキハ185系特急ゆふで博多へ。博多から赤い快速に乗って直方まで行き、ここで乗り換えて若松まで筑豊線を乗り通している。その後門司港まで出て夜の門司港駅を見物したのが門司港~博多間の乗り潰しの始まりである。

050103kagoshimamojiko6  この頃はカメラを持たずに旅行に出るほど写真撮影には無頓着で、現地でインスタントカメラを入手して適当に撮影する程度のカメラ嫌いだった。今は一にも二にも写真撮影が優先されるような鉄旅行をしているので、我ながら隔世の感を覚える。基本的に写真撮影は嫌いではないが、現像に出すのが邪魔くさいので写真はあまり撮らない主義だった。それを見事に解消してくれたのがデジカメということになるだろう。

 九州にはその後何度も足を運んでおり、鉄道移動とりわけ在来線移動が多い私は玄関口である門司から先の鹿児島本線に乗ることは多かった。1998年夏にムーンライト九州に乗って中国遠征した時に門司まで足を踏み入れているが、この時は山陰本線気動車に乗り換えただけだった。1999年春に再び第2次九州遠征を敢行している。この時はフェリーで九州入りしたので、門司から九州入りしていない珍しいケースだった。志布志港から九州に入り、帰りは新幹線で帰ったので、この時はほとんど北九州地区の列車には乗っていない。グリーン豪遊券を使用して九州を廻ったが、鹿児島本線の北部を通ったのはソニックで通り過ぎた1度だけだった。

 次に九州を訪れたのは2002年1月1日でこの時はJR西日本のフリー切符で山陽新幹線に乗って博多まで来て、在来線ホームで撮影をしただけなので何も乗っていない。第3次九州遠征は同年の8月15日から17日の3日間で、この時もグリーン豪遊券を使っている。今はなきグリーン豪遊券だが、3日間でグリーン車乗り放題という鉄には打ってつけの夢きっぷの一つであった。この時は九州まで家族旅行の運転手として借り出されたので、行き帰りともクルマの運転というちょっとハードなスケジュールだった。しかもグリーン豪遊券を有効に使うためドリームつばめで連泊するなど無茶なことをやっている。この時も北九州はソニックで素通りしただけだ。しかし、この時に小倉で食べたかしわうどんに感動して私の中にあった九州へ行けばラーメンの概念が崩れて、九州を訪れる際にはラーメンはもちろん食べるものの、鳥栖を筆頭としたかしわうどんを必ず食すようにしている。四国の人には失礼だが、こと出汁に限っては九州のうどんの方が絶対にうまい。

 第4次九州遠征は北九州地区のローカル線乗り潰しと九州新幹線開業前のつばめ乗り納めが目的で2003年12月20日、21日に遠征している。この時は行きはあかつきのレガートシート、帰りは福岡空港から大阪空港までJALのバースデー割引を利用している。行きのあかつきは乗り遅れで岡山まで新幹線で追いかけで乗り、博多で降りる強行軍で睡眠時間はあまりなかった。おまけに博多着が早朝5時台のため、小倉を過ぎたあたりで目が覚めたので、寝過ごしは厳禁ということで博多までロビーで無理やり目を開き続けていた。博多到着後は駅前の24時間開いている博多ラーメンの店で早朝ラーメンを食して鹿児島本線を南下して、原田から筑豊本線原田~桂川間の乗り潰しをして、桂川から篠栗線で博多へ戻り、博多から筑肥線~唐津線~筑肥線~佐世保線~長崎本線~鹿児島本線と乗り継いで博多まで戻っている。この時ドリームつばめまでの時間を利用して門司港まで行って夜の門司港駅舎を撮影している。昼の門司港駅も違った魅力があるが、夜の門司港駅の雰囲気は最高だ。次の日は折り返しつばめに乗って、鹿児島本線最後の道中を楽しんで博多まで戻った。この時は2枚きっぷを利用している。博多から香椎まで鹿児島本線に乗って、香椎線の乗り潰しをして帰路についている。

