ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

よごイチウォーキング3

2019年05月21日 21時13分23秒 | ウォーキング

こいのぼりの下を



くぐって歩いていきます。



ああ、ここにはこんな大きな
井戸もあるのですねえ。

でもこれって湖のすぐ横なんですよ。
なんかすぐ横に水が
たくさんあるのに井戸を
掘るってすごいんやなあ
と感心してしまいました。

そしてここには灯篭が立ち
「余呉八景 島浦帰帆」と
書かれた石がありました。



ふ~ん、こんな取り組みを
やっているんですねえ。
その全貌はというと、
いろいろ調べましたが
答えにたどり着きませんでした。
情報あったら教えてくださいねえ。

ここには「魚魂浄地」の
石碑がありました。



ここの人々が余呉湖の魚に
感謝を込めているんですかねえ。
余呉湖にはには
イワトコナマズ(余呉湖・琵琶湖にのみ生息)、
ワカサギ、フナ、コイ、ウナギ、
ナマズなどの魚類が生息しています。

冬場には氷の湖でワカサギ釣り
もするそうです。



でも細かい漁業規則で
制限はかかっていますよ。

こうして人々の暮らしは
魚の魂と深く関係しているんですねえ。

こういうボードを立てて
それを宣言してはるようです。



そしてまたそんな漁業に関連して、
水質浄化にも熱心で、
家庭排水の直接放流を
しないようにしているとか、
複数の間欠式空気揚水筒を設けたり、
最近では深層曝気装置を設置して
深層に空気を入れアオコの発生を
とめるなどの対策も
講じているそうです。

そしてこれが菊石姫の目玉石です。



昔、宮古からの落ち人である
桐畑太夫の娘がいましたが、
それが姿を変えて蛇になって
水不足をなくすために
余呉湖に身を投げました。

その蛇が「病を治す」ということで、
余呉湖からこの石に向かって
目玉を投げたという石です。

石には目玉の形が付いているそうです。

さらに進んでいきますと、
この辺りにはもう車も
あまり入ってきません。
民家もないので静かです。
湖と反対側の山の壁面には、
こんな小さなスミレが咲いていたり、



ショウジョウバカマの花も



咲いています。
ちょっと開けた谷のようなところの
空き地には「サワオグルマ」も
群生しています。



doironが行ったころには
ちょうど花が開き始めの
ような感じでしたねえ。





アジサイ園もありました。



この辺りには民家もありません。
ひっそりと残っている建物は、
国民宿舎余呉湖荘の建物跡ですね。
そしてこの後ろの賤ヶ岳は、
羽柴秀吉と柴田勝家の
決戦の舞台になっていました。

本能寺の変で没した
織田信長の後継者をめぐり
二人が戦いました。

結局あの「賤ヶ岳の七本槍」で
武将が活躍した秀吉軍が
勝利した戦いでしたね。

そんな戦の様子と関連したところには
こんな案内が立てたれ案内されていました。





まあここは遠いので
あまりゆっくりもできませんが、
もし宿泊でもできるのなら、
余呉湖回りの山々も合わせて
歩けば、各地の砦や古戦場も
訪ねられるいい地域では
ありますねえ。



あ、ここには「斎部路通」の
可否が立っていますよ。

芭蕉の門人の一人です。
奥の細道にも路通のことは
書かれています。

この石に書かれてある彼の句

「鳥共も寝入りてゐるか余語の海」

を芭蕉は褒めていたそうです。

さあ、このへんで余呉湖も
半分を歩きました。
岸辺には対岸が見渡せるような
ベンチが置かれています。
雪がちらつくような季節なら、
静かで幻想的な景色に
なるんでしょうねえ。

doironも座って物思いに触れてみました。



座っておやつを食べただけでしたけど・・・。

この先には桜がとてもたくさん
植えられています。



でもねえここはダメなんですよ。
BBQできないようで。



ほんとに人が集まっていません。
もったいないですねえ。
もう少し観光スポット的な
感じの開発があれば
人気出るだろうになあ
と思ったりするdoironなのでした。

続く


よごイチウォーキング2

2019年05月20日 20時52分14秒 | ウォーキング

以前、この余呉湖に来た40年前には、
羽衣掛の柳がくっきり見えてた
のを思い出します。
この辺りはずらーと見渡せるので
眺めてみると、事前に見ていた
地図とは違うところに
大きな木があります。

