ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野古道 聖域の入口へ 1

2016年01月21日 20時51分22秒 | ウォーキング

昨年、急に発病をした時には、
もうこれで歩くたびも終わりかあ、
熊野までもいけなかったなあ
なんて思ったりもしたもんだ。

体力的には問題ないのだが、
そんなことをやってる場合ではないなあ
なんて、そりゃあやっぱりしょげてしまった。

しかし、退院してからすぐは
運動は少なく体重は増えたが、
病気も治っていき、
少しずつ運動を始めたら、
気持ちがまたまたよみがえってくるではないか。

淀川歩きやリボン道歩きを少しずつ始めたら、
終わるたびに「よっしー」と
自分で自分に気合を入れている。

だって、その程度の運動なら、
平気だということだ。

病気のために、薬を飲んだり
水分を切らさないようにしたりと
いろんなことに気をつけ始めたら、
そんなに悲観すべきものでもないことが
こうして徐々にわかってきたのだ。

それもまあ、自分なりに
いろんな情報を取り込んだうえでの出来事で、
同じような病気をやったことのある人のブログや
そんな友達の居る人の話なんかは
とても参考にさせてもらっている。

で結局、自分自身も薬や水分補給なんかを
きちんとケアしていたら、
どうもいろんなことが
ほとんど問題なく行える
ということが分かってきた
というのが最近の印象だ。

だいたいねえ、
そもそも病気のために何もしないで
じっとしながら暮らすなんてのは、
どうしても性に合わないんだよね。

もしそんな中で、
いくらケアしてもこうなるときは
こうなるんやなあということが
万一起こったとしたら、
まあそれもまた人の参考にはなるんだろうて、
思ったりもすることにしておこう。

別の意味で、
大人の成人病2種を経験した体でも、
こんなことはできるんやなあ
という関係者の参照になったりもするんだろうて。

しかしまあ、
かといっていきなり無茶をやるわけにはいかないよ。
少しずつ体の動きを確認しながら、
徐々に復活はさせていこうとは思っている。

あれから、3ヵ月。

あちこちの道歩きや、街道歩きを、
慎重にそして時には大胆に
徐々に復活させてきた。

もう今となっては、
体力的にも精神的にも
ほぼこれまでの半分以上までは
帰ってきたように思っている。

唯一、まだ、まったくクリアしていないのは、
山登りである。

これはまあ、
大胆にといってもなかなかしんどいものがある。

いきなり山に行って
ならしてみるのは早すぎるだろう。

これまでの街歩きや街道歩きの中で、
少しずつ自信をつけようと思っている。

その取り組みのきっかけとなるのが、
熊野古道歩きになるだろう。

街や街道歩きはかなり進んできた。
しかし唯一まだやってなかったのが、
この熊野古道歩きだ。

というのもかなり遠くまで行ってしまっていることと、
道はこれから、
熊野三山の山歩きコースへと徐々に入っていく。

基本的にはまだ川の流れに沿った
街歩きなのだが、
唯一次回予定の
「のごし橋」から「北郡吊橋」までの
二キロ以上は山道歩きとなるのだ。

おお~だとすればこれもまた、
今の状態にピタリの
お楽しみコースではありませんか。
しかもコースは国道311号沿いで、
歩き始めに車を止めて、
歩き終わったらバスで車にまで帰ってくる
というコースで都合がいい。

気温は少し寒いが、
それは服装で何とかなるだろう。

暖かい服装でこのコースを歩くことで、
病後、山歩き以外の街歩きの姿勢は
これでほぼ元に戻ることになるだろう。

久しぶりの熊野古道の楽しみと
自分のステップアップをかねて、
さあそれではまた熊野に向かいましょう。

熊野に行くことの意味が、
また一つ増えたなあと思いつつ、
ではこれから
「熊野古道聖域の入口へ」シリーズが始まります。


滋賀県草津もよいところ 6

2016年01月20日 21時10分49秒 | ウォーキング

立木神社を出てからも
まだ南向いて進んでいきます。

おっ、この辺のマンふた
(仕切弁)と書かれていますが、
それのデザインがアオバナになっています。



そんなんを眺めながら行きますと
道はやがて大きな川に出ました。



これが旧草津川の差し替えに作られた川で、
いまは「草津川」といわれている川です。



櫓橋という名前の橋が架かっていますが



その近くに、「黒門」の跡を示す
看板がありました。



草津の東海道の入口が「坂口見付」で
中山道の入口が「札の辻見付」。

それらの反対側の入り口にあった
黒門というのがありました。

その黒門の案内板の前が
ちょっとした公園になっておりまして、
若干遅くなりましたが
ここで昼食にしましょう。

今日はこれです。



ちょっと前に、吉村昭の
エッセイ集を読みました。
ものごとをできるだけ実質近くまで
現そうとする彼ではあるのですが、
彼は食べることに大きな楽しみを持っていました。

