EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

【JR山陰本線兵庫県内を乗り歩く2】

2017年09月16日 | 山陰

17_09_02_6945  9月2日土曜日。豊岡まで山陰線行脚をして、戻りにも山陰線行脚をサラッとしました。まずは豊岡から普通で八鹿に移動。八鹿駅は特急停車駅で、ちょうど289系特急こうのとりが行き違いでやってきました。

17_09_02_6925  3番線の向こう側には浄水場だか下水場だかの噴水?があってなかなか面白い光景でした。

17_09_02_6979  八鹿駅は全但バスの一大拠点があるらしく、駅の規模の割にバスの発着が異様に多かったです。

17_09_02_6985  駅の反対側にコンビニがあったので、そこへ行こうと色々歩き回りましたが、辿り着けませんでした。反対側にも出口があれば簡単に行けそうでしたが、回り道を何とか短絡しようとして田んぼに迷い込んで見事撃沈してしまいました。駅の周りはほんと何もなく、食料にありつけなかったので、仕方なく自販機のアイスを食べて空腹を凌ぎました。

17_09_02_7036  八鹿から続いて江原に移動。この旅で初めて113系がやって来ました。昔は乗り心地が悪いとかなんとか言って敬遠していた113系や103系ですが、今となっては貴重なので、かつての旧型車両のように来ると喜んでしまいますね。

17_09_02_7111 当初はネームバリューだけで養父、八鹿と見て回る予定でしたが、調べてみると養父は養父市とは名ばかりで駅の規模は江原の方が全然上だということで江原を見て帰ることにしました。

17_09_02_7077  江原駅は橋上駅舎で、駅がまだ新しいということもあり、駅周辺も小奇麗に整備されていました。

17_09_02_7109  北口は西洋風の建物が多くみられ、駅舎やバス停の屋根も同じような造りになっており、洋風建築で統一された街並みを再現しているようでした。

17_09_02_7207  江原からはラストの和田山に移動。もうちょっとゆっくり見て回りたかったのですが、如何せん疲れが・・・最近すぐ疲れます。和田山では名物の駅弁でも入手できないかと思ってみて回りましたが、駅では駅弁の販売はなく、駅前に駅弁屋があるのみでした。駅で入手してこその駅弁なので、駅弁は買わずに帰りの姫路でのまねきそばを楽しみに播但線に乗り込みました。播但線は和田山発車時点から程よく席が埋まっており、竹田で観光客を一杯乗せて単行の気動車はほぼ満席になり、生野からさらに観光客が増えて、車内は大混雑となりました。

17_09_02_7259  寺前からは103系4両編成に乗り換え。前回に続いて播但線行脚をしようかと思いましたが、席についたら疲れが出てすっかり姫路まで眠ってしまいました。姫路で待望のまねきそばを食して、新快速で帰途につきました。まだ75レが走っている時間帯で、以前なら手前で新快速を降りて75レを撮ってから帰るところでしたが、暑さのためかそんなやる気も起こらず、とっとと家に帰った次第です。

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【JR山陰線兵庫県内を乗り歩く1~上夜久野・下夜久野・豊岡~】

2017年09月14日 | 山陰

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 9月2日土曜日。夏の18きっぷもイマイチぱっとしない使い方で4枚目を迎えました。今年はJR西日本エリアから出てません。イマイチ気が向かないというか、行きたいところがないので仕方がないですかね。今のうちに行っておかないといけないところがあるような気もしますが、秋と冬の機会にはちょっと遠出してみたいものです。ということでこの日もチカ鉄です。前回の北近畿遠征の続編とも言うべき、山陰本線行脚です。前回丹後鉄道を訪問した時と同じスジで福知山へやって来ました。茨木発6時07分の快速に乗って京都へ出て、京都から普通福知山行きに乗るところまでは同じですが、今回は京都から補助椅子を確保できました。しかし、前回のように園部で席が空くことはなく、補助椅子のまま福知山まで来た次第です。長時間補助椅子に座っていると意外としんどいですね。今時の電車ならどこまで行っても疲れない感じがしますが、さすがに補助椅子はきついことを再認識しました。

17_09_02_6542  福知山からまず向かったのはマニアックな無人駅上夜久野駅です。駅間の撮影地は183系や381系ラストランでは盛り上がっていましたが、駅間距離が長いため訪問してませんでした。今回初訪問です。近くに道の駅があるとのことでしたが、途中まで歩いたものの暑くて途中で断念して戻りました。乗り遅れると大変ですからね。

