EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

近鉄~阪神直通

2008年05月31日 | 近畿

080427hans12033  阪神なんば線開業に向けて色々動きがあり阪神車の近鉄への貸し出しなどが行われたりしてきています。開業まで1年を切ったということもあり、次は近鉄車の阪神への貸し出しもあるのかなと思います。阪神本線では尼崎の改良工事が佳境を迎えているようですが、芦屋駅ではホーム延伸が完了したとのこと。近鉄車6連に対応したということですが、なんば線直通電車が芦屋に停まるということがこれで確実になったのかなと思います。現行ダイヤに照らし合わせるとデータイムは急行が西宮以西にも延長されて快速急行になるというのが有力で、朝ラッシュ時は区間特急、夕ラッシュ時は快速急行がなんば線直通になるという予想が妥当なところだと思います。しかし、区間特急は芦屋に停まるものの、快速急行は芦屋を通過します。芦屋に終日なんば線直通列車が停車するとは限りませんが、御影などでは改良工事が行われていないので、今のところ西宮以西では芦屋と魚崎あたりが有力なのかなと思います。御影は21m級6連の停車に目処がついているなら停車の可能性がありますが、果たして特急と同じ停車駅の列車になるのか、現行の快速急行に合わせた停車駅になるのか注目したいところです。

 私の予想としては種別は近鉄に合わせて快速急行として、停車駅を変更するのが有力なのではないかと思います。現行の快速急行は直通特急との色分けから西宮以西で青木、岩屋に停車していますが、両駅とも“なんば直通”列車へのインパクトが小さいように思います。データイムでは西宮以西では増発列車扱いになるので、現行の快速急行とは違った停車駅の設定を行えばいいのではないかと思います。停車駅数は後続に直通特急が走るということから、直特と同じか少なくしなければならないのかなという感じはします。本来であれば直特と同じ停車駅が理想的ですが、西宮以東のダイヤでお釣りがなければ1駅削らざるを得ないかなという感じがします。直特停車駅から1駅削るなら…魚崎になるのかな。六甲ライナーとの接続は捨て難いところですが、根こそぎJRに持っていかれている感があるので、緩急接続の効果がある御影の方を取った方が良いのかなという感じがします。

 西宮以東の停車駅は現行の急行置き換えにもなるので、基本的には急行と同じ停車駅とした方がいいのですが、西宮以西で直特から逃げきるための貯金をするなら武庫川を飛ばすことも考えられます。逆に直特を終日甲子園停車として、先行する快急に貯金を持たせる方法も考えられます。あくまで現行ダイヤを前提としたダイヤですが、阪神なんば線開業後のダイヤがどうなるのか楽しみです。


明日は東京優駿

2008年05月31日 | 競馬

 競馬ファンの私にとっては今日は特別の日…という感慨があるわけではありませんが、東京優駿=日本ダービーの日です。サラブレットにとっては一生に一度の晴れ舞台ということで何千頭の中から選ばれし18頭のみが出走でき、それを勝ち抜いた1頭のみに与えられるのがダービー馬という勲章となるわけですが、遥か遠い東京競馬場で行われることもあり、馬券的な興味はともかく、ライブで見ようというような衝動には掻き立てられません。そういった意味では京都で行われる菊花賞や天皇賞の方が出走メンバーによっては見に行こうという衝動に駆り立てられ、競馬に対するテンションが上がる感じはします。まぁ競馬に対するテンションが一番上がるのはグランプリ有馬記念ということも言えますけどね[E:coldsweats01]

 とりあえず今日は競馬予想でもしてみます。ネット上で予想するとあまり当たりませんが、密かに今年は予想が好調で結構馬券を当てています。そういうことでネット予想復活という気分にもなったのですが、さてさて当たるも八卦当たらぬも八卦。

◎アドマイヤコマンド ○フローテーション ▲サクセスブロッケン △スマイルジャック △マイネルチャールズ ×ショウナンアルバ

 ◎はアドマイヤコマンド。幻の3冠馬アグネスタキオン産句です。SS後継種牡馬として既に名牝ダイワスカーレットなど数多くのG1馬を輩出している父を持つアドマイヤコマンドも将来を期待できる馬です。キャリア4戦目で勝つことになれば音速の末脚フサイチコンコルドに次ぐ2番目のキャリアでの優勝となります。毎日杯で負けたディープスカイがNHKマイルを勝って注目されていますが、キャリア2戦でそのディープに迫った実力は計り知れないものがあります。青葉賞勝ち馬からダービー馬が出ていないこと以外に不安はありません。

