ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

よごイチウォーキング3

2019年05月21日 21時13分23秒 | ウォーキング

こいのぼりの下を



くぐって歩いていきます。



ああ、ここにはこんな大きな
井戸もあるのですねえ。

でもこれって湖のすぐ横なんですよ。
なんかすぐ横に水が
たくさんあるのに井戸を
掘るってすごいんやなあ
と感心してしまいました。

そしてここには灯篭が立ち
「余呉八景 島浦帰帆」と
書かれた石がありました。



ふ~ん、こんな取り組みを
やっているんですねえ。
その全貌はというと、
いろいろ調べましたが
答えにたどり着きませんでした。
情報あったら教えてくださいねえ。

ここには「魚魂浄地」の
石碑がありました。



ここの人々が余呉湖の魚に
感謝を込めているんですかねえ。
余呉湖にはには
イワトコナマズ(余呉湖・琵琶湖にのみ生息)、
ワカサギ、フナ、コイ、ウナギ、
ナマズなどの魚類が生息しています。

冬場には氷の湖でワカサギ釣り
もするそうです。



でも細かい漁業規則で
制限はかかっていますよ。

こうして人々の暮らしは
魚の魂と深く関係しているんですねえ。

こういうボードを立てて
それを宣言してはるようです。



そしてまたそんな漁業に関連して、
水質浄化にも熱心で、
家庭排水の直接放流を
しないようにしているとか、
複数の間欠式空気揚水筒を設けたり、
最近では深層曝気装置を設置して
深層に空気を入れアオコの発生を
とめるなどの対策も
講じているそうです。

そしてこれが菊石姫の目玉石です。



昔、宮古からの落ち人である
桐畑太夫の娘がいましたが、
それが姿を変えて蛇になって
水不足をなくすために
余呉湖に身を投げました。

その蛇が「病を治す」ということで、
余呉湖からこの石に向かって
目玉を投げたという石です。

石には目玉の形が付いているそうです。

さらに進んでいきますと、
この辺りにはもう車も
あまり入ってきません。
民家もないので静かです。
湖と反対側の山の壁面には、
こんな小さなスミレが咲いていたり、



ショウジョウバカマの花も



咲いています。
ちょっと開けた谷のようなところの
空き地には「サワオグルマ」も
群生しています。



doironが行ったころには
ちょうど花が開き始めの
ような感じでしたねえ。





アジサイ園もありました。



この辺りには民家もありません。
ひっそりと残っている建物は、
国民宿舎余呉湖荘の建物跡ですね。
そしてこの後ろの賤ヶ岳は、
羽柴秀吉と柴田勝家の
決戦の舞台になっていました。

本能寺の変で没した
織田信長の後継者をめぐり
二人が戦いました。

結局あの「賤ヶ岳の七本槍」で
武将が活躍した秀吉軍が
勝利した戦いでしたね。

そんな戦の様子と関連したところには
こんな案内が立てたれ案内されていました。





まあここは遠いので
あまりゆっくりもできませんが、
もし宿泊でもできるのなら、
余呉湖回りの山々も合わせて
歩けば、各地の砦や古戦場も
訪ねられるいい地域では
ありますねえ。



あ、ここには「斎部路通」の
可否が立っていますよ。

芭蕉の門人の一人です。
奥の細道にも路通のことは
書かれています。

この石に書かれてある彼の句

「鳥共も寝入りてゐるか余語の海」

を芭蕉は褒めていたそうです。

さあ、このへんで余呉湖も
半分を歩きました。
岸辺には対岸が見渡せるような
ベンチが置かれています。
雪がちらつくような季節なら、
静かで幻想的な景色に
なるんでしょうねえ。

doironも座って物思いに触れてみました。



座っておやつを食べただけでしたけど・・・。

この先には桜がとてもたくさん
植えられています。



でもねえここはダメなんですよ。
BBQできないようで。



ほんとに人が集まっていません。
もったいないですねえ。
もう少し観光スポット的な
感じの開発があれば
人気出るだろうになあ
と思ったりするdoironなのでした。

続く


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