17_09_02_6571  福知山市バスも発着する上夜久野駅。タイミング悪くおケツしか撮れませんでした。この手のミニバンのコミュニティバスが増えてますね。

17_09_02_6643  次の上り電車で1駅戻って下夜久野駅に移動。ちょうど特急こうのとり5号と行違ったので撮影しました。

17_09_02_6670  立派な橋上駅舎風の下夜久野駅。その実は駅舎ではなく、中古車販売店が占めており、駅の機能は陸橋の上という肩身が狭い駅です。周辺は上夜久野よりも町になっています。

17_09_02_6685  なかなか陸橋の上に券売機や時刻表がある駅はないですね。駅舎があるのに、用をなしていないとは・・・。

17_09_02_6666  下夜久野駅近くの山の上にある楼閣。宝楼閣と呼ばれるようで、歴史があるのやらどうなのやらはわかりません。なかなか謎めいた感じの楼閣で近くで見たくなりますね…時間の都合で無理ですけど。

17_09_02_6712  続いてF9編成普通で豊岡まで一気に移動しました。福知山行きは空いていますが、豊岡方面行きは18きっぱーが多いのか結構混雑してました。何とか席にありつけたのでじっくり睡眠をとりました。

17_09_02_6763  豊岡駅は何度も足を運んでますが、駅舎をじっくり見るのは初めてです。時間はあっても駅舎見物はしない人でしたから・・・大人になったものです。裏手にこんな給水塔があったとは初めて知りました。

17_09_02_6750  立派な橋上駅舎になっていたのにも驚きました。もっとも改札は自由通路を間借りした感じの質素なものでしたが・・・北近畿地区でも主要駅に自動改札を設けて、ICカード利用できるようにした方がいいですね。

17_09_02_6826  9月に入っても暑くてまだまだ夏空の豊岡市内でした。とはいえ前回丹後方面へ来た時よりかは随分過ごしやすくなったものです。

17_09_02_6835  旧駅舎はバスの待合室になったのでしょうか。前の駅舎はそれはそれで立派な駅舎でしたね。全但バスが各所へ路線を延ばしているようで、バスの出入りは多かったですね。

17_09_02_6841  駅前にあったコウノトリ支援の自動販売機。コウノトリ支援に一役買おうと小銭を入れたら、10円玉がどうしても嫌われて、コーヒーを買うことができずコウノトリ支援に失敗しました。

17_09_02_6865  先般行脚した丹後鉄道も少々見物。前回は豊岡までは来なかったので、丹後鉄道豊岡駅も一応制覇して、次回の持越しを減らしました。豊岡で折り返して後半戦へと続きます。

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根雨・下石見で山陰トワイライトを撮る~激パで撃沈!~

2015年10月16日 | 山陰

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 9月22日火曜日。伯耆溝口付近で一発目の山陰トワイライトを撮影して、早速追っかけ開始。どこで撮るかイマイチわかってませんが、江府IC付近で撮れるというおぼろげな情報を得ていたので、そのあたりを目指して走りました。途中伯耆溝口で山陰トワイを追い抜きました。上溝口信号所あたりには結構ファンが集まっていましたが、光線状態がいまいちだったので先へ進みました。

150922hakubidd511186tw20 時間があるようでないので道の駅奥大山に車を止めてどこか撮れるところへと思っていると近くの踏切が鳴動してトワイ通過となりました。仕方ないので、道の駅の脇から完全かぶりつきで撮影。日も当たらずイマイチでしたが、なかなか迫力ある画が撮れました。ケガの功名ですね。

15_09_22_6571 朝から何も食べてないのに腹痛を覚えたので道の駅でしばし小休止。前夜マルヨした時に寒かったので、冷えたのかもしれません。小休止後、またまた追っかけ開始です。小休止はほんとに小休止だったので、何とか追っかけて根雨付近でもう一発撮る段取りができました。根雨付近には車を止めるところがなかなか見当たらなかったので手間取り、思っていた高台から見下ろす撮影地には行けませんでした。仕方ないので、カーブを描く踏切で撮影を試みましたが、如何せん前の方に陣取っている撮影者が完全に入ってしまい、イマイチでした。わざわざ近くに車を置くこともなかろう…と思いますが、まぁ仕方ないです。

15_09_22_6584 前がだめならケツ討ちで…こっちもちょっと切れ切れになり失敗です。

15_09_22_6603 根雨からもさらに追っかけます。というか根雨付近ではサンライズが撮れるという計算もあったので、場所を変えて、そちらに矛を向けました。普通電車で練習。そういえばサンライズが遅延しているとかなんとかいう話があったなとネットを見てみると90分遅延…こらあかんわ。ということでトワイ追っかけに変更しました。ここでサンライズ撮りたかったなぁ…また機会があれば再訪したいと思います。