 ○はフローテーション。ダービーになると怖い橋口厩舎。同厩舎で後にあのディープインパクトを下したハーツクライを何となく彷彿させる馬です。鞍乗も今年絶好調の藤岡騎手。先週初物ずくしが続いていれば本命も考えたところですが、勝ち負けの可能性を秘めているように思います。

 ▲サクセスブロッケン。未知の魅力の一言です。横典の一発は怖いです。

 △スマイルジャック ダービー馬はダービー馬からという格言があります。タニノギムレット産区が東京に変わって一変するかも。

 △マイネルチャールズ 皐月賞不在なら主役候補だが、若干使い込みが気になる。

 ×ショウナンアルバ 具合いいという記事が目をひきました。折り合い不安も一発期待。


近鉄生駒線

2008年05月29日 | 近畿

040505kin10335  近鉄生駒線にはいつだったか忘れたが、学生時代に乗車している。奈良線で生駒へ出て、生駒から王寺へ行き、王寺から大和路線で帰る周遊ルートだ。2回目に乗った時もこのルートを使っている。生駒線は新興住宅地を走る路線というイメージだった。最初に乗った時は丘陵地を走るため、あまり景色のいい路線ではないという印象で王寺から乗った大和路線の河内堅上の桜の印象の方が強かった。ラッシュ時に乗れば通勤通学客で満載の電車が走っているのだろうが、データイムは生駒口こそそこそこ利用があるものの、駅ごとに利用者が減って行き、また王寺に近付くに連れて若干利用者が増えていくという路線だった。北の奈良線、南の大和路線のフィーダーの役割というのはあまりなさそうだが、どちらへも利用の流れがあるというのは生駒線の強みと言える。


JR長野新幹線

2008年05月24日 | 甲信越

050812naganose2n3  03年12月31日に仙台で一泊して、04年1月1日はJR東日本の正月パスで東日本の新幹線の旅を楽しんだ。前日には山形でマフラーを忘れる失態を犯しているが、駅員さんのご厚意により着払い宅急便で自宅へ送って頂けることになり、安心して正月パスの旅を楽しむことができた。実は山形新幹線に乗って山形を通ることになっていたのだが、山形はスルーする行程だったので、山形で忘れ物を受け取る時間がなかったので、駅員さんのご厚意に甘えた次第だ。今思い返せば詰まらぬ乗り潰しのために駅員さんに迷惑をかけて恥ずかしい限りだ。この場を借りてもう一度お礼を言いたい。“山形駅の駅員さんその節はありがとうございました!”

 04年1月1日は東北新幹線こまちを皮切りに、秋田新幹線~奥羽本線~山形新幹線と乗り継いで東京へ戻ってきた。朝から仙台の牛タン弁当を食して体力を付けて臨んだが、東京へ着いた頃には車内が混雑していたこともあり少々疲れていた。回数限定でグリーン車も乗れる切符だったが、つばさはグリーンが満席だったので、指定で新庄から東京まで乗り通したが、如何せん在来線規格の新幹線だけにシートピッチが狭く、車内が混雑しているため動き回ることもできず、疲れる道中だった。東京で息つく間もなく、続いて乗車したのが今日の本題である長野新幹線あさまだった。こちらはグリーン車をGETできたので悠々と長野まで過ごすことができた。元旦というのにグリーン車も利用者が結構いたのには驚いた。明らかに鉄人らしき人間は見かけなかったが、正月パスの利用者も多かったのかもしれない。西日本でも正月にはフリー切符が発売されて何回か利用しているが、東日本は正月以外でもフリー切符の類の切符を販売している。西日本では期間限定以外フリー切符の定期的な販売はない。西日本や他のJRでも周遊きっぷに変わるようなフリー切符の登場を期待したい。E2系は03年夏の北海道遠征の時に一度乗車しているが、グリーン車は初乗車だった。さすがに重厚感のあるシートでゆったりくつろげたが、同じようなシートでもっと廉価で乗れる列車が新大阪~博多間に走っているのを思い出すと通常料金で乗るには物足りないなと思う。九州ではワンドリンクサービスがあるが、各社ともグリーン車ではワンドリンクサービスぐらいは欲しいものだ。長野まではあっという間に着いたが、峠越えらしきものはあったもののトンネルばかりで少々退屈な道中だった。鉄っちゃんとしては長野までの道中はやはりあれがなければ…と思う。


