ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

風邪直ったかな

2017年01月21日 21時36分35秒 | 最近の出来事

昨日の医者の話では
インフルエンザじゃないことがわかり
ホッとしたのだが
寝る前に熱を測ってみたら

38.4℃

う~ん「これは超高熱だあ」
これはよく寝て直さなきゃと
早く布団に入っていたら
ミセスが
「昼間あんなに寝てたらよるは寝られんで」
と言ってきた。

「いやあ、でもきっと寝れるわ」と
啖呵を切って、そう10分もしたら
すっかり睡眠の世界へ。

ただし熱があるからか
変な夢ばかり見る。

お経をあげている夢なんかは
火曜日の四国出発を懸念している
夢だろう。
ま、そんなわけのわからん夢を見つつも
朝までぐっすり眠ったなあ。

あ、一度夜中にトイレに起きたときには
少し汗ばんでいるような感じだったが
眠気が勝ってそのまま寝てしまったくらいだ。

そして朝起きてみたら
もう「すっきり」
いつもの朝と同じように目が覚めた。

試しに熱を測ってみたら
35.5℃

うん、これは直ったなあと
思いつつ、明後日の四国行きのことを
考えて、今日は一回だけ図書館に行き
借りてきた本を読んで
静かに暮らした。
ああ、雨の日とあまり変わらんけどね

絵を必死に描いたり、
ブログを頑張って書いたりもせず
たらたら過ごしたら
夕方の測熱では

34.9℃

ああ、もうすっかり全快やね
明日は一件予約があるので
それをこなして、火曜日には
四国巡礼となるだろう。

まあ、首Dさんの体調のこともあるけどね。

書きかけの「雲雀山」は
明日から再開しますかね。

と、思っていたら
きょうはなんとミセスが
同じような症状で
寝込むようになった。

あちゃー、移してしまったのか
なんとミセスは月曜日に
働いていたころの友達と
日帰りで沖縄旅行を
計画しているのだ。
僕がもらった薬を飲んで
ただいま風邪と闘っている。


風邪ひいたなあ

2017年01月20日 18時32分19秒 | 最近の出来事

昨日、エイから帰ってきたら
どうも体が変だ。

で、熱を測ってみたら

37.1℃の熱がある。


あちゃー、来週四国に行くので
それまでには直さなきゃと
今日は一日布団にはいっていた。

でもねえ、これはもしかして
インフルエンザじゃないだろうねえ
と警戒して、
夕方近所の医者に行って
検査してもらったら、
どうやらインフルエンザじゃないことが分かった。

まあということは
良く寝て体を休めることやね。

ということで、いまからまだ
じっくり寝ますよ。

おやすみなさい


雲雀山に風が吹く 1

2017年01月19日 21時56分02秒 | ウォーキング

年末に義理親のお墓に
お掃除に出かけた。

場所は奈良の當麻寺である。

もちろん車に乗って
出かけて行ったのだが、
これまでには二上山のふもとを歩いたり、
二上山そのものを
グルリンと超えて墓参りに
行ったこともあります。

まあ周辺が自然が豊富であったり、
歴史豊かであったりするから
いろんな楽しみを見つけては、
それもかねて墓参りに
行ったりするわけです。

當麻寺そのものも、
とても歴史のあるお寺です。

一番の特徴はというと、
やはり曼陀羅を作った
中将姫の話ですねえ。

継母にいじめられ、
地方の山で殺されそうになったのですが、
一転、その使者にかくまわれて助けられ、
やがて蓮の花で曼陀羅を作るに至った
といういきさつを持っています。

この當麻寺にはその曼陀羅があります。

蓮の花で・・・ということでしたが
研究では絹の糸で織られており、
中国から入ってきたもの
というのが最近よく言われているのですが、
まあ彼女の仏に対する真剣な態度から
そういう伝説が生まれたのでしょう。

駐車場から歩いて墓に向かう途中、
本殿の前を通るのですが、
その北側に小さな池があり、
そこに中将姫の銅像が設けられているのです。



なので墓参りに行くときは
いつもその彼女の姿を見ることになります。

で、以前からそんな中将姫の
暗殺現場となるはずだった山を
ずっと訪ねてみたいなあ
と思っていたのです。

山のふもとには行ったことがあるのです。

熊野古道沿いにその山である
「雲雀山」があるからね。

でも、これまではどれくらいの
コースでいけるのかなど
よくわからなかったのですが、
年末に本屋さんでちょっと
面白そうな山歩きの本を見つけて買い、
そのほぼ最後のページに
この「雲雀山」のことが
書かれてあったのでした。