近づいてみると、
やっぱりこれじゃないしなあ。



こんな感じのように思うけど、
ここには何も案内がないしなあ。



知ってる限りでは、
この柳のところに
こんな案内板があるはずですよ。



う~ん、それに40年も経つと
思っている雰囲気が
かなり違いますねえ。
天女が空に持ち帰ったのかなあ。
これはもう仕方ないので、
あとで観光館で聞きましょう。

ではめげずに続けて歩いていきますよ。

歩いている道の北側に
線路が見えていますよ。
少し歩けば余呉の駅に行きますねえ。



まあ大阪からライチョウに乗れば、
この駅は通らないですね。
名古屋からだと必ず通ります。
まあそんな位置関係ですって、
よくわかりませんかね。

道端にはこんな北野神社云々と
書かれた石が立っています。



ああ、ここに昔神社でもあったのかなあ。

それからまた湖に近づいてゆき、
しばらく公園のような
空き地のようなところを通って、



ビジターセンターのところに出ます。

ここで資料をと思いましたが、
残念ながらこの日は休みのようです。
ていうか、ふだん開いているのかも
よくわかりません。
まあ、湖一周ですので詳しい
地図がなくても
何とかなるはずです。

それにしても、この余呉湖の名前の
由来を探してみたのですが
これがねえ、よくわかりませんでした。

もしビジターセンターがひらいていたら
教えてくれたかなあ。

さっきの天女の柳は
どこに行ったの?と一緒に、あとで
駐車場で由来も訪ねてみましょう。

それにしてもこの湖は静かですねえ。
周りを山に囲まれているからかなあ。



昔はねえ、別名「鏡湖」と
いわれていたそうです。

このあたりから、歩くコースは
湖の岸に沿って続いていきます。

ところどころで桜が咲いていて
きれいですねえ。

でも誰も花見なんかしている
様子はありません。

そもそも人の少ないところです。
もったいないねえ。
花見にはいいのにねえと思いましたが、
この近くには海津公園など
花見のもっといい所がありますからね。
みんなそっちに行くのでしょう。

でもこの人の少ない静かさはいいですねえ。

桜と話ができますよ。
あ、ここには空を舞う
天女の像があります。



わかりにくいですねえ。



こんな感じ。

なんでもここの天女伝説は
日本で一番古いといわれています。
そしてその内容には3種あるそうです。

ひとつはこの地方を開拓した
伊香刀美という人間に
羽衣をとられた天女が
飛べなくなって嫁になり、
三人の子どもを産んだが
羽衣を手に入れて
飛びだって行ったという話。

もう一つは天に飛びだっていった
天女が7月7日に
水浴びに降りてくるという話。
この話には続きがあって、
この天女の子孫が今も
健在しているという話です。
名字は桐畑だったかなあ。
トライアスロンをしていた
障害をお持ちの余呉出身の
選手もいたなあ。

そして最後が、天女の産んだ
子供があの菅原道真だった
という話の3種類です。

これだけ地元としても
天女に力をいれているのですから、
きっとさっき見つけられなかった
衣掛柳もどこかにあるのでしょう。
これは必ず確認しないとねえ。

その先にはこいのぼりが
ずらずらーっと飾られていますよ。



ああ、こんな地方の都市に、
子どもが生まれてくるというのは
大歓迎なんでしょうねえ。

実はdoiron家でも、
男の子の孫が生まれたので、
こっそりと家の窓に
こいのぼりを張り付けていたのですよ。



張った翌日にもう、
近所の人に
「今年はこいのぼり飾ってるんやねえ」
と言われました。

いやあ百均で買った
こいのぼりなんですが、
なかなか手軽でいいものですねえ。

息子の家では兜を飾ったようですがね。

続く


よごイチウォーキング1

2019年05月19日 21時06分59秒 | ウォーキング

琵琶湖は滋賀県にある、
日本最大の湖である。
周囲長は241kmほどあり、
その保水量も日本最大。
この大きさが、長距離を走ったりする
ランナーの心をとらえ、
昔はこの湖1周の駅伝とかしたよなあ。

いわゆる「ビワイチ」
という取り組みだった。

その後は自転車で回ったり、
最近ではウルトラマラソンに出る
友達の練習にも
活用さしてもらったこともある。

ある意味、特別な時のひとつとして
よく親しんだ湖だった。

ああ、そういえばここで行われた
初期のトライアスロンにも
出たことがあるなあ。

そんな湖なんですが、
実はこの湖の事を考えるときに、
心の片隅でいつも引っかかってる
もうひとつの湖があったのです。

琵琶湖と同じ時期にできた断層湖で、
3万年ほど前に分かれたという
北側の湖「余呉湖」でした。



今は賤ヶ岳で隔たれています。

そもそも琵琶湖の湖面が
標高約80mで、この湖は
それよりも50mほど
高いところにあります。

周囲長は6.4kmの湖なんですが、
この周りにも琵琶湖同様に
道路がきちんと整備されています。

昔、そう20代の頃にこの余呉湖へ
遊びに行ったことがあります。

柄にも会わないでかい
スカイラインに乗っていたので、
その道の狭かったこと。
途中で嫌になって引き返して
きたことがあるくらいです。

でもその段階で、天女の柳なんかを
眺めた記憶がありましたので、
景色や環境はとても良かった
という印象が残っていました。

そしてあれから約40年。
琵琶湖には先ほど言ってたように
何度も行ったのですが、
この湖には一度も行ってなかったのです。
あそこも頑張って回りたかったなあ
って思ってました。

