立木神社を出てからも
まだ南向いて進んでいきます。
おっ、この辺のマンふた
(仕切弁)と書かれていますが、
それのデザインがアオバナになっています。
そんなんを眺めながら行きますと
道はやがて大きな川に出ました。
これが旧草津川の差し替えに作られた川で、
いまは「草津川」といわれている川です。
櫓橋という名前の橋が架かっていますが
その近くに、「黒門」の跡を示す
看板がありました。
草津の東海道の入口が「坂口見付」で
中山道の入口が「札の辻見付」。
それらの反対側の入り口にあった
黒門というのがありました。
その黒門の案内板の前が
ちょっとした公園になっておりまして、
若干遅くなりましたが
ここで昼食にしましょう。
今日はこれです。
ちょっと前に、吉村昭の
エッセイ集を読みました。
ものごとをできるだけ実質近くまで
現そうとする彼ではあるのですが、
彼は食べることに大きな楽しみを持っていました。
そしてその彼の大きな楽しみの一つが
屋外で風と一緒にものを食べることだったといいます。
そんな彼のエッセイには大賛成です。
おにぎり一つ、きつねうどん一つでする
昼食でもdoironには何にも勝るごちそうなのです。
へへ
そんな珠玉の時間が住んだら、
あともう少しです。
頑張っていきましょう。
お寺や神社をいくつか過ぎていきますと、
ここにあるのが「矢倉道標」です。
え~矢倉の名前に深い意味が
あるわけではありません。
この辺りの地域が「矢倉」というからです。
でもねえ、問題は中身。
東海道と矢橋道の分岐を表しているのが
この道標です。
「右 やえせ道」と刻まれていますねえ。
そうです。
ここは琵琶湖の渡し場や
えせに向かう交差点のしるしなんです。
「やえせ」というのは琵琶湖の地名で、
ここから出る船に乗ることが
街道粋の近道だったんですね。
でもねえ、この「やえせ」からでる渡しには、
ときどき比叡降ろしの突風が吹くと
動かなくなる時がありました。
そのためにこんな歌が生まれたという。
「もののふの やはせの渡し ちかくとも
急がば回れ 瀬田の唐橋」といわれています。
そうときには便利な渡しも
時にはにっちもさっちもいかなくなる。
そのことを考えたら、
少々急いでも瀬田の唐橋を渡る方がいい
という歌が生まれたのです。
淀川を歩いているときに、
瀬田の唐橋のところで
説明した話とつながりましたねえ。
この辺りは学校がちかくて、
こんな飛び出し坊主や
お嬢ちゃんが頑張ってはりましたなあ。
そんな学校には、
こんな東海道の案内板が張ってありました。
やがて、町が大変にぎやかになってきて、
ようやく本日の目的地「南草津」に到着です。
駅前もにぎやかでしたよ。
こんな写真を撮るのも
ちょっと恥ずかしかったです~。
この駅は草津の手前の駅ですけど
新快速も止まります。
はあ~、これでやっと草津歩きも終わりです。
今回は、いろんな人に
いろんなことを教えてもらったいい旅でした。
まあ、こんな感じで、
今年はもう少し現場の人と
いろんな話もしながら
歩きを進めていきたいなと思いました。
大学時代の中のよかった友達も、
この草津で大きな地域会社の
社長をして張ります。
また、話をする機会がありましたら、
いいお話ができるかもね。
東海道や中仙道といった、
おおきな街道とも
すれ違うこともできたしね。
こんなコースを歩きました。
新年からいい歩きができたなあと喜びつつ、
草津よいとこ終了です。