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いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

久しぶりに山の辺の道5

2020年07月28日 21時10分04秒 | ウォーキング

さあ、この春の
山の辺の道シリーズの第2弾です。

前回は天理から巻向(まきむく)まで
歩きましたねえ。
なので今回はその続きで、
巻向~大神神社を歩くことになります。

前回は天理に車を置きましたが、
今回は大神神社に車を置き、
電車で巻向まで行って
そこから歩き始めるという形で行います。

なのでまず車では南阪奈道路で
橿原に向かい、そこから
大神神社へ向かうということにしました。

橿原で高速道路を降りて、
耳成山の横を通り、
桜井方面へと走ってゆきます。

前方に大きな鳥居が見えてきましたよ。



この鳥居は高さで言えば
日本で二番目の大鳥居です。

材質は鋼板で、耐用年数は
1300年といわれています。
ちなみに高さが一番目は
熊野本宮大社ですね。

その鳥居をくぐり、
少し走ったところで
駐車場が現れます。
大神神社の駐車場ですねえ。

もちろん駐車料金は無料ですね。

ではここに車をとめて、
JR桜井線の三輪駅から
電車に乗りましょう。



この日の時間はとっても
タイミングよく、ぴったしで
電車がきて、一駅分だけ載って
巻向駅で下車していきます。

さあではここから歩き始めましょう。

まずは穴師坐兵主神社の
一の鳥居を見てゆきます。



今日はまず最初に
山の辺の道から少し離れた
この神社による予定です。
というのも、親父が昔
ここに来ていた頃に、
一緒に来た人がこの神社の
写真を撮ったようです。

親父はカメラを持って
いませんでしたから、
その写真をもらったのでしょう。

今から40年くらい前のものです。

そんな写真と今の状況を
見比べるというのも
一つ面白い取り組みやなあと思い、
持参していきました。

そんな穴師坐兵主神社は
この一の鳥居から
まっすぐ東の方へ山を
上がっていったところにあります。

地面に配置された



こんな案内を見ながら、



田んぼに沿った
道を登ってゆきます。



これが垂仁天皇の営んだ宮
「纏向珠城宮跡」の石碑ですが、



この少し上の所にも
「珠城宮伝承地」という
案内がありました。



まあだいたいこのあたりが
そうなんでしょう。
そしてそこから少し上には
「景行天皇纏向日代宮跡」
の案内もありました。



垂仁天皇と景行天皇の親子は
このあたりを中心に
宮を築いていたんですね。

ここがその伝承地という
案内もありましたよ。

朝日を受け、夕日を受け
村を見渡せるいい所ですねえ。
とってものどかな感じです。



古事記の「カササの岬に
真来通(まきとおり)て 
朝日のたださす国」という言葉が
語源の「纏向」地域というのが
何となくわかりますねえ。

そんな山道をdoiron
こんな風にのんびりと
登ってゆきます。



ここが山の辺の道との交差点です。
ここには右に桧原神社と
案内がありますが、今は
まだ曲がらずにまっすぐ行きます。



そこには相撲神社もある
と書かれていますねえ。



目的の穴師坐兵主神社は
その奥にあります。

どんどん山道を登っていくと、



周りの緑が濃くなって、
こんな相撲取りの写真板がありますよ。



相撲発祥の地と書かれています。
そうこの場所では、
景行天皇の前で野見宿禰と
大麻蹴速が日本最初の
展覧相撲が行われた場所
といわれています。



当時の相撲は蹴ったり
することも可能で、
けり合いとなり、
野見宿禰が勝ったそうです。

どんな相撲やったのかなあ。
足の蹴り合いで勝つって、
ろっ骨を折り、腰を砕いたそうです。

もう格闘技選手権みたいな
感じやったんやろなあ。

この相撲神社には、
実際昭和37年に全幕内力士が
集まったそうだ。

その時の相撲協会の長が双葉山で、
横綱の大鵬、柏戸が
道標入りをおこなったそうだ。

当時の新聞には10万人が
おとずれたと書かれてあるらしい。
そんな歴史のある
相撲神社を少し見てゆきましょう。

続く

 



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