ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

四国巡礼六十八番神恵院

2016年10月21日 20時45分30秒 | ウォーキング

「ふえのねも 
 まつふくかぜも
 ことひくも
 うたうもまうも
 のりのこえごえ」

四国八十八か所のお寺には、
それぞれのご詠歌(えいか)があります。

寺の様子などを五・七・五・七・七の
和歌にうたい、
お寺の教えなどを唱えるものです。

今回ここに挙げたご詠歌は
第68番神恵院のものです。

昔、九州宇佐の八幡大菩薩が
琴の調べとともに聞こえてきて、
それをまつったところから
この神恵院が生まれているので、
そんなところから生まれた
ご詠歌なんでしょう。

八十八か所、
それとなく教えなどが
織り込まれたご詠歌が多い中で、
ここのは人々の暮らしの
ある一面をさりげなく歌った歌として、
ご詠歌らしくなく
それでいて作った人の思いのこもった
いい和歌になっていると思います。

絵のほうはと言いますと、
観音寺のすぐ横で、
白い拝礼堂を持った神恵院の本殿と



太子堂を描くことにしました。



それがこれ。



現本堂には交通厄除地蔵尊も
安置されているので、
市の交通安全セーフコミュニティを
やっているdoironとしては、
いつものお願い以外に
そちらのほうもしっかりと
唱えておきましょう。



般若心経などすべてのおとなえの
のちに個人の合唱祈願の時が少しあります。

そして1山2寺の最後が
神恵院の太子堂です。
絵にも描いてあるように、
ここのお堂もしっかりとしていましたね。

扁額の「弘法大使」やカーテンの中の
薄明かりが絵をかくときに
一番力を入れたところでした。

さて、これで4寺終わりです。
普通でしたら、ここから宿に
向かう予定でしたが、
残り時間も考えたら
翌日のお参りを楽にして
早く帰れるようにと、
もうひと寺前倒しで
今日中に回ることにしたようです。

まあ、そのほうが我々も助かりますね。

宿についたら、宴会だけですもんね。

ここから次の第67番大興寺までは
少し距離がありますので、
トイレを済ませて向かいましょう。

途中、先達さんがこれまでの
先達の中でのいろんな話を
してくれたのが面白かったです。

そうこの先達さんは
高野山の何とか寺参与とおっしゃってました。

どんな位置づけかよくわかりませんが、
何かの役をされている人なんでしょう。

高野山では奥の院の奥に
今も空海さんが住んでおられるようです。
そう、かれは高野山奥の院の
霊廟に生きたまま入り、
今も禅定を続けておられるそうです。

なので、お坊さん方は一日二回
ご飯を届けているそうです。

そんな給仕の時にお坊さんの一人が
ある一言をのこしてくるそうです。

それは何というかわかりますか?
というクイズが先達さんから出ました。

う~ん、なんというんでしょうか。

「おあがりください」は変だしなあ。
なにか梵字に関する言葉を
唱えるのでしょうか。

しばらく考えさせた後、
答えが出てきました。

「くうかい」というそうです。

まあ、これは洒落ですねえ。

それから先達さんは、
これまでの先達の使いの中で
偶然会った出来事も教えてくれました。
あるとき104歳の男性が、
巡礼メンバーの中にいたようです。

まあなんとなく歩けるので、
注意しつつ見守っていたそうです。

そしてバスの中で、
ある男の人の話をみんなにしたそうです。
人と人の出会いの話でした。

一通り話し終えて、
さあ次のお参りについたぞと
巡礼者たちを案内し始めると、
その104歳のおじいさんがこう言いました。

「先達さんが今、人と人の
出会いの話をしたなかに
登場した男性というのが、
じつは私なんです」とのこと。

先達さんは腰が抜けそうになるくらい
驚いたそうです。

名前を確認したらまさに
その男性だったそうで、
こういう驚きの出会いもあるもんだ
と驚いたそうです。

続く


四国巡礼六十九番観音寺

2016年10月20日 22時15分39秒 | ウォーキング

本山寺の仁王門は
重要文化財だそうです。



この仁王門は八脚殿という立て方で、
がっしりとした山門でしたね。

それを通り抜けて、中へ入っていきますと、
カバーのかかった5重の塔や



本殿があります。



本山寺のご本尊は、
四国霊場で唯一の馬頭観世音菩薩です。

といっても馬のような顔をした
観音さんというわけではありませんよ。
まあ、観音さんは静かな顔を
しているのが多いのですが、
馬頭観音だけは怒りの表情です。

また、馬頭という名から
馬の守護仏として扱われる
民間宗教もあるようです。

お四国ではお参りをするときには、
本尊では般若心経を上げた後は
ご本尊の真言を三回唱えます。

たとえば、よくある薬師如来は
「おんころころせんだりまとうぎそわか」
とあげます。

同じように馬頭観音にもご真言があって
「おんあみりどどはんぱうんぱったそわか」
とあげると、
お参りテキストに刻まれています。
う~ん、むつかしいですねえ。
なんかドラえもんが出す
特別なグッズのような名前です。