そしてその彼の大きな楽しみの一つが
屋外で風と一緒にものを食べることだったといいます。

そんな彼のエッセイには大賛成です。

おにぎり一つ、きつねうどん一つでする
昼食でもdoironには何にも勝るごちそうなのです。

へへ

そんな珠玉の時間が住んだら、
あともう少しです。

頑張っていきましょう。

お寺や神社をいくつか過ぎていきますと、





ここにあるのが「矢倉道標」です。



え~矢倉の名前に深い意味が
あるわけではありません。

この辺りの地域が「矢倉」というからです。

でもねえ、問題は中身。

東海道と矢橋道の分岐を表しているのが
この道標です。

「右 やえせ道」と刻まれていますねえ。

そうです。
ここは琵琶湖の渡し場や
えせに向かう交差点のしるしなんです。

「やえせ」というのは琵琶湖の地名で、



ここから出る船に乗ることが
街道粋の近道だったんですね。

でもねえ、この「やえせ」からでる渡しには、
ときどき比叡降ろしの突風が吹くと
動かなくなる時がありました。

そのためにこんな歌が生まれたという。

「もののふの やはせの渡し ちかくとも 
急がば回れ 瀬田の唐橋」といわれています。

そうときには便利な渡しも
時にはにっちもさっちもいかなくなる。

そのことを考えたら、
少々急いでも瀬田の唐橋を渡る方がいい
という歌が生まれたのです。

淀川を歩いているときに、
瀬田の唐橋のところで
説明した話とつながりましたねえ。

この辺りは学校がちかくて、
こんな飛び出し坊主や



お嬢ちゃんが頑張ってはりましたなあ。



そんな学校には、
こんな東海道の案内板が張ってありました。



やがて、町が大変にぎやかになってきて、
ようやく本日の目的地「南草津」に到着です。



駅前もにぎやかでしたよ。
こんな写真を撮るのも
ちょっと恥ずかしかったです~。



この駅は草津の手前の駅ですけど
新快速も止まります。

はあ~、これでやっと草津歩きも終わりです。

今回は、いろんな人に
いろんなことを教えてもらったいい旅でした。

まあ、こんな感じで、
今年はもう少し現場の人と
いろんな話もしながら
歩きを進めていきたいなと思いました。

大学時代の中のよかった友達も、
この草津で大きな地域会社の
社長をして張ります。

また、話をする機会がありましたら、
いいお話ができるかもね。

東海道や中仙道といった、
おおきな街道とも
すれ違うこともできたしね。

こんなコースを歩きました。



新年からいい歩きができたなあと喜びつつ、
草津よいとこ終了です。


滋賀県草津もよいところ 5

2016年01月19日 21時09分44秒 | ウォーキング

アオバナはツユクサの変種のようなもので、
よくにた花ですが背丈も1m、
花の大きさも普通のツユクサの
6倍ほどあったりします。

この花から絞り出した水性の青い色が
友禅染の下絵として重宝され、
その花から絞り出して作る
「青花紙」は友禅染とともに栄え、
草津の人たちの暮らしを支えた
という歴史があります。



その青色も、
最近では化学合成で作られるようになりましたが、
草津独自のアオバナは
デリケートな植物ゆえに農薬も使わず、
徹底した管理の下で
今も草津市内で栽培が続けられています。