150922hakubidd511186tw35 さてさてどこでトワイが撮れるか全く見当もつけずに走ります。とはいえ、この日はトワイ撮影の人があちこちにいてるのでどこで撮れるか沿線を走っていれば見当がつきます。生山でトワイを追い抜いて、さてどうするかと走っていると下石見信号所付近にいい感じのところがあり、人がたくさん集まっていたので、そこへ行くことにしました。

15_09_22_6648 かなりの人出でしたが、場所はふんだんにあるので、撮影には十分でした。とりあえず収穫前の黄金色の田んぼとトワイの組み合わせが撮れたので満足です。余裕をもって、そこそこいい画が撮れたのはここぐらいではないでしょうか。

~以下新見方面への追っかけ、備中川面編は明日へとつづきます~

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初秋の伯備路を行く山陰トワイライトを追う/岸本~伯耆溝口

2015年10月15日 | 山陰

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15_09_22_6408 9月21日月曜日。こうのとり撮影を終えて福知山から戻ってきて、その日のうちにクルマで山陰に向けて出発しました。ひたすら中国道を走り、落合JCTから米子道に入り、蒜山SAでマルヨ。これまでは夏のマルヨだったので、暑さとの闘いでしたが、今回は寒さとの闘いとなりました。まさかあそこまで寒いとは思いませんでした。長袖を着ていたものの、それでも寒く、車の暖房を入れたり切ったりしながら仮眠しました。朝4時過ぎに起床。蒜山SAから江府ICまで高速を走り、伯耆溝口まで下道を走りました。伯耆溝口を過ぎて、ターゲットにしていた踏切付近に通過。まだまだ暗闇が広がる中、車を止める人たちがいたので慌てて私もスタンばることにしました。しかし、暗い中のため、手探りで撮影地に着いたのがいけなかった。撮れるところではあったものの希望する撮影地ではなかったことに明るくなってきてから気づきました。仕方ないので、高台から狙うことに方針変更。奥の国道が入るのであまり画的にはよろしくないですが、下から狙うよりは良さげに思えたので、高台から狙いました。

150922hakubi381ya2 まず夜が明けきれない時間帯にやくも2号が通過。こちらはISO25600という最大級の感度で対応。さすがにノイズがのりますなぁ。

15_09_22_6436 続いて3082レが通過。こちらはそこそこ明るくなってきてから通過。休日なのでウヤを心配してましたが、運転がありちょっと一安心。とはいえ、この後、この列車が追えるわけでもなく、同列車はこの一発で撮影終了です。

150922hakubi115g52 さらに普通電車が通過。黄色い単色ももはや見慣れましたが、ここでは色より何より短編成なのであまり画になりません。

150922hakubi381ya4 さらにやくも4号が通過。こちらが通過する頃には晴れ間も出てきて、撮影モード全開模様です。もっとも場所の選定を間違えたようで、私が陣取った撮影地では晴れたところと影が出たところでまだらな画になります。

150922hakubidd511186tw4 本番のトワイライトがDD51重連で通過。やっぱり撮影地を間違えたな!と思いますね。これは失敗です。何とか全般的にトリミングしてごまかしています。

~伯耆溝口での撮影はこれにて終了。江尾、根雨方面への追っかけ撮影は明日へとつづきます~

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生まれて初めて夜行バスに乗る~出雲エクスプレス~

2011年10月03日 | 山陰

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 9月30日金曜日。10月1日から使用開始の鉄道の日記念乗り放題きっぷを利用して山陰方面へと出かけました。今回は現地での効率を高めるため、生まれて初めて夜行バスを利用しました。高校の時に修学旅行で観光バスでの夜行は体験していますが、チケットを買って定期便に乗るのは初めてです。インターネットで予約をしましたが、なにぶん初めてなので要領を得ないので、出発まで不安でした。京都発の出雲エクスプレス京都号で出雲市まで乗ります。23時30分発なので、家を22時過ぎに出ても十分に間に合います。阪急とJRを乗り継いで、23時前に京都駅に到着。発車まで時間がありますが、何もすることがないので、早速バス乗り場へと向かいます。烏丸口の高速バス乗り場は駅の目の前にあるのでわかりやすいです。東京方面へ向かうドリーム号が何台も停まっており、続行便が出ている模様です。初物ながらも次週には東京遠征でもチケットが取れたので、同じく京都からドリーム号に乗って東京へ向かいます。23時59分の便ですが、乗り場で見てみると季節便とのこと。どんなバスが来るかは見られませんでしたが、乗り場はわかったの、次週は京都駅でのんびりSRCでも撮ってから乗り場へ向かうことにします。

