EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

さらばはやぶさ・富士

2009年03月13日 | はやぶさ富士

050109tokaidoef6647fuji4  本日出発列車にてブルートレインはやぶさ・富士は終焉を迎えます。利用者が少なくなったため廃止になったというのが実のところですが、近年の報道を見るとブルトレの絶対数が少なくなってきていることもあり、さらにはこれまでの功績や人気を考慮して“引退”という言葉が使われるケースが多くなっています。引退の花道を飾る…ということからすれば引退という言葉も当てはまるのかもしれませんが、ダイヤ改正発表前の利用実態を見れば、廃止という言葉が妥当なのかもしれないという気もします。いずれにしてもかつては東海道山陽筋いや国鉄のスター選手だったブルトレの最後ですから、盛大に送り出してやるのも悪くはないと思います。思えば、30代の私などは小学生の頃はブルートレインの写真入りの筆箱を持ち、色鉛筆にもブルートレインというようにブルートレイン全盛時(利用的には既にピークは過ぎていたが)に育ったこともありブルトレには思い入れの深い世代です。私の頃はPFが牽引する九州特急が花型でした。それが66に置き換わったのは小学校高学年に差し掛かる頃で、マンモス機66が牽引する九州特急はブルートレインはファンの注目の的であり、まさに花型でした。大阪在住でPFファンの私としては66と東京発のブルトレがもてはやされるのが気に入らなかったことを思い出します。PFファンとしてはPF牽引で残った瀬戸や出雲、関西ブルトレを応援するようになり、しばらくはアンチ66ブルトレファンという感じになっていました。国鉄がJRになってもブルトレは国鉄時代の本数をある程度維持しながら運転されてきましたが、新幹線のぞみの運転開始あたりを機にブルトレの削減が始まり、21世紀に入ってからは改正毎に淘汰されていくというありさまになり、最後の最後まで残ったはやぶさ・富士も本日をもって終了というところまで来てしまいました。こうなればPFも66もないもので、デジカメの進化によって撮影に目覚めた私も廃止(引退)を前にしたブルトレを追いかけてきました。それも本日でひと段落。去年のあかつき・なは、銀河のときほどではないものの、しばらくは早く起きなくてよい、今回の場合なら遠征しなくてもよいという状態に落ち着きそうです。寂しいようなほっとするような微妙な感覚ですが、次は日本海が廃止される時までこの感覚は味わえないのかな?と変なことも考えたりします。日本海もいつ何時どうなるやらわからないので撮れる時に撮って、次は是非とも大阪から青森まで乗り通しておきたいと思います…なにせはやぶさ・富士についてはよく撮りましたけど、一度も乗らずじまいでしたから…[E:catface]

 なにはともあれ私ははやぶさ・富士の最終列車見送りには参加しませんが、なにぶんトラブルがないよう、皆が気持よく最終列車を見送れる状況にあって欲しいと願う次第です。060805kagoshimaed76942


東海地方遠征

2009年03月08日 | はやぶさ富士

090307tokaidoef6650hayafu2  はやぶさ・富士の最後を追い求めて先週の九州・山陽遠征に続き、今週は東海地方へと足を運んできました。1日目はほぼ移動のみ。18を使って東海道を上ります。途中名古屋で乗り潰しのため小休止、名鉄瀬戸線を皮切りに、リニモ、地下鉄東山線を踏破して、再び名古屋から18で東海道を上っていきました。久し振りに静岡地区に乗り入れましたが、以前訪れた時は113系と313系の置き換え期だったこともあり、3両編成が少なく、5両や6両といった編成が多く見られたように思いましたが、今回はやたらと3両編成が目立ちました。朝方の列車は3両以上での運転が多いようですが、3両編成での運転が基本といったイメージを受けました。3両で混み合った電車もあればそれなりに余裕のある電車もあり、以前乗った時よりも妙に乗車距離が長い人が多い(明らかに18族とは違う人が多かった)ようにも思えました。静岡都市近郊での輸送がさすがに一番多いようですが、静岡から東へ富士や沼津と言った新幹線に恵まれない地域との間の旅客は結構な量があるようです。ここは以前にも感じていたところですが、かといって静岡~沼津間に快速を走らせるほどの需要もないということも言え、富士までは曲りなりに特急ふじかわも乗り入れてくるので、普通列車の利便性で対応といったところなのでしょう。18での移動なので文句は言えませんが、混み合った電車でのロングシートでの長距離移動はやはり厳しいものがありますね。地元の人間もそれなりの距離を移動する人が多いだけにロングシートばかりでの運転というのも少し考えものなのかなと思いました。

