釧路湿原の周りにはいくつか展望台がある。
もっとも展望が良いのは
宮島岬かもしれないが、
そこは特別保護区なので
許可なしには入れない。
一般の人が入れる展望台は4つばかりある。
そのうちのひとつ、
湿原の西端にある
「北斗展望地」
よりアプローチすることにした。
車を降りると、
「熊出没注意」の看板がやたらと建てられている。
なんでも一週間ほど前に姿を見せたそうだ。
ビジターセンターでクマよけの鈴を借りて
展望コースに分け入ることにした。
森の中はクマザサが茂り鬱蒼としていて、
何だか不気味な感じである。
吊り橋なんかも渡り、
気持ちははやく湿原を見渡せる展望所に
出たい一心で歩いた。
いつまで続くかという
森の中の道を30分ほど歩き、
ようやく出た展望台から見えた景色がこれ。
その広さに思わず息をのんでしまった。
山手線なら3つ、
東京ドームなら2万個も入る
その広さの前に初めての人はきっと言葉を失うだろう。
この湿原にかつてTV取材で
初めて訪れた歌人の俵万智は
「短歌の旅」の中でその感想をこう書いている。
「ここでは何も起こっていない」から
「何かがこれから始まろうとしている感じ」だと。
なるほど、湿原には風の音のほかは何も音がなく
静まり返っており、その姿はそんな感想をもたらすのかもしれない。
しかし、doironは知っている。
この果てしなく続く静かな湿原の中で
繰り広げられている計り知れないほど多くの命の営みを。
それは延々と続く食物連鎖であったり、
エネルギーの再生であったり、
膨大な数の生き物の誕生と死滅であったりする。
広大な湿原の底で蠢くそんな命の営みを考えると
背筋がゾクゾクした。
そしてその時初めて、
北海道にきていろいろな景色を見て、
ずっと抱いていた思いが、
ただただ広大で、
何もないことに単に感動していただけではなくて
実はたくさんの生命が奏でる歌に、
知らず知らずの内に心を
傾けていたんだということに気がついた。
そんな展望台を通過して、
展望路はぐるっと一周回っている。
たいていの旅行者はそれで帰るのだろうが、
好奇心旺盛なdoiron一行は
その道を外れて、
途中から湿原内の西端を歩く
北海道自然歩道となっている
「釧路湿原探勝路」に降りて行けるというので、
クマの存在も忘れて
横道に入りどんどんと降りて行った。
そこにはあまり人が入らないんだろう。
木道もところどころ壊れていたり、
水没しそうになっていたりしていて往生した。
修理?
いやいやそれくらい不便をかけさせる方が
ええ加減とちゃいますか。
大勢の人はたくさんの汚れを持ち込みます。
doiron一行もできるだけ負担のないように
進んで行かなくてはなりません。
そんな道を下り切って、
湿原と同じレベルに出たところに
こんな真っ直ぐな探勝路が続いている。
これは、昭和4年頃に
釧路市から鶴居村を結んでいた
「殖民軌道雪幌線」
として運行されていた馬引きトロッコ列車の軌道敷跡だ。
昭和43年頃に廃線となり、
現在は釧路湿原採勝路として活用されている。
その道を南下することにした。
湿原とはいえ
木が生えているところは森のようなものである。
また、別のところではサバンナのような緑深い景色が続く。
本当はエサをつついているタンチョウヅルの群れなんかが
遠目でもいいから見たかったんだけど、
ビジターセンターで聞いたら、
今タンチョウは子育ての真っ最中で、
もっと湿原の真ん中あたりで
じっとしているんだそうだ。
仕方がないので自分がタンチョウになったような気持ちで、
探勝路の脇の草むらをかき分けたら、
いっぱい命が詰まったような水が流れている水路があったりした。
歩いていて聴こえてくるのは
湿原をわたる風の音と、
あふれんばかりの野鳥のさえずりのみ。
自分の足音は、この湿原にとっては
最も嫌いな獣の足音なんだろう。
でもせっかく立ち入ったのだから、
湿原を荒らさないように、そして
探勝路から見える範囲内で
ツルのように首を長くして
周囲を眺めようじゃあ~りませんか。
ここでたくさんの時間を過ごし
ずっと来たいと憧れていた釧路湿原をすっかり満喫して、
今回の旅で初めての天然温泉の宿に向かうのであった。
続く
日常でdoironのテンションが上がるのは、
楽しい仲間といるときであったり、
