ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

四国巡礼四十三番明石寺

2017年01月13日 21時37分30秒 | ウォーキング

44番大宝寺のある久万高原町は、
市町村に合併しているのではなく、
2004年に4町村が合併し
出来上がっています。



もともとは「久万町」でした。
で、その「くま」という名称は
どこから来ているのかというと、
「山の間」みたいな意味から来ているという、
あの「熊野」や「熊取」と
同じような物だという説と、
この寺に巡錫中の大師に
接待をした「おくま」という女性の
名前から来ているともいわれています。

先の岩屋寺に比べて
そんなに急でもなでい
林道が続き、その林道から山道に入って



ふうふうと上がっていきますと、
山の中に立派な山門が現れます。



こういう山の巨大施設には
なんかとっても驚かされますねえ。

建設した時の苦労がしのばれます。

この門には超巨大わらじが
ぶら下げられています。



100年に一度付け替えられるとか。

まあ、これも大変な作業なんでしょう。
そこから階段をのぼっていくと、



やっと本堂に到着です。

ここの本尊は十一面観音です。

観音菩薩の変化身だそうですが、
それにしても千手観音と言い
仏教は人としては意外な姿を刻む
仏像を生み出すのですねえ。

人の願いはそんなに奥深いものなのかなあ
と思ってしまいます。
もっとシンプルでいいのではないか、
といろいろお寺をまわっている間に
思うようになってきた気がしますね。

でもまあ、お遍路には
お遍路なりのルールがありますし、
そこにはdoironごときには気づかない
深いルールもあるのでしょう。

しっかりと
「おんまか きゃろにきゃ そわか」
と真言を唱えておきましょう。

本殿の跡は大師堂です。

この日のお参りはここまでなので、
時間に余裕があります。
なのでお参り後先達さんが、
ここでいろんな話をされていました。

でもお遍路ツアーも7回目となると、
聞いた話が多かったですねえ。

で、ここの絵ですが、
何を書こうかなとちょっと迷いました。
本殿と太子堂の間には
緑青を吹いた観音様が立っていますので



これにしようかなとも思いましたが、
ここはもう一つ特徴があって
寺内に鐘楼が二つあるので
それを描くことにしました。

こんな感じ。



この絵では鐘楼のバックにある
半ば枯れた林が書きにくかったですな。

帰りはまた坂道を下っていきます。
すると添乗員さんが、
片手がふさがるような形で
納経帳を下げてはります。

あ~あ、あのままこけたりしたら
大けがやでなあ
と心配してしまいましたなあ。

それにしてもみんなの納経帳や
掛軸を預かるというのも
過酷ですなあ。
うっかり抜けたり、
書き損ねてしまっても
大変やもんねえとか言いつつ
考えていたら、
翌日doironの掛軸に
ちょっとしたトラブルがあったのですが、
まあそれはその時にかきましょう。



明日は43番明石寺(めいせきじ)からです。

バスは、前回止まったのと同じ
松山のホテルへと向かいます。

ここは坊ちゃん温泉の
すぐ近くでしたねえ。

でもなあ先週見学にも
歩きまわったしなあ、
首Dさんも疲れてはったので、
この日は、風呂に入って
抜くもって、こんな食事で
満足して、あとは部屋で
ゆっくりとくつろぎながら
アルコール補充でしたな。

いやあ、遍路のくつろぎも
いいものです。

で、翌日は7時半出発で、
43番明石寺へと向かいます。

松山からだとかなり離れているので、
バスは結構走っていきます。

先達さんがその寺の
解説をしてくれました。

むかし、若く美しい女神が
願をかけて大きな石を
運び上げているときに、
夜が明けてしまいましたので、
それが長く語り継がれ
この名前の元となりました。

なので地域の古老たちはこの寺を
「あげいしさん」とか
「あげしさん」とか言って
今も読んでいるそうです。



続く


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