----これって三島由紀夫「豊穣の海」の第一部を映画化したんだよね。
「輪廻転生」がテーマだと思ったけど、
このチラシでは「究極の純愛物語」となっている。
「ま、何をもって<純愛>と言うかだね。
この物語は、
侯爵家の子息・清顕と伯爵家の令嬢・聡子の愛を描いたものには間違いないけど、
最初に原作を読んだ時は、ふたりの<駆け引き>が印象に残った記憶がある。
清顕は自分に好意を寄せる聡子を親友の本多に近づけようと、
わざと自分の性体験を書いた手紙を送る。
しかし、すぐに思い直し、聡子の乳母・蓼科に電話を入れ、
封を切らずに処分してくれと言う。
ところが蓼科は清顕との約束を破り、手紙を彼女に渡してしまう。
その事実を知らずに聡子に接していた清顕は
後に自分がダマされていたと知り、聡子と距離を置くようになる」
----ニャるほど。自我の強い若者ってわけだ。
「ところが、聡子が宮家に嫁ぐことが決まって、
清顕は初めて彼女への愛を痛切に感じる。
当時、宮家の婚姻には天皇の許可=勅許が必要とされ、
それを取り消すことはできなかったんだ。
それにも拘らず、彼は聡子と逢瀬を重ねる。
しかし、その<危険な愛>の果てに待つのは…という物語だね」
----ふむふむ。お話の方は分かったけど、映画としてはどうだったの?
監督は行定勳。と言うことは『北の零年』に続く大作だよね。
「三島由紀夫原作の映画化と言うのは、ある種の<勇気>がなくてはできない。
特に『春の雪』は、一つひとつの選び抜かれた言葉が情景を映し出し、
その中にそれぞれの人物の心理を紡いでゆく」
----それって映画そのものだ。
「そう。特にこの小説の場合は、その表現があまりにも精緻なものだから、
すでに原作を読んでいる人にとっては、
映画も観たような気になってしまうわけだ。
原作は原作。映画は映画。もちろんこれは基本だけど、
この小説は、文字で映像を書いているようなところがあるから、
なかなか原作と切り離して映画を観るのは難しい」
----ふうむ、分かったような分からないような。
ところで撮影に『花様年華』のリー・ピンビンを迎えた効果はあったの?
「冒頭の長回しは見事だったね。
監督の意気込みを感じさせられた」
----キャスティングは?
「意外にも妻夫木聡はピッタリだったね。
強烈な自我が生む恋の未熟、恋の病に取り憑かれる熱情。
そのいずれをも<表情>で見せることができる。
そうそう、彼の友達・本多役の高岡蒼佑も
『パッチギ!』とは全く異なる青春像を演じて好感が持てた」
----あれっ?竹内結子は?
「う~ん。彼女はいるだけで絵になるし…。
演技はあまりしなくてもいいと言うところがあるからなあ。
それでも、自分の意に添わぬ祝福の言葉を聞いている時の表情の崩し方など、
観るべきところは多々あったな。
あっ、話変わるけど、あの主題歌はどうなんだろう?」
----宇多田ヒカルだっけ?
「そうそう。彼女にしてはポップさを抑えてあるとは言え、
この大正時代の悲恋を描いた映画が終わった後に流れるには
あの歌声はあわない。
急激に現実に引き戻されてしまう」
----ニャるほど。『NANA-ナナ-』のようなわけにはいかないわけだ(笑)。
(byえいwithフォーン)
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「輪廻転生」がテーマだと思ったけど、
このチラシでは「究極の純愛物語」となっている。
「ま、何をもって<純愛>と言うかだね。
この物語は、
侯爵家の子息・清顕と伯爵家の令嬢・聡子の愛を描いたものには間違いないけど、
最初に原作を読んだ時は、ふたりの<駆け引き>が印象に残った記憶がある。
清顕は自分に好意を寄せる聡子を親友の本多に近づけようと、
わざと自分の性体験を書いた手紙を送る。
しかし、すぐに思い直し、聡子の乳母・蓼科に電話を入れ、
封を切らずに処分してくれと言う。
ところが蓼科は清顕との約束を破り、手紙を彼女に渡してしまう。
その事実を知らずに聡子に接していた清顕は
後に自分がダマされていたと知り、聡子と距離を置くようになる」
----ニャるほど。自我の強い若者ってわけだ。
「ところが、聡子が宮家に嫁ぐことが決まって、
清顕は初めて彼女への愛を痛切に感じる。
当時、宮家の婚姻には天皇の許可=勅許が必要とされ、
それを取り消すことはできなかったんだ。
それにも拘らず、彼は聡子と逢瀬を重ねる。
しかし、その<危険な愛>の果てに待つのは…という物語だね」
----ふむふむ。お話の方は分かったけど、映画としてはどうだったの?
