過去をふりかえり、現実に活かす。温故知新となるが、歴史を学ばないと、未来を語る、その知見は危うく、底が浅い感じが否めないものとなる。
だからといって、あまりに歴史にのめり込むのは、深い泥沼にはいるような気がしないでもない。いい加減にしないと、ミイラ取りがミイラになる。
求めるものは、何かといえば、これからの指針であって、過去の解釈などではない。あくまで、今後の問題が本質なのだ。とはいっても、過去の事件が何を意味するか、その本質の理解、把握は必須である。それが、なければ、いい指針はできない。
その指針が適当かどうか。根本的なヌケがないか。慎重なチェックが必要である。それにしても、集団的自衛権が、今後どのような影響を及ぼしてくるか。現実的には、戦争可能という解釈をして、一線を超えると、歯止めがきかず、平和国家としての信頼はなくなり、現実に戦争をすることになれば、歴史の教訓を活かせなかったことになる。
そのことは、人類の新しい境地をめざす展望を遠のかせ、あらたな悲劇の再来を生み出す。わかっていても、避けられない道を歩み始めている。