でもまあご真言ですので、
つつしんで唱えましょう。

太子堂ではこのご本尊御真言は唱えません。
でも大使宝号はきちんと
「南無大使金剛遍照」は3度唱えます。

この宝号は、空海が唐の国へ
「密」を授かりに行ったときに、
向こうの青龍寺の和尚恵果に
授けられた宝号だそうで、
当時の最高の宝号だそうです。

20年間唐の国にいて
密教を学ぶ予定だった空海に
たった2年で最高の宝号を
与えられるようになったのは、
いかに空海の密教への気持ちが
強く高かったことを表しているようです。

しっかりとすべての
お参り行事を終えたところで、
2寺目も終わりです。

では、次のお寺に参りましょう。
次はここから近くにある、
海辺の寺です。

ここは2寺あるのですが、
それもまた一つの特徴になっています。

ここは四国霊場で
唯一の1山2寺の形式になっているのです。

お寺がくっついていて、
そこ一か所で2寺回った形に
なるところです。
お得ですね~

巡礼では第69番観音寺の
本殿~大使殿、
68番神恵院の本殿~大使殿と回っていきます。
おお~ようやく60番台に入りました。

まずは山門です。





表示を見てみると、
そこには観音寺と神恵院の
二つの名前が書かれています。

これはまず一つの特徴ですね。
まずはこの写真を69番の
絵にしときましょう。



描くにあたって重きを入れたのが、
山門の両脇にいる仁王さんです。

向かって右の仁王さんの右手に注目。
力強く「パー」と開いている手が
肝なんでしょうが、
ちょっと絵が小さくてしっかりと
描けなかったのが少し残念です。

まあ、またこの辺もこれから
上達していければなあと思っています。

ここのお寺を神恵院とともに
開山したのが、
日証上人と言われています。

上人が九州の宇佐八幡宮神を
琴弾八幡宮にまつり、
その別当寺として設けたのがこの寺で、
そこを「観音寺」と空海が
名付けたというお寺です。

あの善通寺と同様に
寺の名前が「市」の名前
にもなっていますね。

ま、大阪でいえば「藤井寺」
のようなものですねえ。

この観音寺はいまも
「おかんおんさん」と
地元の人に親しく呼ばれ
信仰されています。

釣鐘のさざ波模様や裏天井模様は
見事だと言われていますが、
ああ~こちらはチェックし忘れました。

本殿の朱色の柱は
ちゃんとチェックしましたよ。



ここの色は見事に鮮やかで、
国指定の文化財となっています。

またここは、空海が唐から
密教を持ち帰った直後、
この地に巡錫した時に
第7代目の住職になった
という寺でもあるのです。

ろうそく、線香、納札を
しっかり納め、お参りを済ませ、
すぐ横にある第68番神恵院へと
続けて参っていきます。

続く


四国巡礼七十番本山寺

2016年10月19日 21時05分44秒 | ウォーキング

一瞬の晴れ間に第七十一番弥谷寺から
見渡した景色がこれです。



なかなか山の中でひっそりと
たたずむ静かなお寺ですねえ。

お堂もこんな山の斜面に
面して建てられています。



靴を脱いで中に入ると、
こんな石堂がお堂の奥にありました。



ここは空海が修行を
した場所らしいです。
ここで空海は真言を唱え
五鈷杵を抱えながら



密教の様々な活動に
いそしんでいたのでしょう。

こういうお寺の中の石堂なんかは、
表面の岩がお香の煙なんかで
いぶされて独特の色をしていますねえ。
静かな境内に読経がどこからともなく
聞こえてきそうです。

さあ、ではdoiron達は
今回の最初の巡礼行動です。
しっかりと般若心経を含めた
仏前行動をしていきましょう。

18寺目のお参りです。
どこのお寺でも本堂、太子堂を
きっちり回ってお参りをします。

一月ぶりのお参りですが、
なんとなく読経をしているときの
気持ちがちょっと懐かしい気がします。
いいことあるかなあ。

いつも同じ祈願を描いた
おさめ札も収めてきました。

終わったら、さっき上ってきた
階段を下っていきます。
でもここで先達さんより
一言注意がありました。

最初の階段250段くらいは
絶対振り向いてはいけないんだそうです。

振り向いたおかげで、
何かが着いて降りてきた
なんていう話が度々合ったそうです。
いやあ、これはもう何があっても
振り向いてはいけませんね。
後ろから話しかけることもダメですねえ。

でもねえ、
ほんとにここで雨が降ってなくて
よかったです。
雨上がりのその時でさえ
階段を水が流れているので、
もし降雨中だったら
水浸しの階段を
泳ぎながら上がったり
下ったりしないといけなかったからねえ。