初めての取材場所に出かけるときであったりする。
そして、doironの場合さらにテンションの上がるのが、
あふれんばかりの緑に囲まれたときだ。
この時とばかりに目を緑色に
輝かせてるんじゃないかというくらい。
修学旅行の学生みたく
テンションあがりまくりなのだ。
この日、監獄を出所して
最初に向かったのが美幌峠。
ロードバイクでガシガシ登っている
多くの人達を横目に、
こんな標識を見ながら
藻琴山からサマッカリヌプリに続く
山脈を越えるその峠に向かって
車もテンションもグングンと登っていく。
ちなみに北海道にはこんな標識もあります。
峠道はあの霧ヶ峰のスケールを
大きくしたような景色が続く感じ。
峠のてっぺんからは
屈斜路湖が一望となる。
ああ~、と思いっきり深呼吸すると
空気の塊が入ってくるようだ。
このあたりの植物は、
本州ではまさに高山植物。
頭の中の図鑑を切り替えねばなりませんな。
ひとしきり歩いて次は屈斜路湖でお昼となった。
食べたのは、
ここ屈斜路湖に生息するとうわさされている
クッシーの姿をしたハンペンの入った
「クッシーラーメン」
これが半端なく大盛りで、
ここんとこ食べ過ぎ気味だったdoironの
お腹には納まりきれなかっただよ。
恐るべし、クッシーラーメン。
と、ここで食堂にぞろぞろと大勢の観光客が
乱入してきた。
言葉を聞くとどうやら中国人の一行のようだ。
白いシャツにレイバンのサングラスを着けた添乗員が
いかにも中国人ポイ。
見ていると、その一行のために
出てきた料理がすごかった。
巨大な毛ガニとタラバガニ
そんなに食べれるのかと思うほどの
シャケが入った北海鍋だ。
この時期に北海道旅行なんだから
きっと金銭的に余裕のある人たちなんだろうな。
カメラも立派なデジイチをみんな持っていた。
最近は北海道旅行に来る中国人が増えているそうで
道内の旅館もそれに合わせた
サービスを展開しているそうだ。
そんな豪華料理に驚きつつ
食堂を出て、お土産屋さんの方に移動した。
ここでは北海道らしく、
木彫りの熊やシマフクロウを売っているお店もあった。
店の人が気さくな感じで好感を持てたな。
その人が木彫りのものは50cmほどの高さしかないが、
本当のシマフクロウは全高70cmにもなること。
北海道で一番硬い「槐(えんじゅ)」を使っているとのこと。
そしてそれらはすべて自分が彫ったこと
なんかを説明してくれた。
その人は棚の中でたくさん積み上げられた
作品群の中に立ってしゃべっており、
身動きとれない様子だったので気になったから
「あの~、ひとつ質問があるんですが。
そこからどうやって出るんですか」と聞いてみた。
そしたら、「それは内緒なんだけど、
せっかくだから特別に教えてあげるよ。
こうやるんだ」といって、
目の前の商品を乗せた棚を
商品を並べたままガラガラと
押して出てきたのにはびっくりしたな。
楽しく話をさせていただいたが、
木彫りは結局手の出せる値段ではなかったので
購入にはいたらず、ご迷惑だけおかけして退散した。
お腹もいっぱいになったし
地元民と楽しい会話も交わしたところで、
さあいよいよ次はお待ちかねの
釧路湿原に向かうのであった。
釧路湿原とは、
言わずと知れた日本最大の湿原である。
ヨシとスゲに覆われ、
釧路川が蛇行しながら流れる湿地であるがゆえに
多くの生き物を育んでおり、
また日本最大のサンクチュアリを形成している。
ここにきて自然好きのdoironテンションメーターも
ふりきれんばかりにMAXとなりつつあった。
釧路湿原の西側をめざし、国道を南下する途中、
タンチョウヅルがよく飛来してくるという
鶴居村のスポットに立ち寄ることにした。
このあたりは日差しも強く、
同行の人達は日傘をさして
車を降り湿原に向かって歩いていると、
そこにいたおばあさんに一喝された。
「傘をさしていったらツルが驚くじゃろがっ!」
なるほど、黒い大きな物体が移動するのは
ツルにとっては脅威なんじゃね。
傘をたたんで進んでいくと
おばあさんがついてきて話し始めた。
「ここのツルはわしが40年かけて餌付けしたんじゃ。
さっきまで100羽近くいたのに、
傘をさして近寄ったからみんな飛んで行ったしまった」
まだ言ってるよ。
と思いつつ、傘の件は肝に銘じて
ツルの姿がなかったので
早々に退散。