 ドリーム号が次から次へと出ていき、漸く23時20分頃に出雲エクスプレス京都号が入線?してきました。運転手がチケットをチェックして荷物をトランクに収めていきますが、私はWEB乗車票を携帯で提示…でいけると思っていたのですが、出来れば紙に出して下さいと運転手に注意されました。今回は乗せてもらいましたが、次回からは紙でお願いしますと言われました。チケットレスではないのでしょうか?もう少しインターネットで夜行バスのチケットの取り扱いを勉強しなければなりません。とりあえず車内に乗り込み指定された席につきます。週末とあってか車内は9割方席が埋まっていました。窓側の席を割り当てられ、席につきます。荷物は少し大きいですが、車内に持ち込みました。3列独立シートになっており、シートピッチも広いものの、通路はかなり狭いです。リクライニングを深くとると後ろの人が気になる感じがします。そのためか、他の人もあまり深く倒している人がいないので、私も遠慮気味に適度に倒して寝る体制を整えました。窓側ながらもカーテンは閉め切られており、運転手の案内放送では電灯などがまぶしいので閉めている旨が説明されました。外を見てみたいのですが、周りの目が気になるので、とりあえず閉め切ったままにして寝ることに集中しました。この辺りは気兼ねなく外が見られる列車とは勝手が違う感じがしました。程なくバスは出発し、外が見えないのでどこをどう走って行ったのかわかりませんが、おそらく京都南ICから名神に入って行ったのでしょう。途中名神大山崎、名神高槻に停まるということでしたが、走りだしてから外も見えないし、初めてなので、寝れるうちに寝てしまえということで目を閉じていると自然と眠りにつき、件の停留所に停まったのかどうかすらわからないぐらい熟睡しました。途中サービスエリアにも停車するということでしたが、てっきり客もトイレ休憩などがあると思っていたら運転手の仮眠と車両点検のみということでした。確かに途中のサービスエリアで客を降ろすと戻ってきただの戻ってこないだのと大騒ぎになって寝ている人も起こされることになるので、用を足す人は車内にてということになるようです。あんな狭い通路でうろうろ歩かれたらそれこそその度に起こされることになりますからね。

 バスは順調に走り、明朝定刻通りに松江に到着。ここで大半が降りて行きました。定員29名だそうで、ほぼ満席だったので、その過半数以上の20名近くが降りて行ったのではないでしょうか。松江から宍道などにも停まって客扱いしますが、残った人は全て出雲市まで乗ってました。週末で定員29名程度の乗車では夜行列車では成り立たない数字だと思いますが、夜行バスなら十分な数字なんでしょうね。平日はさすがにもっと利用が少ないと思いますが、利用者は観光と言うより、帰省などの用務客が多いようなので、時間と金を節約したい人に選ばれているように思います。夜行列車も安くてサービスが良ければまだまだ再興の余地はあるように思いますが、如何せん輸送にコストがかかります。車両面で廃止になっていく列車も多いですが、乗務員や夜間の駅員確保、保線時間の確保等々、夜行バスにはない経費がたくさんかかるデメリットがあり、再興するには高いハードルがたくさん存在します。夜行バスはそれはそれでいいもんだと今回乗って感じましたが、しかし、夜行列車に乗ってきた人間としては夜行列車の旅情みたいなもんはやっぱり捨て難いなと思います。鉄な人間なんで鉄贔屓になってしまうのは仕方ないところですが、夜行バスに乗って夜行の需要はまだまだ掘り起こせるのではないかとも思いました。まぁ夜行列車は求めてもほとんど走っていないので、同じ夜行なんで時間を有効に使いたい時は夜行バスも積極的に利用していこうと思います。もっとも新名神で起こったような事故は勘弁してもらいたいですけどね…。111001izumoexpress


~ちょっと前の山陰鉄旅行を振り返る~

2011年10月02日 | 山陰

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 週末は秋の18きっぷこと鉄道の日記念乗り放題きっぷなどを利用して山陰に行ってきました。一畑電車の乗り直しをメインとした鉄旅行ですが、今回は夜行バスを利用しました。恥ずかしながら夜行バス初体験です。かつては山陰方面へも夜行列車が走っており、04年夏の木次線遠征の時には急行だいせんを利用しました。安い高いは度返しで、夜行列車があれば優先的に乗るという夜行列車ファンだったので、今の今まで夜行バスは使ったことがありませんでした。鉄優先主義を貫いてきた結果と言えますが、夜移動のメリットは鉄道であれ、バスであれ変わらないなと思います。夜移動するのも鉄効率を高めるためだけなんですが…。急行だいせんは2~3回乗ったことがありますが、いずれもキハ65系エーデルタイプの気動車時代です。その昔は12系+14系の客車列車で、さらに昔は20系が使用されていました。その頃の写真はなく、客車列車はだいせん廃止時に運転されたリバイバル列車の印象が強いぐらいです。