040724kagoshima81413moonlightkyusyu3 第5次九州遠征は2004年7月24日、25日で九州新幹線初乗りが目的のの遠征だった。ムーンライト九州で九州入りし、初めて博多まで同列車に乗車して、博多からリレーつばめに乗っている。リレーつばめは指定席満席のため仕方なく奮発してグリーン車に乗った。その後は九州新幹線~肥薩線~鹿児島線と南九州を巡り、熊本で一泊している。翌日は三角線の乗り潰し、熊本から鹿児島線~長崎線~長崎線旧線~大村線~佐世保線~長崎線と西九州を丸飲みにして、その夜のムーンライト九州で帰阪している。次の日は平日ながら会社が休みだったので、朝から京阪の撮影までして、帰宅している。老いて盛んと言うにはまだまだ老いてはいないが、学生時代よりも元気に活動しているのは確かだ。学生時代ならムーンライト九州でグロッキーで速攻家に帰って眠りについているに違いない。

050103kagoshimaed7666hayabusasakura  第5次九州遠征は2005年1月2日、3日で北九州地区と西鉄巡りをしている。ムーンライト九州で小倉入りし、小倉から日田彦山線に乗り、夜明から久大本線で久留米へ出て、久留米から鹿児島本線を北上して門司港まで乗っている。この時は久しぶりに昼間の門司港駅舎を見ている。小倉へ戻り日豊本線で行橋へ行き、平成筑豊鉄道の乗り潰しをして筑豊線で折尾へ戻って、鹿児島本線で博多へ出て天神で一泊している。翌朝からは西鉄の乗り潰しをして、とりあえず大牟田まで乗って、大牟田から鹿児島線に乗って、弥生が丘ではやぶさ・さくらの撮影をして、基山から甘木鉄道に乗り、甘木から西鉄に戻って、西鉄甘木線、西鉄太宰府線の乗り潰しをして、地下鉄を乗り継いで西鉄宮地岳線の乗り潰しをして、西鉄福間からJR福間まで歩いて、福間からJRに乗ってまた小倉、門司港と夜の門司港駅を訪れている。帰りはムーンライト山陽に乗るため、九州とは別れを告げて下関まで戻って帰阪している。

050731kyusyutetsudokinenkan 第6次九州遠征は北九州地区私鉄乗り潰しで、2005年7月30日、31日に遠征している。この時は30日に山陽線を西下して新山口で一泊して、山陽筋で早朝に一仕事してから九州入りしている。門司で撮影をしたり、門司港にある九州鉄道博物館を見学して、黒崎まで鹿児島線に乗り、黒崎から筑豊電気鉄道の乗り潰しをした。直方から筑豊線で小倉まで戻り、小倉から北九州モノレールの乗り潰しと小倉競馬場で競馬観戦をして、ひかりレールスターで帰阪した。

 第7次九州遠征は鹿児島線門司港~博多間とはあまり縁が2005年8月27日、28日に日豊本線、指宿枕崎線、鹿児島本線、肥薩オレンジ鉄道、地下鉄七隈線などに乗っている。第8次九州遠征は2006年8月5日、6日でムーンライト九州で下関まで行き、山陽本線の時に書いたように小月付近ではやぶさ・富士を撮影してから九州入りしている。この時はスペースワールドなどで撮影を行い、後は鹿児島本線をゆっくり南下している。熊本地区の熊本電鉄と熊本市電の乗り潰しがメインだったので、5日はそれに費やし、6日は植木でなはの撮影をして、久留米から久大本線に入り、久しぶりにゆふいんの森に乗って由布院で降りて、由布院付近で久大本線の撮影をしている。さらに大分へ出て、日豊本線を北上して杵築まで行って、ここの有名撮影地で富士の撮影をして、にちりんシーガイア~ひかりレールスターを乗り継いで帰阪した。


JR山陽本線岡山~下関間

2007年04月20日 | 山陽

060218sanyo115n17 JR山陽本線岡山以西は1997年3月2日からの九州初遠征の際に全線乗り通している。岡山以東は既に乗り潰していたので、岡山以西乗り潰しで山陽本線は完乗となった。岡山からは福山以西広島方面へ直通する広島都市圏内で快速となる普通電車があったが、SUNライナーの初乗りを果たすため、岡山~福山間ではSUNライナーに乗った。岡山で祭り寿司を購入して車内で食べた記憶がある。福山から先は広島近辺で快速運転を行う電車に乗り、広島まで乗り通した。広島から先は下関行きに乗ってずっと西下して行ったのを思い出す。広島までは比較的早いものの、それ以降はずっと同じ列車を乗り通したこともあり、非常に疲れた記憶がある。