そしてその後doiron一行は、
観光展望台から森を抜け
ついに釧路湿原へと突入していったのであった。
続く。
旅も三日目。
そろそろお土産のことも考えなくてはいけない。
網走ではやはり網走刑務所関連のお土産がメインでした。
先ずはコンビニで見かけたもの。
これはコスパを考えれば買いでしょう。
その横にはこんな商品も並んでいた。
それにしても「脱獄饅頭」とはすごいネーミングだ。
これが許されるなら、
北海道の原野で
「行き倒れ煎餅」
もしくはオホーツクの海岸沿いで
「凍死あられ」でもよさそうなもんだ。
「熊出没注意」はよくあるモチーフであるが
「大阪のおばちゃん出没注意」
てのはどうだろう。
おっと、ここでは脱獄囚も伝説の人扱いです。
コンプライアンスに問題はないのでしょうか。
網走に宿泊した夜は、
仁〇夫婦と合流し、
予約していただいていた居酒屋で
夕食を共にした。
さすがにオホーツクに面した漁業の町だけあって、
毛ガニ、ウニ、カキ、ホタテなど
海鮮ゴチで大いに盛り上がった。
そんな生もののお土産は遠慮したが、
その話の中で仁〇さんが言ってたのは、
最近話題のお菓子があって、
それを是非買ってきてほしいと
頼まれているということだった。
それが、これ。
あの体操の内村君が食べていると
話題になったブラックサンダーを、
ホワイトチョコでコーティングしたもの。
「白いブラックサンダー」
とは、これもまたどことなく
大阪のユーモアを感じさせるネーミングだ。
いつぞやdoironが作った
「ノビルチヂミ」みたいな感じやね。
最近はどうやらこういうのが流行っているようである。
そのお菓子を
帰阪日に家と友達用に買って帰ったが
味は確かにおいしかった。
空港ではジャガポックルとあわせて
定番になっていたもんね。
あ、そうそうジャガポックルと言えば、
こんな製品も出ていた。
全くカルビーはこのジャガ・・で儲けたと見えて
空港にはカルビーブースがあったり、
車で走っている途中でも、
カルビーのジャガイモ集荷場があちこちにあった。
とまあ、リサーチと知り合いのお話を総合して
だいたいこの時点で
ほぼ土産の構想は固まったといっていいだろう。
後は荷物のことを考えて、
最終日に買うことにしているので
帰りの空港でどこまで商品があるかどうかである。
さて話を旅に戻そう。
網走泊の翌日、
層雲峡へ向かうという仁〇夫婦と別れて、
朝一番で網走監獄博物館に出かけた。
ここもまた、観光客への
サービス精神旺盛のところだった。
博物館とはいえ、写真撮影は自由。
自由どころか
「撮影時には囚人は写らないようにしてください」
なんて貼り紙までしてある始末。
囚人なんていないのに・・
連行される写真や
接見室で謝っている姿、
五右衛門風呂に入っている姿、
鍛冶場で拷問されている姿
まで自由に撮影できた。
結構開放的である。
あ、こんなところに「明治の脱獄王」といわれた
五寸釘の寅吉がいました。
なぜ五寸釘の・・なのかというと、
脱獄する際に五寸釘を踏み抜いたにもかかわらず、
12キロを走って逃げたからだそうだ。
う~ん、今の世ならさぞや名のある
ランナーになったことだろう。
この博物館はかつての網走監獄を
再現したものだそうだが、
施設内には桜も植わり、
広々とした庭もある。
かなり恵まれた環境だなとおもった。
しかも監獄部屋もこぎれいにされていて、
三度の飯の心配もないし、
読書にふけっている囚人の人形もあったりして、
ちょっぴりうらやましいじゃないかと思ったほどだ。
冬の寒さを除けば・・の話なんだろうけどね。
この博物館のお土産コーナーも要チェックだ。
先ほどのお土産に加えて、
他にも面白いものが色々とあった。
特にズラッと並んだTシャツには
他にも「模範囚」だの「極悪人」といった
監獄に関する文字が書かれてある。
いたずら心もここまできたら大したものだ。
そんなTシャツを見ながら、
思わず両親のTシャツに
「介護度4」
とプリントしたら・・・なんて
不謹慎なことを考えてしまったわい。
監獄博物館を後にして、
旅は美幌峠、屈斜路湖を経て
いよいよ待望の釧路湿原へと向かうのでありました。
続く
途中知床半島の根元にある
斜里岳の根北峠越えは雨であった。
広い大空の下に広大な大地が広がる景色もいいが
雨にけぶる牧場もまた幻想的な光景ですばらしい。