 静岡都市圏を漸く越えて、宿を取っている富士に夕方に到着。19時前に富士駅前のホテルに滑り込み、そそくさとテレビをつけてWBC日本対韓国戦を観戦。日本が優位に試合を運ぶのを確認しながら、旅の疲れを癒す間もなく20時前には再び富士駅のホームへ。18時30分ごろの時点では1人三脚を立てているだけでまだまだ大丈夫と言った感じでしたが、20時前の時点ではまさかの三脚の列が…さらには見物の親子連れが多数ということでかなりの盛況ぶりでした。東京や横浜などから見れば足元には及びませんが、最終に近づくに連れて各駅ともファンのみならず見物客が増えてきているようです。富士駅では人が多くマナーもへったくれもなかったですが、罵声が飛ぶこともなく、平穏にはやぶさ・富士のミニ撮影会が行われ、列車は静かに西へと旅立っていきました。私はそそくさと駅を立ち去り、再びホテルでWBCを観戦するのでした。しかし、はやぶさ・富士に興じている人は天下分け目(というにはまだ早いが)の日韓戦を見ずに過ごされているんですね…恐るべしはやぶさ・富士と言ったところでしょうか。もっともWBC熱が一部で高すぎるという向きもありますね…アメリカではWBCなど見向きもされていないようですから。


最後のオノアサ

2009年03月04日 | はやぶさ富士

090301sanyoef6648hayafu2  九州での最後のブルトレ撮影を満喫して、小野田オリエンタルホテルに泊まり、翌朝(3月1日)は早朝からオノアサへと出向く。2回目のオノアサだ。以前訪問した時はムーンライトで下関まで行って、小野田へ折り返して小野田から猛暑の中歩いてヘロヘロになって、折り返しお野田駅に着いた時にはそれこそ精根尽き果てた状態になっていた。その苦い思い出があったので、いい画が撮れたのに“オノアサはもういい”という思いが強かった。しかし、オノアサを通過するブルトレがなくなれば同地に赴くこともまずない(遠すぎる)ので、今回再訪問することを決意した。今回はムーンライト九州もないので、小野田周辺で宿を取ってと思い、探し当てたのが手頃な価格の小野田オリエンタルホテル。駅前にあるので、オノアサまでは遠いが、それでも気分的には楽だ。前日にとりあえず地図でおおよその場所を確認して、早朝6時30分頃ホテルを出発して現地を目指す。早朝と言っても前日は4時30分起きだったので、いつもの調子から行けばそれほど早朝でもない。薄暗い中歩いて行き現地に到着。既にクルマだらけになっており、ぬかるみに足を取られながらお立ち台へ。前方組と後方組に見事に分かれていたが、とりあえず余裕のありそうな後方組の方で撮影することにした。ほとんど90%程度がクルマで来訪しているようで、歩いて小野田からという人は見当たらなかった。大した距離でもないのに楽をする人間が多い。人のことはあまり言えないが、楽をするから鉄はメタボな人や細身のオタク風が多くなるのだろう。そう言えばスポーツ系の鉄ってあまり見ませんからね。小1時間ほど貨物やローカル電車を練習がてら撮影しながら本番を待ち、いざ本番のはやぶさ・富士の通過を待つ。定時よりやや遅れ気味で通過して行ったが、とりあえず晴れていたのでヨシとする。若干前の人にかぶられるのを恐れて練習の貨物よりもカメラを振ってしまったので、S字の表現がうまくないところもあるが、最後のオノアサを無事終了することができた。このあとは1日から使用できる18で延々と大阪まで帰る計画だったので、そそくさと現場を立ち去り、小野田発8時51分の普通に乗り込んだ。駅へ来る途中EF65の原色が牽く貨物を見たが、オノアサに残っていた人はこれを狙っていたのかもしれない。近年カマの追っかけは須佐まじいものがあり、旅客列車が風前の灯となった現在、カマ男は貨物しか追いかけられない実状もあり、貨物熱は高まってきている。私はそれほどカマ男ではないので、計画を消化するために久しぶりの本格的な普通列車の旅を楽しむ。最近は18を使っても撮影のため最後の締めは新幹線を利用など中途半端な旅が多かったが、本線を堂々と乗り通すのはかなり久しぶりである。山陽本線の普通は昔ながらの長距離列車が多く、この日も新山口から糸崎まで延々と同じ列車に乗り続け、さらに糸崎から乗り継いだ列車には相生まで延々と乗車することになった。相生からはさらに新快速に乗り継いだので、都合3列車で新山口~大阪間を乗り通したことになる。この間広島での5分停車の間におにぎりをGETできただけで1分~2分の接続ばかりだったので、食糧確保についてはシビアな考えの人にはできない乗り継ぎの旅だった。


