EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

一畑電鉄大社線

2007年09月28日 | 山陰

030727itibata30088  一畑電車大社線には03年7月27日に乗車している。電鉄出雲市から北松江線で川跡へ出て、川跡で大社線に乗り換えて終点の出雲大社前まで乗っている。乗った電車は川跡まで乗った電車と同じ元南海ズームカーで、一畑電車に乗りにきたというのに南海に乗りにきたような気分になった。この後、折り返しでは元京王5000系にも乗っている。一畑へ行けば南海と京王の車両を楽しむことができる。出雲大社前駅はホーム先端がドーム型の屋根で覆われており、駅舎は瀟洒な洋館のような建物で、典型的な和風の出雲大社への最寄駅としては少々場違いな感じがしないでもない。出雲大社までは徒歩圏内だったのでお参りしてから次の電車に乗った。出雲大社参拝を終えて、名物の出雲そばを土産に買って、駅前のにあった周辺地図で旧国鉄大社線の大社駅跡でも見に行こうかと見ていたが、電車までの時間を考えると往復できそうになかったので断念した。今思えば非常にもったいないことをしたと思うが、この頃はまだ昔の癖であまりうろちょろせずに乗り降りして即帰るという原則がまだまだ根付いていた時期だ。また機会が一畑電車大社線に乗って、旧国鉄大社線跡を訪ねてみたいものだ。


一畑電鉄北松江線

2007年09月27日 | 山陰

030727itibata30082  一畑電車北松江線は03年7月27日に全線乗り潰しを達成している。山陰ディスティネーションきっぷ?だったと思うが、山陰ディスティネーションキャンペーン期間に発売されていたフリーきっぷに一畑電車も利用範囲に含まれていたため、これを有効に活用し、一畑北松江線と大社線の乗り潰しをして、ついでに出雲大社へお参りしてきた。JRで鳥取から出雲市まで移動し、途中宍道で今は亡き出雲を撮影した。山陰本線鳥取地区高速化前夜という時期だったので、鳥取地区にはまだキハ58系が残っていたが、鳥取から宍道までは先行投入されいたキハ187系特急スーパーくにびきに乗った。高速化前のためポイント制限などがあり、それほど速くはなかったが、駅間は線形がいいこともあり結構飛ばして走っていた。鳥取~米子間は平坦なので、もう少しお金をかければ130km/h運転も狙えたのではないかと思う。

 立派な高架駅に生まれ変わった(高架化前は暗闇の中通り過ぎたのであまり記憶にないが)出雲市駅でJRから離れて、隣の高架駅から出ている一畑北松江線に乗り込む。関西では見慣れた元南海ズームカーが停まっており、これでとりあえず川跡まで行くことにした。関西で見慣れたと書いたが、実際ズームカーに乗るのは初めてで、南海時代に乗ることなく一畑電鉄で乗るとは思いもよらなかった。ズームカー特有の窓上にある蛍光灯が印象に残っている。川跡から大社線に乗って、出雲大社にお参りに行き、川跡に戻ってきて北松江線の乗り潰しに戻った。平田市止まりの電車に当たり、平田市で小1時間ほど時間を潰した。平田市には車庫があり、古い車両も留置されており、なかなか興味深いところだった。平田市からは元京王5000系で車内に転換クロスシートを装備した5000系に乗って松江しんじ湖温泉駅まで行った。終点の松江しんじ湖温泉も電鉄出雲市同様新築に近い様相で、地上駅ながらガラス張りの小奇麗な駅舎が印象的だった。駅前には足湯があり、旅の疲れを癒すことができる。JRの松江とは少し離れており、バスに乗って、松江駅に戻り、松江から米子まで奥出雲おろち号に乗って、山陰の旅を堪能した。


JR境線

2007年09月25日 | 山陰

030726sakai4720943  JR境線には2回乗っている。1度目は98年夏に中国地方遠征をした時に、木次線を乗り潰し、後は帰るだけという段に、米子で一仕事してから帰ろうということで、境線を往復した。その後、米子から快速とっとりライナー、倉吉でスーパーはくとに乗り継いで帰阪した。この時は往復するのみで、駅の改札を出ることもなく、速攻折り返した。