6~8月頃には青いはなが咲く用ですから
一度見に行ってみたいものです。

この施設にはほかにも当時の
「旅籠屋」の置物や
看板なんかの再現もあって、
なかなか楽しいところでありました。



お土産もなかなかいろんなものもあって、
doironはここで草津の浮世絵セット
をご購入しておきました。

では、ここを出て進んでいきましょう。

この辺りは近隣の商店も
かなり年季が入ってますねえ。
こんな時計屋さんも並んでいます。



で、ここで先ほどの「くさつ夢本陣」の
ボランティアさんが言ってた
「常善寺」に到着します。



入口には絵がかかっていて、
関ケ原の戦いに勝利した家康が
入場するシーンのようです。



いまは小さな駐車場と社殿が
ぽつんと残っているだけですが、



当時は東大寺並みのかなりの規模を
誇っていたそうです。

ここにとまった家康が
太田道灌にこの地で活躍するように
手配したとおっしゃってました。

その太田道灌の子孫がやっているお店が、
この近くにありました。
これ。





自社曰く「日本一小さな造り居酒屋」
といわれていますが、
ワインなども作られており、
しっかりと営業されているようです。

この道灌のお店あたりが、
東海道で3か所しかない
重要荷物をあらためる
「貫目改所」も設置されていたため、
草津の政所といわれていたそうです。

で、この辺りを過ぎますと
東海道道も若干静かな通りとなってきます。



小さな伯母川を渡るのが
「立木橋」でその橋のふもとに
立木神社が現れます。



ああ、ここもくさつ夢本陣の
ボランティアが言ってた神社です。



で、なぜ「立木神社」なのか、
これにはいわれがあります。

そういえば、淀川を歩いているときに、
鹿に乗った弘法大使がやってきて、
はえている木を観音さんに
刻んで作った鹿跳橋のところに
「立木観音」がありましたねえ。

ここもそんないわれがあるのかと思ったら、
全然違いました。

こちらでは、鹿にのってやってきた
「武雍槌命」が、この木を植えてみて、

「これが根付けば私は三笠山に鎮まらん」
といったそうで、
実際に植えてみたら根付いたんだそうだ。
それゆえ、この立木神社
と名付けられているそうです。

なので、狛犬がほとんど狛鹿になっていました。



そしてもう一つどうしても
探しておきたい道標がここにあります。
あの旧草津川のところにあった
道標を置くにあたって、
もともとからそこにあった旧の道標が
ここにあるそうです。

森の中にあるというので探してみたら・・・
ありました。
これです。



「みぎはたうかいどういせミち」



と刻まれてあります。
これはよくわかりますよねえ。
伊勢を通って江戸へ向かう道です。

「ひだりは中せんたうをた加みち」
と刻まれています。



「中さんたう」はわかるのですが、
この「をた加みち」はというと
山城の「愛宕山」を指しているんだそうです。

そして追分道標を置く前に、
あの追分におかれていた
この道標の建立年代は
1680年と刻まれてあり、
滋賀県名にある道標としては
最も古いものであることが分かります。

フムフムこれはすごい道標ですねえと、
あと一話続く。


滋賀県草津もよいところ 4

2016年01月18日 21時08分34秒 | ウォーキング

「くさつ夢本陣」の
ボランティアのおじさんも元気そうです。

草津の駅からここまで歩いてきて、
これから南草津の駅を目指して
歩いていきますが、
ここからの見どころは何かありますか?
と聞いてみました。

すると、この先に「常善寺」
というところがあるとのこと。

ここは、本尊の阿弥陀如来坐像は重要文化財。
この寺はむかし東大寺サイズのお寺だったのが、
今はこんな風になっている。



関ケ原で勝利した徳川がやってきて
とまったそうだ。

その時に一緒に来ていたのが
「太田道灌」で、
いまその常善寺の斜め向かいにある
「太田酒造」は、その道灌の子孫の
太田さんが経営されているそうなのだ。

そしてその先で右手に
「立木神社」が現れる。



そこに最初に見た追分道標のところに
昔立っていた道標が飾ってあるというから、
それは要チェックですね。

またそのおじさんは地蔵さんの
お参りのことも話してくれました。

お茶をいただきながら、
いい話を聞きました。

さあ、では次に向かいましょう。

つぎは「草津宿街道交流館」に入りました。



え~、何かよく似た名前の施設が
次々と出てきますが、
ここはまあ、あの草津宿に入った
入場券で入って見学ができる施設です。

先ほどのボランティアのおじさんが
ここでも「しゅくのうつしずり」が
できると言ってました。

最初これがようわからんかったんです。
例えば水槽の中に東海道53次の札が
入っていてそれを吊り上げるゲーム
でもあるのかと思っていたんです。

だって、この頃テレビでも
ゲームCMがよくわからんでしょう。
お父さんとお母さんが「グラビってる」とかさあ。

だからそういうゲーム感覚の
展示があるのかと思っていたんです。

ここに入って、ようやくその内容が
「宿の写し摺り」であることが分かりました。

黒、青、緑、赤のインクを塗った原版に
紙を当てて絵を摺っていくというやつです。

最初は、こんな草津駅の
「鬼若丸」というのを摺りました。



そして二回目は、近江八景の矢橋帰帆です。



ちょっと紹介してみますと、
まずは黒で概要を摺ります。



そしてそのあとで、
青で湖や山の薄い影を入れます。



次は緑です。
これで船の中や山の草木を描きます。



そして最後が赤。
これで船の模様や絵のタイトル
などを浮かび上がらせて、
一気に絵のようになるのです。



そこの係りの人がこういってました。

「広重」や「安藤」なんかも
ただ絵を描くだけで、
こういう堀もんは作らなかった。
それを作る人がいたり、
印刷する人がいたりして
ようやく彼らは名を残すことができたんだとね。

