ラムの大通り

愛猫フォーンを相手に映画のお話。
主に劇場公開前の新作映画についておしゃべりしています。

『J・エドガー』

2011-12-17 23:50:49 | 新作映画
(英題:J. Edgar)


----J.・エドガーって何した人?
「何をしたというよりも、
ある地位に君臨し続けたという方が分かりやすい。
J・エドガー、J・E・フーバーは、FBIの初代長官。
20代にして、FBI前身組織の長となり、
以後、死ぬまで長官であり続けた男。
20世紀の半分を占める約50年もの間、
大統領さえ及ばない権限を手中にしていたんだ。
その50年間に入れ替わった大統領は実に8人にも上るとか」

----へぇ~っ。
まさに影の実力者だね。
常識では信じられないような話だけど、
この映画の監督はクリント・イーストウッド
ある意味、興味深いニャあ。
「うん。
実は観る前まで、あまりいい評判も聞かなかったし、
賞レースにもほとんど関わってきていないことから、
もっと地味な映画かと…。
ところがところが…
さすがはイーストウッド。
映画は晩年のフーバーが部下に命じて、
自分の回顧録を書きとらせる現在からスタート。
FBI誕生以前、
20代の彼が目にした爆弾テロがきっかけで、
共産主義者などを取り締まる責任者の地位を任せられ、
かつての仲間をもふるい落としながら
のし上がっていく姿が現在と交互に描かれる」

----ふるい落とすって?
「政治的な力を持った彼は、
部下に対して規律を厳しくするんだ。
着る服にまで注文を付ける。
気に入った側近のみで周囲を固めていくところなんか、
近年のどこかの国の地方自治の長を思い出したよ」

----あらら。危険な発言。
「で、最初のうちは
イーストウッドの愛国主義が前面に出た映画なのかと思いきや、
徐々にフーパーの奇妙な人間関係が浮き彫りになってくる。
プロポーズを断りつつも死ぬまで個人秘書として彼を支えたヘレン(ナオミ・ワッツ)、
彼を溺愛した強権的母親(ジュディ・デンチ)、
そして、生涯に渡って彼の片腕となるクライド・トルソン(アーミー・ハ―マー)…。
しかもそれらの関係性は、
マザーコンプレックス、あるいはホモセクシャルというように、
それこそが映画の見どころといわんばかりに、
一種、グロテスクな描写によって描き込んでいくんだ。
で、この異様なキャラクター設定を軸に、
映画は、フーパーが逮捕したとされる禁酒法時代のギャングたち、
あるいは、国民的英雄である飛行家リンドバーグの愛児誘拐事件など、
アメリカ犯罪史を辿っていく」

----ニャるほど、それはオモシロくならないはずがないニャあ。
ん?“逮捕したとされる”というのは…?
「フーパーといえば、
コミックや映画では、
ギャングを逮捕した英雄的存在。
しかし実はそうではなく
後で彼が自分の人気を作りだすために演出したのだと、
この映画は語る。
その名声欲、そして権力を維持するために、
フーバーは、ときの大統領のスキャンダルを徹底的に調査。
そのため、ルーズベルトは彼に逆らえず、
J・F・ケネディも彼の監視下に置かれた。
そこに最後に現れたのがニクソン。
この大統領だけは、これまでのようにはいかなかった」

----彼の権力への野望は並大抵のものではなかった…ってワケだニャ。
「そういうこと。
この映画を観ると
ウォーター事件、つまり大統領の犯罪を二クソンが起こしたのもうなずける…。
さて、一気にしゃべっちゃったけど、
もう、イーストウッドの映画だから、
美術や衣装などの時代考証がどうのというような
瑣末なことを言う必要はまったくない。
そういう脇を固める部分は
映画として“魅せる”という意味では完璧だからね。
でも、これだけは言いたい。
なぜ、主演のレオナルド・ディカプリオの演技が話題にならないのか?
この映画、ディカプリオが演じているということを途中で忘れさせてしまうほどの名演。
まるでアーネスト・ボーグナイン(と、これは言いすぎか)。
これでオスカー取れなかったら、
アカデミー会員は彼に恨みでもあるんじゃないかと
疑いたくなるほどだね」


                    (byえいwithフォーン)

フォーンの一言「確かにディカプリオには見えないのニャ」なにこれ?


※でも、決して後味のいい映画じゃない度

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