でももう大丈夫です。
ぐるり6.4kmの湖の周りを
歩くって全然平気です。
なのでまあ天気のよさそうな日に
この湖をグルリンと一周歩いてみよう
と出かけていくことにしたのでした。

言ってみればまあ
「ヨゴイチ」のウォーキングですね。

現場までは車で行きます。
第二京阪から京滋バイパスに入り、
名神から北陸自動車道で木之本までいき、
そこから下道を走っていきます。

途中で通った余呉川は
桜とセイヨウカラシナが
満開で超感動的にきれいでした。



ああ、そう思えば花の多い、いい季節に
来たのかもしれませんね。

国道から余呉の駅の方に向かいます。
左手に余呉湖が見えてきたら左折し、
余呉の観光会館のところに駐車します。
ここは食堂やらお土産屋さんが
並ぶ施設です。



観光会館ですから車をとめて
歩くのは許されるでしょう。
では頑張ってここから
歩いていきましょう。

歩く経路は時計方向とは
反対周りに進んでいきます。
この会館の前には水量たっぷりの
川が流れ、そこに菜の花が
植えられています。



この川はもともと閉鎖湖だった
この湖の洪水対策のために
1600年ころに掘削された
川なんでしょう。



のどかな田舎になかなか感じよく
整備されていますねえ。



この川を渡る小さな橋が
架かっているのでこれを
渡って進んでいきましょう。



川の向こう側には、
田んぼ道が続いています。
ここから実際は左折して
湖に続く道がつながっているので
そちらへ行けばいいのですが、
この先の道沿いに

「天女の衣掛柳」

があるので、その田んぼ道を
まっすぐに進んでいくことにします。

とはいえこの道も曲がりくねって
余呉湖の周りの道に
向かっていくことにはなっています。

田んぼの中を歩いていると、
水の中に通路ができていて、
その湖と反対側が
「余呉湖の埋没林」の跡なんだそうです。



余呉湖の水を一斉に抜いた時に、
地元の中学生が見つけたんだそうです。
3000年前の林の跡なんだそうです。

ほかにもこの近辺で6500年前や
8000年前の林の跡も見つかっており、
地球の乾季と雨季を示す
貴重な埋没林なんだそうです。

続く


我が家でBBQ

2019年05月18日 18時50分30秒 | 生活

なかなかBBQというのは
いいですねえ。
GWに令和初のBBQを
行ったのですが
実は地元のマージャン友達とも
我が家でしっかりおこないました。

いろんな団体に入っているので
村の人になんでもいいから
集まってBBQをしようよというと
呼ぶ人間がべらぼうに
多くなってしまいます。
なので、きょうはマージャン友達と
やってるんやでえというと
まあ人間付き合いに
無理なく集まって楽しめます。

声をかけて呼びかけたのは
6家族だったのですが
2家族は参加できず
当日はdoiron家含めて
4家族で行いました。

まあBBQの用意してたら
墨あるからあげるよと持ってきてくれた
後輩もいたのですが
急遽の呼びかけだったので
参加できませんでした。

集まったメンバーがこれ。



左端が令和で初の役満である
小四喜をあがったSさん。
振り込んだのは右端の
マージャン代の持ち主であるKi君
煙の中で肉の番をしてくれているのが
絶妙の焼肉自作たれを持ち込んでくれるKa君
後ろには「肉焼けたかあ」と
出来上がりを待っている奥さんたち。
まあ、ふだんへらへら楽しんでいる
我々を「やれやれ」と見守っている
重鎮たちである。

実際男の我々は村の役員を
いろいろ勤めているのですが
実は、村の自治会は
彼女たちによって運営されている
ようなものなのです。

奥さんたちは
若干好き嫌いもある人たちなんですが
自分で食べれるものも
持ち込んで、飲めるお酒も
持ち込んでそれぞれに楽しみはりましたね。

我が家のミセスは
なんでも食べはりますし
何でも飲みはります。

場所はガレージの中ですね。
暑いだろうと、ガレージの屋根に
ブルーシートを広げて屋根を作りました。
色々と工夫し昨年の台風で
改良したガレージが大活躍です。

まあこうしてあれこれ手配等をしながら
我が家での令和のBBQを無事終えました。
皆さんに喜んでいただいてうまくいったので、
また今年中に絵の展示会を
写真の展示会にして
見に来てくれる人々と
またまたBBQをやろうと思っています。

