ラムの大通り

愛猫フォーンを相手に映画のお話。
主に劇場公開前の新作映画についておしゃべりしています。

『コクリコ坂から』

2011-07-05 23:00:28 | 新作映画

----これって、宮崎吾朗監督の新作だよね。
「うん。
実を言うと、この監督の前作
『ゲド戦記』のとき、
ぼくはけっこうほめちぎって、
周りの信用(?)を失ったことが…(汗)。
そのせいもあって、
今回は、少し引いて観てみたんだけど…。
いやあ、これは一言で言えば珍作(いい意味で)。
ぼくは、まだついていくことができたけど
いまの若い人にはどうなんだろう?
この世界観がすんなり受け入れられるのかな?」

----えっ、そうニャの?
ここ数年、昭和、特に30年代がブームだし、
それは心配いらないんじゃニャいの?
「いや。
ぼくが言っているのは背景となっている時代じゃなくて、
その時代に作られた映画、
とりわけ日活青春・学園映画のノリだということ。
ここにはあの時代の映画のノリがそのまま。
浜田光男、吉永小百合。
高橋英樹、芦川いづみ、田代みどり
といった
懐かしの青春映画の顔が、
アニメの中にダブって見えてくるんだ」

----ふうん。でも、顔は全然違うけど…。
「なんと言ったらいいのかな。
その会話とか仕草だね。
そうそう、画の色遣いもそう。
港の夜空の色が深く濃い緑だったりとかね…。
さて、ここで簡単なあらすじを…。
舞台は1963年。
主人公は、港の見える丘にあるコクリコ荘という
下宿屋を切り盛りする
16歳の少女・海(長澤まさみ)。
彼女の父は、朝鮮戦争のあおりを食らって海で亡くなっている。
そんな父を待つかのように、毎朝、海に向かって彼女は信号旗を揚げる。
そしてタグボートで通学していた17歳の少年。俊(岡田准一)は、
海の上からその旗をいつも見ていた。
物語は、このふたりの初恋を縦軸に、
歴史と思い出の詰まった古い文化部部室の建物、
通称カルチェラタンの保存をめぐる学生たちの戦いを横軸に、
展開していく」

----えっ、学生運動が絡むの?
「いや、それはちょっと違う。
原作にはそれが滲んでいるようだけどね。
さて、少し話を戻すと、
学生たちの間でこの建物を壊すべきか保存すべきかの
それこそつかみあいにまで発展するような大討論が
学生集会で交わされる。
と、突然、生徒会長が歌を歌い始め、
みんながそれに合わせて合唱を始める」

----ぷっ。ニャにそれ?
「実は、先生が見回りに来るんだね。
で、仲良くやっているように見せるため、
彼らは争いを止め、歌で物事を治めちゃう。
その発想といい、
昭和唱歌か歌声喫茶かといった感じのその歌といい、
これは、まさに60年代の日活青春映画」

----ニャるほど。そういうことか…。
でも、そんなに古くっちゃ、
確かに今の映画ファンには付いていけないかも…。
「そこなんだよ。
ぼくが逆に強調したいのは、
この映画の中でもっともドキッとさせられたセリフ。
それは『古いものを壊すということは過去を捨てるということと同じじゃないのか』
『人が生きて死んでいった過去の記憶を捨てることと同じじゃないのか!?』
という俊のセリフ。
後で、プレスを読んでビックリしたんだけど、
これは宮崎吾朗監督自身が脚本につけ加えたセリフらしい。
つまり彼は『過去の中から、未来が生まれる』と言おうとしているわけだ。
だからこそ、宮崎吾朗は映画そのものも
このようなスタイルを取った。
日活の青春・学園映画という、
今では一部の映画マニアにしか目にしなくなった文化を
こういう形で語り継ごうとしたわけだ。
この物語そのものには、
“ふたりの出生の秘密が邪魔する恋の行方”など、
手垢のついた感がないでもない部分も多いけど、
このスタイルひとつとっても、これは画期的な映画。
そしてそれをやれるのはジブリしかない…ぼくは、そう思うよ」



                    (byえいwithフォーン)

フォーンの一言「あれっ。音楽は久石譲じゃニャいんだニャ」ぱっちり
※ナイショ。タイトルは原題の方がいいなあ。
そうそう。武部聡志、これがまたテンポがいい。
ベンチャーズを彷彿させる曲もある度

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