 03年7月26~28日に山陰ディスティネーションのキャンペーンで発売されていたフリー切符を使って山陰地区の各線を乗り歩いた時に、再度境線を訪れている。この時は初回訪れた時とは違い、境の街を少し散策して、境港まで行って市場を物色して帰った。水木茂氏の出身地らしく、町のあちこちに妖怪のモチーフがあり、鬼太郎や目玉おやじ、ネズミ男などの姿が非常に目立っていた。藤子不二雄A氏が氷見市出身ということで氷見線や城端線の気動車は忍者ハットリくん列車として、かわいらしいハットリくんの漫画が描かれた気動車が運転されているが、境線は世にも奇妙な妖怪が描かれた気動車が走っており同じ漫画とはいえ対称的だ。境線と言えば、米子空港の近くを走るところがあり、空港拡張のため廃止になるとか、逆に空港アクセス鉄道として機能させるべきとか、プラス、マイナス両面で色々な噂があるが、鳥取県内鉄道の高速化事業の一環として、境線もテコ入れがなされて、新型気動車が運転されたり、土休日に快速が設定されたりしているので、廃止という極論(新聞社の独断から出て噂のようだが)に達する心配はなさそうだ。


近鉄養老線

2007年09月23日 | 東海

030502kin612  近鉄養老線は近鉄各線の中で乗り残していた路線で、03年5月2日の名古屋方面遠征にて乗り潰しを達成している。養老線に乗ったのは後にも先にもこの1回のみだ。養老線は桑名から揖斐に至る路線だが、実質的に大垣で路線が変わるような路線で、系統が完全に分離されている。私が乗った時点ではまだサイクリングトレインは運転されていなかったが、今は利用者が少ないという利点を活かしてサイクリングトレインが運転されている。その効果が出ているのかどうかはわからないが、駅から先のアクセスを考えればローカル線の生きる道としてはサイクリングトレインは各路線とも導入していってもよさそうだ。

 終点の揖斐はかつて名鉄も乗り入れていたが、名鉄は揖斐川を渡った町の中心部に本揖斐駅を構えていた。名鉄のローカル線や市内電車のリストラ策で揖斐線も廃止されてしまい、揖斐町に乗り入れる鉄道は近鉄養老線のみとなったが、養老線の揖斐駅は町の中心部からは外れたところにある。近鉄養老線自体も存続の危機に何度も瀕しており、北勢線のように廃止する方向で検討をされたこともあるが、結局近鉄本体からは分離され、近鉄の子会社として上下分離方式に近い方式でこの10月から運営されることになっている。沿線自治体からの支援も受ける予定で、どういった施策が展開されるかわからないが、名古屋線とは違う狭軌の路線だけに、近鉄以外の鉄道から車両を譲渡されたりする可能性も出てくるのではなかろうか。最も近鉄から分離されても近鉄100%出資の子会社となるので、南大阪線から6000系あたりが転属してくることになるかもしれない。いずれにしても安穏としていられる状況にはないので、動向を注目する必要がある路線だ。


水島臨海鉄道

2007年09月21日 | 山陽

Mizusima5  水島臨海鉄道には03年3月21日に乗車している。井原鉄道の乗り潰しをして、福山からワンマン運転をするSUNライナーに乗って倉敷へ。先頭車に乗って空いているのをいいことに少しかぶりつきながら倉敷まで乗りました。確か運転士は岡山では珍しいと思われる女性運転士で、岡山地区でも女性運転士が活躍する時代になったかと妙に感慨に浸ったものだ。

 JR倉敷駅で通過する14系団臨などを撮影して乗り継ぎの時間を潰して、倉敷駅改札を出て駅前付近にある倉敷市駅から水島臨海鉄道に乗り込んだ。三菱自工前まで行く列車が少ないため、それに合わせて行程を組んでいたので、三菱自工前行きに乗って難なく水島臨海鉄道乗り潰しを達成した。水島臨海鉄道というと旧国鉄の旧型気動車が走る鉄道というイメージがあったが、私が乗った列車は新しい気動車ですれ違う列車もキハ20を使った列車はなかった。数両はまだ健在のはずなので、本数が多い時間帯以外は車庫で休憩しているのだろう。車両は新しいが、列車は非常に遅く、貨物が走るためしっかりした線路基盤なのに、勿体ないような走りだった。臨海鉄道だけに沿線は工場が多く、朝夕以外はあまり機能しない鉄道なのかもしれないが、もう少し速く走るように努力してほしいものだ。