そうそう、北海道に行くときは
小雨くらいだったら傘はいりません。
道端にいくらでも生えている
大きなフキが傘代わりになりますから。
そうして峠を国道で越えて、
いつしか道は道道に入る。
府道でも県道でもなく、
北海道だから道道だ。
言いにくいったらありゃしない。
海沿いの町に出て、キョロキョロしながら走っているときに
ふとナビを見ると、
左右両側に海が迫っており、
それが先に進むにつれて
どんどん細くなってくる。
何気なく走って知らないうちに
野付半島に入ってきていたのだ。
ここは冬にはオオワシやオジロワシが集結し、
湿地の中には「トドワラ」や「ナラワラ」などの
樹木の立ち枯れも散見される独特の景色を持っており、
湿地の保存に関する国際条約である
「ラムサール条約」の登録地にもなっている。
近年、砂の流出が激しく、
地球温暖化も相まって
半島が本土から切り離され、
島になることが懸念されているところであるから
そのうちにきっと一般車通行禁止になるだろう。
行くなら今の内ともいえる。
両側に海を見ながら、
目を見張るようなすばらしい景色に
思わず歓声が上がる。
長い長い一本道を車で入れる最深部まで進んでいった。
やがて道は途絶え、
そこから続く地道は鎖で閉鎖されていた。
ここが野付半島の突き当たりにして、
道道950号
「野付風蓮公園線」
の起点というわけだ。
フーテンの寅さんではなく
「フウレンのドイロン」がこれ。
そこには一般車の駐車場が設けられているので
そこに車を停め、さらに歩いて
竜神崎の野付崎灯台まで行くことにした。
ここまで来ると、気温はうんと低く、
7月というのに長袖のウインドブレーカーなしでは
外を歩けない気候だ。
ダウンがあってもいいくらいかもしれない。
本州で言うと3000m級の山に来ているようである。
日本国内で北方四島のひとつ
「国後島」に最も近い地点でもある。
これが灯台。
近くのオホーツク海からすさまじい波の音が
轟いているのが聞こえてくる様子は
まさに最果ての地であった。
これほど演歌が似合う情景はないだろうて。
ひとしきり灯台周辺で遊んで、
帰りには近くにある
ネイチャーセンターにもお邪魔してきた。
ここではネイチャーガイドによる
散策もしてくれるそうだが、
残念ながらその時間はなかったな。
さらに先に来た一本道を戻っていくと、
何やら道路に人だかりができている。
そこに集まっている人々の視線の先を追うと・・・
タンチョウヅルだ!。
人々が群がっていたのは、
遠くでエサでもつついているのか
波打ち際に羽を休めている
二羽の姿があったからだった。
望遠レンズが並んでいる。
doiron一行も、車を降りて写真を撮りたかったが、
ドアの開閉音に驚いて逃げてもいけないので
車の窓越しにパチリ。
アップにすると
「鶴は千年」とうたわれ、
おめでたい動物の象徴のようにいわれる
あの高貴な姿は日本人の心をくすぐりますね~。
ここに毎日訪れることができる人は幸せだろうなあ。
生まれ変わったらこんなところで
自然保護の仕事なんかをしてみたいものだ。
自然の厳しさにねを上げるかもしれませんがね。
この半島でも図鑑では見たことがあるものの、
実物は初めてという珍しい植物との出会いがたくさんあった。
それはまた後日まとめて書きましょう。
元来た一本道を戻って、
そろそろ本日の宿泊地である網走に向けて
後ろ髪をひかれながらも帰る時刻です。
続く
感動ドラマのレースから一夜明けた30日の月曜日。
皮肉なことにサロマの空は曇り空で、
湖を渡る風も涼しい絶好のウルトラ日和となっていた。
ああ、神様は意地悪だ。
と前日に走った選手の9割はそう思っただろう。
昨日からの時差ボケでこの日も早朝に目覚めたので、
朝食前に散歩に出かけることにした。
目的地は港。
午前三時ちょうどに、
宿の近くから一斉に出ていく
大量の船のエンジン音で今朝は目覚めたもんね。
前日はその時間にはすでに宿を
出発していたので気付かなかったんだよね。
明るくなってから何の漁なのか
取材してみようと出かけたのである。
振り向くと泊まった宿がこれ。
前回は「みどり館」という名前だったが、
今は「グランティアサロマ湖」という名前になっている。
人工温泉だが、
サロマ湖一望の露天風呂が絶好の宿である。
