ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

待ったか松阪2

2019年05月04日 20時51分36秒 | ウォーキング

松阪の駅前から、
商店街を進んでいきます。

ああこんなお肉の店もありますねえ。
松阪肉も売っているようです。
ベルタウンと名付けられた
商店街をまっすぐ進んでいきます。

電柱には「牛銀」と
書かれたお店の看板が目立ちますね。



「和田金」と並んで



松阪の牛料理の店のひとつです。
何となく聞いたことがある
店の名ですねえ。

今日の歩きで近くを
通ったりするのかなあ。
まあ多分あっても、
中に入ってステーキ300gとか
絶対言わないけどね。

大きな交差点で右に曲がり、
よいほモールに入ってゆきます。

少し前方に、高齢者の独り歩きおっさんが
あちこちに興味あるものを
見つけては写真を撮る
というなんか身内のような人が
歩いていましたが、
ついに前方の肉料理屋に
吸い込まれるように入っていきました。

いいなあって感じですが、
doironは負けずに歩き続けましょう。

その先で、松坂城方面が見える



大きな交差点のところに
「豪商ポケットパーク」があります。



外には「参宮道」と「大手筋」と
書かれた道標が立っています。



さんぐう道は伊勢へと続いている
という道ですねえ。
大手筋は松坂城跡につながる道です。

建屋の中に入ると、
ボードや古い写真なんかも
飾られてました。

う~ん、doironが昔に電車に
乗ったのはこんな駅だったかなあ。



全く記憶がないですねえ。
これは脳梗塞の後遺症?
いやあ単なる加齢のお忘れでしょう。

その先には三井高利が生まれ
三井家発祥の地となったことも
書かれてありました。
松坂って結構豪商がいたんですねえ。



そこからさらにさんぐう道を
進んでいきますと、
松阪商人の館というのが
ありましたので、有料ですが
入ってみることにしました。



紙の商人で巨大な豪商だった人に
小津家という家がありました。
この館はその小津家の屋敷を
松阪市が買い、平成8年から
「商人の館」としてオープンしています。

入ってすぐのところに
「万両箱」というのが
展示されていましたよ。



「へえ~」と思いつつ見ていると
係のおっちゃんから声がかかりました。

「そんな箱が埋められてあったんやで」
と説明が始まります。
「ふ~ん。うちの家にはないなあ」
と返していると、当時の豪商の
番付表が出てきて、

「小津さんはここに書かれてあるんやあ」
と説明が始まりました。

店の屋号や昔の絵のここに
書かれてあるとか
まあいろいろと説明がありました。

先ほどの三井家といい、
すごい豪商だったんですねえ。
やはり松坂は伊勢にも近いし
船便も発達していましたから
商売としては、近江商人と
並んで伝えられました。

「近江泥棒、伊勢乞食」

といわれてたほどです。

そんな豪商の家の中の、
蔵や台所を見ながら
この係の人はかなり
丁寧に教えてくれました。

まあ客はdoironだけでしたから
暇だったのかな?
まあ一人で大阪からきて、
この辺を歩き回ってると聞いて、
「よう遊んでるんやなあ。それなら」と、
この係のおっちゃんの心にも
火がついたのかもしれませんねえ。

200円の入館料の元は
取ったかもしれませんね。

そこを出て、坂内川の大橋に来たら
そこを左折し、今度は本居宣長の
旧宅跡を目指していきましょう。
人生の大半を市井の学舎として
過ごした人です。

あ、ここに牛銀の本店が
ありますよ。食べていきますかあ
って、あかんあかん。
便乗して交通費浮かす旅で
これはやはりあきませんな。
パスしましょう。

本居宣長は
そもそもがさっきの豪商である
小津家の次男であり、
金銭的には恵まれた人だったのでしょう。

で、かれは鈴のコレクターで
駅鈴など珍しいものを所有しており、
自宅には「鈴屋」という
屋号もつけています。



ここがその本居宣長の旧居跡です。

ああ、これでやっとこの松阪の
マンふたがこういう模様だった
ことの説明がつきますねえ。



続く