最後の九州ブルトレ

2009年03月02日 | はやぶさ富士

090228kagoshimaef7666hayab  2月28日・3月1日と九州・山陽方面へ遠征に出ておりました。目的はただ一つ。ブルトレ撮影です。東京方面へは乗り潰しも兼ねて何度か遠征しておりますが、西へは夏に山口遠征しただけで九州方面へは遠ざかっていたので、九州最後のブルトレ撮影をしたいと思い、九州へと遠征してきました。九州のついでに最後にオノアサにも行ってみたいという欲張りをするため、28日は朝一のレールスターで小倉に入り、九州のブルトレは小倉近辺で撮り、翌1日はオノアサで撮るという行程を組みました。九州へ行くのにメインはオノアサみたいな行程になってしまいましたが、九州でブルトレを2列車撮るには小倉近辺でないと無理なので、九州での活動は最小限に留めてすっきりした画はオノアサでという計画にしました。

090228kagoshima14hayabusa  朝一のレールスターは新大阪からは程よい乗り具合で、岡山、広島と通常なら減っていくところなのに、両駅での乗車が下車よりも多く、小倉停車時がピークの乗車率という様相でした。新幹線も不況の影響という話を聞きますが、私が乗った列車を見る限りでは不況のどん底を行くという感じでもなかったです。昨年までの利用が良すぎたというのも落ち込みが大きい要因なのかなと思う次第です。小倉到着後は早速…ブルトレではなく名物のかしわうどんを食しに立ち食いへ。かしわうどんは鳥栖が有名みたいですが、小倉でも十分美味です。うどんは大阪と同様、腰なしで四国のそれとは違い、出汁と具で勝負といった感じのうどんです。かしわうどんで腹ごしらえ完了して、西小倉あたりへ出向こうかと思いながらとりあえず小倉駅門司方を視察。富士の撮影は無理があるが、はやぶさならいけそうということで、とりあえずはやぶさは小倉にて撮影することに決めて、ホーム端へ…しかし、しばらくするとホームの放送で寝台特急はやぶさ・富士は80分の遅れが発生しているという案内が…80分=1時間20分。28日はブルトレ撮影以外はほぼフリーの計画だったので、80分待ちもやむなし。小倉にいても逆光であまりいい画にならないので、西小倉に移動して、西小倉で鹿児島本線や日豊本線の列車を撮影しながら、はやぶさの通過を待つ。貨物は来るわ、鹿児島線、日豊線の特急が行き来するわ、快速や普通の運転は多いわで、80分はすぐに過ぎ去りました。ホーム反対側なら貨物ももっといい感じに撮れたのに…という後悔もありましたが、有意義な暇つぶしができました。ちょうど80分遅れではやぶさが通過。富士を西小倉で撮る手もありましたが、城野の方がいい画が撮れるというネットでの情報を仕入れていたので、急いで日豊線普通で城野へ移動。現地到着と都のに富士が姿を現し、タイミングよく撮影…と行きたかったのですが、遅れの影響で城野でソニックを待避するため、通常は入らない側線へ入線してきました。せっかく場所を変えて狙ったのに側線に入ってくるとは・・・見事撃沈。まぁ撃沈の中でもとりあえず撮るのが私の流儀なので撮れる限りのアングルで連写して、停車中の列車もありがたく頂き、午前の部の小倉ブルトレ追っかけはこれにて終了。城野で少しブレイクして、どこへ行こうか勘案して、西小倉で少し撮影してから在来線で博多へと向かいました。090228nippoed7690fuji


失敗はやぶさ・富士

2009年02月24日 | はやぶさ富士

090201tokaidoef6643hayafu6  千葉モノレールの乗り潰しを終えて総武快速線で東京へ出た。目的ははやぶさ・富士の撮影。前日に大井町で撮影していたので、新たなる撮影地を物色するため京浜東北線に乗る。それにしても前日の夜に東京から千葉までグリーン車で移動し、それが癖になって都賀から東京までもまたしてもグリーン車に乗ってしまった。お金持ちでもないのにグリーン車連発はご法度だ。東京から京浜東北線にかぶりついてとりあえず川崎を目指す。しかし、川崎には大量の先客がおり、ここは見送りとした。もうひとつの候補地鶴見でとりあえず下車する。鶴見のホームに先客がいたが、以前チャレンジして何となくうまく撮れた気がした跨線橋から撮影することにした。ここも私以外に3人ほど撮影者がいたが、車体に陽が回らない側で撮影している人が多かった。私は陽が回る方で撮影することにしたが、架線が邪魔であまりいい画にならなかった。ズームを動かしながら半端に撮ったのが間違いだった。カメラ位置を固定しておけばもう少しこましに撮れたのかな.…と思って鶴見を後にした。


