ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

雲雀山に風が吹く 6

2017年01月28日 21時07分01秒 | ウォーキング

この辺りの山の道路は、
これまでと比べて
何となく車が通り抜けている
雰囲気がありますねえ。



まあ結構な密度で
ミカン畑がありますからね。





遠くに街の景色や、
おお~海の姿まで見えてきました。





と、ふと気が付きますと
この辺り風がすっかりやんでいますねえ。

太平洋の海の上を
ゴーゴーと吹きわたってきた風が、
ここまでどんどんやってくる
というわけではありません。

午後になって、ちょっと気候も
落ち着いてきたようです。

雲雀山には風が吹いていましたが、
このあたりから白上山と
言われる山域に入ってきます。

この山域のことを語るときに
必ず出てくるのが僧「明恵」であります。



鎌倉時代初期の真言宗の僧で、
法然を批判するなどの理論を展開したり、
独自の修行を確立した人
と言われています。



その人が24歳すぎの若い時に
3年間この白上山辺りで
修業を繰り返していた痕跡が
今も残っているのです。

下山する道を右に外れて
「明恵上人」コースへと入っていきます。

まあミカン畑と一体になっている山やね。



おっ、この辺りのミカンは
高級品かなあ。



一つ一つ黒い袋がかぶせられているぞ。
傷がつかないように
というのかなあ。

道にはこんな漆が生えていたり、



ミカン畑の中をうろうろ歩いたりしながら、



じっさいに歩いているdoiron自身も
方角がもうめちゃくちゃになってきました。



まあ、いったい自分は地図の
どのあたりにいるのか
もうよくわからないような状況になっています。
さぐればわかるんでしょうが
まあ道標もありますから
信用しておきますかね。

とまあ思い始めたころ、
ようやく明恵の東白上遺跡の
ところにたどり着きました。



もともと彼はここの西側で
修業をしていたそうです。
しかしそこだと波打ち際の音とかが
よく聞こえるので、
ここへ移ってきたら静かで
しっかりと修業ができた
とのことである。

こういう卒塔婆や修行の岩石が
今も残っているのです。





彼は真言宗の僧である。

般若心経なんかもここで
唱えていたのかなあ。

では、彼の思考を遮った波の音が
聞こえるという西白上遺跡に
行ってみましょう。



ここがその部分の入口。



そこからズズーイと中に入っていきますと、
おお~遠くに海の見える場所に
こんな卒塔婆が建っていました。



なあるほど、
ここなら場合によっては
激しい波の音や吹きすさぶ
風の音も聞こえてくるでしょうねえ。



でも、まあdoironにしてみれば、
こういう眺めの良い場所のほうが
いろんな考えが浮かんでくるだろうし、
思索に関してもよさそうな気がするのですがねえ。



いやあ、やはりあかんのですねえ。
このあとかれは仏光観という
観相法を作り上げたそうです。

仏の体から出る光を観想し、
それによって「空」の境地に入る
というものだそうです。

むむ~なんかよくわかりませんね。

そして晩年の明恵は
もっぱら光明真言の普及に
精力を注いだそうで、
いずれにしてもこの白上山は
神域な雰囲気と地域のミカン産業が
入り混じった、独特の雰囲気のある山でしたね。

そうそう明恵のもう一つの実績は、
茶の実を宇治に植えられ
茶の祖になったというのも、
大きな出来事でありました。
山歩きの時には欠かせないお茶ですねえ。
マラソン、トライアスロンのころも
しっかり助けられましたねえ。

さあて、ではここから
海辺のほうへと下っていきましょう。



あんなに吹いていた風もすっかりやみ、
寒さもましになってきています。

こういう寺の防火水槽を抜け、
なおも下っていきますと、
施無畏寺に到着します。



このお寺は上人のおじが
「上人を開山と仰ぎ、無畏(おそれなし)を施す寺」
として建てたものだそうです。



この栖原の地元では
きっと熱い支持を得られているんでしょうねえ。

その、地元の栖原の街に下ってきました。
湯浅湾のスケールの大きな海の
景色が最高ですね。



ここ栖原はどういう街なのか。

続きます。