近鉄内部・八王子線

2007年09月20日 | 東海

Kin1008  近鉄内部線、八王子線には03年2月11日に乗車している。同線乗車も初なら、ナロゲージに乗るのも初めてで車両の小ささに驚いた。遊園地で乗る遊具用の電車という感覚だ。ただ、小さいものの電車は電車で走り出せば普通の電車だ。但し、軌間が狭いため乗り心地がかなり悪いのにはさらに驚いた。横揺れが激しく少しスピードを出すとそれに伴い揺れがこれでもかというぐらい激しくなる。そんなにスピードは出していないが、スピード感だけは満点という電車だ。内部線の終点まで乗って、折り返して日永から八王子線に乗って四日市周辺のナロゲージ路線を楽しんだ。両線とも車両が小さいこともあってか、乗車率は高かった。当時から北勢線は廃止の話があり、同じ規格の内部線や八王子線もやばいのでは?と思っていたが、これだけ乗っていれば大丈夫だろうと現地へ行って一安心したものだ。その後桑名まで行って、西桑名から北勢線に乗ったが、確かに北勢線の利用は少なく、終点の阿下喜まで乗っているのは乗り潰しファンと見られる鉄以外は数人というレベルだった。北勢線は後に三岐鉄道に譲渡となり、近鉄時代には見られなかった改善が進められ、息を吹き返してきている気配はあるが、四日市という後背地がある内部線や八王子線ほどの勢いはなさそうだ。今後も内部線、八王子線は現状のまま推移していきそうだが、車両更新の時期が同線の命運を握っていると言っても過言ではなさそうだ。インバータ制御でモータも小型化されてきているので、台車等工夫を凝らした乗り心地のいい車両を開発してほしいものだ。


JR芸備線

2007年09月19日 | 山陽

070630geibi58miyoshi  JR芸備線には02年夏に福塩線とセットで乗り潰しをしている。但し、乗ったのは三次~広島間で、それ以前に三次~備後落合間は三江線、木次線の乗り潰しの際に乗っていたので、備後落合~新見間は残していた。三次~広島間は普通列車で移動した。キハ47に乗ったが、途中キハ58急行みよしとすれ違うのは想定していたが、キハ120普通とすれ違うとは想定外だった。キハ120は輸送力に問題があるので、三次以遠でのみ使用されていると思い込んでいたので予想外だった。後で調べてみると広島運転所への入出庫を兼ねた運用のようで、常時運用されているわけではないようだ。それにしてもJR西日本は各所で国鉄車両を大事に大事に使用しているが、広島でも都市近郊で主要路線の一部と言える芸備線にいつまでもキハ47やキハ40、キハ58が走っているのは如何なものかと思う。今更気動車の新車を入れても何の新鮮味もないので、もうしばらく待って、環境にやさしいとされる燃料電池車両やハイブリット車両を投入して一歩進んだ非電化路線となってほしいものだ。

 芸備線残りの未乗区間には04年8月28日の木次線訪問の際に、出雲坂根の3段スイッチバックを堪能して、おろち号に接続する形で設定されていた芸備線直通の臨時快速に乗り、芸備線乗り潰しを達成した。臨時快速はキハ120だったが、ヒバゴンが住むと言われる中国山地の奥深くを比較的快走した。

 その後芸備線はご無沙汰していたが、急行みよしの廃止が決まり、行くか行かぬか決めかねているうちに最終日が訪れ、一念発起して新幹線で広島に入り、片道は三次まで急行みよし2号に乗って惜別乗車として、折り返しは普通列車で途中下車しながら撮影を楽しんで本格的なキハ58系急行の終焉を堪能した。キハ58が原色でなかったのは残念なところだが、原色が走っていたら沿線はもっと混乱するほどの人出になっていたに違いない。ありのままで終焉を迎えた急行みよしの最後はファンには少し物足りないものだったかもしれないが、私はあれでよかったと思っている。