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 04年夏の遠征時にはまだ出雲は健在だった。この頃はそれほど撮影中心の旅行ではなく、乗り潰しがあくまでもメインだったので、ブルトレ撮影などはあくまでもついでだった。この時も木次線に乗るために宍道にいて、たまたま出雲が通過する時間だったので、ついでに撮ったという感じです。この後、05年に餘部鉄橋で出雲を撮ったあたりから、そろそろ出雲の先行きが怪しいということで、出雲を撮りに、数回山陰に足を運んでいます。

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03年夏の山陰遠征時にはまだ存在したキハ58系とっとりライナー。この遠征時に一畑電車を乗り潰しています。ただ、初期の頃なのでいい加減な乗り潰しだったので、今回再遠征することにしました。ちょうど山陰ディスティネーションキャンペーンをしていた時で、一畑電車を含めて山陰地区の鉄道が乗り放題のお得なきっぷがあったので、それを利用しました。行きはキハ181系いなばに乗ったり、キハ58系快速とっとりライナーの走りを堪能したり、昔の山陰を感じられる旅でした。キハ58系とっとりライナーは何回か乗っていますが、比較的平坦で線形のいい鳥取~米子間をかっ飛ばしていた印象が強く残っています。古き良き急行の走りを堪能した感じがしました。今はキハ187系がそれ以上のスピードでぶっ飛ばし、快速はキハ126系が使用されています。重厚長大だった山陰の鉄道の旅も随分変わったものです…さらにそれ以前に遡るともっと変わった印象を受けるのでしょうね。


若桜鉄道

2007年10月01日 | 山陰

030728wakasawt2503  若桜鉄道は03年7月26日の山陰遠征時に乗り潰した。山陰本線高速化前夜ということもあり、キハ181系使用の特急はくとに惜別乗車して山陰入りし、鳥取からこれまた高速化で引退するキハ58系快速とっとりライナーに乗って米子まで行き、米子から境線を往復して、再びとっとりライナーで鳥取まで戻って、夕刻近くに鳥取から因美線で郡家まで行き、郡家から若桜鉄道に乗ってミニトリップしている。山陰地区で使用していたディスティネーション切符は因美線も若桜鉄道も範囲に入っていなかったので、鳥取で若桜までの往復切符を購入して乗り潰しに挑んでいる。若桜鉄道の気動車こそ第3セクターの新しい気動車だったが、沿線風景や駅はタイムトリップしたような光景が広がる路線だった。まさに日本の原風景といったところで、それだけに利用者は本当に少なく、途中八頭高校の高校生が乗り降りした以外は数えるほどしか乗っていなかった。長閑な風景が展開される昔ながらの汽車旅は魅力的だが、その分沿線の状況は厳しいと言える。山陰には国鉄型の気動車がたくさん残っていたが、今や現役で残っているのはキハ40系列の気動車のみだ。これらを何とか活用して国鉄時代の原風景が展開できるような臨時列車を鳥取から走らせたら面白い。鉄道ファンは感心しないところが多々あるが、客寄せパンダでまずは人を寄せるために鉄道ファンを誘致するのは一手である。こういうイベントをすると必ず撮るだけで鉄道には何も金を落とさず、ガソリン屋を喜ばすだけの輩がいるが、付近でスピード違反や迷惑駐車の取り締まりを強化してもらい、事前告知しておけば鉄道を利用する人も増えるのではなろうか。あるいは鳥取や郡家でパークアンドライドをするのも一考だ。


一畑電鉄大社線

2007年09月28日 | 山陰

030727itibata30088  一畑電車大社線には03年7月27日に乗車している。電鉄出雲市から北松江線で川跡へ出て、川跡で大社線に乗り換えて終点の出雲大社前まで乗っている。乗った電車は川跡まで乗った電車と同じ元南海ズームカーで、一畑電車に乗りにきたというのに南海に乗りにきたような気分になった。この後、折り返しでは元京王5000系にも乗っている。一畑へ行けば南海と京王の車両を楽しむことができる。出雲大社前駅はホーム先端がドーム型の屋根で覆われており、駅舎は瀟洒な洋館のような建物で、典型的な和風の出雲大社への最寄駅としては少々場違いな感じがしないでもない。出雲大社までは徒歩圏内だったのでお参りしてから次の電車に乗った。出雲大社参拝を終えて、名物の出雲そばを土産に買って、駅前のにあった周辺地図で旧国鉄大社線の大社駅跡でも見に行こうかと見ていたが、電車までの時間を考えると往復できそうになかったので断念した。今思えば非常にもったいないことをしたと思うが、この頃はまだ昔の癖であまりうろちょろせずに乗り降りして即帰るという原則がまだまだ根付いていた時期だ。また機会が一畑電車大社線に乗って、旧国鉄大社線跡を訪ねてみたいものだ。


