本当の主張をあからさまには、せず、オブラートにくるんだり、論点を外して質問にはこたえない。よくイエスかノーでこたえてくれ、という質問を野党議員が発しても、そう簡単にはこたえない。かならず、論点を外す。議論の結果は、多数派がその主張どおりに決定する。
それでも、議論の過程で、ことの本質、問題点があきらかになることもある。それが、世論の動向を決めることとなるので、次の選挙でそれが生かされるという民主主義の、筋書きになっている。
いま、集団的自衛権が問題になっているけれども、実際にアメリカから、参戦要請を受けたとすれば、これを断れるだろうか。
どんな理屈建ても可能である。集団的自衛権が行使できるとして、その理屈がたてば、必ず参戦するわけで、これは見やすい見通しである。戦争する国になるという宣言である。
戦争が、庶民にとって、何の益もなく、犠牲をおしつけられるのみであることを本当にはしらないのだろうか。戦争には絶対にいくこともなく、庶民をコマにして、動かしている政治家、富裕層、支配層のごまかしをみぬいて、庶民は、行動しなければならない。