JR吉備線

2007年09月18日 | 山陽

060910kibi402049  JR吉備線には01年12月30日の中国地方遠征にて乗り潰しを達成している。姫新線を乗り潰し、伯備線を総社まで南下して、総社から吉備線に入り、岡山に出るというルートを辿った。冬場の遠征のため、総社に着いた時には既に夕暮れ時となっており、吉備線の車窓はほぼ闇の中という状態だった。昔ならそれでもOK乗った乗った!!ということで乗り潰しOKと思うところだが、最近は明るいうちに乗るのが基本という姿勢に変わってきている。この姿勢のためかどうかは忘れたが、井原鉄道乗り潰しの機会が訪れた時に、伯備線で総社まで行けばいいところをわざわざ吉備線に乗って、白昼堂々と吉備線の再乗り潰しを達成している。03年3月21日のことだが、この頃は遠乗りはあまりせず、近畿圏から出ても西日本エリアを出るところまで行くことはほとんどなかった。西日本を制覇して、これなら東日本に踏み入れても大丈夫かなと思いだしたのもこの頃だったように思う。近畿圏や西日本エリア限定でHPの方も作成を進めて、今よりも色々と苦言を交えた記述をしていたり、ダイヤ予想を積極的にしていたのもこのあたりの時期だったが、全国的に広く浅くと手を広めるようになってからは予想や記述がおざなりになってきている。さらに撮影に力を入れて楽な方に走っている感があり、我ながらもう少し原点に戻ったHP作りをしなければと反省し続けている毎日だ。

 吉備線は富山ライトレールのようにLRT化する計画が上がっており、岡山で元気な岡山電気軌道との相互直通も検討されており、富山で成功しているだけに2匹目のドジョウに選ばれる可能性は高そうだ。2匹目のドジョウはいなかったということにならないようにしてほしいものだが、富山港線に比べて沿線人口の密度が高い地区の割合が低そうだということ、路線距離が富山港線に比べて長いので、郊外区間では高速運転をする必要があるのではないかということなど課題は多いように思う。この辺りをクリアして成功を収めれば地方都市郊外路線で伸び悩んでいる路線の新しい可能性として見出せるのではないかと思う。是非とも成功してほしいものだ。


JR福塩線

2007年09月17日 | 山陽

03fukuen105f112  JR福塩線には02年夏に18きっぷを利用して福山から福塩線を乗り潰し、三次まで出て、三次から芸備線の三次~広島間を乗り潰して、広島からレールスターで帰阪した時に乗り潰しを達成している。その後03年3月21日に井原鉄道の乗り潰しを行い、総社から同鉄道に乗って、神辺から福塩線に入り福山まで直通する列車に乗っている。

030329fukuenirt35503  全線乗り潰した時は福山から105系普通に乗り、府中まで行って府中からキハ120普通に乗り換えている。中国地方には同じように電車から気動車に乗り換える路線として可部線があったが、雰囲気としては何となく似たようなところがあった。可部線の非電化区間は廃止されてしまったが、福塩線の非電化区間の方も利用者は少なく、廃止になってもおかしくない路線と言える。キハ120が投入されているからと言って安泰というわけではなく、キハ120などはどこの路線でも配置転換できる車両なので、時勢が廃止へ向かえば簡単に廃止になってしまう可能性もあるだろう。逆に非電化ながら井原鉄道との直通に関しては結構需要があり、運転本数を増やしていってもよいのではないかと思える。井原鉄道開業以来、福塩線との直通はあまり増えていないが、増発して直通列車の強化を図ってもよいのではないかと思う。


近鉄鈴鹿線

2007年09月15日 | 東海

Kinsuzuka3  近鉄鈴鹿線には03年2月11日に乗車している。鈴鹿線は伊勢若松から分岐する路線で、終点は鈴鹿ではなく平田町となっている。電車はワンマン運転を行っていたが、鈴鹿市への足としてそれなりに利用されていた。ラッシュ時には名古屋線から急行が直通する時間帯もあるようだが、本数は少ない。鈴鹿と言えば鈴鹿サーキットで有名だが、鈴鹿線沿線にはなく、近鉄では白子からバスかタクシー利用となる。鈴鹿市は伊勢鉄道の鈴鹿に近いが、連絡はしていない。伊勢鉄道と近鉄は競合関係にあるので仕方ないところだが、このあたりは鉄道の競合よりもクルマ社会との競合の方が激しいので、広域的に見ればJRや伊勢鉄道との結合も必要なのではないかと思う。今後も鈴鹿市内の足として活躍していくだろうが、それ以上の発展はあまり見込めない路線とも言える。


近鉄湯の山線

2007年09月14日 | 東海

Kinyunoyama3  近鉄湯の山線には03年2月11日乗車している。乗車したのはこの1回きりだ。この時利用したのは近鉄全線乗り放題の遊レールパスで、このチケットは今はなくなり姿を変えて近鉄週末フリーパスになっている。湯の山線に乗った時は、中部地区の近鉄各線の乗り潰しを目的に、朝早い時間帯で、四日市に停車するアーバンに乗り(アーバン使用の乙特急だったかも?)、午前中内部線、八日市線に乗り、北勢線を乗り潰して、四日市に戻り湯の山線に乗った。できるだけ短時間で多くの路線を乗り潰す乗るだけの乗り潰し派だった私は相も変わらず乗ってない路線にできるだけ多く乗れるように行程を組んでいる。前にも何度か書いているが、近年は撮影に重点を置きつつあるので、乗って撮ってを基本としつつあるが、それでも初乗り路線は乗りが中心で、乗ったらさっさと退散して次の乗り潰しへ移ることが多い。