一畑電鉄北松江線

2007年09月27日 | 山陰

030727itibata30082  一畑電車北松江線は03年7月27日に全線乗り潰しを達成している。山陰ディスティネーションきっぷ?だったと思うが、山陰ディスティネーションキャンペーン期間に発売されていたフリーきっぷに一畑電車も利用範囲に含まれていたため、これを有効に活用し、一畑北松江線と大社線の乗り潰しをして、ついでに出雲大社へお参りしてきた。JRで鳥取から出雲市まで移動し、途中宍道で今は亡き出雲を撮影した。山陰本線鳥取地区高速化前夜という時期だったので、鳥取地区にはまだキハ58系が残っていたが、鳥取から宍道までは先行投入されいたキハ187系特急スーパーくにびきに乗った。高速化前のためポイント制限などがあり、それほど速くはなかったが、駅間は線形がいいこともあり結構飛ばして走っていた。鳥取~米子間は平坦なので、もう少しお金をかければ130km/h運転も狙えたのではないかと思う。

 立派な高架駅に生まれ変わった(高架化前は暗闇の中通り過ぎたのであまり記憶にないが)出雲市駅でJRから離れて、隣の高架駅から出ている一畑北松江線に乗り込む。関西では見慣れた元南海ズームカーが停まっており、これでとりあえず川跡まで行くことにした。関西で見慣れたと書いたが、実際ズームカーに乗るのは初めてで、南海時代に乗ることなく一畑電鉄で乗るとは思いもよらなかった。ズームカー特有の窓上にある蛍光灯が印象に残っている。川跡から大社線に乗って、出雲大社にお参りに行き、川跡に戻ってきて北松江線の乗り潰しに戻った。平田市止まりの電車に当たり、平田市で小1時間ほど時間を潰した。平田市には車庫があり、古い車両も留置されており、なかなか興味深いところだった。平田市からは元京王5000系で車内に転換クロスシートを装備した5000系に乗って松江しんじ湖温泉駅まで行った。終点の松江しんじ湖温泉も電鉄出雲市同様新築に近い様相で、地上駅ながらガラス張りの小奇麗な駅舎が印象的だった。駅前には足湯があり、旅の疲れを癒すことができる。JRの松江とは少し離れており、バスに乗って、松江駅に戻り、松江から米子まで奥出雲おろち号に乗って、山陰の旅を堪能した。


JR境線

2007年09月25日 | 山陰

030726sakai4720943  JR境線には2回乗っている。1度目は98年夏に中国地方遠征をした時に、木次線を乗り潰し、後は帰るだけという段に、米子で一仕事してから帰ろうということで、境線を往復した。その後、米子から快速とっとりライナー、倉吉でスーパーはくとに乗り継いで帰阪した。この時は往復するのみで、駅の改札を出ることもなく、速攻折り返した。

 03年7月26~28日に山陰ディスティネーションのキャンペーンで発売されていたフリー切符を使って山陰地区の各線を乗り歩いた時に、再度境線を訪れている。この時は初回訪れた時とは違い、境の街を少し散策して、境港まで行って市場を物色して帰った。水木茂氏の出身地らしく、町のあちこちに妖怪のモチーフがあり、鬼太郎や目玉おやじ、ネズミ男などの姿が非常に目立っていた。藤子不二雄A氏が氷見市出身ということで氷見線や城端線の気動車は忍者ハットリくん列車として、かわいらしいハットリくんの漫画が描かれた気動車が運転されているが、境線は世にも奇妙な妖怪が描かれた気動車が走っており同じ漫画とはいえ対称的だ。境線と言えば、米子空港の近くを走るところがあり、空港拡張のため廃止になるとか、逆に空港アクセス鉄道として機能させるべきとか、プラス、マイナス両面で色々な噂があるが、鳥取県内鉄道の高速化事業の一環として、境線もテコ入れがなされて、新型気動車が運転されたり、土休日に快速が設定されたりしているので、廃止という極論(新聞社の独断から出て噂のようだが)に達する心配はなさそうだ。


JR山陰本線(米子~出雲市間)