あ、結局絵の展示会には
100人くらいに来ていただきました。

写真の展示会もがんばります。



また声を掛けますので
是非参加してくださいねえ。

その時はよろしくです。



追悼の鞍馬山3

2019年05月17日 22時44分00秒 | ウォーキング

山道をどんどん上がっていきますと、
この四脚門を越え



道は階段になっていきます。





ここまでケーブルで
来た人もここは頑張って登りましょう。
そしていよいよたどり着きます。

鞍馬寺金堂です。

前には阿吽の虎がいますよ。



ここまで上がってきたことは、
元気な人にはわからないかも
しれませんが、健康で
ありがたいことだと
おもわないといけませんね。



四国を一緒の回っていたころなら
首Dさんもきっと
上がってこれたと思いますよ。

どこか心の片隅に不安を抱えたまま
登頂すると、なんだかとても
ありがたい気がしますねえ。

金堂でお参りした後は、
さあ、ここから奥の院を経て
貴船の方に降りてゆきましょう。

とはいえもう少し上り坂を
登っていきます。



そこに霊宝殿がありますが、
残念ながら休みです。
ここには毘沙門天像も
あるのですが残念です。

まだまだ上っていきます。

この辺りは「砂岩」



「泥岩」



「赤鳴 珪質頁岩」などが出ています。



そしてこの山中にある大きな石が、
義経背比べ石といいます。



義経が修行を終えて
山を下りるときに、
この石と背比べをしたそうです。

波乱に富んだ彼の生涯は、
まさにこの石とともに
始まったといわれていたりします。

そしてこの辺りの山道には
杉がうっそうと茂っており、
山道には杉の根っこが
たくさん露出した道になっています。



石ころや土ではなく
生き物の根っこが
はびこっている様子は神秘的で、
一般的に「木の根道」と
いわれたりしています。

ああ、最初この道に行こうと
思ったときには、
この木の根道にとても
惹かれましたねえ。
首Dさんもそんな話を
していたように思います。
根っこを避けて、よっこらしょと
歩いていきます。

そして道の横には義経堂なんかもありますよ。



この辺りで義経は天狗の面をかぶった人に
修行されたんですねえ。

そして、やってきました奥の院。

ここが魔王殿です。



なんとここに魔王が金星から
舞い降りたとされる場所です。



あまり他の寺院にも
こんな場所はありませんね。
ここもじっくり見ていきましょう。

まあ、金星から舞い降りるなんて、
あり得ない逸話なんですけど、
先日まで一緒に話をしていた
首Dさんともう二度と
会えないというのも、
全然信じられない話ですよねえ。



命ってとてつもなく
大切なものなんですが、
一方でなくなったらもう二度と
会えないと、
悲しくも刹那的でもあるんですねえ。

さあコースはもうこの辺から
急激に下っていきます。
このままコースをジグザグ状に



下っていって、貴船川の
ところまで降りていきます。



鞍馬山と貴船山の間を流れる
この川は、今日の人々の涼を
求める場所だったりします。



あ、ちなみに「貴船」という名前は、
数説ありますが
ひとつ反正天皇の時代に
玉依姫命が黄色の船に
のってやってきたという
「黄船」という説があるようです。

玉依姫命とは、
そう上賀茂神社の祭神を生んだ人ですねえ。
ここの川沿いにはいろんな店も出ています。
時刻ももう一時を回っています。
ここで食事をしていきましょう。

川沿いの床に座って・・・
ではなくそば屋さんに入りました。
いただいたのは山菜そばです。
おいしかったなあ。



ここから貴船川沿いを歩いて、
先程通ってきた貴船口の駅へと
向かいましょう。

ここから2キロくらいですね。
バスを待ってもいいのですが、
まあ夜のお通夜の時間から見ても
余裕がありますので
歩いていきましょう。

途中でバスに二回追い越されましたが・・・。

まあこの道もいろんな人が
歩いてはります。
楽しかった首Dさんとの
山道なんかを思い出しながら
歩いていきましょう。

最後までついてきてくれましたかあ。

結局天狗が現れて、
あれは嘘だったんだよ
といってくれはしなかったです。
でも首Dさんとこれまで
いろいろ遊んできた思い出は、
doironの中に山ほどある
ことがわかりましたね。

これから生きていくにつれ、
いろんなところで
彼を思い出しながら、
過ごしていくんやなあ
と考えた歩きとなりました。



貴船口から、やってきた電車で
出町柳に向かい、
そこから車で帰阪し、
お通夜に無事に参加した
doironだったのでした。


追悼の鞍馬山2

2019年05月16日 20時42分08秒 | ウォーキング

天狗の鼻があんなに大きいのは、



傲慢な心の有り様を
象徴する造形なんでしょうね。
顔をうんと突き出すように、
鼻まで強調されているんでしょう。

まあそういう意味じゃ、
鼻の低いdoironは
謙虚な心の象徴なんでしょうねえ。へへ

電車を降りると、
またそこにもこんどは
大きな天狗の顔がありました。



聞くところによると、
かつてこの天狗の鼻が
降り積もった雪の重みで
折れてしまうということが
あったそうです。

そうかあ、いくら主張をうんと
突き出している奴でも、
自然の力には鼻をへし折られて
しまうんですね。
「うひゃー、それはうまいこと言うねえ」と
首Dさんの声が聞こえてきそうです。