JR秋田新幹線

2008年05月23日 | 東北

041231akitashinkansene3r1komachi  JR秋田新幹線には04年1月1日に正月パスを利用して乗車している。仙台で1泊して、朝一の仙台始発のこまちに乗って、東北新幹線~秋田新幹線を乗り通した。仙台始発で元旦の早朝の便ということで仙台発車時点では空いていたが、盛岡からは結構な乗車があった。東北新幹線内も各駅に停車する列車だったのであまり速くなかったが、秋田新幹線…実際には在来線のJR田沢湖線内はかなり遅かった。最高速度は130km/hのはずだが、田沢湖線内ではほとんど最高速度を出せる区間はなかったように思う。これでは新幹線の名が泣くという気がするが、在来線だけにさすがに景色はそれなりに美しく、雪化粧した山々が印象的だった。このような景色はトンネルばかりの新幹線ではほとんど見られないので、それはそれで秋田新幹線ならではの価値を見出せるところだろうが、東京対秋田でのエアとのシェア争いを考えれば田沢湖線内でのスピードアップは秋田新幹線の今後の課題となるだろう。


仙台市交南北線

2008年05月22日 | 東北

031231sendaishi11178  03年12月31日山形にマフラーを忘れつつ、仙台に到着してホテルにチェックインした。大みそかなのに格安のビジネスホテルは満室だった。部屋でまったりと紅白でも見てということもなく、何でか大晦日だよドラえもんに見入っていた。それが終わってから、紅白を見てもつまらないので、仙台市交の乗り潰しに出かけた。北斗星を撮るついでに乗り潰してやろうということで仙台駅に出かけて、カシオペア、北斗星を撮って、583系の臨時快速もついでにGETした。気分よくJR仙台駅を出て仙台市交南北線の仙台駅へと向かった。なんとなく歩けばぶち当たるといういつもの行き当たりばったり方式で向かったが、かなり迷って仙山線のあおば通駅に出てしまった。歩きすぎたかと思ったが、すぐ近くに地下鉄の文字が見え、漸く地下鉄仙台駅にたどり着いた。何となくあおば通駅に近いという予備知識が頭の片隅にあったので何とか見つけることができたが、予備知識が残っていなかったらたどり着けなかったかもしれない。JR仙台駅起点で考えると地下鉄仙台駅はかなり遠いというのがよくわかった。地下鉄だから昼も夜もないということで夜に乗ったが、末端部に地上区間もあり、昼乗ればよかったなというところもあった。大みそかだけに利用者は少なめだったが、逆に仙台へ向かう利用はそこそこあったように思う。


JR仙山線

2008年05月21日 | 東北

031231senzanline719h252  03年12月31日JR山形線、JR左沢線でのマフラー騒動が収拾がついたので、宿を取っていた仙台目指して仙山線に乗った。予定よりも遅い列車に乗ったので、夕方近い時間になっていた。若干気が萎えていたので、あまり景色を楽しむという感じではなかったが、昔本で見た山寺だけは見ておきたいということで、道中は眠らずに過ごしていた。仙山線と言えば455系と快速仙山のイメージが強いが、私が乗った列車は快速仙山ではあったものの719系を使用していた。701系の投入などにより玉突きで719系が仙山線に回ってきたようだが、裏を返せばクロス車を仙山線に回さなければならないほど東北本線仙台口の輸送量が多くなってきているということなのかもしれない。気が遠くなるほど高い所にある芭蕉ゆかりの山寺を車中から拝み、山形と宮城の県境を抜けて仙台の市街地に入って行った。ここも仙台市内かというような駅もあり、仙台市が合併を繰り返して広大な市域を得たことを実感した。利用の方は大みそかの夕方の仙台行きということで少なく、山形~仙台間の都市間利用も非常に少なかった。日や時間帯によって利用は異なると思うが、仙台~山形間の都市間利用は案外少ないのかもしれない。それが証拠に昔は新幹線連絡の意味合いもあり、仙山線内ノンストップの快速仙山もあったが、今は停車駅が非常に多くなり、仙台都市圏では普通の役割をするような列車も出てきていた。