2007年07月08日 | 山陰

040828sakai511188izumo2  JR山陰本線米子~出雲市間は98年夏に宍道~米子間を制し、残りの宍道~出雲市間は01年末の遠征で制覇している。98年夏は木次線からの直通列車で松江まで行き、松江からキハ58系快速とっとりライナーに乗り、倉吉まで直通している。倉吉からはスーパーはくとの初乗りで帰阪した。この当時はまだ山陰西部も山陰中部も高速化前で、キハ58やキハ181が我が物顔で山陰本線を闊歩していた時代だ。01年末はJR西日本の年末年始のフリーきっぷを利用し、30日夜のだいせんで篠山口まで別途料金を支払って乗車し、日付が変わった篠山口からフリーきっぷを使用して、米子まで乗り、米子からスーパーおきで江津までの乗り残し区間を潰して、江津から折り返しスーパーくにびきに乗って米子まで戻っている。この時は米子にて今はなき寝台特急出雲との並び写真が撮れている。スーパーくにびきも後にスーパーまつかぜに統合されてなくなっているので今となっては貴重な画だ。この後、倉吉まで快速とっとりライナーに乗り、キハ58の走りを堪能して、倉吉からはやはりここでもスーパーはくとに乗っている。

030726saninyonago4  その後山陰には何度か通っているが、03年7月26~28日の遠征では山陰ディスティネーションの企画フリー切符を利用して、境線の乗り直しと一畑電鉄の乗り潰しをしている。このときは山陰西部は高速化後で、キハ187系、キハ126系が米子(キハ187系は鳥取まで)まで顔を出していた。山陰中部は高速化前夜で特急こそキハ187系が中心となっていたが、快速とっとりライナーはキハ58系が使用されていた。山陰中部の車両は塗装が国鉄色になっており、山陰本線はまさに国鉄天国であった。山陰中部の高速化により、キハ58はキハ126などに置き換わったが、キハ47はまだまだ健在だ。

040828sanin47126  04年8月28日には秋のダイヤ改正で廃止になる急行だいせんの惜別乗車と木次線乗り直し、芸備線備後落合~新見間の乗り潰しを目的に再度山陰本線中部を訪れている。この時は松江でサンライズ出雲、宍道で出雲を撮影している。出雲は引き過ぎてDD51が一部欠けてしまったが、いいお天気の中出雲を撮影できたのは今となってはよかったと言える。この時は山陰本線高速化がすべて完了していたので、米子から倉吉までいったん引き返してキハ126系快速とっとりライナーを初体験している。キハ47系列が残るとはいえ、キハ181系さらにキハ58系が消えた山陰は既に国鉄色が薄れた地域となっている。

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JR山陰本線(出雲市~益田間)

2007年07月07日 | 山陰

Saninseibu3  JR山陰本線の出雲市~益田間を全線制覇したのは01年12月31日のJR西日本の年末年始の乗り放題切符を利用した時に、未乗区間だった出雲市~江津間を乗って達成している。江津~益田間については、98年夏の中国遠征の際に、美祢線で長門市まで出て、長門市から益田まで特急いそかぜでワープして、益田から快速石見ライナーに乗って江津まで乗っている。江津からは三江線に乗ったため、江津~出雲市間が未乗区間として残ってしまったのだ。01年末の遠征の際は、急行だいせんで米子へ出て、米子から特急スーパーおきに乗って江津まで行き、折り返しスーパーくにびきに乗って米子まで戻っている。帰りのくにびきは先頭の自由席に陣取ってかぶりつきをしている。

Kunibiki5  山陰本線西部は景色がいいイメージがあったが、乗ってみると確かに風光明媚な海岸沿いの景色が広がるが、結構山がちなため、トンネルとの合間に絶景が広がり、一瞬にしてまたトンネルに入るという区間も少なくなかった。それだけ線路条件も厳しいようで、本線とは思えぬ走りだったが、今は高速化されて、特急はキハ187系、快速は126系が投入されているので、以前のイメージはなくなってしまっている。山陰本線には国鉄型車両が似合うと個人的には思うが、いまや国鉄型が残るのは西部の末端と逆に京都口~鳥取にかけての区間の方が多く、鳥取~益田間などの中央部はJR型が主流となっている。山陰本線の近代化が急速に進んだという印象を受けるが、新型のキハ187系やキハ126系は新しく、足も速いが、如何せん重厚感に欠ける印象がある。キハ181系、キハ58系と比べてしまうからどうしてもその点で安物くさい印象となってしまうのは否めない。それでもアコモデーションなどは上記の先輩車両に比べて格段に良くなっているし、山陰の顔として定着していって欲しいものだ。