道に沿って少し歩いていくと、こんな幟があった。
昨日もあったのかなあ。
レースの中では全然気づかなかったなあ。
船の名前にもなっているように
ここは夏でもアザラシの姿を見ることができる
というのでも有名だそうだ。
おっと、こんな時間にはワンちゃんも熟睡中です。
それにしても寒冷地だけに毛並みもふさふさだ。
doironもここに住めば・・・
余計な期待は抱かないでおこう。
起こさないように静かに歩きながら、
港に着くと、若い漁師たちが忙しそうに動き回っていた。
少々話しかけにくかったが、
こんな時に役に立つのが
「フリーライター」の名刺である。
一人優しそうな若者を引き留め、
名刺を出して話しかけたら
親切に説明をしてくれた。
あの騒々しく出漁していった船は
「北海しまエビ」
と
「ホタテ」
の漁だと耳にピアスをしたイケメンにいさんが
話してくれた。
よく見ると高校を出たてくらいの若い漁師が多く
みんな生き生きと仕事をしているなあという印象だった。
ちゃんと後継が育っているんですね。
この人たちを支える母なるサロマが
その時いっそう大きく見えたdoironなのであった。
充実の散歩を終えて、
緊張感の漂っていた前日とは打って変わって
和やかに朝食を食べ、
この宿で知り合いになったサロマンブルーを目指しているという
O君、4回目のサロマで今回は完走して
通算二勝二敗となったと喜んでいたAさん
前回10回目の感想を果たし
無事サロマンブルーとなって、
足型をとってもらったMさん達にも別れを告げて宿を出た。
思い出のいっぱい詰まったサロマともお別れである。
ここに来た時から
まるで止まっていた時計が
急に動き始めたみたいに
前回、前々回にきたときのことが
ぶわーっとよみがえっていたんだよね。
またいつか来ることがあるのだろうか
その時までさようなら~さろうまなら~
さて、レースは終わったが
せっかく北海道まで来たのであるから
この後は観光三昧となる。
今回のもう一つの旅が始まった。
この日は小清水原生花園、
野付半島への旅を予定している。
原生花園は70キロでリタイアのため、
花の咲き乱れる80キロからのワッカに入れなかった
選手へのせめてものサービスである。
ただ単に、doironが行きたかっただけという説もありますが・・・。
網走を抜けて、農地の間のどこまで続くん?
というほどの直線道路をン十キロですっ飛ばして、
オホーツク沿岸の原生花園を目指した。
ワンボックスカーをレンタルしたため、
運転者はdoironのみなのである。
「もし違反して捕まったら割り勘な」
という契約でハンドルを握った。
釧網本線の、
高倉健がひょっこり顔を出しそうな
ひなびた駅をいくつか横目で見て、
ようやく原生花園の駐車場に到着した時、
思わず
「ああ~なつかしい~」
そんな言葉がこぼれたな。
実はこの原生花園には、まだマラソンもやってなかった
32年前に一度訪れているのである。
あの時は、焼きトウモロコシや
ジャガバタの屋台が出ていたと記憶しているが、
いまは立派な建物が建っていた。
観光地もこうして変わっていくんやね。
変わらなかったのは植物たちだけやな。
この植物に関する事柄は、
また後日まとめて記載するが、
少しだけ説明をすると、
エゾスカシユリと
エゾキスゲが咲き乱れる見事な花園であった。
なぜかボランティアのガイドさんが
ずっと一緒に歩いて案内してくれて、
冬はこの花園の大半が流氷に覆われるという話にはたいそう驚いた。
そういうところだから、
こんなに自然が残っているんやろうね。
だとすると、ここより北にある、
サロマのレースコースのワッカ原生花園も
きっと冬には人を寄せ付けない
流氷の打ち上げ場になっているのだろう。
いつかそんな景色も見てみたいもんですな。
この原生花園と道路を隔てたところには
涛沸湖が広がっている。
ここに咲くアッケシソウは圧巻だそうだ。
花期は8~9月。
ああ、その頃にも来てみたい。
原生花園で観光気分を盛り上げたところで、
次に向かったのが知床半島と根室半島の間に、
チョロッと出ている全長28キロの
日本最大の砂嘴で形成される
「野付半島」。
ここもまたすさまじいまでの自然の宝庫であり、
気の遠くなるような年月が作った
見事というほかない景色であふれていた。
続く。