030329sanyo117e22  山陽本線岡山以西へはその後は98年夏の山口遠征でムーンライト九州で素通りするまで乗っていない。学生時代は今よりもむしろ比較的楽をする傾向があったので山陽本線や東海道本線を乗り通すということはあまりしなかったように思う。今は結構苦にならないようになって返って昼間の東海道や山陽筋を好んで乗り通したりしている。

 広島には2002年の正月にJR西日本の正月恒例のフリー切符を使って訪れ、広島駅構内で写真撮影だけを行っている。この時食べた牡蛎飯は非常に美味で、いつも食べたいと思っているが、牡蠣の季節に広島を訪れていないこともあり、広島へ行ってもなかなかありつけない。2002年7月20日には18きっぷを利用して山口、広島地区の乗り潰しをしている。この時はムーンライト九州で西下して、小野田で富士の撮影を行い、2度目となる小野田線のクモハ42に乗りに行って、山陽本線で徳山まで戻り、徳山から岩徳線の初乗りを行い、広島へ出ている。広島では可部線を乗り潰し、今はなき三段峡まで行った。この時は広島から18きっぷを捨ててひかりレールスターで帰阪したので山陽線は広島止まりとなった。

 次に岡山以西を訪れたのは2003年3月21日で、この時は岡山から吉備線に乗って総社へ行き、総社から井原鉄道の初乗りをして神辺から福塩線に乗って福山へ出て、福山からSUNライナーに乗っている。SUNライナーを倉敷で降りて、水島臨海鉄道の乗り潰しをして岡山で鉄三昧の日帰り旅行をした。この時乗ったSUNライナーの運転士が中国地方で初めて見た女性運転士だったのを覚えている。SUNライナーのワンマン運転も印象的だった。

030830sanyoef66asakaze3_1  2003年8月30日には再び山口、広島方面の遠征をしており、このときもムーンライト九州で門司まで行って、山陰線普通で長門市まで行き、長門市から仙崎支線に乗り、美祢線に乗って山陽線に戻っている。仙崎支線も美祢線も既に乗りつぶしていたので、この時は乗り直し旅行となる。厚狭から山陽線を延々と東上して行き、宮島口で山陽線を降りて今度は広電の乗り潰しにかかっている。この時宮島口で食したあなご飯が非常に美味しくて非常に気に入り、その後広島を訪れた時は必ずあなご飯を食している。今度広島を訪れるときはあなご飯と牡蛎飯の両方を食したい。広島で一泊して次の日は山陽線を東上して行き、瀬野でスカイレールの乗り潰しをして久しぶりの瀬野八越えを経験している。初めて見るに等しいようなEF67のオレンジ色が非常に新鮮だった。福山でSUNライナーに乗り換えて岡山で山陽線を辞して岡山電気軌道の乗り潰しを行い、岡山からは新幹線に乗って帰阪している。この時はちょうど阪急宝塚線のダイヤ改正が行われており、新登場の快速急行をいち早く撮りたいという鉄根性丸出しの精神で惜しげもなく新幹線を利用してしまっている。全く鉄というか私はバカなものだ。2003年のその後年末に九州遠征の折に岡山からあかつきに乗車しているが、当然ながら山陽線内は夢の中であった。

 2004年は夏に九州遠征をしているが、この時は往復とも山陽夜行を利用しており、行き帰りともムーンライト九州に乗っている。当然ながら山陽本線内は夢の中であった。2004年は中国攻めがほぼ終わったこともあり、山陽本線を通して乗るのは夜行ばかりだったように思う。8月28日には芸備線乗り潰しの帰りに倉敷から山陽線に乗っているが、これは伯備線電車で通っている。