今はしっかり修理されていました。



そこから、お土産屋さんの
ところを通り抜けたら、



鞍馬寺への登り口の
ところに出てゆきます。



このお寺は、鑑真の高弟である
鑑禎が毘沙門天を安置したのが始まりで、
そこへ藤原伊勢人が千手観音を安置し、
そして最近に護法魔王尊を
安置し三尊を本殿として
鞍馬弘教総本山になっているところ。



護法魔王尊は16歳で
永遠に年を取らないという。

ああ首Dさんももうdoironの中では
永遠に年を取らない存在になりましたねえ。

山門を通り過ぎて
階段が続いていますが、
実はこの鞍馬にはケーブルカーがあります。
日本で唯一宗教法人が運営する
ケーブルカーです。
日本一短い鉄道といわれています。

運賃は無料。

でも鞍馬寺に対し200円の
寄付が必要ということです。

運賃だと課税されますが、
寺への寄付という形だったら
非課税と、まあこの辺は
上手に運営されているようです。

でもdoironは歩いて登っていきますよ。

首Dさんと四国を回った時もそうでした。
山登りがしんどい人には、
別料金で軽自動車なんかも
出されていましたが、
私ら二人はそこはひたすら
歩いて登りましたね。
まあもともと自転車でお遍路するかあ
と言ってた二人ですから、
それも無理となったいまは
それでも、自力で歩いて
お寺の山に登るくらいの頑張りは
求めていこうということになっていました。

鞍馬寺の入山もかなり
急こう配の登りが続きますが、
ふうふうと頑張って歩いていきましょう。
首Dさん、ついてきてますかあ。

途中、こんな山門もこえ



こんな山道も続いています。



途中、普明殿という道場の建物がありましたね。

そこにはこんなことが書かれてありました。



「すべてのものは互いに連なりあい、
支えあって、ともに大きな力に
よって生かされている」と
書かれてありました。

そうですねえ。doironも首Dさんも
ともにいろんな刺激をうけつつ
生きてたもんなあ。
まだまだこれからも
doironはそんないろんな思い出を胸に
生き続けていきますからねえ。
ときおりはまたあの世から支えて
やってくださいねえ。

ここは由岐神社。



朱雀天皇が御所からここに遷した、
鞍馬寺の鎮守社です。



この中には大きな杉が生えていますねえ。
大杉社と名付けられています。



樹齢は800年で木の高さは
50m以上だそうです。
そういえば、首Dさんと
屋久島に杉を見に行くツアーも
考えたことがありましたねえ。
そんな杉を眺めながら
本宮にもお参りし、さあまだまだ
上の方へ上がっていきましょう。



こんな風に森の中に坂道が続いていきます。



それにしても結構な参拝者がいますねえ。
平日なんですけどねえ。

山道を登りながら、
時折木々の上の方を見上げたりします。
なにせ天狗が住んでいる
という鞍馬山です。

もしかしたら、そんな天狗が
上の方で団扇を振って
笑っているのかもしれませんからね。

続く


追悼の鞍馬山1

2019年05月15日 21時39分44秒 | ウォーキング

毎日のんきに暮らしていて、
どちらかといえば活動の
ストレスもあまりないような
状況でこれはやはり体に悪いよなあ
と最近は心の片隅でちょっぴり
思ったりもしているところです。

まあなんとのんきな悩みでしょうか。

なのでこのままじゃいかんぞ、
人間もっとしっかり生きなきゃと、
いろんなことに打ち込むのですが、
それもまた楽しみばかりになってきて、
こりゃあますますいかんなあと
いう感じが否めません。
もっとしっかり
お尻ぺんぺんしないといけません。

でもそんな中で当時一番の気がかりは、
病で入院している友達の
首Dさんの事でした。
彼の病気との戦いを考えると、
自分自身も病気の身ではあるけれど、
めげずにしっかり生きないとなあ
としみじみ考え続けてきました。

いくら大きな病気をしたからといって、
しょげてばかりしてちゃいかんよ。
しっかり動けるときには
しっかりと生きてなきゃ
と考えていないとねえと、
まあそういう話は首Dさんとも
よくしていた話です。

そんな中で、彼の病状がどんどん進み、
ついに悲しくて悲しくて
お亡くなりになりました。
あっという間でしたねえ。



三月末の、さあこれから世間に
桜が咲き始めるぞという
そんな時のことでした。

自分の一生の中でたくさん
一緒に過ごしてきた人との
お別れになります。

悲しくて、悲しくて、
悲しくてたまらなかったです。
じっとしてたらこみ上げてきます。

そんな中で昔の日々を
思い出したりしていたら
これはもうきりがないですね。

なのでもうこんな時に
じっとしてたらたまらないんです。
たらたらしてたら、彼から
「doironさん、何してるの?
しっかり遊んでなあ」と
いわれているような
そんな気になってきます。