スタート地点の次の応援ポイントは
スタートして市街地をぐるっと回って
再びスタート近くに戻ってくる5キロ地点。
きたきた。
通過タイムを見てみると、
あわわ~、
キロ6分を切ってる。
ここまではキロ7分で行く予定だったのになあ。
今はいいけど暑くなるよ~。
と思いつつ、気持ちよく走れているならと
何も言わずに声援だけした。
このあと30キロ地点くらいまでは
一般車は規制されていて入れないので
先回りすることにした。
この大会は、日本でも指折りの酪農地帯を走るため、
選手はスタート前にまず
消毒のミストシャワーを受け、
農場内には決して立ち入らないように言い渡されている。
口蹄疫などの予防措置なんだろう。
23年前に、草むらに駆け込んで、
フキの葉っぱでお尻を拭いた経験は
貴重な体験となったな。
ここへ来るまでの間でも、
枝道に入るところには
白い石灰が敷かれてあるところが多かった。
なので、応援車両も幹線をはずれて
駐車することは厳しく制限されていて、
たくさんのスタッフがそれを監視していたのだ。
まあそれは大会側として、
地元への当然の配慮だろう。
結局、次に応援できたのは、
フルマラソンの42.195kmの手前の駐車場だった。
陣取ったのは41キロの関門近くね。
そうそうこの大会のサービスのひとつに
応援NAVIというサービスがある。
足に付けたプレートとGPSを使って、
選手の現在位置がリアルタイムでわかるというものだ。
携帯画面に表示された地図上を
ゼッケンナンバーで指定した選手が
刻一刻と動いていくようになっている。
徘徊老人のもつGPSの技術なんかを応用しているんでしょうねえ。
う~ん、あまりこういうものが普及したら、
ほっつき族としては困りものではありますな。
ま、それはさておき、
このサービスは大いに活用させてもらった。
それをみて盛り上がっていたら、
子連れの女性が近寄ってきて、
「あの~主人がまだ走っているかどうか
調べていただけないでしょうか」と言ってきた。
こころよく引き受けて見てあげると、
まもなくその地点にやってくることになっていた。
そのことを告げると「まだ走ってるんですね」
と嬉しそうにしていたな。
フルマラソンを4時間40分台で通過。
若干遅れてはいるが想定内である。
しかし、森でエゾゼミが鳴く暑さの中、
日陰のないコースに容赦なく照り付けている
強い日差しは想定外であった。
水と氷でしっかり体を冷やして走るように
アドバイスして、次の目的地で
doironたちの宿でもある55キロ手前の
エイドステーションに先回りをした。
ここでは宿で売ってるアイスクリームを
出してあげようと買うタイミングを、
例のGPSを見ながらはかっていたのですが、
ペースが急にダウンしたことがわかった。
表示されているペースのキロ10分は黄信号である。
ようやくたどり着いた選手は
さほど消耗していない様子であったが、
どうも5キロごとのエイドで
時間を使いすぎているようだ。
でも焦らさないようにしっかりケアをしてあげ、
アイス、大福を食べてキロ8分でも間に合うが、
「キロ7分で行くように」アドバイスをして元気に送り出した。
次は63キロ地点だ。
いよいよ選手にとっては練習でも走ったことのない
未知の距離に突入である。
ここでは広い道の路側帯に路駐して
応援をしていたが、
パトカーがやってきて排除させられたため、
応援メンバーだけ残して
doironは車を走らせていたんだよね。
選手の様子を確認できなかったから、
あとで応援メンバーに聞くと
かなり消耗している模様だった。
やばい!携帯でもキロ10分を維持していると出ている。
68キロ地点に先回りしたが
やってきたときには、
タイムオーバー寸前になっていた。
でも後悔しないように最後まで走り続けるように指示したが、
やはり脚は動かなかったようである。
ついに彼女の夏は終わった。
ゴール会場で合流した時、彼女は言った。
「春から目いっぱいの練習をした。
やるべきことはやったから後悔はない。
70キロ地点が私のゴールでした」と。
目にいっぱい涙は浮かべていたが、
表情はとても爽やかでした。
ちえちゃん、本当にお疲れさんでした。
貴女の頑張り、しっかり見届けさせていただきました。
続く
それにしても北海道の景色は独特だ。
昨日も書いたように、