030831sanyo115n4 2005年の正月に九州遠征をした時にまたもやムーンライト九州を利用し、2004年夏と違い帰りはムーンライト九州の指定が取れなかったので下関からムーンライト山陽に乗っている。ムーンライト山陽は2006年シーズンから運転がなくなっているので、後にも先にも同列車に乗ったのはこれっきりだ。2005年7月30日には久しぶりに山陽本線西下の旅を楽しんでいる。この時にも宮島口で降りてあなご飯を食しており、岩国から錦川鉄道の乗り潰しをして岩徳線で徳山へ出て、徳山から新山口へ行き、ここで一泊している。翌31日には雨の中宇部線に乗って、クモハ123置き換え後初めて本山支線を訪れている。小野田ではやぶさ・富士を撮影し、下関から九州入りして、筑豊電気鉄道や北九州モノレールの乗り潰しをして、小倉競馬を楽しみ小倉からひかりレールスターで帰阪している。

060729sanyoef66433  2006年は2月18日に出雲追っかけの一環として伯備線経由で山陰本線へ向かったときに岡山~倉敷間で山陽本線を利用している。その後は姫路~岡山間では何度か乗っているが、岡山以西は夏まで乗っていない。2006年7月29日には岡山からムーンライト九州に乗り、下関まで乗り、下関から山陽本線で戻っていき、小野田で降りて通称オノアサと呼ばれるブルトレなどの有名撮影地まで暑い中30分ほど歩いている。30分歩いて撮ったのは実質はやぶさ・富士のみという効率の悪さだが、さすがに有名撮影地。いい画が撮れたように思う。暑い中の徒歩でかなり疲れて、一旦下関へ戻ってふくうどんなどを食して小倉まで行ったが、睡魔に襲われ、予定を切り上げて宮島口まで延々山陽本線を東上して爆睡した。宮島口では恒例のあなご飯を食して元気を取り戻して、夕方近い時間だったが、広電の撮り歩きを楽しんで広島で一泊した。翌日は久々の呉線に乗り、瀬戸内マリンビューの撮影で、また歩き倒して疲労困憊になって、三原からの山陽本線でまた爆睡している。私にとって2006年夏の山陽本線は爆睡街道だった。

060805sanyoef210111  翌週2006年8月5日には連ちゃんでムーンライト九州に乗り、下関で降りて今度は小月付近の橋梁へ行き、はやぶさ・富士の撮影をしている。この時は前週撮れなかった117系の撮影も目論んでおり、とりあえず目的を達成して、九州入りしている。この後は九州遠征となり、帰りは新幹線を利用したので山陽線は5日の朝だけの活動であった。


JR赤穂線

2007年04月19日 | 近畿

020803ako1155  JR赤穂線の初乗りは1997年春の九州遠征の際に各停を乗り継いで山陽筋を西下して行った時に、山陽本線の姫路~岡山間での大混雑を避けるために赤穂線経由で相生から岡山までバイパスした時だ。大混雑の山陽本線とは打って変わって空いているのが印象的だったが、当時は線路条件が悪いのか物凄くバウンドが激しい路線だった。当時は115系3連~4連が主体で、データイムに新快速が走ることもなかった。今では播州赤穂まで毎時1本新快速が乗り入れ、姫路からの直通列車も赤穂線経由となっている。姫路からの直通列車は播州赤穂止まりで岡山方面へは同駅で乗換えとなっているので、姫路から岡山方面へは山陽線経由でも赤穂線経由でもどちらも乗換えが必要になっている。

020803ako2233  その後に赤穂線を訪れたのはホームページを始めてからで、ホームページ用の写真を撮影するために播州赤穂まで行き、臨時快速のレジャー号を撮影している。この時は播州赤穂にて撮影を行い、その後岡山まで赤穂線に乗り、瀬戸大橋を渡って四国へ行っている。この時岡山で臨時の間合いか赤穂線普通に221系が運用されているのを見たが、現在では播州赤穂までの普通は221系や223系が使われている。また、播州赤穂以西ではマリンライナーから転用された213系が運用されたり、赤穂線も様変わりしている。今後は行楽シーズンなどに新快速を播州赤穂以西で運転したり、播州赤穂以西の車両の取替えを行って欲しいものだ。