まあ、普段の行いでしょうて、へへ。

そうしてまあ、
500段以上の階段を
上って降りて、高齢者で
シャトルバスなんかと思った人には
ちょっとしんどかったかもしれないお寺でした。

我々は?当然余裕です。
はあはあ。

さあ、とりあえずこれで
ひとつ終わりましたよ。

次は、第七十番で四国霊場唯一の
馬頭観音が本尊の「本山寺」にまいります。



しばらくバスに揺られていくのですが、
やがて雨が再度降り始めました。
それに加えて「雷」までなっています。

ウヒャー、こんなひどい中でも
行くのでしょうか・・・
なんて思いながら、駐車場に到着です。

うまい具合に、大雨は中雨に変わり、
雷も遠くなってきました。
まあ、これで行けるでしょう。

先ほどまでのあんな天気の中を
行くというのには、
雷鳴が響く中、海に入っていった
トライアスロンを
思い出してしまいますね。

本山寺は、四国霊場八十八か所の中で
五重の塔がある4つのお寺の一つです。

86番の志度寺ではその5重の塔を
絵にしましたので、
ここでもその絵を描こうと
最初から決めていたのです。

志度寺から15寺ほどお寺の
絵かきが進んでいるので、
どんな絵になるかなあ
というのに期待していたのですが・・・

な、なんとこの時の本山寺の五重の塔は
補修中で、全体に白いカバーが
びっしりとかけられていたのです。

残念。

ということは予定がすっかり
くるってしまいました。
後の景色も雨の中で、
なかなかいいアングルがありません。

どうしようかなあと考えた挙句、
五重塔のカバーと一緒に回っている
首Dさんがうつっている
仁王門の絵を描くことにしました。

赤いポロシャツを着ている姿を
バックから撮影した絵がこれです。



仁王門の屋根の向かって
左のほうにちょろっと書いてあるのが、
5重の塔の白いカバーです。



「平成大修理」と名付けられた
この修理は、今後の百年を見越して
行われているそうです。



残念ですが、100年後の参拝も
あきらめてお参りだけはきっちりと
行っていきましょう。

続く


四国巡礼七十一番弥谷寺

2016年10月18日 21時18分35秒 | ウォーキング

四国詣でも9月で
第4回目を迎えている

1回目、2回目は日帰りで3寺ずつ、
そして三回目は一泊二日で
11寺を回り、
これで合計17寺を
回ったことになる。

おお~頑張ってるもんだと思うが、
八十八カ所というゴールを考えると
まだ2割も回っていないんだよね。

く~!少しずつ少しずつ
こうして積み重ねていくしか
ありませんね。

四国というのは、
行政的には徳島、高知、愛媛、香川の
四県でできていますが、
遍路でめぐる「お四国」は、
発心、修行、菩提、涅槃の
4つでできています。

第一番のお寺から順番に回るのが、
お四国らしくて
いいのかもしれませんが、
ただお大師さんとの出会いを考えたら
doiron達が回っているように、
第八十八番からの逆回りが
いいともいわれています。

まあ、つまり言って見れば、
いきなりの涅槃で悟りを開き、
次の菩提で打ち込んでいく、
そしてさらに修行に打ち込んで、
心を開いていくという順番であるから、
逆に仏になっていくのではなく、
さらに人間らしくなっていく
という遍路となっているのだろう。

人が仏になるのではなく、
仏がより人へと向かって
戻っていくという感じだな。

今回の遍路では、
ついにその香川県のお寺が
終わることになる。

涅槃の時を終えて、
菩提の愛媛へと入っていくのだ。

「お四国」の二国目だね。

今回も一泊2日で、
遍路で回るのは7寺となっている。
直前になって、台風の動きも怪しいが、
まあバスで移動だから
何とかなるだろう。

天気予報をよく見ると、
雨模様も何とかひどくならなさそうだし、
前回は長靴でいったけど、
今回はちょっと厚めの靴で
行けるだろう。

午前8時20分に
難波駅に集まりバスはスタートした。

前回は20人くらいの参加で
席は余裕でしたが、
今回は45人のフル参加である。

まあ、頑張っていくことにしよう。

ほかの地点を出発するバスと
2台で、今回のお寺を
回ることになっている。
まあ、特に一緒に行動
するわけではありませんけどね。

雨の中を出発した。

今回の巡礼寺の位置は
瀬戸大橋のたもとあたりになるので、
これまでの淡路島経由と違って
瀬戸大橋経由かなと思ったが、
バスはこれまでと同じ
明石海峡大橋を渡って進んでいった。

