ラムの大通り

愛猫フォーンを相手に映画のお話。
主に劇場公開前の新作映画についておしゃべりしています。

『ダウトーあるカトリック学校でー』

2009-01-03 14:11:34 | 新作映画
(原題:Doubt)

※カンの鋭い人は注意。※映画の核に触れる部分もあります。
鑑賞ご予定の方は、その後で読んでいただいた方がより楽しめるかも。



-----えっ。ニャに。
今日はトランプやるの?
やはりお正月はそうこなくっちゃ。
「いやいや、そうじゃないよ。
ほら、副題までよく見てごらん。
これはメリル・ストリープ
フィリップ・シーモア・ホフマンの二大演技派、
それに新鋭エイミー・アダムスが加わって描かれる、
あるカトリック系教会学校のお話」

----あっ、ほんとだ。
でも、それってどんなお話?
「舞台は1964年のブロンクス。
とある教会学校の校長シスター・アロイシス(メリル・ストリープ)は、
フリン神父(フィリップ・シーモア・ホフマン)に対して、ある“疑惑”を抱く。
それは進歩的で生徒にも人気のある彼が、
この学校で唯一の黒人生徒と“不適切な関係”を持っているのでは?というもの。
ことの起こりは、
純真な新米教師シスター・ジェイムス(エイミー・アダムス)の目撃談。
やがてその疑惑はシスター・アロイシスの魂を支配し、
フリン神父のいかなる弁明も、彼女の心には届かなくなる」

----へぇ~っ。それはオモシロそうだ。
そのことに対してシスター・ジェイムスは
どう考えているの?
「彼女は、始終揺れ続けるんだ。
自分がちょっとアロイシスに喋ったことが
とんでもない事態に発展。
しかもフリン神父にそのことが伝わり、
よけいなことをしたという自責の念に捕われてしまう。
その居心地の悪さから、
とにかく早くこの場を収めたいと思っている。
しかし、彼女自身、
アロイシスに話していないもう一つのフリン神父の秘密を知っており、
そのため自分も神父に対して疑惑を抱いているんだ」

----ニャンだか舞台劇を観ているみたいだね。
「おっ。鋭いね。
これはトニー賞とピューリッツァー賞をW受賞したヒット舞台劇の映画化なんだ。
だからだろうけど、このシーンに代表されるように、
言葉と言葉の応酬で緊張感を盛り上げていく、
最近の映画ではあまり類を見ないタイプの作品だね。
このアロイシアスの心の中で、
疑惑は疑惑を越えて
ついには、自分がそうしなければならないという信念に姿を変える。
なにせ『悪を追放するためには、神に背くのはやむを得ない』
とまで言い放つんだから…」

----mmmmm。
「その結果、
彼女はなんと、
相手のフリン神父を屈服させるために、
ある“でっちあげ”までしてしまう」

----そ、それはヒドいニャあ。
「でも、ここが世の中の不思議さ。
なんと、そのアロイシアスさえも驚くような
とんでもない“事実”が思わぬところから持ち上がってくるんだ。
彼女はフリン神父追い出しのため、
黒人生徒の母親ミラー夫人に
“神父がやったと思われる行為”について密告に行く。
しかし、彼女がそこで知ったのは?-----
ここは、この映画最大のサプライズ。
ミラー夫人を演じるヴィオラ・デイヴィスの演技がとにかく圧巻。
彼女は各賞レースにおける助演女優賞の大穴的存在かも。
あっ、メリル・ストリープは主演女優賞の本命。
この会話の中でアロイシアスは攻勢から
いつしか受けに転じてしまうわけだけど、
『思わぬ収穫に喜びを隠せない』その表情は
もう身震いするほど。
完全にその人物になり切っている」

----ふうん。でも結局はアロイシアスの妄想ニャんでしょ?
「さあ、どうだろう。
これがどうとでも取れるんだ。
観客にとっても
真実がどうなのかは最後まで分からない。
アロイシアス同様、
“疑惑”が心に引っかかったまま映画は終わる。
そういう意味では、
これは観客参加型の映画とも言えるね」


           (byえいwithフォーン)


フォーンの一言「関西では『ダウト』は『ざぶとん』と言うらしいニャあ」身を乗り出す


※それはトランプのこと。
これはお屠蘇気分では見られない映画だ度


コトリ・ロゴお花屋さん ブーケ、アレンジメントetc…

人気blogランキングもよろしく

☆「CINEMA INDEX」☆「ラムの大通り」タイトル索引
(他のタイトルはこちらをクリック→)index orange
猫ニュー