監督は行定勳。と言うことは『北の零年』に続く大作だよね。
「三島由紀夫原作の映画化と言うのは、ある種の<勇気>がなくてはできない。
特に『春の雪』は、一つひとつの選び抜かれた言葉が情景を映し出し、
その中にそれぞれの人物の心理を紡いでゆく」
----それって映画そのものだ。
「そう。特にこの小説の場合は、その表現があまりにも精緻なものだから、
すでに原作を読んでいる人にとっては、
映画も観たような気になってしまうわけだ。
原作は原作。映画は映画。もちろんこれは基本だけど、
この小説は、文字で映像を書いているようなところがあるから、
なかなか原作と切り離して映画を観るのは難しい」
----ふうむ、分かったような分からないような。
ところで撮影に『花様年華』のリー・ピンビンを迎えた効果はあったの?
「冒頭の長回しは見事だったね。
監督の意気込みを感じさせられた」
----キャスティングは?
「意外にも妻夫木聡はピッタリだったね。
強烈な自我が生む恋の未熟、恋の病に取り憑かれる熱情。
そのいずれをも<表情>で見せることができる。
そうそう、彼の友達・本多役の高岡蒼佑も
『パッチギ!』とは全く異なる青春像を演じて好感が持てた」
----あれっ?竹内結子は?
「う~ん。彼女はいるだけで絵になるし…。
演技はあまりしなくてもいいと言うところがあるからなあ。
それでも、自分の意に添わぬ祝福の言葉を聞いている時の表情の崩し方など、
観るべきところは多々あったな。
あっ、話変わるけど、あの主題歌はどうなんだろう?」
----宇多田ヒカルだっけ?
「そうそう。彼女にしてはポップさを抑えてあるとは言え、
この大正時代の悲恋を描いた映画が終わった後に流れるには
あの歌声はあわない。
急激に現実に引き戻されてしまう」
----ニャるほど。『NANA-ナナ-』のようなわけにはいかないわけだ(笑)。
(byえいwithフォーン)
※淡く消えゆく度
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輪廻転生がテーマの原作だけに、
続編に彼が出るとしたら、
『奔馬』の主人公ということになるのかな?
興味津々です。
妻夫木君は、この演技で、若手のトップ3に躍り出たと思いますね。続編にどうからむのか(ちゃんと制作にはいれば)、楽しみです。
映画は映画で、小説は小説と言いたいところですが、
この原作は、あまりにも言葉が魔力を放っています。
映画化したら、このような結果(普通のラブストーリー)になるのは、
まあ、やむを得ない気も。
着付けのことはよく分かりませんが、
竹内結子は和服が似合う人だと
ぼくもそう思います。
妻夫木聡さんが好きなので、学帽とかふんどし姿が嬉しかったです☆
竹内結子さんは、凄く色っぽくてびっくりしました。着物が似合いますね~!
深く考え始めると頭の中が混乱してしまいます。
清顕という人間は、
映画で描くにはどうアプローチすればよかったのか?
三島由紀夫が生きていたらどう思ったのでしょうか?
そう、清顕はガキ、子供なんですね。
屈折した感情表現をする、いってみれば難しい役どころだっただけに、登場人物に共感できない、って意見多々ありましたが。
はじめに三島由紀夫ありき、の映像化だっただけに、ちょっと残念です…
ぼくもそう思います。
エンドクレジットで歌を流すのは、あまりにも安易。
そろそろ止めた方がいいと思うのですが…。
予告編や宣伝のためにだけ流して、
本編では流さない!
