ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

西国三十三所 河内の葛井寺1

2016年10月29日 20時59分05秒 | ウォーキング

四国に行って疲れていますが
まあ、ブログは基本毎日の作業なので
続きを書いていくことにしましょう。

お寺関係の話が続くのですが、
仕方がありません。

最近は四国巡礼のほかにも
ちょろちょろと楽しみながら
お寺を巡ったりもしているのです。

一つは「西国三十三所」のお寺参りです。
春に首Dさんの退職祝いを兼ねて
紀伊半島を一周したときに、
和歌山の青岸渡寺で
納経帳に記帳をしている人を何人か見ました。

doironも納経帳を買おうかと
その時に思ったのですが、
ここは一番札所だし、
これから先に熊野古道の
最終地点として必ずくることが
分かっているお寺なので、
記帳はその時にしようと
考えなおしたのです。

なので、とりあえず納経帳を
他のお寺で買って順次記帳しながら
進めておけばいいやということに、
退職祝い旅行の時に
判断したのでありました。

それから40年、

じゃなかった、

しばらく時を経て、
ある時に箕面方面に
行くことがありました。

そう、ここには西国三十三所五番寺の
「勝尾寺」があるのです。



この勝尾寺は、
阪神タイガース勝利祈願の
お寺であると同時に、
熊野古道でも散々見かけた
名号碑の作者である
徳本さんゆかりのお寺でもありました。

よーし、ではこの機会に、
ここから西国三十三所の
納経を始めてみようと思い立ったのです。

そうして勝尾寺に行ったことは、
夏のブログに書きましたね。



今回はその続きで、
納経帳をもって訪ねて行った
「葛井寺」のことを書いてみます。

車だったら、西名阪自動車道にある
「藤井寺」でおります。

そうそう、「藤井寺市」は
このお寺の名前から来ているんですね。
四国の善通寺市や観音寺市のようなものです。

そんな古い名前なのに、
市制はまだ50年なんですね。



昭和41年に美陵町から美陵市となり、
即日「藤井寺市」に改名した市であります。

市制に変更する届けを出したまま、
市制になる前に
市の名前を募集したんですね。

美陵市が市制変更時に
そのまま藤井寺市に改名する
という許可が
市制施行の即日に出ています。

アンケートの結果の中には
「美陵市」をそのまま残そう
という意見もあったそうですが、
多くの意見として

「微量」にまちがわれやすい

ということもあったようです。
なんか大阪らしくて面白いですねえ。
古墳もきれいな美陵市だったのですが、
風潮には勝てなかったようです。

でもいまは、世界遺産にも
という声もあるので、
もしかしたら美陵市のままだったら、
もう少しアピール度は
高かったかもしれませんね。

しかしここは長尾街道や
高野街道も通っているなどの
歴史も豊かな市でもあります。

歩いていても所々で
古い雰囲気を味わえる場所も
多く残っているようです。

doironは、この日は車で行きましたので、
まずは以前の仕事の関係で
行き慣れていた
藤井寺市役所に車を止めました。

もちろん駐車してから
観光案内書にも行き、
地図をもらったので、
駐車券はそこで発行していただけます。

ああ~、それにしてもここは
仕事の関係でも遊びの関係でも
縁の深い場所でしたね。

昔一緒にトライアスロンをやった
IさんやKさんもここの職員でした。
ハワイのアイアンマンや
50歳を超えても普通に
マラソンサブスリーをする
ひとたちでしたね。

でもまあ、今となっては
彼らも退職しましたし、
縁のある人もほとんど
いなくなっているでしょう。

堂々と遊びの顔で庁舎内を
歩いていきましょう。

そしてここから歩いて
葛井寺を目指します。

まずは近鉄電車の駅のほうを
向いて進んでいきます。

商店街をいくつか超えていくのですが、



え~っと、ここには
飲みに来たところもいくつかありますねえ。
帰りが遠くて、日替わりぎりぎりに
家に帰ったこともありましたねえ。



などと考えながら、
肝心の葛井寺につく前に
一話終わります。

続く