読むと「おもしろそう~」じゃないですか。

コースの後半は海にも近づき、



そんな絶景も待っている
という話ですから、
これはやはり行くべきでしょう。

年末の28日の日に、
今年年内最後の山歩きで
中将姫に会いに行ってくるわ
と車で出かけたのでありました。

風の強い寒い日でしたが、
まあこんな気候の時に
のんびり山歩きができれば、
これからの山歩きにも
自信がつくというものである。

車で紀伊内原の駅まで行き、



そこで駐車場を探して車を止め、
山を歩いて終点の湯浅から
電車に乗って車に戻る
というコース設定をしました。

雲雀山の登山口があるのは、
熊野古道のコースの途中であるから、
その辺の地理関係は
まあなれたものである。

紀伊内原の駅前には
長時間パーキングなんかは
一瞬ないように思えるのだが、
その駅横のタクシー会社が



一時預かりをしてくれるので
そこに車を止めるといいでしょうね。
1000円と値段がちょこっと
するのだが、駅のすぐ横、
会社の目の前なので
便利といえば便利である。

しっかり厚着して、
ナビも入れつつ、さあでは
歩いていきましょう。

こんな感じの厚着です。



いやあ自分で撮影しつつ、
これでいいのかという疑念を
少し抱いてしまいましたなあ。

ここから登山口である
中将姫ゆかりのお寺の
「得生寺」までは、
かつて歩いた熊野古道であるから、
当時のことを思い出しながら
歩いていきます。



そうあれは二年前の秋でしたねえ。

そうそうそういえば、
当時この辺りの家の壁には
こんな張り紙があったなあ。

「ミカン取りさん募集。」



時給もいいよなあ。
でも広告最後の言葉が
とっても気になります。

「助けて・・・」と書かれて
ありましたなあ。

そんなことを思い出しながら
線路に沿ってしばらく歩いていくと、
有田川に上がっていく道に出てきます。



うう~寒そうです。

続く。


1.17神戸の街に行ってきた 2

2017年01月18日 20時53分12秒 | ウォーキング

気候は、ちょっと寒いけど、
まあ歩くのだからいいかな。

でも地震当時は寒かったやろねえ。
家の亡くなった人は
途方に暮れたでしょうねえ。

兵庫県立美術館のところを
右折していくと、



最初の目的地であるなぎさ公園の
ところに到着する。

ここには阪神淡路大震災記念につくられた
「人と防災未来センター」がある。



メモリアルウォークの人たちは
どこから歩き始めるコースを選んでも
ここがゴールになるようだ。

到着した時はまだ早い時間だったようで、
会式なんかは行われていなかったが、



高校生か大学生かの演奏会なんかは
行われていた。
それにいろいろビップも来るんでしょうねえ、
ちょっとたいそうな感じの人たちも
多く集まっていましたね。

こういうメッセージの書かれた
傘?かざぐるま?そんな展示のある
径路を抜けて、その奥に行くと、



テントによるいろんなブースが出ていましたね。



東北のブースでこんな鮭を買ったり、



笹かまぼこを買い食べながら
歩いていると、



大会関係者らしい人から
「それおいしそうですねえ~
どこで買いました?」と
二人ほど声をかけられました。

まあ、親し気な雰囲気を
醸し出しているんでしょうねえ。

災害対策の中で、
人と人の和というのは
大きな力を発揮するんですよねえ
と語っているようでした。

おっ、くまモンも来るんですかねえ。



今頃はビップテントで
はちみつでもなめているのかな?