広い空の下で大地は果てしなく波打ち、
まるで絵本の中を走っているような感覚にとらわれる。
神様でも摘みきれないと思うほどの
ビート、ジャガイモ、トウモロコシ、アスパラガスなどの
野菜畑や麦畑、
そして牛が点々と休んでいる牧場が
延々と続き、
ああ~、北海道に来たんだな
という感じを弥が上にも盛り上げてくれる。
周りの景色が広大なので、
車を走らせていてもスピード感がない。
制限速度60キロの一般道でも、
ふと気がついたら90キロも出ていたりする。
北海道の交通事故が多いのは、
そんなスピード感の喪失によるところが大きいのでしょうねえ。
出来るだけ自分を抑えつつ、
安全運転で懐かしいコースを下見し、
レース当日のスタート地点でもある受付会場に着いた。
ここで、まず一人知り合いに遭遇。
なんと彼はサロマンブルーの選手になっていた。
10回以上完走したことになる。
ちなみに今は20回以上完走している
グランドブルーという称号もある。
この大会は今年で29回目を迎えるわけだから、
13年前には当然なかった称号である。
ちなみに23年前にはサロマンブルーもありませんでした。
受付を済ませたら、とっとと宿に向かいます。
今夜は早く寝ないといけません。
というのも、レースのスタートは午前5時。
そこから起床時刻を逆算すると、
途中のレストステーションとゴール地点での
荷物預かりなどもあるため1時間前には受付をしておきたい。
コース沿道にある宿とはいえ
スタート地点までは車で30分以上かかるので
3時には宿を出ておきたい。
となると食事は2時半までには済ます必要があろう。
したがって準備も含めて
起床時間のリミットは午前1時半となるからである。
かようにサロマの朝は早い。
早いにもほどがある時間である。
そんな時間に起床したのは、
多分前回のサロマ以来だろう。
眠い目をこすりつつ食事を済ませ、
数名の応援がサポートのため
バスで選手に付き添う手配をして、
残りの応援団は応援グッズを積み込んで
レンタカーでスタート地点に向かった。
こちらは大阪に比べてかなり東に位置するので、
午前3時と言えどもう空はうっすらと明るい。
朝もやのサロマ湖は息をのむほどきれいだったな。
受付会場の施設の壁にあった
温度計によると
この日の朝の気温は
19.3℃
受付会場は独特の雰囲気だった。
最近は、こんな風に会場にテントを張って
宿泊している人たちも多い。
テント村が出現していて
なかなか楽しそうだ。
また、この大会は今年29回大会を迎えるウルトラの老舗だけに、
昔からの選手も多い。
23年前にdoironが走った時の
有名選手も参加者に名を連ねていた。
その23年前のフィニッシャーTシャツを着て
スタート地点付近を歩いていると、
前からゴールドゼッケンの人がやってきて声をかけられた。
ゴールドゼッケンは「グランドブルー」という
20回以上完走した人がつけるゼッケンである。
かなり増えたサロマンブルーに比べて
まだ数えるほどしかいない。
その人とすれ違った直後だった。
「わあ、なつかしいなあそのTシャツ」
「はい。23年前のフィニッシャーです」
「あの頃はゴールしないとTシャツをもらえなかったんだよねえ。
僕も持ってますよ」
と、そんな会話を交わした。
たしか前回きたときもこのTシャツを着ていて
人に話しかけられた記憶がある。
真っ青な生地に、白で書かれた大会ロゴ。
背中には高石ともやの文字
「わが道を走く」が書かれてあるのだ。
doironの初めてのウルトラの完走Tシャツなので、
大事にしていてよかったなあと思った。
そうこうしているうちにスタート時間が迫ってきた。
午前5時とはいえ
もう陽の加減は午前7時ころのような感じだ。
スタート前にはワイナイナと
NHKBSのランニング番組に出演している
中村優が挨拶をしていたなあ。
そして号砲一発。
緊張に包まれている応援選手に
最後のエールを送っていよいよ長い一日が始まった。
続く
北海道と言えば、やはりなんといっても
広い大地を思い浮かべる。
緑に彩色された大地のうねり、
どこまでも続く並木道。
あくまでも青い空と水。
その中に押しピンのように建つ家々。
そんな景色の中を旅してきた。
今回の旅行を実現させるための準備には、
早くから取り掛かっていた。
まだ、大会の案内も届いてない頃から