はやぶさ・富士

2009年02月02日 | はやぶさ富士

090131tokaidoef6647hayafuj  1月31日、2月1日と東京方面へ遠征していました。年末年始に遠征を目論んでいましたが、体調を崩して全く遠征できなかったので、その分を取り戻す形で今回気合いを入れて行ってきました。18シーズンは既に終了しているため、往復新幹線を利用。31日は新大阪発6時32分のN700系のぞみに乗って一路品川へ。朝の中途半端な時間のためか結構空いてました。京都や名古屋からの入れ込みも案外少なく、不況の影響かな?という気もしますが、時期が時期だけに早計は禁物。何かと不況の影響不況の影響と言われますが、病は気からと同じで経済も人の気から来るところは大きいように思います。あまり不況不況と言い過ぎるのはどうかと思います。まぁ週末は大雨で強風が吹くという予報もあっての流動が少なかったと見るのが妥当なところだと思います。現に帰りのひかりは満席に近い乗り具合でしたから、今のところ新幹線は不況の影響を大きく受けている印象はなしとしておきましょう。N700系のぞみの速さは実感としてはそれほどでもないものの、帰りに乗った300系ひかりとの差は歴然。とにかく乗り心地の差が大きい。揺れが少ないので乗ると何も感じることがないのでしょうが、他と比べて初めてN700系の凄さを感じるといったところでしょうか。

090131tokaidotokyo  品川到着後は速効メインのはやぶさ・富士への撮影へと出向く。雨はそれなりに降っているものの、雨だけなら大したことないという天候だったが、風が強く、雨が横殴りに降る状態だったので、屋根のないところでの撮影は無理と判断した。もともと品川か大井町で撮影しようと思っていたので、どちらも屋根があるところからの撮影も可能だったので、とりあえず品川の状況を見ることにした。ここは昨夏の遠征で使ったので、できれば大井町という希望だったので、とりあえず人がいないことを確認して、最悪ここに戻ってきても大丈夫ということを確認して大井町へ向かった。大井町では以前あさかぜが廃止になる時に来たことがあり、ホーム端から撮ると踏切の障害物が少々邪魔になるという印象が残っている。このため今回はホーム半ばあたりから狙うことも考えていたので、雨が降ってちょうどよかったといったところだ。先客もいないし、他へ移動したところで雨にやられるだけなので、大井町のホームの屋根があるところで撮影することにしてはやぶさ・富士の通過を待つ。しばらくすると傘をさしてホーム端に陣取る兵が現れ、後から2人ほど屋根ありのところから撮影する人が現れた。年配の方の情報によると定時運行ということで、天気の割に列車はちゃんと動いていることに安心する。その方から夜の部はどこがいいかなど色々情報を仕入れて、夜は東京駅長野上越新幹線ホームから狙うことに決めた。現地での情報も役に立つので、よそへ撮影に行った時には地元の撮影者と話をするのもたまにはいい。ただ、しゃべり過ぎる人がいるので、それは玉に瑕だ。はやぶさ・富士は定刻、京浜東北線にかぶられることもなく通過して行った。雨の中にしてはまずまずの出来だった。D40Xならどうなっていたかと思うが、高感度にも強いD90ならこのような悪天候でもまずまずの画が撮れる。あとはレンズと腕が良ければ言うことないのだが、それは経済的な問題と自分自身の問題なので、解消できるかどうかは私次第といったところか[E:rain]090131tokaidoef6647hayafu2


名古屋にてはやぶさ・富士撮影

2008年12月24日 | はやぶさ富士

081220tokaidoef6651hayfuj2  12月20日土曜日は京阪1900系、ゆとりーとラインと少なめの行程をこなして、18時前には名古屋駅前のスーパーホテルにチェックイン。いつも遅い時間まで乗り潰しや撮影をこなしてホテルにチェックインすることが多いので、こんなに早い時間にホテルでまったりできるのは久しぶりです。もっとも20時過ぎには外出して、はやぶさ・富士撮影に備えようと思っていたので、あんまりのんびりした気分でもありませんでした。また、運よく悪い部屋に当たってしまい、窓からは名古屋駅に発着する新幹線や在来線が丸見え…鉄っちゃんの血が騒ぎ、窓から30分ほど撮影に没頭してしまいました。セントラルタワーをバックにした画が撮れる面白スポットです。名古屋にお泊りの際はスーパーホテル名古屋駅前をお試しあれ。