そういえば、そんな首Dさんと、
一度ゆっくりでいいから
京都を歩こうよと話を
していたことがありましたねえ。

ゆっくり楽しくお寺周りでもしながら、
楽しい時間を過ごそうってね。

そんなことを考えていたら、
今日のお通夜の前に、
ゆっくりと彼を偲びながら
京都歩きをしてみるかと思いつき、
出かけていくことにしたのです。

こんな時にと今思えば不思議ですが、
きっと首Dさんの魂が、
僕を歩きに借り出したのかもしれません。

行先は以前、彼と話をしたこともある
鞍馬~貴船です。
もしかしたら天狗が現れて、
「doironさん最近の出来事はみんな嘘だよ」
と言ってくれるかもしれません。

まあそんなわけで、
どんどん勝手に気持ちが進み、
「首Dさん忍び歩き」を
してみようと出かけて
行ったのでありました。

家からは車で京都まで出かけます。

叡山電鉄の出町柳駅近くまで行って
駐車場に止めて、ここから
電車で向かっていきます。



下鴨神社近くの河合橋のところに
駅がありますねえ。
この辺は最近ちょっと
なじみのある場所になっています。

駐車して駅に向かって歩いていると、
ああ、ところどころで少し早い
品種の桜の花が咲いていましたねえ。



四国に行った時も、
首Dさんは藤の花や桜の花に
とっても興味を持って
はりましたからねえ。
こんな時に一緒に来れなかったのは
とても残念です。



駅はちょっとローカルな
雰囲気のある建物ですねえ。



天気は曇り空ですが、
でも駅には結構な乗客がいましたよ。
すぐに動き出した電車は
街の中から結構山道へと
進んでいきます。



途中、貴船口も通っていきますねえ。



鞍馬から山を歩いて、
この駅に戻ってくる計画です。

そして電車は終点である鞍馬に
約30分で到着です。
運賃は420円。
少し割高ですねえ。

ここが鞍馬の駅です。



改札を出ると、駅内には
様々な写真や



源義経の絵
なんかが飾られていましたねえ。
彼の修業の場でもあったからです。



あ、さっそく天狗のお面が
飾ってありますよ。



ここの鞍馬は天狗と深い
関係があるんですねえ。

「鞍馬天狗」なんてアニメも
ありましたねえ。

ここには昔、金星から
護法魔王尊(天狗の総帥)が
降りてきたんだらしいです、と
首Dさんにつぶやいて教えます。

続く


おおさか東線淀川以北

2019年05月14日 21時19分41秒 | ウォーキング

昔の赤川鉄橋のところまで歩いてきて、
颯爽と走りゆくおおさか東線の
電車を眺めてはたと思いつきました。



おおさか東線沿いの
歩きをしようと思っていても、
こうして歩いてみると
橋もうまくかかって無くて
淀川を効率よくわたることができません。
それならここからまずは
北の部分の線路沿いを今回歩いておいて、
次回には鉄橋の向こうである
城北と久宝寺の間を歩けば
いいんじゃないか
と思ったわけです。

そうですねえ。
それなら淀川を渡るための
複雑でめんどくさいコース選びは
しなくていいわけです。

ということで、今回は淀川歩きから
おおさか東線沿い歩きへと
変えていったのです。

しかし地図がないので
行き当たりばったりという感じですが、
電車の線路を見失わないように
頑張って歩いていきましょう。

淀川の距離標11.4キロのあたりから、



河川敷のこんな釣り好きな人の
天国のような場所を離れ、



堤防の土筆にもさよなら行って、





町の中へと入っていきましょう。



柴島の取水場から北側に



歩いていきます。



右手にはおおさか東線の
高架線路が見えていますよ。



で、こんな大きな交差点では
直進すればいいのか、
あるいは右折して線路の向こう側を
歩いたほうがいいのか迷いどころです。

う~ん、歩きdoironの本能が
試されるところです。

まあもともと昔から貨物線が
あったところですから、
どちらかといえば古い感じの
町並みの方が、道が線路に沿って
続いているかもしれません。

よーしと思い切って右折しますと、
おお~正解です。



古い町並みの横に



線路沿いのに道が続いています。
それではこの道を歩いていきましょう。

予想通りに古い町並みが続きます。

小学校の横に来た時に、
この線路沿いに細長い公園が
あったので、昼飯にしましょうか。



今日は、持参したおにぎりと
なめこ味噌汁です。

弁当を食べてても
後ろの線路を電車が走っていきます。
以前だったら、ここを貨物と
コンテナの電車が走っていたんでしょうねえ。
でもこの線の背景には
長い歴史があります。

