東海道を少し外れたところにある
神宮寺を経て、
コースはまた元の東海道と
中仙道が一緒になった道に戻っていきます。
で、その途中地蔵さんが結構あったので、
覗いてみたらなんかちょっとびっくりしました。
というのも、たいがいの地蔵さんが
白い色を塗られて
顔に化粧が施されているのです。
こんな感じ。
ある大きな地蔵さんで、
花を変えたり掃除をしたりしている
女性がいたので、
ここでちょっと取材をしてみましょう。
「こんにちは。きれいにして張りますねえ」
「あ、こんにちは。どこからきはったん?
大阪、これはごくろうさんです。」
「いや、あちこち歩いてるねんけど」
というと、
「そうやねえこの辺もよく人が来るよ。
先日も名古屋から歩いて来ている人もいたんやで」
と話してくれはった。
「それにしてもこの辺は
地蔵さんがきれいに飾り付けられているんですねえ」
というと
「ああ~夏の地蔵のころに
子供らがみんなで色塗って
飾るんがこの辺の風習なんやで」
と教えてくれはりました。
そうかあ、ほんであちこちの地蔵さんが
みなカラフルなんやあ。
いろんな風習があるもんですなあ。
実は、和歌山御坊の方で、
山の入口にあるぼろぼろの地蔵がありました。
それを見かけた義母さんが、
あまりにかわいそうだからと
赤い服や帽子を作って
着せてあげるようになりましたら、
最近やっとその地蔵さんが見直されて、
いまはすっかり整備されるようになりました。
きっと、だれがこういう服を
着せているのかわからないまま、
地元の人に新たに見いだされ
大切にされるようになったんだと思います。
そんな見えない思いがつながって、
こういうことって起こるんやなあ
って思いますね。
草津でも、こういう現場にかかわっている人から、
そこにまつわるいろんな話を聞かせていただき、
とても参考になりました。
また、ほかにも旧草津川にある
もう一つの地蔵や、
草津本陣のことなどについても
いろいろ話していただきました。
いやあ、ほんまにありがとさんでした。
さて、では続きを歩きましょう。
この辺りは環境にいろいろと
配慮されているようです。
地域の川の流れの横に、
こんな看板が立てられてあったり、
河原にはこんな看板も立っています。
そして道が東海道に戻ったところで、
先ほどいってた草津本陣に到着です。
江戸時代には参勤交代を背景として、
多くの諸大名、公家、門跡等の
宿泊所として開設された施設です。
そういう施設として全国に多く残る
本陣跡の中でも圧倒的な規模を誇り、
当時の番所が活躍するにあたっての
いろんな施設も残っています。
さあ、ここでお昼をいただきましょう。
今日のお昼はこんな定食です・・・
へへ、これは当時の模型です。
土方歳三なんかの名前の載った
宿帳なんかも広げて置いてありましたし、
長い廊下を挟んだ宿泊施設や、
厠、土蔵、湯殿なんかも残されています。
残念ながらこの施設は基本的に
写真はあきませんので
あまり紹介できませんが、
ま、興味のある方は、
「草津宿街道交流館」との共通券で
350円払ってぜひどうぞ。
そこを出ますと、
今度はその斜め向かいに、
「草津市観光物産館 脇本陣」
がすぐそばにありますが、
そこはちょっとスルーし、
その先にある「くさつ夢本陣」へと
入っていきました。
え~、無料施設です。
中に入ると、わーい、
お茶も無料接待。
椅子に腰かけてゆっくりとできる施設です。
このテーブルに座って
回ってきたところを調査していたら、
観光ボランティアの男性が近づいてきて
いろいろ話しかけてくるので、
元クリエイターdoironは
(って、元なん?)
ここでも少し取材してみることにしました。
さてさて、と続く。