こんなテントや



体験場があったり、



起震車で揺れている人がいたりなどを



眺めながら、そこを後にしました。



さて、こんな立派な歩道を歩いていきます。





22年前にはボロボロになったんでしょうねえ。
今はまだ新しいマンションなんかが
どんどーんと並んでいます。

おっ、これはまた新しい消火栓ふたですねえ。



前回リボン通りを歩いた時に
見つけた三枚とはまた違ったデザインです。
女性の顔と山道およびヨットなんかが
彫られています。
やはり災害関連に関しては
手厚い予算が付いたのかもしれませんね~。



前からどんどんと歩いてくる
ウォーキングの人たちと
すれ違いながらdoironが
向かっていったのは、
あの竹灯篭が1.17の形に並べられた
「東遊園地」です。

リボン通りに出て



公園に入っていくと、
ありました。



大勢の人が灯篭の周りを歩いていますし、
報道各局が集まっています。

ろうそく配布所で



竹に浮かべる蝋と火つけようの蝋を
もらい点火しましたよ。

側にいた人にシャッターを頼んだら、
他国の人でしたな。



それにしてもあんなに
大勢の人が集まっているのに
公園内は静かでしたねえ。

もっと大勢の人でにぎわっているのか
と思っていたのですが、
やはりこういうイベントは
静かに行われるのですねえ。

何となくこの日は、
神戸の町全体が
静かな雰囲気だったように思えましたね。

ではあのにぎやかな中華街は
どうなのかと寄ってみましたら、
まあここはこれまでに何回か来た中で
一番人が少なかったですね。



そこで遅い昼食をとりました。
いつも行くなじみの店が
ちょっと変わっていましたね。
仕方ないので他のお店で定食を。



電車なのでビールも頼んで豪華食。

いやあ、なかなか中身の濃い
1.17神戸散歩でしたね。

歩いたのはこんなコース。



まあ人々の静かな祈りや
温かい雰囲気のあったコースでした。



22年前の災害への想いが、
静かに神戸の底に流れているような
こんな6キロちょいを歩いた半日でしたね。

あ、そうそうそれともう一つ
驚いたのが、
長野で働く息子の神戸支社を
見つけたのには驚きです。

こんなとこに帰ってきて
働いたりしないのかなあ
なんて思いながら、
今年の1.17神戸散歩終わりです。


1.17神戸の街に行ってきた 1

2017年01月17日 22時01分02秒 | ウォーキング

22年かあ。

doironが38歳の時に
それは起こったんやねえ。

死者は6434名、行方不明3名、
負傷者43792名とされている
あの阪神大震災だ。

つい最近起こったように思っているが、
もうそんなに経つんですねえ。
あの頃doironは
トライアスロンに燃え始めたころで、
地震の日の朝は、
寒いにもかかわらずバイクで
職場に行ったものだ。

ミセスは家の片付けなど
もう留守番と決めていた。

バイクで家を出たときはまだ、
高齢のおばあさんが、
屋根から落ちてきた瓦で
頭を打って怪我をした
程度のニュースだったのだが、
徐々にビルの倒壊や阪神高速の崩壊などの
おおきなニュースが飛び交いはじめ、
ミセスからのニュースは
どんどんひどくなっていったなあ。

もちろん阪神高速は当然
通行止めになっているから
通勤時の道は大渋滞であったなあ。
(後でわかったのだが
その日は休んでもよかったそうなのだ)

神戸の街には火事の煙も
上がっているとのこと。
これはもう大事件だ。

早く職場に行ってニュースを見なきゃ
と大急ぎでペダルをこいだものだ。

doiron家周辺当たりの震度は
5強でしたが、まあなんとか
風呂場のタイルに
ひびが入った程度で済みました。

まだ立てて10年くらいの家でしたから
被害は軽かったようです。

そう、あれからもう22年が経つのですねえ。

でもねえ、よく考えたら
doironだって10歳の頃だったら、
22年前にはまだ戦争を
やっていたんですよねえ。

その犠牲者なんか大目に見て
300万人ともいわれていたから、
その数の多さから見ても
けた違いの戦争を、
つい最近までやっていたんですよね。

戦争と自然災害を一緒にしてはいけませんが、
犠牲者を出した人々の心の内は、
さほど変わらないのでしょう。

戦争を今の自然災害と
同じくらいには決して
慰霊するためのイベントは
行われなかったでしょう。

当時はそんな戦争も
もう今となっては歴史のかなたで、
ずっと遠い昔と思っていた
自分がいたくらいでしたもんね。

でも今は違うでしょう。
こういう地震のイベントも各地で行われ、
それに参加する小さな子供たちも
そのことを忘れずに
防災に力を入れなきゃって
思っているみたいに見えますもんね。