選手はウルトラの身体づくり、
そしてdoironは飛行機と宿の手配に
心を砕き計画は順調に固まっていった。
今回で三度目のサロマとなるので、
幸いある程度の土地勘はある。
飛行機でどの空港へ飛び、
どれくらいかけて移動し、
宿はどこが便利かなどの経験を活かして
プランを作り、個々の予約のタイミングごとに
動くつもりであった。
しかし、どうにもそれがうまくいかない。
大会前後だから、
個人での予約が制限されている。
そこで、選手と相談して
大会側から送られてきたパンフレットにあった
ツアーを活用することにした。
基本はツアーにして、
それを足し算引き算することで、
希望に沿ったプランを組み上げて行った。
何度も東京の旅行社とやり取りし、
結果、ツアーの利点を生かしつつ、
ほぼ思案通りのツアーを設定することができた
と自負している。
ところが、日程も直前に迫ってきた頃、
義父さんが入院をし、
3度の危篤の報を受けた時はさすがに、
今回はキャンセルを覚悟せざるを得なくなった。
しかし、毎日病院の見舞いに通っている中で、
4度目の危篤を迎えてからは
あっという間に召されてしまい、
バタバタとお通夜お葬式を終えたのが水曜日。
次の二日間で精力的に後始末に走り回り。
なんとか土曜日に予定通り
出発することとなったのだった。
大阪を発ったのは、土曜日の午前10時。
北海道はさすがに遠い。
国内で2時間以上のフライトは宮古島以来かな。
機内によくある本に航路図が描かれてあるので読んでみたが、
どこをどう飛ぶのかこれでわかったためしがない。
あんなに線が入り組んでいる航路図に
意味があるのかねえ。
そうそう、飛行機に乗るときにいつも
疑問に思うことがもうひとつある。
それは、タラップを外された飛行機が
滑走路に出ていくときに
バックをしたりするよねえ。
あの時はタイヤにエンジンがつながっていて
それで動いているのでしょうか。
それともジェットエンジンの逆噴射なんでしょうか?
ま、どうでもいいことなんですが気になります。
とまあそんなことをこそこそ考えながら、
無事に離陸。
この日の大阪の気候は曇り。
離陸後すぐに飛行機は雲の中に突入していった。
機内は、やたら色の黒い健康そうな人であふれかえっている。
普段はこんなに賑わうこともないだろう
という関空―女満別便も、
この日ばかりはウルトラの選手で賑わっていた。
どことなくサロメチールのかおりがするのも御愛嬌である。
現地の天候もこの日は曇りだったので、
約2時間のフライト後の
着陸時も雲の中から一気に
北の大地へ降り立つ格好となった。
女満別の空港ビルは
前回きたときよりも大きく広くなっていた。
聞けば2005年に増築をしたそうだ。
そこからは、受付会場に向かうバスに乗る
他の乗客とは離れて
doiron一行はバスをキャンセルしていて
レンタカーで、コース下見をしつつ
ワイワイと会場へ向かったのでありました。
続く
空と大地の北海道から、
街と人の大阪に帰ってきました。
関西空港に降り立つと
やはりにおいが違いますねえ。
街のにおいがね。
それに広大な緑が作り出す北海道の空気は、
やはりちょっと酸素が多いような気がします。
胸いっぱいに吸い込むと、
肺が喜んでいるようでした。
大阪じゃいつも酸欠の金魚のように
パクパクあえいで生きてます。
最終便で帰ってきたので、
家に着いたのは日付が変わる少し前。
荷をほどいて風呂に入り、
ビールを飲んで横になったと思ったら
一瞬で朝でした。
しょっちゅうあちこちほっついているくせに、
それにどこでもいつでも寝れるとはいえ、
やはり寝慣れた我が家が一番ですね。
そして朝、
目が覚めたら一気に現実に引き戻されました。
早速実父の病院通院の付き添いです。
実母の見舞いです。
夕方からは、写真の整理と片付けをした後、
なんとかジムへ。
北海道でたっぷり食べてきた分を
しっかり消費しないといけませんからね。
で、今夜こそ、北海道ブログを書こう
と思っていたのですが、
ちょっと燃え尽き症候群です。
明日以降で頑張ります~
今日は釧路から札幌まで移動し、関空へと向かう。車だけでも350キロ以上の大移動となる。撮影した膨大な量の写真を整理した上でブログアップとなるのでしばしお待ちを。それにしてもiPadでの入力は疲れる~