う~ん、この景色はもう見飽きたなあ。

それに雨だし、
景色もそんなにいいものでもないので、
首Dさんと二人車内で
買い込んで入った新聞を読みながら
すすんでいくのでありました。

最初の休憩所まで約2時間を経過。

ここからまだ2時間近くかかるという。

最初のお寺が遠くなるにつれて
生き返りの移動が長くなりますねえ。

でもまあ心配していた
トイレもなんとかクリアできることも分かり、
バス移動も近頃はちょっと一息です。

このお参りの最初は、
昼ご飯から始まります。

雨がやみ始めた中、
最初に着いた食堂は
「いやだに温泉 大使の湯」と
名前の付いたリゾートハウスです。





昼食はこんな感じで、



ちゃんと「食事作法(じきじさほう)」
に基づいて食べます。

う~ん、うどんがやはりメインかな

そして、いよいよ最初の巡礼、
その食堂の近くにある
第71番弥谷寺に向かいます。

ここはなんと540段以上の階段を
上るといいます。
足の悪そうな人も来ているので
大変そうやなあと思ったら、
別途750円で370段くらいは
シャトルバスで送ってくれるそうです

doironたちは歩いて登りましたが、



足の不自由な人や高齢者などは
シャトルバスで上がっていきます。



山の中腹にあるので、
大きな石の横についた
山の階段道を上がっていきますと、
途中の石にりっぱな
磨崖仏がいくつも刻まれています。



なかでもこの三像が有名だそうなので、



この寺の絵はこの三像を
絵にすることにしました。

これ。



山の斜面に斜めに走る断層が
その三像をさらに際立たせていましたとさ。

続く


消えたおじチャリ

2016年10月17日 20時50分27秒 | 最近の出来事

え~、今年の祭りはけが人もなく
とてもいい祭りでした。
doironも神社でお祓いしたこともあって
数回だんじりに乗って楽しみましたしね。

世話人会会長として
祭りの準備から
祭り中の人の手配
食事の用意の手配など
様々な用事も済ませたしね
まあ、やれやれでした。

そして祭り翌日は片付けです。
まあそれも無事に済ませ、
では祭りの打ち上げの
落索にいくというところで
ブログを終えていました。

その宴会はとても賑やかに過ぎていき
さあて、二次会で町内にあり、
他町の祭り関係者が
経営しているお店に行き
大カラオケ大会を始めました。
翌日は平日なので
現役で仕事をしている者には
大変だったでしょうが、
まあこの辺も祭りの一部だと
大騒ぎです。

まず最初のほうで歌わされて
あとははじけるみんなの姿を見て
笑っていたのです。
そして12時ころになって
では、来年の祭りも
みんなで楽しもうと手拍子1拍で
さあ帰ろうとしたときに
事件が起こったのです。

さあ、自転車を押して帰ろうと
自転車を探していたら

あれ?

あれあれ?

自転車がない~

doironの初代のおじチャリがないのです。
これはもう盗まれたに違いありません。
それかどうもチャリンコ置き場で
鍵をしていなかったというか
鍵をかけていてもキーを抜いていなかった
かもしれません。
ということは、
先に帰るよといって帰っていった村の人間が
間違って乗って帰ったかもしれません。
とりあえず、仕方ないので
歩いて帰りました。
すぐ近くのみせだったので
それは全く問題ないんです。

チャリにはミセスの名前が書いてあるので
もし間違ってたら連絡あるはずです。

でも、連絡はありませんでした。

仕方ないので、現在のおじチャリに乗って
近隣の5駅までの道周辺を
半日かけて探し回りましたが
やはりありません。

自転車乗りながら
きょろきょろ見て回るだけで
ちょっと世間には気を使いますが
仕方ありません。
でも結局は出てこずでした。

あ~あ、もうおじチャリ1号は
このまま行方不明なんでしょうか。
同じ村の中なのであんしんしてたのか
ロックに中途半端だったのが
いけなかったようです。
ごめんね、おじチャリ。

貼り付けたカードでこちらの連絡先も
書いてあるのでもう少し様子をみてから
連絡がなければ
こんどはもう少し小さなサイズの
ミセスも簡単に乗れる
「おばチャリ」を買いに行こうと
考えている今日この頃です。


ほぼ還 大学同窓会5

2016年10月16日 20時57分02秒 | 最近の出来事

このキリコ会館でお土産を買いました。
塩とか塩昆布とか塩とか…

安いものばかりですがね~

あ、小さな七味も買いましたよ。

何台も並ぶキリコの飾りを
じっくり眺めて、
ああ~これで満足です。

ついつい帰ってから始まる
我が町の祭りに思いを
はせてしまいましたねえ。

再び朝市会場に戻り、
「永井豪会館」の建物のみを眺めたり、



朝市会場を見守る
市姫様の社なんかも眺めてみました。



これはどうも石うすでできた
灯篭らしいです。



車に戻って、さて次は、
このあたりでは有名な能登の
「千枚田」を見に行きましょう。

車に乗って海岸線添いを
能登の奥のほうに向かって
進んでいきますと、ありました。

さすがに有名スポットですねえ、
離れた場所にも駐車場が点在しています。
この日も休みだったのですが、
さすがに大雨で人出は少なく
目の前の駐車場に
普通に入れましたねえ。