なるほどですねえ。

まあ、今日はいろんな人と
話ができてええ旅をしましたなあ。

この施設では、こういう写真もとれたり、



貸衣装でこんなこともできたり



と楽しく遊びました。

そうそう、ほかにもここには
旅をする人の姿や持ち物が
詳しく紹介されていました。



面白かったのが、ここに移っている6つのうち、
中断の2つでした。

上が、提灯です。
しっかりと折りたためた
面白いものですねえ。

そして下に移っているのが、
折り畳み式でなんと
枕なんだそうです。

うまく座れば椅子にもなりますね。

ここには本陣のことも書かれています。
テレビでの案内もしておりました。



そうこれが宿札です。

旅館の入口によく、
「いらっしゃいませ、doiron様」
とか書かれてあるあの札を
木に描いたものですねえ。

また、宿泊帳も残っており



これが新撰組の土方の名前も
書かれてありました。

そして、その横に描かれてあったのが、
草津市固有の植物である
青色染料となる「アオバナ」のこと。



植物好きのdoironも初めて聞きました。



どれどれ、と続く。


滋賀県草津もよいところ 3

2016年01月17日 20時33分06秒 | ウォーキング

東海道を少し外れたところにある
神宮寺を経て、
コースはまた元の東海道と
中仙道が一緒になった道に戻っていきます。



で、その途中地蔵さんが結構あったので、
覗いてみたらなんかちょっとびっくりしました。





というのも、たいがいの地蔵さんが
白い色を塗られて
顔に化粧が施されているのです。

こんな感じ。



ある大きな地蔵さんで、
花を変えたり掃除をしたりしている
女性がいたので、



ここでちょっと取材をしてみましょう。

「こんにちは。きれいにして張りますねえ」
「あ、こんにちは。どこからきはったん?
大阪、これはごくろうさんです。」
「いや、あちこち歩いてるねんけど」
というと、
「そうやねえこの辺もよく人が来るよ。
先日も名古屋から歩いて来ている人もいたんやで」
と話してくれはった。
「それにしてもこの辺は
地蔵さんがきれいに飾り付けられているんですねえ」
というと
「ああ~夏の地蔵のころに
子供らがみんなで色塗って
飾るんがこの辺の風習なんやで」
と教えてくれはりました。

そうかあ、ほんであちこちの地蔵さんが
みなカラフルなんやあ。
いろんな風習があるもんですなあ。

実は、和歌山御坊の方で、
山の入口にあるぼろぼろの地蔵がありました。
それを見かけた義母さんが、
あまりにかわいそうだからと
赤い服や帽子を作って
着せてあげるようになりましたら、
最近やっとその地蔵さんが見直されて、
いまはすっかり整備されるようになりました。

きっと、だれがこういう服を
着せているのかわからないまま、
地元の人に新たに見いだされ
大切にされるようになったんだと思います。

そんな見えない思いがつながって、
こういうことって起こるんやなあ
って思いますね。

草津でも、こういう現場にかかわっている人から、
そこにまつわるいろんな話を聞かせていただき、
とても参考になりました。

また、ほかにも旧草津川にある
もう一つの地蔵や、
草津本陣のことなどについても
いろいろ話していただきました。

いやあ、ほんまにありがとさんでした。

さて、では続きを歩きましょう。

この辺りは環境にいろいろと
配慮されているようです。



地域の川の流れの横に、
こんな看板が立てられてあったり、
河原にはこんな看板も立っています。



そして道が東海道に戻ったところで、
先ほどいってた草津本陣に到着です。



江戸時代には参勤交代を背景として、
多くの諸大名、公家、門跡等の
宿泊所として開設された施設です。



そういう施設として全国に多く残る
本陣跡の中でも圧倒的な規模を誇り、
当時の番所が活躍するにあたっての
いろんな施設も残っています。

さあ、ここでお昼をいただきましょう。
今日のお昼はこんな定食です・・・



へへ、これは当時の模型です。

土方歳三なんかの名前の載った
宿帳なんかも広げて置いてありましたし、
長い廊下を挟んだ宿泊施設や、
厠、土蔵、湯殿なんかも残されています。

残念ながらこの施設は基本的に
写真はあきませんので



あまり紹介できませんが、
ま、興味のある方は、
「草津宿街道交流館」との共通券で
350円払ってぜひどうぞ。

そこを出ますと、
今度はその斜め向かいに、
「草津市観光物産館 脇本陣」
がすぐそばにありますが、



そこはちょっとスルーし、
その先にある「くさつ夢本陣」へと
入っていきました。



え~、無料施設です。

中に入ると、わーい、
お茶も無料接待。
椅子に腰かけてゆっくりとできる施設です。

このテーブルに座って
回ってきたところを調査していたら、
観光ボランティアの男性が近づいてきて
いろいろ話しかけてくるので、
元クリエイターdoironは
(って、元なん?)
ここでも少し取材してみることにしました。