 湯の山線は確か映画寅さんにも登場したように記憶しているが、終点の湯の山温泉は観光地なので、それなりに風情のある路線だったように思う。私が乗った当時はまだ湯の山特急が土休日だけだったかもしれないが存在していた。ちょうど私が乗った電車も途中で湯の山特急とすれ違ったが、この頃はそれほど撮影に必死ではなかったので、見ただけで終わっている。湯の山特急は既に過去のものとなっており、今更ながらちょっとしたスナップでも撮っておけば…と思うが後の祭りだ。


長崎電気軌道

2007年09月12日 | 九州

070815nagasaki363  長崎電気軌道には97年春の九州遠征で長崎観光をするために1日乗車券を購入して乗車している。記憶が曖昧なため、全ての路線に乗ったかどうか覚えていないが、赤迫方面は乗っていないはずだ。このため、全線乗り潰し達成には至っていないということで、乗り潰し制覇のために、同線もしばらく懸案事項路線として、何度か計画を立てては企画倒れとなり、時間が経つうちにいつしか乗らなければならない路線リスト入りしていた。漸く乗れたのか、つい先日実行した九州遠征で、07年8月15日に全線乗り潰しを敢行している。残暑厳しい終戦の日の長崎は昨年亡くなった伊藤長崎市長の初盆の行列?が市内を練り歩く光景が見られ、お盆期間とあって観光客も非常に多かった。このため、懸案事項だった赤迫方面は比較的地元利用で賑わっていたものの、観光客は少なく、有名観光地がたくさんある石橋方面は電車の本数が少ないあるいは遅延で団子運転となる影響からか、かなり観光客で混雑していた。大浦天主堂やグラバー園の人気が高いのか、長崎駅前から出るそちら方面への電車は物凄い混雑で、積み残しさえ出る状態だった。私は暑いので、観光は控え、一通り乗り潰しを終えて暑い中長崎駅前で少し撮影をして、予定よりも早いかもめで長崎を風のように通り過ぎて博多へ戻った。もう少しゆっくりしてもよかったが、何せ暑過ぎるので、観光する気にもならなかったのと、観光は以前しているので、どっちでもよかったこと、さらに九州遠征の最終日とあって、早めに博多へ戻ってゆっくりしたいという気持ちなどがあって長崎電気軌道は乗るだけ乗って、さっさと帰るということになった。次訪れる時はゆっくり観光でもして、長崎ちゃんぽんを食して、ゆったりした長崎旅行を楽しみたいと思う。


南阿蘇鉄道

2007年09月11日 | 九州

070813minamiaso2002a  JR豊肥本線の立野と高森を結ぶ南阿蘇鉄道は過去何度も九州に足を運び、立野にも立ち寄っていながら乗る機会(乗る気)がなかった。とりあえず延岡から延びる高千穂鉄道とセットで乗り潰す計画を持っていたが、それが実現せぬうちに高千穂鉄道は台風の被害を受けて、それが原因で廃止となってしまった。国鉄時代には熊本と宮崎を短絡するルートとして高千穂線と高森線をつなげる計画で、一部建設が進められていたらしいが、途中で頓挫している。私の計画も同じように途中で頓挫してしまったのは情けないところだ。ということでしばらく乗れずじまいだった南阿蘇鉄道だが、漸く07年8月の九州遠征で乗ることができた。九州の天候の都合で立野周辺には2日間訪れ、そのうちの一日は南阿蘇鉄道の乗り潰しに費やした。トロッコ列車に乗るという選択肢もあったが、トロッコは黒部峡谷鉄道で散々乗ってきたし、後行程が厳しくなるので、一般の気動車列車で立野~高森間を往復した。トロッコ列車には途中駅で交換したので、撮影はすることができたので、まずよしとしておこう。小型のディーゼル機関車がプッシュプルでトロッコを牽引する様はなかなか面白い。070813minamiasoyusuge 阿蘇の外輪山や白川の渓谷など景色も見所が多く、観光路線としては今後も期待したい路線であった。しかし、南阿蘇鉄道までのアクセスとなる豊肥線の運転本数が非電化区間となる肥後大津以遠ではかなり少なくなっており、九州新幹線開業後の観光輸送に備えて少しは増発を望みたいところだ。また、南阿蘇鉄道にしても、トロッコ列車だけでなく、眺望のいい気動車を造って、熊本まで乗り入れ、新幹線からの観光客を受け入れる体制を整えて、新幹線フィーバーに備えるのもよいのではないかと思う。