 テレビを見ているとNHKで指宿枕崎線クイズという番組をやっていて思わず見入ってしまい、時間が少し遅くなったものの、予定通り名古屋駅まで出向きました。18を持っているので入場券は不要。19日に廃止が正式発表(ニュースなどではブルトレ引退という風に伝えられていました)があったので、今日は人出が凄いのでは?と思っていましたが、私が2番乗り(乗り場の確認をしに一旦引き下がったので実質的には一番乗りだった)で、その後も22時を過ぎるまでは5名にも満たない状況で、これならゆったり撮れると思っていると22時30分ごろまでには反対側ホームも合わせて20名程度が集まってきました。広い場所ではないので、あまり集中すると嫌だなと思っていましたが、よく来られる方の話ではPFが代走で牽いた日はこんな比ではないほど人が集まったとのこと。但し、名古屋は東京や大阪と比べるとファンも少なめということで、平日だと5名集まればいいぐらいだとおっしゃってました。はやぶさ・富士では入線時にお初のD90での動画撮影にチャレンジしてみました。出来栄えは???ですが、動画も面白いものです。ビデオカメラを買ってまでとは思いませんが、デジカメの動画は今後も積極的に取り入れていってみたいと思います。


12月30日鉄納め

2007年01月07日 | はやぶさ富士
 ながら92号で東京入りして、すぐにトンボ帰りで373系静岡行き321Mに乗って函南へ。この電車に乗るのは3度目だが、毎回早朝から混雑するのには驚かされる。18シーズンだからながら折り返しや朝一の西下に利用する人が多いのかもしれない。函南に降り立つと同じように鉄人が一人降り立ちホーム端へ。軽く挨拶を交わすものの、撮影に集中したいのでダンマリを決め込む。はやぶさ・富士通過まで少し時間があったが、陽が上がってくるまで寒くて仕方なかった。313系5000番台などを撮影しながらはやぶさ・富士の通過を待ち、定時に同列車が通過していった。撮影自体はまぁまぁだったが、場所的には信号機が邪魔になるので、いまいちだったかなと思った。これなら無理して竹倉踏切にでも・・・と思うほど後に見た富士山は綺麗だった。
 函南を辞して、東海道線を西下して吉原へ。ここから岳南鉄道の乗り潰し。400円のフリー切符を買って岳南江尾まで行って、即折り返し。須津で降りて富士山をバックにした東海道新幹線の撮影地へ。事前にチェックを入れていたので迷うことなく15分ほどで到着。到着後1発目に下り300系続いてメインの500系が通過・・・三脚を準備する前に通過したので手持ち撮影となってしまった。続いて上り500系が通過したが、要領を得ずいまいちの出来。小1時間の撮影予定だったが、あまりに富士山が綺麗に見えたので、次の500系まで粘ることにした。

失敗のはやぶさ

2006年09月25日 | はやぶさ富士
 熊電を上熊本~御代志間乗り潰して、北熊本~藤崎宮前間を残して一旦、JRへ戻る。上りはやぶさを撮る為、上熊本から乗車して、どこか適当なところなところはないかとかぶりつきをして、とりあえず西里で降りてみた。思いのほか撮れない駅で、ホーム端からでもいまひとつという感じだったが、はやぶさ通過前にスコールに遭い、雨宿りを兼ねて待合室からの撮影となったのが、上の画像。最悪の条件での撮影となってしまった。

光線状態悪し

2006年09月20日 | はやぶさ富士
 117系に続いて光線状態の悪いはやぶさ・富士。山陽線下関近辺でのはやぶさ・富士の撮影はやはりオノアサぐらいしかないのかなと思わせる出来具合・・・。駅撮りなら小野田が結構撮れた感じはするが、全般的に光線状態はよくないです。この後はやぶさ・富士を追いかけるため、後続の普通に乗るつもりで、現場から駅までダッシュしたものの間に合わず撃沈。結局その後の普通で下関へ行き、関門を渡って九州上陸となった。

出雲の次は・・・

2006年02月24日 | はやぶさ富士
 2006年3月18日のダイヤ改正で寝台特急出雲が姿を消すが、もはや東京口で残っているブルトレははやぶさ・富士と寝台急行銀河のみ。電車寝台のサンライズは残るにしても、東北縦貫線関連の工事がそろそろ始まることを考えれば客車列車のはやぶさ・富士、銀河はいつ廃止になってもおかしくない。早ければ今秋、妥当なところで来春の廃止は十分に考えられる。