さてさて、と続く。


滋賀県草津もよいところ 2

2016年01月16日 21時12分12秒 | ウォーキング

さて、街道は旧草津川の
トンネル(まんぼ)の下にやってきました。



もともとこの川、
天井川で、昔から以降反乱を繰り返してきました。
そしてついにこの川を廃川にして
新たに草津川を南側に作ったそうなんです。

それは2002年のことでした。

この時代に新たな川を作る作業は
大変だっただろうなあ
と容易に想像できますね~。

ま、それでも新たな草津川は回収され、
ここの元あった川は今は
「旧草津川」といわれ、
現在整備のためにこのまんぼのところから
上がっていける道も
ふさがれたままになっていました。



トンネルの中には、
いろんな絵が描かれてあります。

まずはこの「大名行列」とつけられた絵。



そうです、この中仙道や東海道は
江戸時代、大名行列がよく通った場所なんですね。

そしてこれは街道として
人々の行き来でにぎわった様子。



あ、これが先ほどの絵を
打ち直した図ですね。



女の人が渡っているのが、
旧草津街道の橋だそうです。

そして次が、ここからもう少し
行ったところにあった「矢橋の渡」の絵です。



あの“急がば回れ”のことわざの
元になった琵琶湖の渡しの絵です。



そしてこれが、茶店の風景。



そして最後が「萩の玉川」といって、



今回通らないのですが
南草津の野路のほうにある
萩の産地で玉のような水がわく
場所のことが描かれています。

この琵琶湖のほとりの地域、
静かに夜ともなれば
きっとロマンティックな光景が
広がったんでしょうねえ。

とまあ、そんなことを考えながら、
トンネルをくぐると、
右側に高札場の跡があり、



左側に情報に明り取りの付いた
立派な道標が、すっくと立っている。

「追分道標」である。



もともと草津に来たのは、
この道標が一番見たかったからだ。

「右 東海道いせみち」
「左 中仙道美のぢ」
と書かれてある。

そうこの追分道標のあるところが、
昔からの東海道と中仙道の交差点なのだ。



最初「美のぢ」て何のことだろうと、
ずっと考えていてようやく
地域「美濃の道」であることに
やっと気づいたdoironなのであった。

浮世絵でいえば、
左にくっきりと大きく描かれている道標なのだ。



その道標の周りには、
その案内板なんかもたくさん立っていた。

いやあなかなかパワースポット的な場所でした。

実はこの交差点には、
こんなマンふたもあるそうなんですが、



残念ながら工事の影響とかで
あまりゆっくりと探すことができませんでした。

そうそうついでに言っておきますと、
草津市ではこういうマンふたもあるそうですし、



この後で登場する草津固有の植物である
「アオバナ」をかたどったマンふたもあるようです。

で、ふと道の橋を見て気づいたのが・・・
おお~なんとこの交差点の片隅に

「草津町道路元標」

が立っているではありませんか。



これはまた意外な発見です。

中仙道と東海道の交差点に
道路元標とはなかなかしゃれた配置ですねえ。

これで、年末の柏原町に続いて
doiron収集9本目の道路元標となります。

ここから旧草津川に
一度上がってみたかったのですが、
残念ながら工事のために通行止めになっていました。

さあ、ここからしばらく
この道標のところを曲がって、
東海道を少し歩いてみましょう。

相変わらず河川敷には上がることはできず、
さすがにあきらめました。



足元の草津の指標の入った
マンふたを眺めながら、



さらに東に進んでいきますと、
神宮寺というお寺にやってきます。



お寺なんですが山門に比叡山横河の
「角大師」の人形が張ってあります。



へえ~と思いつつ、続く。


滋賀県草津もよいところ 1

2016年01月15日 20時45分04秒 | ウォーキング

え~、伏見を歩いた後は
以前から一度行ってみたいなと思っていた、
滋賀県の草津を訪ねることにしました。

ここは、東海道第53次の
第52番目の宿であると同時に、
中山道が東海道と合流する地でもある。

したがって、宿は多い時には
100軒を超えるほどあったという。

そんなかつての交通の要衝であった場所を
いろいろと訪ねて歩いてみることにしたのだ。

まあ、まだ歩いたことのない地でもあるしね。
電車で行くとなると、