これが、その斜面を使った
「千枚田」です。



稲刈り前のたわわな季節の
光景ですねえ。



あ、そういえば昼飯を忘れてました。
昨日から今朝にかけても、
なにやらいっぱい食べたので
おなかはもうかなり充足していますが、
まあ何かあればここで食べましょう。

ということで、みんなでうどんを
いっぱいずついただきました。



あ、4人で1杯を分け合ったんじゃ
ないですからね。
飲み友達はもうビールを飲んでましたが・・・。

doironは運転なので、残念である。

車を転がして、
次はトライアスロンの
ランの折り返し地点にある
「見附島」を見に行くことにしました。

ここはあの高僧「空海」も
関連する場所です。

その昔、唐で密教を学び
それに関連するものを
日本に持ち帰ろうとしたときに
唐の人間に返せと迫られたそうです。

結局宝力をもって
日本に投げ返したそうです。

それが、この島あたりに
届いていたという話で
その古物を見つけたから
「見附島」になったといわれています。

空海も各地に話を残していますねえ。

でもこの見附島は
なかなかの迫力のある島ですよ。
それがこれ。



これはいいですねえ。

写真もいっぱいとって
必ず絵にしようと思いましたね~
(まだ描けていませんが)。



で、ぼちぼちいい時間にも
なってきました。

その日の宿である
「氷見市」に向かいましょう。

土砂降りの雨の中
車を走らせていきますと、
超たくさんの自転車が走っています。

どうもツーリング形式の
レースをしているようです。

いや~こんな雨の中の
レースって大変そうですねえ。

そういえばこの辺は
トライアスロンでも
自転車コースだったのかもしれません。

考えたら自分もこんな目に
何度も合いましたもんね。

楽しむのも大変ですなあ。

かなり走って「氷見」の宿に到着です。

うわ~いいなあ。
巨大な露天風呂でのんびりしました。
ほんというと、
この風呂から剣、立山などの
高峰が富山湾越しに
見えるそうなんですが、
残念この日は富山湾でさえ
霧にかすむほどの荒天でした。

そして夜はまたまた宴会です。
前夜祭に出た奴なんかは
三日連続の宴会でしたね。

みんなそれぞれの人生を
しっかりと語ってくれました。

こうしてほぼ還暦おじさんの
同窓会アンドそのオプション会も
大満足で終わっていきました。

翌日は富山で2人を下して、
残りの一人をつれて
彼の家である名古屋に向かいました。

本来はそこでもまた
泊めてもらう予定だったのですが、
台風が来ているので
もうおろすだけおろして
doironも帰宅です。

しかし3連休の最終日です。
予想通り道路は大渋滞。
神戸を中心に35キロ渋滞の中を
たらたらと帰りながら、
今回の楽しかった旅の思い出でに
浸っていたdoironなのでした。

終わり


ほぼ還 大学同窓会4

2016年10月15日 21時55分07秒 | 最近の出来事

先日、大阪の彫刻を見て歩いた時に、
キリコの彫刻を見て、
ネットで調べているうちに
偶然に輪島のキリコ会館を
知ったのでそこに行ってみたい



と希望を出したら、
じゃ、そこにも行こうということで
まずは、「輪島」へと向かうことになりました。

あ、まずその前に金沢を出て
最初に向かうのが「千里浜」です。

きめの細かい砂でできた浜で、
普通の乗用車が砂の上を
走ることができるところです。



こんな感じ。



そう言えば、友達が合コンで
知り合った女の子とデートで行くねん
と言ってレンタカーを借りたのですが、
降られてここに一緒に
行ったことがあります。

まあ、その友達にはちょっと悲しい
ビーチでしたね。

アラカンのおっさん四人が
へへーとか言っていくという
ところでもありませんけどね。

さてそこを出て、
のと里山街道を走り、



能登道路へと進んでいきます。



こうして能登の専用道を走っていると、
高い山はないけど
結構奥深そうな感じの山地が続きます。
コースの取りようで
立派なトレイルレースができそうな感じ。
もうすでにそんなレースもあるのかなあ。

doironがトライアスロンを始めた
初期のころに、この奥の珠洲で
開催されるレースに出たことがあります。
距離はフルレースの半分で、
2キロ、90キロ、ハーフでした。

息子もやってきて
家族の応援を受けながら
頑張りましたね。

これがねえ、意外に成績が良くて
このレース以降宮古がすぐに
OKになりました。

申し込み実績かもしれんけど、
当時フルトライアスロンは
実績もないとなかなか出れなくてね、
このレースがdoironの
フルトラ出場のきっかけとなったのでした。

そんな話を同窓生に
ちらほら話しながら、
最初の目的地輪島に向かうおっさんでした。

車のCMみたいでしょ。
「やっちゃえ、おっさん」
「来てるねえ、おっさん」



前方に日本海の海が見え始めて、
ようやく輪島につきました。

キリコ会館の近くには、
「輪島の朝市」がありますので
そのあたりに車を止めて
歩いていきましょう。

お、これが輪島のマンプレです。



ん?こ、これはカキどん、
あるいはホタルイカ丼?
何かの丼かなあと思ったら、
違いました。
このあたりの名物である
「輪島塗」のどんぶりと箸が
デザインされているのですねえ。
この辺りにはこんなお店があったりします。



