ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

久しぶりに山の辺の道6

2020年07月29日 21時26分47秒 | ウォーキング

これが相撲神社の入り口。



鳥居の奥に力士の石像がありますねえ。



誰を彫ってあるのかわかりませんが、
顔立ちは遠藤や炎鵬
みたいな感じですねえ。

そしてその奥の方に、
どうやら土俵のような
ものがあるのですが、



ビニールシートが架けられています。
このあたりで野見宿禰と
大麻蹴速が相撲を取ったのでしょう。

で、このあたりの地名は
今はなぜか「カタヤケシ」
といわれています。

奇妙な名前ですねえ。
調べてみると「カタヤ」は
相撲をあらわす意味もありますが、
「ケシ」の意味はよくわかりません。
この名前、なんか神秘的な
感じですねえ。

神社の中にはこんな社もありましたし、



野見宿禰の石板もありました。



野見宿禰は出雲の人で
亡くなったのは龍野市。
そこにある墓のところも
行きましたねえ。

ここにこんな風に
刻まれているんですねえ。

ちなみに大麻蹴速は、
義母の墓のある大麻出身です。
この決戦で腰をおられて
死んだというから、
すごい格闘技戦だったのですねえ。

さあではこの神社を出て、
今回ひとつの目標地だった
穴師坐兵主神社に向かいましょう。
結構深い森になってている
参道を進んでいきます。



そしてたどり着きました。
ここが穴師坐兵主神社本殿です。



親父の持ってた写真も
ここを撮影したものでしたね。
それがこれ。



間違いなくここです。



今の写真と比べてみましょう。
ふむふむほとんど変わっては
いないですねえ。

でも、あ
れ?
と思ったところが二か所あります。
ひとつが、むかし本殿の後ろに
うつっていた屋根が
ありませんねえ。
建て替えたんですかねえ。

そしてもう一つ、
向かって右の灯篭の横にあった
太い木がなくなっていますねえ。

現地でその場所を確認してみると、
かすかに雰囲気が残っていましたよ。
台風や災害関係で倒れたんでしょうねえ。

親子二代で長い時を隔てて
訪れたdoiron家の
歴史を感じた写真だったのでした。

では、また同じ道を下って
戻っていきましょう。



途中みえる纏向の地にさよならし、



交差した山の辺の道を左折して
桧原神社の方へと向かいましょう。



山の辺の道に入ってすぐに
観光農園があります。



このあたりはミカンや柿が盛んですが、
歩いていると桃やブドウ
なんかもありますね。



これはカリンのようですねえ。

アジサイの咲く山道、



こんな人形を並べていたり、



こんな石碑が立っていたりと



なかなか味のある道が
続いていきます。



こんな住宅街の道を歩いて行きますと、
歌碑なんかも多く立っています。



これは柿本人麻呂の歌を
武者小路実篤が書いたもの。
なんかもうビッグネームが
多いですねえ。



そこに3の番号と「夜」と
書かれた板がありますね。

これが、万葉歌碑巡りロマンラリー
と名付けられている取り組みです。
文字をつなげていって
言葉にするようなのですが、
なんとこの後見つけた日には
30番なんかの番号が
付いていましたよ。



ウヒャー、これは壮大な
作業が必要なようですねえ。
見て見ぬふりをしましょう。

それにこれなんか、
何が書かれてあるのかも
はっきりわかりません。

石に刻んであるので
保存性は高いのでしょうが、
なかなか内容を理解して、
よしよしとうなづいて
通りすぎていくことなど
できるはずもありません。

ええ加減なウォーカーですみません。

道は結構古い家のある集落の中も
通ってゆきます。



そんな村の中を抜けて、
こんな道をVターンして



進んでいきます。



少し山道の中に入ってゆきますね。



このあたりはすこし高台に
なっていますので、



時折見える大和盆地の
景色がとてもきれいです。



「大和は国のまほろば 
たたなづく青垣 
山ごもれる大和し 美わし」

と古事記に歌われている、
奈良盆地の景色ですね。

続く

 



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