JR左沢線

2008年05月20日 | 東北

031231aterazawalineaterazawa3  03年12月31日JR山形線ローカルに乗って山形入りして、駅そばで昼食を取り、左沢線制覇へと向かった。左沢線はフルーツラインという愛称が付く路線で、キハ110系も原色の緑とは違って水色の塗装になっている専用車?を使用していた。先述したようにJR山形線で先頭車から後部車両へ移動した際に先頭車にマフラーを忘れてきた。このことを山形駅到着時点では気づかず、忘れ物に気づかぬままそばを食べて左沢線に乗った。左沢線に乗ってしばらく走ってから漸くマフラーがないことに気づいた。東北は寒いだろうからと重装備の冬支度で大阪を発ったが、新潟では結構寒かったものの、雪が積もって大変と思っていた山形には雪のかけらもなく、好天で暖かかったこともあり、マフラーを外してすっかりそれの存在を忘れてしまっていた。油断大敵とはこのことを言うのだろう。左沢線の道中は上の空で、早く山形駅に戻ってマフラーを取り戻さなくては…という思いばかりだった。終点の左沢で駅員がいたので、山形線電車で忘れ物をしたが、問い合わせできるかどうか聞いてみたが、山形駅でないと分からないとの回答。期待はしていなかったが、山形まで戻らなければ仕方ないということだ。買ったばかりのマフラーということでここでなくすのは惜しいという気持ちと、ここで乗っておかなければいつ来れるかわからないという気持ちもあり、左沢線を乗り潰しながらもマフラーの行方が気になるという中途半端な道中だった。

 結局マフラーは山形到着後新庄行きとなった電車が新庄で入庫する際に清掃員が網棚で見つけてくれて新庄駅にて保管されていて、山形駅に配送されてくるとのこと。山形到着は夜になるということで、31日は仙台で宿を取っていたため、明日取りに来ると言ったが、“無理に取りに来なくても着払いで家まで送ってあげるよ”の駅員さんの言葉に甘えてしまい、結局着払いの宅急便でマフラーを自宅へ送ってもらったのだった…なんとも情けない話だ[E:coldsweats01]


JR山形線(奥羽本線福島~新庄間)

2008年05月19日 | 東北

070722ouu719y8   03年12月31日早朝からJR白新線~JR羽越本線~JR米沢線と乗り継いで新潟から山形県に入った。米沢で米沢牛の駅弁を買い込んで、列車待ちの時間に駅のホームでそれを堪能した。2種類買って、1つは夕食用に取っておいたが、どちらもそれなりの値段がするだけのことはあった。米沢からは山形線で一路山形へ。初めて乗る719系がいきなり標準軌バージョンということで多少違和感を覚えるが、車内は狭軌の列車となんら変わりない。深く観察していなかったので、狭軌車との違いはよくわからないが、標準軌というだけでごく普通のJR(国鉄)の車両という感じだった。先頭車に乗り込み、かぶりつきを試みようとしたが、あとからゾロゾロと添乗の運転士が運転席に入ってきて、全く前が見えない状況になった。これでは何も見えないので、発車前に席を移動して最後部へ。ここで大失態を犯していたが、何も気づかずに後部かぶりつきをして山形へ。途中400系つばさに追い抜かれ新幹線であることは実感したが、板谷峠ほどではないしにしろ軽い峠越えもあり、新幹線というにはかなり線路条件が厳しい路線であることがわかった。山形盆地の平坦なところでは快調に飛ばせそうな気もするが、踏切が多く、130㎞/h以上での運転は難しそうだ。東京~山形間の利用は完全にJRが掌握しきった感があるが、今後のスピードアップは望めないだけに高速道路の延伸などで新たな敵が生まれる可能性はある。新幹線内でのスピードアップは青森や秋田方面へ行く長距離列車が優先となるので、今以上のスピードアップは望めない。再度在来線の改良を行うにはかなりの費用が必要だが、部分新線などを造ってスピードアップしていくしかないのかもしれない。あるいは車両側で車体傾斜式を採用して曲線通過速度をさらに高めるかだが、これは130km/h超で運転しなければあまり効果はないかもしれない。

 山形近郊は大みそかというのに昼時に着く列車だったからか、高校生を中心に利用が多く混雑していた。山形到着後、JR左沢線に乗り継いで同線の乗り潰しに向かったが、同線の車内で山形線電車の中にマフラーを忘れてきたことに気づいたのだった[E:crying]…以降JR左沢線へと続く。