それともう一つの種類の
マンプレがこれ。



そう、輪島朝市をかたどったものですねえ。
その朝市がこれ。



こんなお酒のつまみになりそうなものも
いっぱい売ってます。



大体12時くらいに
店は閉まるようですねえ。
よく売れた店ではこんな風に
片づけたりするのかなあ。



そんな風景を眺めながら、
さあでは海のほうにある
「キリコ会館」へ向かいましょう。



「キリコ」というのは、
灯篭の一種で、昔は笹キリコ
といった小さいものが
どんどん巨大化していって、
高さ10m以上もあったりする物もあります。

その総輪島塗のキリコが
この会館の中に並んでいるのです。
それが、これ。



でっかくておどろき
なんとこのキリコは能登半島に
大小800基以上もあり、
いまも7月から9月の間で
約180ものキリコが
曳行されるそうなのだ。

でもねえ、そんな祭りは
あまり見たことないよねえ、
だれがいつ、どこに向かって
何を祈願に行うのか
全然わからない。

あまりマスコミなんかでも
取り上げられてないんやないかなあ、
いちど、
能登の村でこういうキリコを
大きく引っ張る祭りを
NHKなんかでも
しっかりとらえてほしいよなあ。

もう特集なんかを
やったのかもしれんけど
あまり記憶にありません。

奥能登の祭りにかけるAさん一家の出来事
みたいなね。

続く


ほぼ還 大学同窓会3

2016年10月14日 21時43分59秒 | 最近の出来事

友達が見せてくれたのは、
なんとあのドーナッツ屋の写真でした。

「ここで何があったか覚えてるかあ」
と言います。
「え?ちょっと待ってや。それはこれやろ」



と先ほど撮った写真を見せたら
もう大騒ぎでした。

「多分みんな忘れてるやろから、
みせて思い出させようと思って
自分で記念に写真撮っといてん」
というと、全員腹を抱えて
笑い転げていました。

みんなきっちりあの事件のことを
青春時代の楽しい思い出として
きっちり覚えてくれていたんですね。



ま、唯一違っていたのは
doironが夏休みにやった
ごみ収集のバイトの時に
そのドーナツ廃棄の情報をつかんだと
思っていたことでした。

あれはドーナッツ屋のバイトの友達
から仕入れたものですからね。

いやあ、でも夏休みにそんなバイトを
していたこともよく覚えてくれてたものです。

ほんとにもう
みんなの記憶は大したものです。

そしてその前夜祭の時に一人がネットで
doironを調査したそうです。

そしたら、マラソン、トライアスロン、
ウルトラマラソンの結果が出てきたり、
絵の話が出てきたり、
議会の答弁まで出てきたりして
「こいつは何をやってんねん」
という話になったそうですわ。

そして、なんと「なにこれ珍百景」の
話も出てきたりして
「ああ~、これ見た」という話が
教授か助教授からも出たそうで、
もう全くわけのわからん人間に
なっていたようです。

テレビは仲間も何人か見ていたそうで、
いやあテレビってすごいですねえ。
もう全くdoironの人生は
意味不明だったようです。

またほかにも、夜中に歩き回った話や、
真夏にごみ収集のバイトをしてたら
スプレー缶が爆発した話や
雪の始まった穂高を上ってきて
真っ黒けのひげダルマで
学校に来たりした話。
学生がよく集まった餃子屋の掛け声で
応援歌を作って
ソフトボール大会に出た話
なんかも次々出てきて
大盛り上がりだったそうです。

「当時、あんなにめちゃめちゃだったお前が、
昨日の前夜祭にきてたら
もっとハチャメチャやったのになあ」
とみんなに叱られました。

あんなにも当時のことが
みんなの記憶に残っていたとはねえ。

もう出だしからそんな
おおざっぱな感じですから、
同窓会はとても楽しかったです。

それからみんなの話を聞くと
転職もたくさんあって面白かったなあ。

自己紹介で驚いたのは、
「みんなは今頃製紙会社で働いている私を
想像していると思いますが、
いまはなんと私立保育所の校長先生をしています」
という仲間の話が印象的でした。