JR武蔵野線

2007年04月18日 | 関東

031229musashino10335  武蔵野線に初めて乗ったのは京葉線の時に書いたように1996年夏の東京遠征の際に一つの目的であった中山競馬場訪問の際に京葉線の市川塩浜から船橋法典まで乗っている。帰りはどこまで乗ったか失念したが、同じルートを通ったような気もする。この時はちょうど夏場の競馬開催で新潟競馬場が改装されていたため、代替開催として中山競馬場で新潟2歳S(当時は3歳Sだった)が行われた時に訪れ、メインレース前のレースを見事GETして、大垣夜行で帰るつもりだったのを奮発して銀河に変更したのを覚えている。今から思えばもっと違うことに金をかければ…と思うが、この頃は夜行慣れしてなかったところもあり、座席夜行とりわけ165系のボックスシートなどはもってのほかという甘ちゃんだったので、楽をするために銀河に乗ったという面はあった。

 このとき以降武蔵野線に乗ることもなくしばらく経ったが、乗り潰しを意識してから全区間に乗っていないということで最初に乗った時に時間があったのだから全部乗っておけばよかったと後悔していた。学生時代はとりあえず乗り潰しを目的とはしていたが、あまり厳密に全路線に乗ろうと気合いを入れて活動はしていなかった。ホームページを作り始めてから本格的に乗り潰しを意識し始めたのだが、関東方面はあまり趣味的に興味がなかったので、しばらく手つかずの状態になっていた。再び武蔵野線を訪れたのは2003年12月29日の関東乗り潰し遠征で、この時は周遊きっぷを利用しての東上だったが、南武線を乗り潰して立川から中央線で西国分寺へ行き、武蔵野線で府中本町へ一旦戻ってから、府中本町から武蔵野線乗り潰しの旅を延々と西船橋まで続けた。このときはたまたま来た103系を乗り通したが、その後103系が姿を消してしまったのである意味いい記念になった。西船橋から先は京葉線に入って、撮影などを行い、りんかい線に乗って、大崎~新木場間を往復して、蘇我まで京葉線に乗って、蘇我から折り返しビューさざなみに乗って周遊きっぷを有効に使っている。武蔵野線にはこれ以降乗っていない。


京急本線

2007年04月17日 | 関東

050110keikyu2411  京急本線に乗ったのは1996年夏の東京遠征のときだ。関東私鉄に乗ったのはこの時が初めてで120km/hでかっ飛ばす京急の快特に乗るのが東京遠征の目的の一つであったのでそれを達成してとりあえず満足して帰ることができた。乗るだけではなくその気合いの入った走り、運転士のきびきびした所作など当時没落感があった関西私鉄が忘れてしまったような所謂“関西の鉄道らしい”場面が京急に多々見られたのには非常に驚いた。但し最初に乗った時は転換クロスの2100系はまだ登場前だったので2000系の固定クロス車だったので、この点については関西に比べると見劣りする感じはした。それでも運転席直後のクロスシートは京阪特急同様まさに鉄っちゃんシートで鉄っちゃんにとっては天国のようなシートだった。京急の走りは走り始めが阪神、中高速域が阪急、高速域でののこぎり運転はJR西日本の新快速を彷彿させるものだった。こう言えばいいことづくめだが、複線なのに前が詰まらず走る様は関西私鉄も見習ってほしい面が多々あったのは事実だ。

050503keikyu10332109  初乗りは久里浜から品川まで乗ったが、その後も東上すると京急に乗ることは多かったが、品川~横浜間の乗車が多く、なかなか横浜以南の乗車機会はなかなかなかった。とりわけ本線の堀之内~浦賀間は放置したなりで乗り潰すつもりもあまりなかった。2100系が登場してさらに京急への評価は高まった感はあったが、たまに乗る分にはいいものの、しょっちゅう乗ると粗も目立つのだろうという気はしていた。

 1997年の東上の際や1998年の東上の際にも京急には乗っている。いずれも品川~横浜間や上大岡まで足を延ばす程度だった。2001年末に東上した時に北品川で少し初の撮影を行い、2002年9月に東上した時には撮影を中心に品川~横浜間で乗車している。この頃は私鉄の乗り潰しにまでは手が回っておらずとりあえず関東の私鉄見聞程度に撮影や乗車をしていたので、本線の乗り潰しも未だ達成できていない状態だった。