そう、悲しみに沈むのではなく、
22年前はつい最近のことなんだと
ちゃんと理解し、
しっかりと自分たちの未来を
見つめてほしいですね。

2010年の日曜日にも
この日の神戸に出かけましたが、
その時にはあしぶえコンサートなんかを
見ながら、
「このあしぶえの音は天国にまで
届きそうなくらい響き渡り、
充満する祈りの声に包まれて」
泣きそうになりましたね。

では今年はそんな神戸の街が
今はどうなのか、
それを見に1.17の神戸の街に
出かけてみることにしました。

ネットで事前に見ながら、
今年の交流広場である
「なぎさ公園」から
「阪神淡路大震災1.17のつどい」の
中央区東遊園地を、
今の自分の趣味に合わせて、
テクテクと歩きながら
訪ねてみることにしたのです。

まずはスタート地点と
決めていたJR灘の駅まで
電車で向かいます。

そしてナビをセットして、
駅から歩き始めると、
おやもう何かリュックを担いだ人々が
いっぱい歩いてますねえ。

同じようなことを考えている人が
いっぱいいるのですねえ、
と思っていたら
交差点に旗を持って
道案内している人を見つけました。



旗には

「1.17ひょうごメモリアルウォーク」

と書かれてあります。
その人がリュックの人たちを
しっかりと誘導しているようです。

そうかあ、この日に神戸を歩く
イベントがあるんですねえ。

とりあえずは、
警備員の人にきいて教えてもらった
ウォーカーたちが向かっている、
なぎさ公園にdoironも向かいましょう。

つづく


この頃毎日寒いね

2017年01月16日 21時52分43秒 | 最近の出来事

アトリエで絵を書いていると、
裏の空き地で猫が
「フニョ~」とか「ウーハー」とか
やたら鳴いている。

ああ発情期やねえ。

と言ってもまだ1月なのになあ。
どうもこっそり餌をあげる人が
いるようで、最近若い猫が
増えたような気がする。
逆に年寄りは減ったようなね。
猫も若いと季節感が薄いのかねえ。

ああ、地球温暖化の影響が
猫の発情期まで
狂わしてしまっているんだろうか。

昨年、こんな猫の発情期の頃に
近所の公園で紅い梅が咲きだしたなあ、
と思ってプラプラ公園へ歩きに行ってみると、
ワオー、なんと梅ももう咲いている。



なあんとなく違和感が
あるような気がするのだがねえ。

公園から帰ってくるときに
神社のほうを通ってみると、
とんどの用意をしているようだった。

本来なら昨日が近所の神社の
「とんど」の日だった。

しかし、その日朝から見に行ってみると
燃やす気配がなさそうだった。

神主を見つけて聞いてみると、
どうも昨日は風が強く
延期したんだとのこと。

そやねえ、あんな強風やったらあかんね。

とんどで神社が火事になったら
えらいことだ。

で、ようやく風も収まった本日に、
盛大に行われたのだ。

これは急がねばならない。
家に帰って燃やす物を
取ってこないといけない。

お守りとかおみくじとか
そういうのんじゃないんですよ。
それはもう正月に渡してある。

doironがこのとんどに
あらためて注目しているのは、
正月に描いた書初めや
昨年一年間部屋にはってあった
書初めを燃やすためです。





とんどの時に書初めを燃やし、
その煙が高く舞い上がったら
字がうまくなるっていうあれですな。

この際、書き損じた絵も
燃やしてもええかなあ
というのも考えましたが、
まあそれはちょっと置いておきましょう。
いまはまだ書き損じても
大切な作品なのであります。

でもそう考えたら
書道をする人って
作品をみんな置いてあるんでしょうか。

あんなペラペラの紙を
大切に置いてあるんでしょうかねえ。
それはよくわかりません。

でもまあdoironは写真だけ撮って
物はこうして燃やします。
今回もしっかり燃やしました。

それがねえ、温かくてねえ。
横にベンチ置いて、
のんびり見ていたいものです。

今回は社務所のところでしゃがんで
すっかりその場であったまっていました。
でもあきませんね。
のんきに近所の知り合いなんかと
眺めていたら、
写真を撮るのをすっかり忘れてしまいました。
仕方ないので、
夕方に散歩ついでに
燃えカスだけを撮影しておきました。