だいたい大阪駅から新快速で1時間かかる。

だけどいまは第二名神なんかもあるから、
車に乗ってだとほぼ1時間で
家から草津に到着するはずである。

おまけにこの道は、
前回の伏見でもそうだし、
琵琶湖歩きの際にもよく利用した道なので、
とりあえずなじみがある。

ぷらりと車に乗って草津駅を
目指すことにしました。

遠いように思えて意外に近く、
約1時間で草津に到着です。

あらかじめ地図を見ながら、
だいたいこの辺りに駐車場があるだろう
と見込んでいたあたりで、
最大設定のある駐車場を発見し、停車。

さあ、ここからナビを設定して歩きましょう。

だいたいコースはJRの草津から
南草津の駅間を歩く予定ですから、
まずは草津駅を目指しましょう。

おお~、草津市のマンふたは
こんな道標が刻まれています。



さすがですねえ。

はい。ここが草津駅です。



JRの新快速も止まりますよ。

その姿はなんかどこかの駅に似ているなあ。
ちょっと思い出せんけどね。

駅前にはちょっとした広場がありました。



こんな石碑も立っています。

駅前の地図で、ほぼ大体の歩くコースを
チェックしてから進んでいきます。



今年は暖冬で雪なんかは少ないけど、
この辺りは降ったりするんですかねえ。

一番最初に向かったのは、覚善寺です。



この寺の前には、「大路井(おちのい)道標」があります。
これ。



あとで出てくるのですが、
昔この辺りを流れていた草津川は、
たいへんな天井川でした。
それゆえ大水の時には
水があふれて大変なことになったので、
ゆくゆくその川は廃川となっていきます。
それまでの間、この草津川のところにあった
中仙道と東海道の分岐が、
その川を潜るトンネル
(地域では「まんぽ」といわれているようです)
ができたことにより、
こちらの覚善寺のあたりに移っていたようです。

「大路井道標」はそのためのもので、
現在は覚善寺の入口あたりにおかれています。

いやあ、それにしても東海道と
中仙道の名前が入った、
貴重なもんですねえ。

その神社のまだすこし奥にあったのが、
「小汐井神社」です。



ここには太いクロガネモチと
やや小ぶりのムクノキが
合体したように生える古木があります。





そんな中のいい気になぞらえて
安産、縁結びをまつわる
神社としても知られています。



ここのご進水は地下約20mのとこから
引かれた自然水です。



きっちり手順の作法を守りながら、
手を洗いましょう。



このお寺の正面のところにバス停がありました。
このあたり仕切っているのが、
草津市が民間に委託しているバスで、
その名も「まめバス」。



一日9~10本運転されているようです。

doironはもちろんそんなバスに乗ることもなく、
先ほどの駅のほうに向かって少し戻り、
昔の中仙道と呼ばれた道に
左折して進んでいきます。



おっ、こんなところに風呂屋があります。

う~ん、これはあ中仙道を
歩いてきた人がいたら
ちょうど入り具合のお湯ですかねえ。

途中こういう案内板も建てられてありました。



草津は中仙道の宿にあたるんですねえ。
これは草津宿を描いた絵図です。



天井川にかかる橋を
女性が渡っているように見えますね。
このころには草津川はもう
天井川になっていなんだと、
遠くの景色からうかがえますねえ。

そんな商店街の中には
こんなお店もあったりしてね。



まだまだ旅の途中、続きます。


町内防犯カメラ設置

2016年01月14日 20時26分07秒 | 最近の出来事

先日、友達と飲んでいるときに、
自治会長から電話がかかってきた。

自治会長の電話というと、
一瞬町内のだれだれが亡くなった
というような告別式の及びがあったりするので、
ドキッとすることが多い。

それに、どうも最近救急車で
何人か運ばれたというようなことが
あったりした後だからなおさらなのである。

で、店の外に出て話を聞いてみると、
どうやらそんな葬儀のお仕事の話ではなく、
あす午前中に自治会館で
防犯カメラの設置工事が始まるので
付き合ってほしいというものであった。

ここ数年、自治会の総会で
防犯カメラの設置希望が固まっていたが、
どうも予算的に苦しいし、
絶対近いうちに市の方で
設置に関する補助予算が付くだろうから、
その時にしてはどうかと
doironはちょっと様子見の発言をしていたのだ。