かれは優しい仲間で、
doironが車の免許を取りに行ってる時に
自分の車で練習をさせてくれました。

そしたら、それがあと数センチで
別の駐車している車に
激突寸前で停止という事件が発生。

あの時の緊張感は今も忘れてない
といっておりましたな。

もう考えたら今は品行方正の
大人なのにね、
若いときはもうどんな人間だったのでしょう。

よくもここまで無事に
暮らしてこれたものですな。

そうそう、この同窓会で
驚いたことがもう一つあります。

連絡のついた学生、並びに
当時の教授、助教授も含めて
全員がまだ存命であるとのことです。

中学、高校の同窓会でも
もう亡くなった人は何人かいましたが、
ここではみんな元気でした。

当時のあのドーナッツが
聞いたのかもしれません。

ま、危うくdoironが一番先に
あの世に行ってたかもしれませんがね。
もしいなかったら、
もっと言われていたかもしれませんね。

まあ、みなさん、次回は
何年後になるかわかりませんが、
元気に過ごして全員集まりましょうねえ。

宴会は、翌日から旅行に行く友達とも
盛り上がって、
もうこの日は初秋の北陸の
悪天を吹き飛ばす
最高の夜となりましたとさ。

さて、そんな楽しく懐かしい思い出を
交し合った翌日からは男性4人で小旅行です。

下宿を通い合い、
いろんな意味で生活も共にした
仲間たちです。

ここには書けない秘密も
いろいろと持っていましたねえ。

そんな悪ガキ出身おやじたちの
旅行の目的地は「能登半島」。

いろいろと場所はメールで
相談したのですが、
当時学校の近くにあったのに、
有料道路もなかったので
あまりいけなかったそこが
いいだろうということになったのである。

あ、もちろん健全な旅行ですよ。
宴会にコンパニオンを
読んだりもありませんからね。

ほぼ還暦おっさん四人の
うだうだ旅行が、翌日早朝から
始まったのです。

続く


ほぼ還 大学同窓会2

2016年10月13日 20時04分26秒 | 最近の出来事

いったのは金沢の
「近江町市場」の近くにある喫茶店です。

珠洲でトライアスロンに出た時や、
白山に上りに行ったとき、
旅行をしたときなんかも
毎回寄ってました。

平均したら2年に一回くらいは
寄っていたかもしれません。

「来たよ~」と言いながら入っていくと、
「大歓迎」してくれはりますね。

「あり~、今日は何かねえ?」
「いやあ、同窓会でねえ」
「おお~(当時の友達の)A君も
ちょっと前に同窓会できてたで~」
とか教えてくれます。

「で、その場所は?」
「香林坊の〇〇ホテル」
というと、
「いやあ、あの頃の仲間とは
思えんようなしっかりしたとこに
集まるんやなあ」としみじみと驚きはります。

話をしていると、マスターは
「前に大学が田舎に引っ越したしなあ。
あんたらの時代のような
楽しい仲間連中は全然店にこんわ。
来るのは外国人ばっかし」
と嘆いてはりました。

「え~、こんな優秀なお客さんはおらんかったやろ~」
というと
「いやあ、特にdoironさんの周りは
ハチャメチャ楽しかったなあ」
といってくれはります。

喜んでいいのやら、どうなのやら。
40年たってもマスターの頭には
当時のイメージがめちゃめちゃ
残っているようです。

あんな話、こんな話も次々出てきます。

「ああそんなことあったなあ」
と、逆に当時の主役の我々が、
いつもめちゃ懐かしい思いを
させられる始末。

時間までコーヒーも2杯いただいて、
懐かしい話をたくさん思い出しました。

今日のネタがいっぱいできましたわい。
みんなに言ったら
びっくりするやろなあ。

みんな下宿生だったので、
学生というよりは4年間、
多感な時代を一緒に生活した
仲間なので、とってもコアな
付き合いをしていましたからね。

去りがたい思いを抑えつつ、
時間が来たので店を出ていきます。

当時この店に集まった
仲間たちだけと、
この店で同窓会もいいかもしれんなあ。
そんな機会がまたもてたら
最高なんやけどなあ。

さてこの時は三連休でした。



しかもイベントをあちこちで



催している旧大学回りの
通りなんかも大混雑。

新幹線ができていたりするから、
この時期は混むんでしょうねえ。
あちこちとさらに観察しながら、
ホテルへと向かいます。



え~この日の服装はというと、
Tシャツにチノパンという
ラフなというか、でたらめ風な恰好でした。

目的の会でエレベーターを降りると、受付です。

同窓会といっても、
工学部の中の一つの化の同窓会で、
全員でも50数人の生徒しか
いませんでした。
それらが5つの部門に
分かれていたので
ほぼ10人くらいがワングループとなります。
この日の参加は30名くらい
であったと聞いています。

doironは第三講座に参加していました。

実は、この同窓会の前日に
同窓会に参加できない当時の
教授を含めて、第三講座だけの
前夜祭があったようです。

まあdoironは祭りの前ということで、
残念ながらそれに
参加していなかったのですが、
なんとその不参加は
doiron一人だけでした。
そしてその前夜祭が
めちゃ盛り上がったそうです。

