ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

久しぶりに山の辺の道4

2020年07月25日 21時16分08秒 | ウォーキング

崇神天皇は日本の第十代天皇である。

実在した可能性のある
最初の天皇といわれています。

その御陵は日本書紀において
「山邊道上陵
(やまのべのみちうえのみささぎ」
にあると書かれています。
ということは山辺の道は
崇神天皇の陵が作られたときに
すでにあったということだろう。

この記録からも、
この道が日本最古の記録上に
出てきた道なのです。
でもこの天皇が実在している
最初の天皇といってもなあ、
初代の神武天皇の墓も
橿原にあるしなあ。
どうもやはりこの辺は
神話と実在とが混とんと
しているんですねえ。

そしてこの崇神天皇陵の
東側に櫛山古墳があります。



いろいろと発掘調査が
行われた古墳らしいです。
山の辺の道はその古墳にも
接するように続いていきます。

この崇神天皇陵は、



別名で行燈山古墳とも
いわれていますねえ。
まるで大王の墓のように
陪冢を持っており、
宮内省は崇神天皇陵と
比定しているようです。

比定って、
物事が特定のものと
同定されない場合
既知の類似の者と
なんらかの意味で
対応関係にあると
判断することです。
ーー三省堂国語辞典ーー

そこから住宅地の中を
くねくねと抜けてゆきますと、



また右手に大きな古墳が
見えてきますねえ。
これが景行天皇陵です。
第12代天皇ですね。



この景行天皇の息子が
ヤマトタケルといわれています。
でもねえ、この辺の天皇は
存在が少しあやふやです。
第11代垂仁天皇は140歳や
150歳くらいまで生きた
といわれているし、
この12代も143歳まで生きて、
息子の一人がヤマトタケルというから、
どことなく伝説に
いろどられていますねえ。

でもまあ宮内省はここを
景行天皇陵とやっぱり比定しているから、
そうしときましょう。

さて、この辺で山の辺の道を
離れていくと、
巻向の駅の方に出ます。



今回はぼちぼちこの辺で
歩き終えることにしましょう。
道を右に外れて、景行天皇陵の
横を下っていくことにします。

途中から住宅地の中に入ってゆき、
駅へと向かいます。
道を外れてもこんな垂仁天皇の
宮跡なんかもありますねえ。



この宮の名前が「纏向(まきむく)珠城宮」で
ここも巻向という名の駅になっています。
この纏向というのが何なのかというと、
古事記の中に
「ここはカラクニ(岳)に向い 
カササの岬に真来通(まきとおり)て 
朝日のたださす国、
夕日のひでる国なり、
ゆえにここはいとよきところ」
とあるからだそうです。

ちょっと変わった「巻向」という
名の駅にも歴史があるんですねえ。

そしてこの地方そのものが
「巻向」という地名になっています。

こんな「穴師坐兵主神社の一の鳥居」
まで来て、左に曲がるとその駅です。



時刻表を見ると電車が来るまで
30分ほどあるようですので、
駅の周りを少し回って
みることにしました。



すると、駅の西側にはいろいろと
掘り起こされて整備されている
場所がありましたねえ。

そして「纏向遺跡」がありましたねえ。



ここは居館域の跡地で、
纏向遺跡の石碑が建てられていました。



このもう少し西の方にも
古墳がいろいろあるのですが、
またこれは別の機会に
歩くことにしましょう。

電車待ちの時間だけじゃ
なかなか状況がよくわかりません。

で、やってきた電車に乗って、
車のある天理へと向かいましょう。

ここが天理駅です。



ここへきて天気が良くなってきましたねえ。
駅前の鏡の模型なんかを見ながら、



天理本通りに入ってゆきます。



平日の昼間ですから
人通りはあまり多くはありません。



でもこんな酒屋があったり、



ラーメン屋さんがあったりしますね。



でもやはり神具なんかの
お店もよくありました。
そういう買い物ならここは
最適でしょうねえ。



商店街をどんどん進んでいきますと、
さすがに天理教の宿舎が
たくさん立っています。
宗教色の濃い町なのではありました。

駐車場に入って、ほっと一息。

ここから来た西名阪自動車道で、
山の辺道の続きはまた来るぞと
考えながら帰宅してゆく
doironなのでした。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