JR木次線

2007年07月06日 | 山陰

040828kisukiokuizumoorochi  JR木次線は98年夏の中国遠征の締めくくりに乗っている。三江線で三次に入り、三好で一泊して翌朝芸備線で備後落合に出て、備後落合から木次線キハ120に乗って、宍道へと出ている。私が乗った列車は確か松江まで直通する列車だったように思う。途中3段スイッチバックで有名な出雲坂根でおろち号と行き違いをしたのを思い出す。その待ち時間にホームにある延命水を飲んだのを覚えている。木次線はその後04年8月28日にも訪問しているが、このときに出雲坂根に確か延命水があったということを思い出し再度ホームにて飲み、ペットボトルに入れて延命水を飲みながら大阪まで帰ったものだ。延命水の効き目があるならかなり延命されたはず?だ。一度目は全く乗るだけだったので、2度目は道中出雲坂根040828kisukiizumosakane14 で途中下車して、3段スイッチバックに入るおろち号の撮影などをして木次線らしい光景をカメラに収めて帰っている。出雲坂根では出店などが出て、おろち号到着を盛り上げていた。しかし、鉄道利用の人よりも駅前を走る国道を行く人の方が断然多く、おろち号は半ば見世物状態であった。それでも夏休みだったこともあり、木次線の利用もまぁまぁ多かったが、夏休みなのにこの程度の利用かという見方もできなくはなかった。県都松江に近いということもあり、三江線よりは生き残る目はありそうだが、おろち号を除けば厳しい現実があることには違いない。鉄道マニアを喜ばせる資源は豊富といえるので、それを売りにするのもいいだろうが、肝心の地域輸送を活発にするには木次線列車の松江乗り入れ再開は必須なのではなかろうか?

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JR三江線

2007年07月05日 | 山陰

Sanko1201  JR三江線には98年夏の遠征で乗っている。同線に乗ったのはこの1度きりで、全線乗り通していつ廃止になってもおかしくないなと思った割には10年弱経った今でも立派に廃止されずにいるのは驚きだ。現在災害による不通が続いているが、復旧しないという話は聞かないので、廃止という話もないのだろう。一度きりの乗車の際には夕方江津から三次まで通しで走る数少ない列車に乗ったが、部分部分では利用者もいたが、途中自分たち以外に乗っている人が数人というレベルの状態が長く続いていた。新型のキハ120を投入し、路線も一部区間は鉄道建設公団が造った贅沢な新線もあり、廃止するには惜しい路線ではあるが、如何せん利用者が少な過ぎる。山陰西部と広島を結ぶには中途半端な位置を走っているし、陰陽連絡で岡山、大阪方面と結ぶというにもロケーション的に無理がある。地域輸送に徹するしかないというのが三江線の生き残る道だろうが、過疎化が進んでいると思われる沿線がいつまで三江線を支えてくれるかが鍵となるだろう。JR西日本は赤字路線をたくさん抱えており、東海や東日本のように経営的に楽ではないので、今後の動向によっては三江線も廃止という結論が簡単に出てしまい兼ねないのではなかろうか?


JR山口線

2007年07月04日 | 山陰

030830yamaguti187473501  JR山口線には98年夏の中国地方遠征のときに乗っている。益田まで山陰本線に乗り、同駅から津和野まで山口線気道車に乗って、津和野でレンタサイクルを借りて観光をしている。津和野城跡から山口線を俯瞰できる場所があったが、この当時は撮影には興味がなく、コンパクトカメラで列車を狙ってみたが、さっぱり撮れていなかった。津和野での観光の後、山口線気動車列車で山口まで行き、ここでも乗継ぎに時間があったものの、県庁所在地の駅にしては駅の周りにめぼしいものがなく、手持無沙汰な時間を過ごした記憶がある。山口から小郡まで乗って、その日は小郡で宿泊して、何度も書いているが、翌朝小野田線クモハ42に乗りに行っている。この遠征のときには残念ながらSLやまぐち号は見ていない。津和野に転車台があったように思うが、当然ながら撮影などは何もしていない。

030830yamagutislyamaguti6  山口線にはこの他に、1度だけ小郡~山口間に乗っている。03年8月30日の遠征の時で、散々書いてきたが、仙崎支線の乗り潰しと美祢線の乗りなおしをした後に、小郡で少し時間をとって、山口駅でSLやまぐち号の撮影を試みている。シャッターを早く切り過ぎた写真になってしまい、加工も何も施していないので、おかしな仕上がりになっている。やまぐち号撮影後は普通列車で小郡へ戻り、山陽本線を東上して広島まで出て、広電の乗り潰しをしている。山口線山口以北へも乗りたかったが、山口以北は普通列車の本数が極端に減るので断念した。次に乗るときには特急スーパーおきに乗るか、やまぐち号を本格的に撮るかしたいものだ。