北近畿タンゴ鉄道宮津線

2007年09月10日 | 近畿

Kitatango3  北近畿タンゴ鉄道宮津線には01年8月26日と02年7月13日に乗車している。01年の時は宮福線で宮津まで出て、宮津から西舞鶴方面へ乗って、西舞鶴から舞鶴線に乗って帰っている。02年の時はタンゴエクスプローラで宮津から先久美浜まで来て、久美浜から普通に乗り換えて豊岡まで乗って乗り潰しを達成している。どちらも雨の中の道中で、景色がはっきり見える状況ではなかったが、宮津~西舞鶴間は由良川橋梁をはじめ、由良川や海を眺めながらの道中で、景色が良かった記憶がある。宮津以西は正直あまり記憶にない。もう一度乗り直しに行きたい路線だ。

 宮津線と言えば、昔は同線経由のあさしおが綾部、西舞鶴、豊岡でそれぞれ方向転換をすることで有名だった。西村京太郎ミステリーなどで有名になった列車だが、当然ながら私は見たことがない。キハ181系あさしおも京都駅で見たことがあるものの、山陰本線を走る姿や舞鶴線、宮津線を走る姿は見たことがない。私が本格的に鉄活動をするようになった時には既に山陰本線京都口は電化され、電車特急が走りまわっていた。電車特急は当然あさしおを名乗るのだと思っていたので、きのさきやはしだて、たんばの愛称が付いたことには驚いた。宮津線にはあさしおどころかタンゴディスカバリーやタンゴエクスプローラというハイカラな愛称の特急が走り始め、3度も方向転換をして京都と鳥取方面を結んでいた特急が走っていたイメージは既に薄れている。

 07年7月には由良川橋梁に撮影に出向いている。この時は列車を使わず、クルマで小浜線の臨時特急まいづるを下調べもせずに撮影に行き、勢浜の撮影地で時刻表を見返して始めて運転がないことに気づいて、タダで帰るわけにはいかぬという思いから、由良川まで行き、宮津線撮影で気を吐いて、小浜線でのうっぷんを晴らした次第だ。次は是非とも宮津線に乗って、北近畿方面を訪れたいものだ・・・その前に小浜線特急まいづるのリベンジも果たしたい。


北近畿タンゴ鉄道宮福線

2007年09月09日 | 近畿

010826ktr101miyahuku3  北近畿タンゴ鉄道宮福線に初めて乗ったのは01年8月26日だ。18きっぷで福知山入りして、福知山から宮福線に乗って、宮津まで行き、宮津から宮津線で西舞鶴に出る行程で宮福線を乗り潰している。生憎の雨で宮福線の道中は寝ていたので、あまり記憶にない。翌年同じような時期に宮津線宮津以西の乗り潰しをするために再度宮福線経由で北近畿タンゴ鉄道に乗っている。この時は新大阪からタンゴエクスプローラに乗って久美浜まで同列車に乗っているので、宮福線内も当然ながらタンゴエクスプローラで通過した。宮福線は智頭急行と似たような高規格路線というイメージがあり、かなり飛ばすのだろうと思っていた。しかし、タンゴエクスプローラはダイヤの都合か、それとも元々そんなに飛ばせる路線ではないのかよくわからない(電化時に若干の高速化はしているはず)が、私が乗った列車はとにかく遅かった。タンゴエクスプローラは3両編成のため、大阪~福知山間では混み合っていたが、福知山で大量に下車があり、宮津、天橋立でほとんどの利用者が降り、終点の久美浜まで乗っていた人はごくわずかだった。久美浜到着前から雲行きが怪しかったが、久美浜到着後に雨が降り出し、前年の西舞鶴方面同様豊岡まで雨の中の道中を進んで宮津線乗り潰しを達成した。この時も宮福線ではかぶりつきをしてないこともあってか、あまり沿線の印象が残っていない。トンネルが多いせいもあるかもしれないが、一度ゆっくり乗りに行きたいものだ。