ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

大蝦夷物語~ついに釧路湿原編~

2014年07月11日 21時55分56秒 | ウォーキング

釧路湿原の周りにはいくつか展望台がある。

もっとも展望が良いのは
宮島岬かもしれないが、
そこは特別保護区なので
許可なしには入れない。

一般の人が入れる展望台は4つばかりある。



そのうちのひとつ、
湿原の西端にある

「北斗展望地」

よりアプローチすることにした。



車を降りると、
「熊出没注意」の看板がやたらと建てられている。



なんでも一週間ほど前に姿を見せたそうだ。

ビジターセンターでクマよけの鈴を借りて
展望コースに分け入ることにした。

森の中はクマザサが茂り鬱蒼としていて、
何だか不気味な感じである。



吊り橋なんかも渡り、



気持ちははやく湿原を見渡せる展望所に
出たい一心で歩いた。

いつまで続くかという
森の中の道を30分ほど歩き、

ようやく出た展望台から見えた景色がこれ。







その広さに思わず息をのんでしまった。

山手線なら3つ、
東京ドームなら2万個も入る
その広さの前に初めての人はきっと言葉を失うだろう。

この湿原にかつてTV取材で
初めて訪れた歌人の俵万智は
「短歌の旅」の中でその感想をこう書いている。

「ここでは何も起こっていない」から
「何かがこれから始まろうとしている感じ」だと。

なるほど、湿原には風の音のほかは何も音がなく
静まり返っており、その姿はそんな感想をもたらすのかもしれない。

しかし、doironは知っている。

この果てしなく続く静かな湿原の中で
繰り広げられている計り知れないほど多くの命の営みを。

それは延々と続く食物連鎖であったり、
エネルギーの再生であったり、
膨大な数の生き物の誕生と死滅であったりする。

広大な湿原の底で蠢くそんな命の営みを考えると
背筋がゾクゾクした。

そしてその時初めて、
北海道にきていろいろな景色を見て、
ずっと抱いていた思いが、
ただただ広大で、
何もないことに単に感動していただけではなくて
実はたくさんの生命が奏でる歌に、
知らず知らずの内に心を
傾けていたんだということに気がついた。

そんな展望台を通過して、
展望路はぐるっと一周回っている。
たいていの旅行者はそれで帰るのだろうが、
好奇心旺盛なdoiron一行は
その道を外れて、
途中から湿原内の西端を歩く
北海道自然歩道となっている
「釧路湿原探勝路」に降りて行けるというので、



クマの存在も忘れて
横道に入りどんどんと降りて行った。

そこにはあまり人が入らないんだろう。

木道もところどころ壊れていたり、



水没しそうになっていたりしていて往生した。

修理?

いやいやそれくらい不便をかけさせる方が
ええ加減とちゃいますか。
大勢の人はたくさんの汚れを持ち込みます。
doiron一行もできるだけ負担のないように
進んで行かなくてはなりません。

そんな道を下り切って、
湿原と同じレベルに出たところに
こんな真っ直ぐな探勝路が続いている。





これは、昭和4年頃に
釧路市から鶴居村を結んでいた

「殖民軌道雪幌線」

として運行されていた馬引きトロッコ列車の軌道敷跡だ。

昭和43年頃に廃線となり、
現在は釧路湿原採勝路として活用されている。

その道を南下することにした。

湿原とはいえ
木が生えているところは森のようなものである。



また、別のところではサバンナのような緑深い景色が続く。



本当はエサをつついているタンチョウヅルの群れなんかが
遠目でもいいから見たかったんだけど、
ビジターセンターで聞いたら、
今タンチョウは子育ての真っ最中で、
もっと湿原の真ん中あたりで
じっとしているんだそうだ。

仕方がないので自分がタンチョウになったような気持ちで、
探勝路の脇の草むらをかき分けたら、
いっぱい命が詰まったような水が流れている水路があったりした。



歩いていて聴こえてくるのは
湿原をわたる風の音と、
あふれんばかりの野鳥のさえずりのみ。

自分の足音は、この湿原にとっては
最も嫌いな獣の足音なんだろう。

でもせっかく立ち入ったのだから、
湿原を荒らさないように、そして
探勝路から見える範囲内で
ツルのように首を長くして
周囲を眺めようじゃあ~りませんか。

ここでたくさんの時間を過ごし
ずっと来たいと憧れていた釧路湿原をすっかり満喫して、
今回の旅で初めての天然温泉の宿に向かうのであった。

続く