まあ、なんだか正月明けて
ぼんやり暮らしすぎてますな。

猫にとっては発情期でも
高齢者にとっては
正月明けのぼんやり期かもしれません。

あ、脳梗塞ではないですよ。
そんな違和感はありませんから。

で、あしたはあの神戸の大震災から
22年目の日です。
なので最近のちょっと
ぼんやりした頭を覚ましに、
あしたは神戸を
いろいろ散策してきますかね~。


四国巡礼四十一番龍光寺

2017年01月15日 21時53分21秒 | ウォーキング

今回のツアーで最後に回るのが、

41番龍光寺です。



この寺を打てば、
菩提の道場愛媛県も残りひと寺です。

次回は4寺での遍路ツアーになりますから、
いよいよ我々も修行の道場
高知県入りとなりますねえ。
頑張ってお参りしておきましょう。

え~ここのお寺は山門が
鳥居になっているんですねえ。

そう四国八十八カ所の内、
唯一神仏一帯のお寺であります。
すぐ近くにあるのと
神仏一体とは少し違いますねえ。



山門の鳥居からずっと
上を見上げますと赤い鳥居の
お寺が見えていますので、



ここではそれを
絵にしておきましょう。



おっ、石垣に道標が印刷されています。



四国の道標は、
このほかにもいろんなものがあります。

例えば遍路道保存協力会なんかが
たくさん立てています。

石の道標は、
もともとは江戸時代に
四国を20回以上回ったという
大阪の「真念(しんねん)法師」が
200基以上設置したそうです。

それらは遍路石といわれ
いくつか確認されているそうです。

次回行く予定の38番と
39番の間にもあるそうです。

バスツアーなので
径路が違うかもしれませんが、
もし横を通ったりするんなら
案内してほしいなあ~。

この寺には七福神が座っていますよ。



え~ここは「十一面観音」が
本尊ですので、
大宝寺に続いて2寺目ですね。
しっかりとお経、真言を唱えておきましょう。





さあ、これで今回のお寺周りは
すべて終了です。



ではさっそく昼食に向かっていきましょう。



今回は宇和島の食堂を案内されました。



用意してあったのが、
このタイの舟守1個ずつ・・・



ではなくて、これは隣の席の
メニューでした。

こちらは宇和島名物
じゃこ天ののったご飯でしたな。

普通のごはんだったので
写真撮るのを忘れてしまったくらいです。

え~っとお寺周りはもう
お終わったので、
アルコールは大丈夫ですね。

トイレだけ気を付けて、
きっちり缶ビールをいただいときました。

首Dさんは節制のために
ここではビール抜き。

いやあ、今回のツアーで
この時にビールを飲んでいたのは
doironだけでしたねえ。

「般若はらみた~」とか
言いながら
しっかり飲んでおきましたぜ。

飯が住んでから、
時間があったので
お土産屋さんを見に行きました。



ここはまたこれまでとは
違ったいろんなものが並んでいます。

でもねえ、この時に買ったのは、
前回と同じく四万十川のノリでしたねえ。

で、見ていると、
きれいなおねいさんが
並んでいる高級そうな場所に
「真珠」が並んでいます。



「え~っと、この辺りは真珠が
作られているんですか?」

ときくと

「宇和島は真珠の生産高が日本一なんです」

というお返事が返ってきました。

伊勢とかじゃないんですね。

「記念におひとつどうですか?」
と言われたのですが、
さすがに値段がン万円。

「はあ~ちょっと持ち合わせがないので
やめときますわ」
「カードでもOKですよ」
「〇▽◇★×~」と逃げてまいりました。

さあトイレに行って、
帰宅に向かいましょう。

途中2カ所にトイレ休憩で寄ります。

最後に淡路島なんですが、
ここで前回買った玉ねぎ
カレースープがうまかったので
また買おうと思っていくと、
