toboketaG の春夏秋冬 

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219-270509作家 船戸与一氏が亡くなった。

2015年05月09日 | 小説・映画・など

 柿の新芽の何と新鮮なこと。(富岡市南蛇井の農家の柿ノ木)

 

先月末に作家船戸与一氏の訃報に接した、 享年71歳。 惜しい作家を失った。 早稲田大学の探検部

出身。 氏の作品のうち半分くらいは読んだかな。 氏が精魂を傾けて書き続けた「満州国演義」は全9巻

にのぼる大作。 訃報を聞いたときに多分遺作になったであろうこの大作の最終章「残夢の骸」を読んで

いる最中だった。 訃報を報じる紙面を見て思わず「え・・」と叫んでしまった。 

 

   4/28 富岡市郊外の神成山を縦走する。

平坦な田園からいきなり100mほどの高さで山が連なる。 最高地点が353m程度だが小さなピークが九つ

並び、上がったり下がったり忙しい山登りでした。 1枚目は宮崎公園。 3枚目写真は最高地点から下仁田の

町を望む。中央に小沢岳の小ピークが見え、アーチ橋の下は鏑川。 上信越道下仁田インターは左の木の陰

あたりか。

 

昭和中期の歴史に大きな影を落とし、今でも中国との間で問題になる満州国の成り立ち(満州事変)から

敗戦による崩壊までが大作の背景。

歴史の事実を羅列されてもなかなか読みきれないものだが、氏はここに敷島太郎、次郎、三郎そして四郎

の4人兄弟を登場させて、兄弟それぞれが歴史上の出来事にどうかかわったかを物語の中心に置いた。

したがって兄弟とその周りの人物以外は、実名で登場する。 第1巻を知ったのが3年前。第9巻は本年2月

に発刊されたので読み終わるのに足掛け3年の時間がかかったことになる。

昭和に入って軍部の政治への介入が始まり、その度合いが徐々に深くなり、軍部の行動の後追いを政治が

やった。 軍人は攻めることが最重要であることを教育された、したがって勇ましい対応を打ち出さなければ

支持されない。その姿勢に疑問を投げかけた将校もいたが、勇ましい言葉には飲み込まれてしまう。

そしてあの日、米英に宣戦布告。 開戦半年間初戦の勝利の報に国民の恐らく大半は高揚した気分に浸っ

たようだ。 3年半後の悲惨な結果が待っていようとも知らずに。 私の父親もその一人だったと聞いた。 

今当時の時代背景を冷静に考えれば正直な国民の気持ちだったのかもしれない。 そしてその高揚感の中

で皆に祝福されて私は生まれた。 閉塞感はあっただろうがまだ物に不自由はなかったらしい。 父親は1年

半前に当市が工場誘致した理研の技術者だったので幸いにも兵役が免除されていた。その若き両親と祖母

に囲まれた幸せな家族だった。

その後戦況は次第に悪化し、甚大なる人的被害と破滅的な物的損耗の中、昭和20年8月15日を迎える。

 

  尾根から下を見るとすぐそこに家並みが見える。 降り立った

所からは豪快が岸壁が民家の裏からせりあがっている。 登山道はシッカリとしており、小学生でも心配は

ない。

 

翻って政治は妥協を排除してしまうと独裁政治になる。価値観の異なる複数の意見を集約して落としどころを

見極める。 現安倍総理は戦後レジームからの脱却を彼の政治の基本に置く。 諸外国からあなどられない国

を目指している。 日本人の誇りを取り戻そうと考えている。 この延長線上に戦前回帰の危険な空気を感じる

勢力もある。 野党民主党が低迷して国会での国防論議にも迫力がない。 公明党が政権内の批判勢力として

一定の役割を演じている。 70年の平和が続いたのだ。 論議はあるが民主主義は当時と比較にならないほど

当たり前のことと考える国民が大半。 戦前回帰を危惧するのは心配性が過ぎると思うがいかが・・・

 

平和が回復し高度成長期を経て、アメリカ何するものぞと国民が感じ始めた頃、バブルが襲った。あのときこの

状況はおかしいぞと疑問を抱いた人々もいた。 上司に意見を言うと弱腰と叩かれて左遷の憂き目にあった人

もいたであろう。 もちろん戦争ではないが、勇ましい意見の前には無力だった。 そして1989年の大納会と明

けて1990年正月4日の大初会での株価の異常な動きが、失われた20年の始まりとなった。 出口の見えない

デフレ経済でみんなが苦しんだ。 しかし戦前戦後に味わった苦しみに比べれば可愛いいもの。 少なくとも食べ

る物には困らなかったのだから。

 

何を書こうとしているのかわからなくなった。 そうだ船戸与一という稀有の才能を持った作家が死んだんだ。

氏の遺作となった「満州国演義第9巻残夢の骸」よりあとがきの一部を紹介します。

 

歴史は客観的と認定された事実の繋がりによって構成されているが、その事実関係の連鎖によって想像力が

封殺され、単に事実関係をなぞるだけになってはならない。かと言って、小説家が脳裏に浮かんだ自らのストー

リーのために事実関係を強引に捩じ曲げるような真似はすべきでない。認定された客観的事実と小説家の想像

力。このふたつはたがいに補足しあいながら緊張感を持って対峙すべきである

 

 

 

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2 コメント

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Unknown (kmc)
2015-05-10 04:53:43
御無沙汰してます、いつも拝見させてもらってます。毎回、思う事ですがボキャブラリーの豊富さ驚きです(勉強になります)。ブログの名前変更確認しましたユニークというよりユーモアたっぷりで良いですね。
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お久しぶりです (toboketaG)
2015-05-10 08:39:10
コメントありがとうございます。また毎週目を通していただき感謝、感謝です
半年も続けばと始めましたが、4年も続くとは思いませんでした。平凡な人生を過ごしてきた私にそんなに話題があるはずがありません。でも日常の中に何かしらの話題って有るものだなと感じています
多少感性が鋭くなったのかもしれません。
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