それが今年度予算が付くことになり、
早速手を挙げて設置ということになった。

で、頭の中の予定の中には
明日朝の予定は入っていないので
「よっしゃー」と引き受け、
翌朝さっそく公民館へと向かったのであった。

ちょうどそのころ業者も付いたころのようで、
いろいろと準備が始まっていた。

公民館を開けて、脚立を出し、
こちらも準備を始めた。

まず電気屋さんが持ってきたテレビに、
設置したカメラから移る範囲を
どうすればいいか聞いてくる。

公民館の前は一様4本の道の交差点なので、
とりあえずは4本がきっちり見えるように
映ってほしいので、

「ああ、右右」
「ちょっと上」

とか言いながら指示を出すのだ。

まあ、結局すべて移ったところでOKを出して、
設置角度は決まった。

広域角度も整えて、
もし何かあって取り出すときの
方法やらもお聞きして、
配線工事も含めて約2時間で
設置が終了した。

まあ、あとはこれに含めて、
カメラ設置の看板と
それぞれの指名を入れた
管理用の文書の町内回欄の作業と、
補助金参入で一応設置は終わりである。

これで、まあしばらく町内から出ていた
カメラ設置作業も無事済んで
ちょっとひと段落である。

これで何とか役員の責は果たせたかな。

で、次の楽しみはというと
このカメラが役に立つことなのであるが、
カメラが役に立つというのは
あまりいいことではない。
何かが起こっているから
ということになるので、
その楽しみはないことを祈りたいのである。

地元の市では、この設置補助のおかげで
今年度から防犯カメラが
一斉に増えることになる。

セーフコミュニティ認証取得を
目指している地としては
ありがたいことなんだろうが、
ただひとつ心配なのは、
設置に関しての管理用の取り決めが
しっかりされているかということである。

付けるまでは馬鹿なことを言ってたが、
実際付けたとなると
そんなことも言ってられない。

変な目的や興味本位で使われることのないように、
どこもぜひしっかりと管理してほしいものだね。


伏見初もうで 2

2016年01月13日 20時53分59秒 | ウォーキング

せっかく伏見に来たのですから、
もう少しあちこち回ってみましょう。

こういう造り酒屋の壁が並ぶ場所はいいですねえ。



昔の我が家の周りの
大きな家なんかを思い出しました。



当然、この辺の食堂はお酒を飲める
ところが多いのですが、



車なので遠慮です。

で、ここが伏見の土佐藩跡です。



西郷隆盛もこの辺りをうろついたんですかねえ。

ここが、黄桜の展示場がありますが、



まあどこもよく似た感じでしょうから
スルーしました。

ただねえ、ここで見かけたのですが、
おおきな水タンクを持って
うろうろしている人がいました。

どうもあとで調べたら、
この伏見地区には、
先ほどの月桂冠の井戸のように
名水がわくところがあちこちにあるようで、
それを集めて回っている人も
おられるそうです。