あれオレンジ色の玉ねぎスープを並べていました。



「あれ~、これはまだたべたことないなあ」
とおねいちゃんに言うと
「にこっ」と笑ってこういうのです。

「はい、この玉ねぎポタージュスープは
なんと、今日発売なんです」だと。



ウヒャーこれはもう買わないといけませんね。

でも味がわからないから
とりあえず一つだけ買いました。

かえって飲んだらgoodでしたので、
次回はしっかり買いましょう。

これで7回目の遍路ツアーも終わりました。
次回1月は4寺へと移っていく予定です。


四国巡礼四十二番仏木寺

2017年01月14日 21時30分34秒 | ウォーキング

この43番のお寺の名前は、
兵庫県の明石と深ーい関係が
何もありません。
今は「めいせきじ」という名ですが
かつては「あげいしでら」といってたそうです。

力持ちの若い女神が
石を持ち上げてつくった寺
と言われています。

なのでdoironも参道を
大きな石を抱えて歩いていきます。

というのはうそです。

たらたらと歩いていきます。
まあ、ここは昨日までのお寺と違って
楽に歩ける程度ですから、
高齢者の方もホッとしているでしょう。

人によっては、ここが今回最初の
お参りになっていたかもしれませんからね。

ここが途中にある「納経所」。



ああ、バスが二台止まっていたから
もう二組の添乗員が作業をしていますねえ。

記帳して、ドライヤーでうまく乾かして、
たたんでいく。
そして散華や記念札を預かってきます。
数は絶対間違えちゃいけませんね。

さあ、ここから最後の階段です。



これをのぼって本堂に出たらお参りです。



千手観音が本尊のお寺ですね。
そうそう、この寺は昔、
熊野から十二社権現を願い受けて
12坊の修験道場としていました。
ほう、最近結願した熊野とも
関連があるのですねえ。

では、弘法大師がどう絡んでいるか
というと、821年に
嵯峨天皇の勅願により、
彼が堂宇を再興したことによる
ものだそうです。

でも、本当に八十八ヵ所は
辺鄙なというか町はずれの場所が
多いですねえ。

弘法大師もよほど山手が
好きだったんですねえ。

この山は結構緑も深いです。
また紅葉もきれいので、







それを絵にしようかな
と思っていたのですが、
お堂の横にこんな立派な
夫婦杉もあったので、
今回はこれを描いてみることにしました。



ふむふむ、杉はこうして
書けばいいんやな。
写真を見ながら自然に筆を走らせていたら、
けっこう杉らしくかけたかなあ
と喜んでいます。

なんとなく、松、ビャクシン、
杉はコツをつかんだかもしれません。

まあ、この四国の絵ももう
50枚近く書いてるので、
それなりに自分の技も
少し身についたかもしれませんね。

ここのお寺でもしっかりとお参りし、
さて次は42番の仏木寺を
目指していきましょう。



西暦807年弘法大師は
牛を引く年寄りに出会い、
その人と休憩した大木に
宝珠がかかっていた。
なのでその大木で大日如来を刻み、
堂宇を建てたそうだ。

一つの宝珠が縁となり、
クスノキの木で本尊としたから
「仏木寺」の名前があるとのこと。

今は牛馬の守りだけでなく、
ペット全般の守護物としての
役割を持っているそうです。

周りは結構田んぼだらけのお寺だ。
なので、牛や馬の参る寺としても
なかなかふさわしそうなお寺だね。
グーちゃんのこともしっかりお参りしておこう。



ここでは何の絵を描こうか
といろいろと悩んだ。

天気は先ほどより雲が多く
日差しがあまり指してこない。
バスを降りてお参りするだけだが、
寒いもんだが何かあるはず
とにらんでいたら、
珍しいかやぶき屋根の鐘楼に
雲間から漏れる太陽の光が
差し込んでいる状態になっていたので、
よし、ではこの
「天使のはしご」のついた
鐘楼を書いてみようと思い立ったのだ。