050504keikyushinagawa2  京急乗り潰しを意識したのはとりあえずJR乗り潰しにある程度目処が付いてきた2005年5月の連休の関東遠征で、このとき初めて京急本線を乗り通すことができた。それ以降地方巡りをしていたこともあり、東京遠征をしていないので、京急に乗る機会もない。1000系ステンレス車など目新しい車両も出てきているのでまた京急を訪れたいものだ。


JR総武快速線

2007年04月16日 | 関東

050403sobu217f16  JR総武本線に初めて乗ったのは1996年夏の東京遠征の時に、早朝ムーンライトながらを降り、どこへ行くともなく、夜が明けるまで適当にどっか乗りに行こうということで、たまたま地下ホームが目に入ったので、総武線に乗ったというのが総武線初体験であった。東京から千葉までE217系快速に乗って、外房線に乗り換えて蘇我まで行って、折り返し京葉線に乗って新木場まで行ったはずだ。新木場から東京臨海高速鉄道に乗り、国際展示場でゆりかもめに乗り換えている。

 初乗りの総武線は早朝の暗闇の中だったのであまり景色を堪能したという感じではなかった。2度目はおそらく1997年の東京遠征の時で、この時は快速エアポートに乗って成田空港までの初乗りをしている。折り返しは京成に乗って、成田空港で何のために来たのかと身分証明書の提示を求められ、空港見学とか適当に言ってその場を切り抜けて、さっさと京成に乗り換えて折り返したのを覚えている。まさか鉄活動で乗り潰しのために来ましたと真面目に言うわけにも行かないので、以降鉄活動で成田空港へ足を運ぶことはほとんどなかった。

 総武線を久しぶりに訪れたのは2005年の3月31日、4月1日にかけての房総遠征だ。この時総武線全線乗り潰しを達成している。それまで終点の銚子まではなかなか足を延ばせなかったということだ。この時感じたのは房総地区の運転士の態度があまりよろしくないということ。昼間からトンネルもないところで幕を下ろして同乗の運転士とだべりながら運転する光景もよく見かけたし、片手運転が常態化しているのでは?という節さえ感じられる面もあり、乗務態度があまりよろしくないという印象が強く残っている。そういうことで総武線初め房総各線にはあまりいい印象を持っていないのが実状だ。


JR京葉線

2007年04月12日 | 関東

031229keiyo20523  JR京葉線には1996年夏の東京遠征のときに東京から武蔵野線分岐点まで乗車している。京葉線は新しい路線で海沿いの高架を走る写真を見ていたので、一度乗ってみたいと思っていた。実際乗ってみると103系が爆音を発して爆走していたので、景色を楽しむより関西並みの103系の走りを楽しんだものだ。このときは中山競馬場へ行くのが主目的だったので、途中武蔵野線に入る快速を選んで乗っている。武蔵野線のオレンジの103系だったと思うが、京葉線オリジナルの205系に乗りたかったのでちょっと残念だった。

 京葉線にはその後何度か乗って、蘇我まで乗り通しているが、高架線を走り見晴らしが良い路線だが、あまり景色を見ることを意識した造りではない103系を使用していたので、景色がよく見えたという印象はあまりなかった。2003年12月29日には周遊きっぷで関東地区の路線を乗り回した時に、周遊きっぷのメリットを活かして蘇我から東京までビューさざなみに乗っている。255系に乗るのは初めてだったが、年末の夜の上りだったので狙いどおり空いていたのでゆっくり乗車することができた。そのあと同じ手を使って新宿から八王子まで行きはE257系あずさ、帰りはE351系スーパーあずさに乗車している。

 京葉線にはその後2005年4月1日に東京から蘇我まで103系快速に乗車している。京葉線というか関東地区で最後の103系乗車となったが、201系や205系はまだ乗っていないので、早いうちに乗っておきたい。試験運用がうまくいけばE331系の量産型が京葉線に投入されるはずだから、それらの車両も早めに乗らなければなくなってしまう可能性がある。JR東日本はJR生まれの209系が置き換わるぐらいのスピードで車両の置き換えを展開しているので、のんびりしている西日本のペースで考えていると浦島太郎になってしまう。


JR関西本線(名古屋~亀山間)