JR米坂線

2008年05月17日 | 東北

031231yonesaka52102  新潟県内のJR(越後線・弥彦線・飯山線)の乗り潰しを終えて、新潟で一泊して翌朝03年12月31日早朝から白新線で新発田へ抜けて、新発田から羽越本線で坂町へ向かった。坂町から米坂線に乗って米沢を目指す。坂町は何の変哲もないと言えば語弊があるかもしれないが、ローカルな乗り換え駅だった。新発田から乗った羽越本線列車も交直デッドセクションに対応した?キハ110系だったが、米坂線はキハ110系のような新しい気動車ではなくキハ58系やキハ48系を混結した昔ながらの国鉄気動車編成だった。国鉄時代と違うのは色だけという感じの列車で、途中主要駅でそこそこまとまった停車時間を持つダイヤも何かタイムスリップしたような感じだった。今泉で山形鉄道気動車と連絡待ちをしたりしながら長い道中を乗り通し漸くといった感じで終点の米沢に着いた。米沢にはキハ52系などが止まっており、これまたタイムスリップしたような感じだった。そのような米坂線からもいまや国鉄型気動車が姿を消そうとしており、隔世の感を覚えざるを得ない。


JR飯山線

2008年05月16日 | 甲信越

031230iiyamaline1102352  弥彦線の乗り潰しをそそくさと終えて、東三条から再び信越本線を西へ向かい長岡へ。長岡から上越線に乗り換えて一路飯山線と接続する越後川口へ。しかし、ここで抑止がかかる。ここまで来て既に見飽きた感があった115系だったが、ここへ来て当該列車に不具合発生とは…。運転士さんが必死にあっちこっち動き回り車両の点検を行い、何分遅れになったか忘れたが、とりあえず発車できるようになった。飯山線との接続はそれなりに時間に余裕があったものの、長岡発車時点では既にアウトに近い時間だったのは覚えている。車内放送に耳を傾けながら、越後川口での飯山線との連絡があることを確認してほっと一息つく。越後川口では115系ばかり見てきたのでなんとなく新鮮に映ったキハ110系が到着を待っていてくれた。私が乗った列車は展望車両として千曲川側の座席が窓側に向いた車両が連結されており、雪深い道中をその“ロングシート?”に座りながら楽しんだ。雪が降ったりやんだりの道中で、只見線と並ぶ豪雪地帯路線の景色はさすがに白一色だった。途中戸狩野沢温泉駅で乗り換えを挟み、引き続き長野を目指して雪の中を走った。途中スキー客などで車内は一杯になり、少々遅れが生じていたので、長野まで行かず、豊野で降りて信越本線に乗り換えて、長躯新潟まで戻った。新潟に着いたのは20時過ぎ。宿に入ってぐったりしたのは言うまでもない。思い返せば乗り潰しも楽ではないなと改めて思う。[E:weep]


JR弥彦線

2008年05月15日 | 甲信越

031230yahiko115y22  JR越後線の乗り潰しを終えて、柏崎から豪華デラックス快速のくびき野に乗って東三条へ。485系に18きっぷで乗れるとは一昔前には感動ものだったが、前夜に485系ムーンライトえちごに乗っているだけに色が変わったのと車内がグレードアップ車なのでセミハイデッカになってちょっぴり豪華になっただけで、“感動”という言葉にまでは至らなかった。長岡を境に旅客が入れ替わり、新幹線がある長岡~新潟間での利用の方が多かった。新幹線の恩恵がない駅での乗降が多く、東三条も燕三条が近いものの、乗降がかなり多かった。東三条からは弥彦線塗装?の115系ワンマン列車で吉田へ。越後線同様弥彦線も吉田での系統分離が多いようだ。ここで乗り換えて同じ115系ワンマン電車で弥彦行きに乗って終点の弥彦へ。終点の弥彦は弥彦神社の本殿を模した駅舎があり、観光気分を盛り立てる駅だった。年末とあって初詣の準備がされており、ゆったりとした時間の流れの中にも新年を迎えるにあたっての慌ただしさも垣間見られた。私の旅にはほとんど観光という言葉が見当たらない味気ない旅だが、ご多分にもれず弥彦神社を訪れることもなく、折り返し電車で東三条へと戻った。乗り潰しというより乗りつくしの旅なので、余裕時分など全くない。この辺りは最近反省して、少しは観光や沿線を見て回るようにしているが、相変わらず質より量の旅をすることが多い。私鉄乗り潰しが終われば、乗り潰し鉄道は国内にはなくなる(海外にはうんざりするほどあるが…宝くじでも当たれば海外乗り潰しを考えようかな[E:happy02])ので、ゆっくりした旅を楽しみたいものだ。