まずは、あまり見かけることのない景色を
まずは鉛筆でデッサンを取り、
そしてまあ普通に頑張って
鐘楼を描いてみた。

そこに、水をたくさんつけた筆で、
太陽光の部分をこすって色を落とし、
グレイを流し込んでみたのが、
これ。



う~ん、あともうちょっとで
うまいこと描けそうなのになあ、
まあ、何とかこれも一つの
勉強絵として残しておくことにしよう。

そうそう曇り空の空の書き方も、
もう一つ勉強が必要やねえ。

ここの仏木寺は真言密教の最高神である
「大日如来」を本尊としている。
しっかりとお参りしておきましょう。

「おん あびらうんけん ばざらだとばん」
と真言を唱えます。

で、この時なんです。
doironの掛軸に
チョットトラブルが起こりました。
これがそのトラブルなんですが



普通はこんな風に書かれてあるのですが



この42番の所だけ
墨が少し上にはねています。



36番を書くときには邪魔ですよねえ。

納経する人がちょっとミスったそうです。
添乗員さんも困ってましたが
まあそういうトラブルもありますよねえ。

第一何を書いてあるのか
わからないくらいですもんね。

ええ思い出かもしれません。

さあ、では今回はのこりあとひと寺です。

続く


四国巡礼四十三番明石寺

2017年01月13日 21時37分30秒 | ウォーキング

44番大宝寺のある久万高原町は、
市町村に合併しているのではなく、
2004年に4町村が合併し
出来上がっています。



もともとは「久万町」でした。
で、その「くま」という名称は
どこから来ているのかというと、
「山の間」みたいな意味から来ているという、
あの「熊野」や「熊取」と
同じような物だという説と、
この寺に巡錫中の大師に
接待をした「おくま」という女性の
名前から来ているともいわれています。

先の岩屋寺に比べて
そんなに急でもなでい
林道が続き、その林道から山道に入って



ふうふうと上がっていきますと、
山の中に立派な山門が現れます。



こういう山の巨大施設には
なんかとっても驚かされますねえ。

建設した時の苦労がしのばれます。

この門には超巨大わらじが
ぶら下げられています。



100年に一度付け替えられるとか。

まあ、これも大変な作業なんでしょう。
そこから階段をのぼっていくと、



やっと本堂に到着です。

ここの本尊は十一面観音です。

観音菩薩の変化身だそうですが、
それにしても千手観音と言い
仏教は人としては意外な姿を刻む
仏像を生み出すのですねえ。

人の願いはそんなに奥深いものなのかなあ
と思ってしまいます。
もっとシンプルでいいのではないか、
といろいろお寺をまわっている間に
思うようになってきた気がしますね。

でもまあ、お遍路には
お遍路なりのルールがありますし、
そこにはdoironごときには気づかない
深いルールもあるのでしょう。

しっかりと
「おんまか きゃろにきゃ そわか」
と真言を唱えておきましょう。

本殿の跡は大師堂です。

この日のお参りはここまでなので、
時間に余裕があります。
なのでお参り後先達さんが、
ここでいろんな話をされていました。

でもお遍路ツアーも7回目となると、
聞いた話が多かったですねえ。

で、ここの絵ですが、
何を書こうかなとちょっと迷いました。
本殿と太子堂の間には
緑青を吹いた観音様が立っていますので



これにしようかなとも思いましたが、
ここはもう一つ特徴があって
寺内に鐘楼が二つあるので
それを描くことにしました。

こんな感じ。



この絵では鐘楼のバックにある
半ば枯れた林が書きにくかったですな。

帰りはまた坂道を下っていきます。
すると添乗員さんが、
片手がふさがるような形で
納経帳を下げてはります。

あ~あ、あのままこけたりしたら
大けがやでなあ
と心配してしまいましたなあ。

それにしてもみんなの納経帳や
掛軸を預かるというのも
過酷ですなあ。
うっかり抜けたり、
書き損ねてしまっても
大変やもんねえとか言いつつ
考えていたら、
翌日doironの掛軸に
ちょっとしたトラブルがあったのですが、
まあそれはその時にかきましょう。



明日は43番明石寺(めいせきじ)からです。

バスは、前回止まったのと同じ
松山のホテルへと向かいます。

ここは坊ちゃん温泉の
すぐ近くでしたねえ。

でもなあ先週見学にも
歩きまわったしなあ、
首Dさんも疲れてはったので、
この日は、風呂に入って
抜くもって、こんな食事で
満足して、あとは部屋で
ゆっくりとくつろぎながら
アルコール補充でしたな。