大阪市域を外した線路敷。
途中様々な線と交わる複雑さ。
それに加えて地域の自治体との
関係なんかもあり、
大阪の都市の発展と
大きくかかわってきた線路です。

調べればきりがないほど
様々な検討がなされてきたようです。

それがここにきて
「おおさか東線」という、
ちょっとなんか洗練されていない名前で
乗用として開発されたんですねえ。

地元の人たちの様々な思惑を
貫いての開通だったようです。

座ってご飯を食べていると、
結構高齢者の人たちが
歩き回る場所でしたねえ。

で、目の前に学校のグランドが
あるのですが、そのフェンスの
ところになんとウリのようなものが
いっぱいついていましたし、



下の方にはひょうたん
なんかもありましたよ。
古い町ですよねえ。



そんなのを眺めながら、
さあではまた歩き始めましょう。

ここがJR淡路の駅ですねえ。



この辺では阪急の電車の線や
駅と重なっていて、
商店街や



地下道を通ったりしながら



東線を追いかけていきます。

すると、目の前にまた川が
見えてきましたよ。



神崎川です。

これを渡るとなると、
また橋を探さないといけませんが、
この先は南吹田の駅があるだけですから、
もうここらで新大阪へと向かいましょう。
急遽決めたコース変更ですから、
あきらめるのもすばやいです。



しばらく河川敷を自転車道とか



見ながら歩き、目の前に
東海道本線が見えてきたら、
東淀川駅を抜けて新大阪へ
と向かいました。

結局こうして歩いたのがこんな感じで、
約9キロでしたね。



まあそのうちに淀川以南の
おおさか東線の沿線歩きを
計画して歩いていこうと思っています。

今回はちょっと中途半端な
歩きになってしまって
少し反省しているdoironなのでした。


淀川完歩50右岸赤川

2019年05月13日 21時18分21秒 | ウォーキング

2015年7月に、
琵琶湖から河口に向かって
完歩しようと歩き始めた淀川。

歩き始めたころにはどんどんと
琵琶湖方面へと出かけていき、
交通費が高くついたな。

でもようやく1年と少しで、
無事に大阪湾の先っぽまで
歩きとおすことができたのも、
ヒマに任せて頑張ったおかげだ。

瀬田川~宇治川~淀川と
約75キロを歩きとおしたことになる。

途中交通機関もなく頑張った
最難関のあの暑かった宇治の上流、
淀川合流点から
ちょっと雑然としていた中流。

下流では川の流れと人々の暮らしの
関連をいろいろ知ったなあ。

水害なんかもたくさんあったようです。

そんな様々を越え、
あの河口から「0キロ」の
標識のところで、完歩したぞ~
と言いつつ、いっぱい飲んだ
完走ビールの味が忘れられません。

とぎれとぎれだったので、
約一年かけて完歩したことになります。

「淀川はすべて歩いた」と
いうことになりますねえ。

でもねえ、川というのは右岸と左岸があり、
左右違うだけで環境的にも
大きく変わったことがよくあります。

だったら両岸をできるだけ
歩こうじゃないかと、
その後、河口から完歩とは別の対岸を、
再びさかのぼるように歩いています。

まあこれも途中までしか
行けないようですが、
出来るだけつなげていきましょう。

そしてその後、桂川や木津川を
さかのぼるのかどうかということも
検討していこうと今はなっています。

でもまあとりあえずは、
対岸を歩き始めていきましょうと
右岸の海への合流点から、
上流へと歩き始めました。
十三も過ぎ、淀川完歩のシリーズでは、
丁度1年前くらいに49話目の
ところで通った長柄橋の
ところまで来ていますので、
今回はそこから上流に向かって
歩いていくことにしました。



柴島の駅から、相変わらず工事をしている



区間を抜けて、現龍大神のところで



長柄橋のところに出ます。
そこから淀川の右岸を
さかのぼっていきましょう。

阪急千里線をこえたら、
すぐに淀川大堰のところに出ます。



ああ、ここは人も通れないのですねえ。



閉鎖されています。



ずっと通れないそうですが、
年に一度だけここを通り抜ける
ことができます。

大阪・淀川市民マラソンに
エントリーする必要がありますが。
ここがランナーのみが通れる
コースになっているのです。

ああ、ちょっとランナー以外の人の
ひんしゅくを買いそうですねえ。
まあとにかく一般人は
ここでは淀川を渡れません。
その先にはこんな石が立っています。



何かなあと別の面を見ますと、
禁漁区なんですね。



淀川にはウナギの稚魚なんかも
たくさんいますのでねえ。

その先で右岸は河口から
10キロとなります。





淀川逆行も7分の1が過ぎましたね。

そしてやがて河川敷は
広くなってきますが、
どうもそのあたりはゴルフ場
のようになっています。
練習場かなあ。

もう少し上流に行けば、
左岸の方にもありましたねえ。

いろんな形で河川敷が活用されています。

そしてその先で電車が走っていますよ。
以前はここには貨物線が
走っていたのです。
赤川鉄橋といわれるところで、
線路の横には歩行者も
渡れるような道が
付いていたのですが、
以前左岸を下っている頃には
立ち入り禁止になっていました。