ん?歩いていくとこの辺りの
商店街は「竜馬通り」というようです。



そのあたりにある案内板を見てみると、
どうやら「坂本龍馬」に関係しているようです。



え~、ここは四国ではないんですが~。

案内板を見てみますと、
龍馬の定宿「寺田屋」というのが、
この伏見にあったため、
この辺りは龍馬が新しい日本の夜明けを夢見て
駆け抜けた場所だといわれています。

なので、この辺りが全国でも珍しい
人名が商店街の名前になっています。

こんなお店もここに並んでいます。



その商店街を出たところにあるのが、
この「寺田屋」。



この横には寺田屋事件の石碑や。



龍馬とおりょうを結んだ旅館の
女将が紙としてまつられ、



若い男女の守り神として祀られています。



ここでこの前にある「寺田屋はま」を
写真に撮ってたら、



ある高齢のおじさんが近づいてきて、

「どっから来たんやあ」といってこられました。

え~っと、なんかさっきの酒屋の
ボランティアのおっちゃんのようです。

「大阪」から来たことを告げると、
龍馬がここで何をどうしてたか
などという話を始めました。

まあまあありがたいので、
聞かしていただいたのですが、
話の内容は普通の観光案内でしたな。

そんな時間を過ごして、
さあ、そろそろ初もうでです。

伏見稲荷に行くために電車に乗りましょう。

中書島から電車に乗って、
5~6駅進むと稲荷大社の駅に出ます。
さすがにこの辺りは、
人の多さが異なります。

駅前は人でいっぱいです。

そこで、いなりずしとうどんの
昼食を食べてから、社に向かいました。

本殿のほうは意外に好いていましたね。



ここでまず、せっかく来たのですから、
おみくじをいただきました。

まあ、ほかの社で大吉をもらったのだから、
上はないだろうけど
せっかくここまで来たのだからと、
買ってみると・・・

おお~なんてことでしょう。

大吉より上はないと思っていたのに、
さらに上がありました。

「大大吉」です。



これはありがたい。
大切に保管しましょう。

あの有名な赤鳥居をくぐって、



奥社奉拝所まで生き、



「おも軽石」に並んでみました。



ふーむ、かなり軽かったので
これは願いがかないそうですな。

さらにそのあと、
赤い鳥居をもう少し上まで潜って
入っていったところで
今日はここまでにしとこうと
引き返すことにしました。

なにせ全部歩いたら
2時間ほどかかるそうです。

まあ、きょうは「大大吉」も貰ったことだし
これくらいにしときましょう。

またあわてて駅まで戻り、
再度電車で中書島まで戻りました。

ここから車でまた1時間運転して無事帰宅。

昨年結構遊んだ伏見で、
一年間の厄払いと
新年の遊びがさらに充実しますようにと
お祈りをあげつつ、
初もうでの旅、無事終了です。


伏見初もうで 1

2016年01月12日 20時41分27秒 | ウォーキング

さて、今年も昨年に引き続き
喪中ではありますが、
とりあえずは心をあらためるために
正月にはひっそりと初もうでにも行きました。

だいたい氏子の神社からは、
年末の奉納に備えて、
神札や干支人形がもらえる引換券を
いただいているのでそれをもらいに行きます。

近所の人たちが氏子総代になっているので、
挨拶をかわしつつね。

ほかにも、市内の別の神社に
歩いて行ったりもします。

ことしはその神社でおみくじをいただきました。
やった~、昨年は末吉でしたが、
今年は「大吉」でした。



初もうではもう一つ、
昨年あちこち歩いて気になった神社があったら、
そこを選んで訪ねてみたりもするわけで、
今年は伏見稲荷がよかったので、
行ってみることにしました。

まず向かったのが、
稲荷ではなく
まずは伏見の中心地へと向かいました。

車は、淀川歩きでも使った
伏見港公園の有料駐車場に止め、
稲荷に行く前に伏見中心地を
ウロウロと歩いてから行くことにしたのです。

もう最近のウロウロは、
かならずこういう行動が
ついて回ります。

先ずは十石舟の乗り場のほうへと
向かいましょう。

こんな看板を見ながら進んでいきますと、



おお~十石舟の乗り場です・・・



とおもって川を見ますと、
水があまりありません。
そしてそこに止めてある
数層の船を見てみたら、
みんなおおきなビニールシートが
張られたままです。

あ、そうかあ、
まだ正月休みかな?
と思っていたら、
なんと十石舟は
4/1~11/30の間しか
動いていないようです。

そうなんやあ、休みやったんです。

10月に淀川に来たときは、
楽しそうに動いていたのになあ。
残念でした。

ではここからさらに歩いていきましょう。

すると、その橋の近くにあったのが、

「月桂冠大倉記念館」

まだ有料の区間見学には
入っていないので入ってみましたあ。

これが、月桂冠のお酒になる湧き水です。



少し飲んでみましょう。
う~ん、何となく柔らかいような・・・
水道水ではなさそうな・・・
とたよんないものですな。

それからまずはいったん庭に出て、
広場を眺めます。

でっかい杉樽や



杉玉を見かけながら、



ふとある建物の屋根を見てみますと、



おお~月桂冠の案内看板の後ろ、
屋根の上にとまっているのは
「コサギ」ですかねえ。
どうもよくわかりません。



あちこち見学して帰りに見かけた時も
一羽増えて
まだ屋根の上にすっくと立っていました。



さて、資料館の中に入りますと、
まず目につくのがお酒の作り方です。



むむ~ドブロクとはかなり違います。

そしてここには、
さまざまな道具が並んでいます。



そしてこれが麹桶。

手を伸ばして中の写真を撮ってみますと、
中身は空っぽでした。



が、桶の底に小金が転がっているのはなぜ?
賽銭のようなもんでしょうかねえ。



え~っと、これはできたお酒を詰める便なんですが・・・

こうしてみるとなんてことはない
ように思えますが、
実は右の小さな便が一升瓶で、
三本並んでいるのが18リットル瓶。
つまり1斗瓶なわけです。

まあ、そんな見学をしながら
お酒の歴史も一緒に勉強して
展示室を出ていきますと、
さあ、お待ちかね試飲コーナーです。

小さなグラスで、
お酒を3倍飲ませていただきました。

「今日はどちらから来られたんですか?」
と聞かれたので
「大阪の泉州です」と答えると
「ああ~あのだんじりのところですね」
と帰ってきました。

実はこのお酒の試飲を案内している人は、
月桂冠の人ではなく、
地域のボランティアなんだそうです。

その人は実はかつて
大阪に住んでいたそうなんです。

ふーんと話を聞きながら、
その人のお酒の飲み方なんかを
丁寧に聞かせていただきました。

どうもありがとうさんでした。

出がけに、お土産屋さんによって、
酒かすや湯葉を買って帰りました。

そんな荷物を抱えつつ、続く。