2007年04月09日 | 東海

060902kansai211k104  JR関西本線のJR東海エリア区間には1996年夏の東京遠征の際に、四日市~名古屋間のみ乗っている。この時乗ったのは参宮線などで書いたようにキハ75系快速みえだった。松阪まで近鉄に乗って松阪から快速みえに乗ったため座れなかったので名古屋までかぶりついたのを覚えている。快速みえは伊勢鉄道では快調に走るが、関西本線に入ると単線の上列車密度が高いためか、行き違い待ちなどであまり速くなかったのを思い出す。後年乗った時にも同じ思いがしたので、列車による差異はあまりなく、関西線内では単線がネックになってあまり速く走れない(信号待ちが多い)のだろう。

 四日市~亀山間は97年の東上の際に乗っている。その後は東海道経由が便利になったこともあり関西線を利用することはほとんどなかった。2005年9月4日に乗り直し旅行ということで草津線~関西線経由で名古屋まで出た時に四日市~名古屋間で関西線に乗ったのが久し振りの乗車となった。213系を中心に時には165系なども走っていた関西線名古屋口も313系の投入などですっかり様変わりしている。


JR参宮線

2007年04月08日 | 東海

060902sangu75202  JR参宮線には1996年夏に乗車している。先日書いた東上で乗るムーンライトながらの前の一仕事で関西線経由で名古屋入りする前に乗り潰しのために鳥羽まで往復している。この時快速みえには既にキハ75系が投入されており、快適な旅を楽しんだ。鳥羽からの折り返しは参宮線を離れて近鉄に松阪まで乗っている。津から伊勢鉄道の別料金を支払わなければならないのはたまに傷だが、快速みえは快調に飛ばして近鉄に十分対抗しうる快速というイメージだった。ただ、2両編成のため、途中駅からだと座れる確率が低く、四日市などからはかなりの混雑となっていた。今でもその傾向があるが、別途JR北海道のUシートのような豪華な指定席車両を造って3両編成ぐらいに増強して欲しいものだ。

 参宮線はしばらくご無沙汰だったが、ホームページの写真の充実を図るために2006年9月2日に池の浦シーサイド付近での撮影を目的に訪れている。参宮線を走る車両の陣容は1996年に訪れた時とはほとんど変わっていないが、池の浦付近は海が近く風光明媚ないい撮影地だった。この時は鳥羽から近鉄に乗って池の浦まで1駅近鉄を利用している。


JR関西線(亀山~加茂間)

2007年04月02日 | 近畿

040619kansai1207  関西本線木津以東に初めて乗ったのは1996年の夏だ。18きっぷで東上を目論んで同年3月に設定された快速ムーンライトながらの指定券を取って、行程を考えた。東海道を大垣まで上っていく単純なルートでも良かったが、それは前年に体験済みだったので、今度は違うルートでということで関西線経由で名古屋に出るルートを考えた。ただ単に関西線を名古屋まで辿るだけでも良かったが、夜のながらまで時間があったので亀山から紀勢線に入り、津から快速みえに乗り、鳥羽まで行った。

 関西線は新今宮から木津までは大周り乗車で何回か乗っていたが、木津以東の乗り入れは初めてだった。大阪から大和路快速に乗って、加茂まで乗り通して加茂でキハ120に乗り換えた。キハ120は2両編成ながら18シーズンだったこともあり、かなり混雑していて亀山まで立ったままだった。風光明媚な車窓はなかなかのものだったが、座れないのと座ってもロングシートだから景色が見難いという欠点はある路線だった。月ヶ瀬付近は幼少の頃梅を見にクルマで何度か連れられているので、その時キハ58らしき気動車が走っていたのを見ているので、懐かしい気分に浸れた。とは言っても気動車は最新?のキハ120に変わっていて、先述したとおりの状況だったのであまり旅情を感じるという路線ではなかった。

 それ以後関西線にはあまり乗らなかったが、草津線などが大都市近郊区間になってからは2回ほど大回り乗車を活用して柘植~加茂間は乗車している。また、最近の乗り潰しで、東海攻めをする時に草津~関西線経由で亀山方面へ出ている。18シーズンが大半なので単行運転の時などは結構な混雑になっている。急行かすがが廃止されて、線路保守のために運休したりする為、関西線の衰退を取り上げられることが多い。幹線として見れば全く物足りないところだが、ローカル線としてはJR西日本の方針で昼間に運休するということ以外はよくやっている方だと思う。