花折地蔵を離れて山道に戻り
てくてくと若干下りつつ進んでいくと、
町の手前でアスファルトの道に合流する。
おお~この辺は結構にぎやかだ。
熊野古道の看板も
ごみ箱の横に結ばれてあったりする。
こんな、何がどの方向に
どうなってるんや
とさっぱりわからん案内板を見つつ、
進んでいくと「大塔郵便局」に到着です。
あ、ガラスの向こうのネコさんこんにちは。
すみません。資料に書いてある
「平野三郎国綱の墓」はどちらか知りませんか。
「わしゃ、しらん」
とわからんそうなので
ここはパスしました。
そうして町の中から国道311号に合流したら、
前方に橋が見えてきました。
これが、「鮎川新橋」です。
ということは、その少し手前に
「鮎川王子」があるはずですよね。
進んでいきますと、
まず見えてきたのがバス停横の
「鮎川王子ふれあいやかた」です。
そろそろお昼も過ぎてしまっていたので、
どこかで昼食を食べよう
と思っていたところです。
座れる椅子もあるし、
ここで食べましょう。
今日は手作りおにぎりです。
あわてて食べて写真を取り忘れてしまいましたあ。
で、食べながらそこにあった
案内板を見ていると、
さっきのとは違ってわかりやすいです。
富田川の南の川が「日置川」なんですねえ。
3回ほどここで開催される
マラソン大会にも出ましたねえ。
メダルを獲得した
なかなかげんのいい大会でした。
でも見どころはやはりこちらの
富田川沿いのほうが賑やかそうです。
さあ、おなかもいっぱいになったし、
出発しましょう。
掲示板によると、ここから
最終の滝尻王子まで2時間と
出ていました。
あっ、これが「鮎川王子社址」ですねえ。
ここにはあの熊野ブルーの王子の案内板と
熊野古道の案内板もありました。
さて、では鮎川新橋を渡りましょう。
結構立派な歩道も付いていました。
中々この川のこの橋を、一日で
何人が渡るのかちょっと想像もつきません。
古道歩きの人を意識してるんですかねえ。
富田川は、相変わらず気ままに流れています。
橋を渡り切ったら、古道は左折です。
そこにあったのが、
先ほどの達磨寺に続く
「熊野曼荼羅」の一つ、
住吉大社です。
この神社はいわれも古いのですが、
注目すべきは神社を囲む森です。
十種に近い古木が植わっており、
樹木学的には面白い森なんだそうです。
そんな住吉神社の社殿の
右手にある夫婦木がおもしろい。
ムクロと楠がくっついて育っている。
ああ、草津にもありましたねえ。
「小汐井神社」のクロガネモチと
ムクノキの夫婦木とよく似た形です。
最近見たので印象が濃いですねえ。
そんな神社を出て、周りを見ると、
どの家も同じように
紀州木材なんかを使った
統一系の開発がされているようでした。
さて、道はこの辺りからまた
山方面へと向かっていきます。
それいけ~。
おっ、川のほうを見ると
不思議な橋が架かっています。
これは杉の一枚板を張り付けた
橋なんだそうです。
橋脚にワイヤーで結び付けた沈下橋?
なんか手作り風の奇妙な橋です。
山の中の道を進んでいきますと、
おお~梅畑です。
しかも白梅がもう少し咲き始めています。
去年の今頃はちょうど
南部のあたりを歩いていたのを思い出します。
今年は咲き始めるのも早いかもねえ。
あっ、この辺の電プレは面白いよ。
中辺路と清姫だって。
歴史の教科書に出てきそうな名前だ。
そうそうもうちょっと行けば
清姫の墓があるもんね。
そうしてなおも山の中を進んでいきますと
こんどは「御所平」と書かれた場所に到着します。
ああ、この辺は山の上のほうまで
上がってきているので、
後につけられた場所か
と思っていたら、
ちゃんと昔からの古道だったんですねえ。
ここにあるのは、
後白河法皇の仮の御所があったとされる場所です。
お薬師さんも置かれ、
雨が多く増水して進めなかったときは、
ここでしばらく逗留されたのではないか
といわれています。
この辺り、富田川は非常にきれいな
瀬をあちこちにつくっています。
この御所平の下あたりのきれいな瀬は
今も「御所の瀬」といわれているそうです。
きれいやなあと思いつつ続く。