JR越後線

2008年05月14日 | 甲信越

031230echigo115s22  武蔵野線乗り潰しの続きになるが、西船橋から京葉線に入り、海浜幕張や新木場で撮影して、初乗りのりんかい線に乗って大崎へ抜けて、しばらく都内で時間を潰して、ムーンライトえちごに乗って次の乗り潰しのターゲットである新潟へ向かった。ムーンライトえちごは165系時代に何度か乗っているが、グリーン車の座席を再利用したシートは非常に快適だった。夜行なので窓割りが合わないのはどっちでも良かったし、リクライニングの角度が深いのは何より嬉しかった。それから置き換わった485系ムーンライトえちごに乗ったのはこの時が初めてで今のところ最初で最後の乗車になっているが、普通の485系のシートを使用しているため、以前の165系ムーンライトえちごに比して見劣りした。あまりゆったり眠れぬまま新潟に着いて、まだ夜も明けきらぬ中越後線の乗り潰しにかかった。701系もどきのE127系に乗車した。早朝の一番寒い時間に乗ったので、車内は寒々としているかと思ったが、暖房がよく効いて心地よい車内だった。この辺りはさすが雪国を走る電車だけに首都圏よりも車内は暖かい感じがした。この年末に遠征した九州で寒い思いをしたので、E127系の車内の暖かさが身にしみた。ロングシートでローカル線の旅としては味気ない旅路ではあったが、モータを唸らせながら走る道中は関西の103系のようで、なんだか懐かしい感じがした。吉田で115系に乗り換えて、今度は正真正銘の国鉄車による旅となった。年末の朝方の利用だけに乗客は少なく、のんびりした道中だった。信越本線に比べて海側を走るので、もっと海が見える路線なのかと思っていたが、意外にも海は見えなかった。一部暗がりでの道中もあったので、もう一度全線明るい時に乗りたいものだ。


さらば6300系

2008年05月13日 | 阪急6300系

051002hky6356  少し気が早いところですが、6300系8編成中(6330Fは除く)1編成の6356Fが廃車になるようです。さらば6300系とは気が早いタイトルになりましたが、9303Fの増備が進められており、何編成かは廃車になっていきそうな感じがします。残念と言えば残念ですが、30年選手というか30年以上選手となった6300系が姿を消していくのもやむを得ないと思います。幼少の頃から特急と言えば6300系だった同世代の人間にとっては残念ですけど、これも時代のですから仕方ないですね。長い間お疲れ様でした。

 6300系が廃車になる一方で50年選手に近い2300系がまだまだ残っているというのには若干違和感を覚えます。車両によって経年劣化の度合いなどが違うので、必ずしも古い車両から淘汰されるわけではないと思いますが、経年30年以上の車両が大半を占める阪急京都線(だけでなく神宝線も)では今後どうやって車両の置き換えを行っていくのかと危惧ところです。本業以外での失敗が続き、財務状況が好転するどころか悪化する一方という状況で、一気に旧型車を置き換えるだけの体力はなさそうですし、今後どうやって資金をやり繰りして新車を投入するのでしょうかね。幸い阪急車はかつて国が造っていた車両に比べてメンテが行き届き、故障が少ないので、JR西よりかは丈夫で長持ちする車両が多いと思いますが、それにも限度というものがありますからね。色々なところで何度も書きますが、阪急の車両施策についてファンとして心配してしまいます。


JR武蔵野線

2008年05月10日 | 関東

031229musashino10322  JR武蔵野線には03年12月29日に初乗車している。JR南武線の乗り潰しを達成した後、立川で奥多摩そばを食して中央線で西国分寺まで行き、ここから武蔵野線でいったん府中本町へ戻り、府中本町から一気に西船橋まで乗り潰した。西国分寺で山手線から転属したVVVF改造の205系を見て、205系が来るのかと思いきや関西ではお馴染みの103系が来た。その当時から関東では少数派になっていたが、今となっては懐かしの103系ということになる。懐かしの103系も関西では懐かしいどころか騒がしいという言葉ぐらいしか出てこない。関西ではまだまだ103系がバリバリの現役だ。武蔵野線の103系も関西ほどではないが、それなりに元気な走りを見せていた。関東の電車は余裕時分をたっぷりとって走るので、通常はよく言えばおおらかな走り、悪く言えばとろい走りをするが、武蔵野線は京葉線ほど轟音を立てては走らないもののそれなりのスピードで走っていたように思う。もっともその前に乗った南武線がかなり遅かったので、武蔵野線が若干速く感じたのかもしれない。