いやあ、遍路のくつろぎも
いいものです。

で、翌日は7時半出発で、
43番明石寺へと向かいます。

松山からだとかなり離れているので、
バスは結構走っていきます。

先達さんがその寺の
解説をしてくれました。

むかし、若く美しい女神が
願をかけて大きな石を
運び上げているときに、
夜が明けてしまいましたので、
それが長く語り継がれ
この名前の元となりました。

なので地域の古老たちはこの寺を
「あげいしさん」とか
「あげしさん」とか言って
今も読んでいるそうです。



続く


四国巡礼四十四番大宝寺

2017年01月12日 22時37分19秒 | ウォーキング

さあ、では難所と言われる
岩屋寺に向かって登っていきます。

川を渡るといきなりもう
結構な急傾斜が続いていきます。



出店のところにも
こんな張り紙が。



道はやがて山の中に入っていきますと、
こんな急な階段道も続きます。



この山には、当時
法華仙人という不思議な
神通力を持つ女性がいたそうです。
その女性が弘法大師に帰依し、
山を大師に献じて
この山が開かれました。

大往生した山道の途中には、
こんな石碑も多くありましたね。



でもねえ、ちょっと待ってくださいよ。

こんなに山の中のお寺なのに、
なぜこの寺の山号が

「海岸山」

なんでしょうか。

大岩山・・とかだったら
すぐにわかるのにねえ。

実はこの寺を開基した弘法大師が、
言った言葉にその理由があります。

この山の大きな岩頭にたち、
こう言いました。

「山高き谷の朝霧海に似て、
松吹く風を波にたとえむ」。



霧のかかった山並みが
海を連想させたんだそうです。
そのため山号を「海岸山」と
しているそうなんです。

さらに上へ上へと上がっていきますと、
境内の枯草狩りも



こんな重労働の様子でしたね。

そして右手に大岩壁が現れる頃になって、
本殿がようやく見えてきました。





いやあ15分くらいは登ったでしょうか。
あとで聞いたら高齢者の何人かは
途中であきらめたようです。

そうですよねえ、
いくら「同行二人」と言っても、
途中で気を失って
弘法大師と出会わなくてよかったですな。

ここの寺の周りの岸壁は、
オーバーハングして
すごい圧迫感で迫ってきます。


(再掲)

そんな中でちゃんとお参りをし、
般若心経を唱えておきました。

で、ちょっと横を見ると
岸壁に梯子がかかっています。



あああの岩をくりぬいたところは
どうなっているのでしょう、
と思いつき頑張って登ってみました。

下から見てたら大したことはない
かもしれませんが、
登ったらこのはしごも結構迫力物でした。

途中の岩の間や、
登り切った所などあちこちに
賽銭があげられていましたな。

僕も上げようと思ったのですが、
梯子の上で手を放して
財布を出す勇気がありませんでした。

拝むだけにしておきました。

ここの本尊は不動明王です。
真言は
「のうまく さんまんだ ばざらだん
 せんだ まかろしゃだ そわたや
 うんたらた かんまん」と長いですねえ。

そのあと大師堂でも
しっかりお参りをして、
さあこれで八十八ヵ所の
ちょうど半分をお参りした
ことになります。

長かったような、短かったような。

では先ほどの山道を
下っていきましょう。
すれ違う人には
「ようお参り~」といいつつ
下っていきます。

のぼりで見かけたお土産屋さんでは
あったかいお茶を接待してくれましたね。

ありがたやですなあ。

で、次は44番大宝寺へと
移っていきます。

山から下りて、
また別の山塊をのぼっていきます。

途中、めちゃ狭い田んぼ道を
スイスイとバスは駆け抜けていきますと、
山のふもとの駐車場に到着です。

この辺りは「久万高原町」と言います。



doironには初めて目に入る
自治体名ですねえ。

市町合併しているのでもなく
この名前のままです。
ていうか、愛媛県内の市町村で
最も面積の広いところです。

あの俳優の「藤岡弘、」さんの
出身地ですねえ。

その町の木は杉、町の花はササユリで、
それがマンふたにも刻まれています。

バスを降りて、
さあしばらく上りますよ
と行こうとすると、
もう添乗員さんは納経帳と軸を持って
はるかかなたの前方を
テクテク歩いてはりましたなあ。



やあ、大変ですなあ、お仕事。

道をどんどん上がっていきますと、
また高齢者が「あかんわあ」と
嘆いてはりました。

また弘法大師と出会いそうになりそうですな。

それにしても今回の2寺連続は
ちょっときつくて
可哀そうでしたな。

続く