みたいな手法をとると良かったかもしれませんね。
月光姫のエピソードを出さなかったことの方が気になりました。
もし、ここをきっちり描いていれば、
ブログの大方を占める「清顕=子供っぽい」という
彼へのマイナス評価もだいぶ変わり、
その屈折した心情がもっと浮かび上がるものと思われるのですが…。
冒頭のシーンは、まるでシェークスピアの悲劇を観ているかのようでした。
あまり詰め込まなくて正解、という気もしますが…(笑)
あと、私も冒頭のシーンはとても好きになってしまいました。
コメントありがとうございます。
映画は映画、原作は原作……と
割り切っているつもりなのですが、
初めから難しいことが決まっている
三島文学の映画化にチャレンジした
行定監督の中に、
三島文学を組み伏せてやろうと言う野心があったのかも…
と、ついつい辛く採点してしまいました。
宇多田ヒカルは
(少しだけど)あの大正の世界に酔っていた自分を
いきなり平成の今に引き戻してしまいました。
なかなかこの映画の登場人物(特に清顕)に共感できなかったのですが、原作を読めば、もうちょっと彼の気持ちが理解できるかな・・・と。
やっぱりヒッキーの主題歌は、この映画のラストには合わないですよね。みなさん、同じ意見なので、あらためて納得です。
この映画、「清さま」の子供っぽさが
けっこう叩かれているようですね。
でも原作を読んでいるときはそこまで感じなかったです。
どちらかと言うと自尊心のかたまりとして描いてあり、
書きながらも出さないように手配した手紙のくだりなんかでも、
もっとその屈折した心情が書きこんであります。
でも映画化では結ばれない<恋>に重きを置いて、
いわゆる『ロミオとジュリエット」にしてしまった。
原作に込められたテーマが多すぎて
そうせざるを得なかったのでしょうが、
やっぱり三島の映画化は難しいですね。
でもさすが若尾文子は貫禄でしたね。
時代背景は好きなのですが、あまりにも子供すぎる清さまの恋愛に
拒否反応出ちゃったようです(爆)
でも、女性ってほんっとに強いなぁ^^;;;
と、脇を固めた女優陣に改めて感心してました(笑)
確かに<飯沼>が出てきてないと言うことは、
この作品だけで完結させようとしているのかもしれませんね。
三島由紀夫の原作を読んだ感触とはずいぶん違いますが、
独特の世界観を構築はしていたと思います。
こういうとき優れたカメラマンがついていると、
やはり違いますね。
トラックバックの方、確認してみましたが
まだのようでした。
このシステム、ときどきうまくいかなことありますね。
もし、お時間がありましたら、
お手数ですが、再度よろしくお願いします。
その時代に入っていけた感じがしました。
続編はやっぱりないんでしょうかね?
個人的に四部作の中では第2巻が好きなので
続編があるといいなぁと思っております。
TBさせていただきました。
不都合ございましたらお手数ですが
削除願います。ではでは。
最近の日本映画って、
エンディングでテーマ曲が流れると言うのが多すぎると思います。
もちろん、それがテーマとぴったり合っていると文句はないのですが、
もっと映画に寄り添うような使われ方が見たいです。
そういう意味では『ロード・オブ・ウォー』での
挿入曲の使い方は久しぶりによかったですよ。
ヒッキーの歌のお話になっていますが、私もちょっとガックリでした。
もともと売れっ子歌手がテーマ曲を歌うということにはちょっと反対派なんですけどね。
「イメージソング」程度にしていただければよかったなぁ。
妻夫木くんは心配していたんですが、予想以上にはまっていたと思います。
ぼくもminoriさんのブログを拝見させていただきました。
オモシロい切り口でとても楽しめました。
これからもうかがいたいと思います。
よろしくお願いいたします。
一人です。まぁ私は元々ダメなせいも
あるんでしょうが。
TBさせていただきました。
また遊びにきますね。
どうぞよろしくです♪
それでもやはり映画を観た直後に流れるのは、
雰囲気を壊していますよね。
その点、『蝉しぐれ』はいい判断でした。
同じ意見の方がいて、ほっ。