そうちょうど新大阪から延びる
常用線路である「おおさか東線」
の建設中だったのです。



それが今年の3月16日に
開通したのです。



ここ歩いた少し前です。
この線路の開通により、
新大阪~奈良間がとても
便利になったそうです。

実は、この線路沿いも
歩こうと計画しているのですが、
これがねえなかなかうまいこといけません。

以前わたれた歩行者も
今はもう渡れませんから、
なかなかうまいコースが
作れないのです。

う~ん、何かいい方法はないかなあ。


再び広報でなんやかや8

2019年05月12日 20時55分51秒 | 仕事

なんだかいつの間にか知らないうちに、
今年度も広報の仕事人に
選んでいただいておりました。

ああこれはいけないな、
ちゃんと書類を出しておかなくちゃと
広報に行き、手続きをしておきましたよ。

まあまたしばらくそんなことで
時間を費やしていく予定です。

で、その広報からまた別の
連絡をいただき、今年の桜の
写真を撮ってもらえないか
という依頼が来ました。

むむ~これは急なお話です。
桜ももう2、3日で枯れ始めそうな
どうもそんな勢いです。
これは早く撮影しないと、なんですが
いろいろと遊びに行く
計画をしていたし、天気のことを考えれば
取材は3日後ということにしました。

桜の勢い、天候とか考えたら、
どうもその日が最後の撮影日
のような感じでした。

そしてその日の朝がやってきました。
風もあまりなく、天気は晴れ。
お日さんの強さもさほどきつくなく、
絶好の桜撮影日和です。

車の駐車とか考えたら、この時は
ぶらチャリで撮影に出かけることにしました。

まず最初に行ったのが、
二田(ふった)の古池公園です。

ほんとはもう少し広報の
依頼が早かったら、
ミセスが受け持っている
福祉の花見がそこであったので、
参加したのがほとんど知り合いの
おばあさんたちの花見ですから、
大笑いで楽しそうな
花見がとれたのになあとかなり残念です。

でもまあここはグランドの周りに
ズラ~と桜が植えられており、
とてもきれいなので、
それを表現ですね。
まあ絵にはしやすいです。

そこで犬を連れている人や
歩いている高齢者に
声をかけ順調に写真撮影しました。



本当はもう少し人物が
大きく写っているのもあるのですが、
このネットではまあ桜に重点を置いて
おきましょう。

最後には、桜の花の下で
ランニングをしている女性も
撮影しておきました。



ああもちろん広報やネットに
流すことも話したうえでの撮影です。
なので写真の人物が小さいものを
このブログでは紹介しています。

そしてこの公園はほんとに
桜がきれいなんですが、
こんなカナメモチも
見事に赤く色づいていて
きれいだったので、
それも撮影しておきましたよ。
ついでに送っておきました。



さあではまた撮影地を
変えていきましょう。

次は隣の町の住宅街の
中にある公園の桜です。
ここもきれいに桜を植えていますが、
こんな風に町会の提灯もつけて
雰囲気を盛り上げていますよ。



ここではこの提灯と桜をメインに
撮影しておきました。
さあではどんどん進んでいきましょう。

次の場所は、もう昔からの
仲間とともに花見をする場所である、
助松公園です。

ここもとてもたくさんの
桜がありますので、
チェックすべき場所ですねえ。

でもねえ、あふれる桜ばっかり
撮っていても、花だけじゃ
場所がわかりませんね。
なのでここではバックに
併設しているグランドの
景色を混ぜておきました。





いやあそれにしても撮影は
むつかしいなあと思っていると、
頭の上で鳥の鳴き声が
するではないですか。

メジロのようです。

これは取れるかなあと思いつつ、
ズームを最大にして取ったのがこれ。





この時点では背景がないので使いにくいでしょうが
まあ何かの参考にはなるでしょう。

そんなしっかりしたカメラでないけど、
そこそこメジロを撮影できたのは
うれしかったですねえ。

まあ、これくらい撮影しておいたら
いくらか提供できるだろうと思い、
ぶらチャリでの撮影を終えましょう。



最後に我が家の近くのレンゲや
うちの神社の、



今年初めて植えた
小さな桜の写真も撮影しておきましたよ。



この桜がもう少し大きくなったら
ここで花見ができますねえ。
焼肉はあきませんでしょうがね。

これらを提供し、
広報はそのどれかを
表紙にと考えてくれていたようです。
でもねえ、ところがな、なんと
世の中わからんことだらけですねえ。

急遽、今回の表紙は「令和」を
意識したものに変える
ということになったそうです。



こんな感じ。

あーあ、これでもうdoironの努力は
すっかり水の泡ですねえ。
もしかしたらdoironの
撮影力不足だったのかなあと
いろいろと考えてしまいました。

本当のクリエイターとかだったら
大ショックですねえ。
まあなかばボランティアのような
仕事ですから仕方ないですけどね。

こうしていろんなことを考えて、
工夫して写真を撮るという
勉強をひとつしたんだと思うしか
救いはないですなあ。

う~ん、そういう意味では
また一つ大人のクリエイターに
なれたのかもしれません。