そんなことがあった翌日の同窓会です。
受付にいくと、「doironが来たぞ~」
と大騒ぎです。

集まってきた仲間が
「昨日の前夜祭はお前の話で
大盛り上がりやったんやぞ~」
と大騒ぎ。

「え?そうなん。
もう自分のことなんて
忘れられてるって思ったんやけど」
なんていうと
「なに言うてんねん」と
富山生まれなのに大阪の会社育ち人間が
こてこての大阪弁でしゃべりよります。



「あんな話あったなあ、
とかこんな話あったなあとか
言ってたらそんな面白い話の中には
いつもお前が入ってるやないか。
みんなそのことに気付いて大騒ぎやったぞ」
といいながら、
こんな写真を見せてくれました。

続く


ほぼ還 大学同窓会1

2016年10月12日 21時17分22秒 | 最近の出来事

「ほぼ還」は、ほぼ還暦を
迎えているという意味ですねえ。
doironは大学入学前に
浪人暮らしをしていたので
大学の同窓生の中には
まだ59歳の若者もいるようです。

そんなときに今年は、
次々と同窓会の予定が入ってきました。

最初は高校。
そして次は中学校でした。
まあこれは全員還暦ですね。

そして最後を飾ったのが、
北陸金沢ですごした
大学の同窓会でした。
こちらは59歳もいますから
ほぼ還です。

開催場所はもちろん金沢市内。
あの歌でも有名な「香林坊」の
交差点近くにあるこんなホテルでした。



いやあ、当時金がなくて
公園でビールを分け合って飲んでた
貧乏下宿生達も40年近くたつと、
こんなにりっぱなホテルに
集まって飲むんですねえ。

いやあ、もう隔世の感を禁じえません。

ほぼ40年ですよ。
その間一度も会っていない仲間が
集まったりするのですから、
もうまるで浦島太郎の気分ですねえ。

doironは当日の朝から
車で出かけました。
同窓会後、この車で
昔の仲間と小旅行をするのです。

昔を思い出しながら、
なつかしい高速道路を通り、
こんなところに町あったっけ
とか思いながら走っていきます。

卒業後も何度か金沢には
遊びにも行ってるのですが、
今回は特に過去を思い出しながら
昔の道を中心に通っていきました。

ところが折しも3連休の初日だったので、
な、なんと高速は大渋滞。
同窓会は夜開催でしたが、
早く行って向こうで遊べばいいや
と朝早くに家を出て正解でした。

京都まで延々と渋滞は続き、
ようやく草津を過ぎたあたりで
動き始めました。

やれやれです。

ま、これで十分間に合いますね。

敦賀港を見渡すこのSAは
あまり変わってないですねえ。



他もあちこち見学しながら
何が一番違っていたかというと、
う~んやはり自分ですねえ。

尼御前でおそーい昼食にしました。

ここではSAを離れて、
岬まで遊びに行こう
と思っていたのですが、
残念ながら雨でしたね~。

天気があまりよくなくて残念です。

松の防風林が延々と続く
高速道路をさらに走っていきます。

途中、道路の外を見ると、
いまちょうどそば畑が
最高にきれいでしたねえ。



頑張って写真を撮ろうとしましたが。
運転しながらは
ちょっとええ感じには無理でした。

その後海沿いのSAで
しっかり休憩して、



さあいよいよ金沢入りです。

時刻は午後3時すぎなので
時間はゆっくりあります。
車を同窓会近くのPに止めて
うろうろと歩いてみました。

ああ、昔のことを思い出しながら
歩いてみると、
なんかとても懐かしかったです。

今は公園の名前も変わっていますが、
むかし中央公園といった公園の、
そうまさにこの木が



たまに授業があくときの昼寝場所でしたね。

ああ、ビルの一階にある
ドーナツ屋さんは、



その昔期限切れのドーナツを
大量に捨てていた時代に、
早朝みんなで拾いに
行ったことがあったなあ。

仕入れた情報では、
ちゃんと小麦粉の袋に入れて、
早朝4時ころに大量に
捨てていたのを
夜間アルバイトをしていた
友達から知ったのです。

いまはそんなことは
していないようですが、
当時はそれがすごいごちそうでした。

研究室にもっていって
分け合ったりもしましたからね。

こんな話を昔の友達に
思い出させてあげようと思い、
しっかりと写真を撮っておきました。

公園内には大学の前身である、
旧制四校のこんな碑もたっています。



昔からあったのかなあ。
そういえば友達らと
夜中に市内を歩き回ったなあ。

明け方の太陽がとてもまぶしかったけど、
あの輝きは今も忘れていない。

当時は、自分の前にも
いつもこんな輝きがあるんだろうと、
友達同士で語りつつ遊んでいたなあ。

そうそう、もう一つ忘れてはいけない。

金沢に行ったらいつも立ち寄る
喫茶店があります。
学生のころからあったお店で、
今も同じマスターが営業をしてはります。

明日はゆっくりできないので、
今日そのお店に行ってみましょう。

続く