ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

日本一長い商店街 その2

2014年07月21日 20時44分56秒 | ウォーキング

「天神祭ギャルみこし」は
正式名を「天神祭女性御神輿」と言います。



いつの間にか「ギャルみこし」が定着したようです。

え、そんなんどうでもええ?

はいはい。

でも、もう「ギャル」はちょっと古い感じがしますよねえ。
「ガールみこし」の方が今風かもしれません。

もうちょっと調べて見ますと、
この「ギャル・・」の始まったのが
1981年で今年で第34回目を迎えるそうです。

34回目・・・どこかで聞いたような・・・
そうかあ、あの日本で最初に行われたトライアスロンである
皆生大会と同じ歴史を持つんですねえ。

案外古くからあることに、
「へえ~」と思いました。

アーケードにその旗がこれでもか
というほど並ぶ商店街を進んでいきます。



ここは「天六商店街」です。

さらに進んでいきますと、
商店街は天五商店街へと入っていきます。



天神橋筋商店街は天満宮と共に発展してきました。
近隣地域には様々な「講」もあって、
競いあうように盛り上げているそうです。

アーケードの飾りからもそんな気概が伺えます。



そんな商店街から少し離れて、
西へと続く「天五中崎通商店街」にも寄ってみましょう。



ここは「おいでやす通り」と銘打って頑張ってはります。



ん?ここには
「おいでやすときめき通り」とも書いてあります。



どっちなんでしょう?

ま、べつにいいか。

「中崎町駅すぐ」とか
「信号渡れば天神橋筋商店街」



とかも書かれています

便利さや有名どころにあやかって
それを売りにしているようですが、
この日は少し寂しい通りでした。



さて、天神橋筋に戻りましょう。

南下するにつれ、住所の「丁目」の数字が若くなっていきます。
なので次は天四商店街です。

ここでは、あの有名な「一銭焼き」をにおわせる
「キャベツ焼き」のお店がありました。

時刻は午前11時少し前。
小腹もすいてきたので、
一枚買い食いしましょう。

ではここで

キャベツ焼きお料理教室~

店の人に断わって制作過程を取材してみました。

先ず鉄板に粉を溶いたものを16枚分並べます。



この粉の成分は企業秘密です。

そしてその上にキャベツを
わんさか乗せていきます。



店内を覗くと、奥で一心不乱に
キャベツを刻んでいる人がいました。
見ているだけで腱鞘炎になりそうでした。

そんなキャベツを置いたら、
鉄板の横で豚肉を二枚、
ペロッと焼き始めると同時に、



天かすを置いていきます。



で、次は卵を1枚に1個の割合で乗せていきます。



この時の店員さんの、

割る→乗せる→殻を店の片隅の殻入れに
視線を向けずに放り投げていく
という卵さばき一連の動作がお見事でした。

均一に焼くために、
一枚にかける時間を極限まで短縮しています。

そのあと、2枚の豚肉を
それぞれ八等分して乗せていきます。



そして全体に火が通ったら、



コテで切り目を入れ裏返してきます。



このあと、秘伝のソースを塗って、
二つに折ったら出来上がり。



すいた小腹にぴったりでした。

そう、まだ朝やけど、ビールは当然セットですがな。

このあたりはお店も大変充実しております。
店先に学生服を着た不気味なマネキンの立つ洋品店や、



演歌礼賛のお店、



奇抜な名前の散髪屋、



修学旅行生が喜びそうなTシャツの店



やたらと在庫の多いカバン屋さん



などが並びます。

そうそう、施設で暮らすスーちゃんに
ぴったりの前開きのおしゃれな服も
このあたりは大変充実しております。



食べ物も、食欲をそそるこんなお店があったり、



有名どころのお店があったりもします。



こ、これらは食べ方がわかりません





薬局のチラシもよく見ると



イチジクは知ってるけど、びわ湖浣腸は知りませんでした。
「コンドロイチン」には「ドイロン」が含まれてます。

そんな店を色々眺めているだけでも楽しく
また、社会勉強にもなる
散歩道ではあります。

大勢の人で賑わうこの界隈ですが、
シャッターの降りてるお店もいくつか見かけました。



ちょっと気を抜いたら、
激しい競争に生き残れないのかもしれません。

あっ、この先に川もないのに橋げたが見えます。



これはチェックしておかねばならないでしょう。

行ってみると、歴史の中で残された
ある橋の名残の跡でした。

続く


日本一長い商店街 その1

2014年07月20日 21時18分22秒 | ウォーキング

大阪ではボチボチ天神祭を迎えます。

今年も7月24日の宵宮祭、
25日の陸渡御、船渡御と
暑い夏に様々な祭りのシーンが繰り広げられます。



言わずと知れた、
今年、小説とドラマ「銀二貫」で
すっかりdoironのおなじみとなった
「天満の天神さん」の祭りです。

その天満の天神さんでおなじみの
「大阪天満宮」あたりから
天神橋7丁目まで一直線に続く
日本一長い商店街である
天神橋筋商店街を歩いてきました。

ここはアーケードもあり雨の心配はいらないし、
夏盛りとはいっても各店から漂い出てくる
冷房の空気もあるから、ありがたい散歩道なのです。

全長は約2.6kmで、
枝道にも並ぶ商店街を入れれば
かなりの距離にいろんな店舗が建ち並ぶ
大阪商人の故郷ともいうべき商店街群です。

そんな商店街に出かけた時は
おりしも天神祭りを間近に控えて、
どことなくそわそわした感じの漂う
7月中ごろでした。

おりたった駅は、JR環状線の「天満駅」。



ここから一旦北に向かい、
商店街の途切れたところから、
南下するようなコースを設定しました。

天満の駅を北に降りると、
もう、いきなり気を引く商店街の入り口が
いくつか口を開けています。



「穴場」てどんなとこかなあ。



「肉バカ研究所」にも興味あるなあ。

とまあ、いろいろ迷いどころですが
やっぱり、最初に決めたとおり
一旦北の天六東通商店街に向かいましょう。



それにしても、なんか昔懐かしい商店街ですねえ。

ダシを取ったジャコが店の前に干されています。



猫の餌食にならんのかねえ。

お~っと、カラアゲ屋さんもユニークなネーミングです。



こういう一風変わったネーミングは
このあとも随所で見かけました。

例えば・・・



こんなお店はずいぶんムズムズするネーミングですな。
「閣」ですよ「掻く」ではありません。



これはとっても手前味噌なお店です。



ここでは、悲しみを抱えて行っても
お店の人があやしてくれるんでしょうか。
期待度大ですねえ。



こ、これは「-」が一文字足りないんとちゃいますか。

とまあ、そんな突っ込みたくなる名前のお店が
いくつも並んでいる商店街でした。

天満の駅から
一旦北に向かうこの商店街を通ってきた目的の一つに、
「沖向地蔵尊」への訪問がありました。



このあたりは昔は湿地が広がっていて、
それを「埋め」て田にしたのが「梅田」、
このあたりは天満葭原(よしはら)
と呼ばれていたそうです。

すぐ近くまで海が迫り、
そこに行基様が作った
大阪七墓のひとつがあり、
そこに祀られたのが、
この「沖向地蔵尊」です。

西の海に向かって立っていたそうですが、
今、地蔵さんの目から見た景色はこんな感じ。



う~ん、見通し悪いことこの上ありません。

当時の地形や様子をうかがわせる
タイムカプセルのような名前を持った地蔵尊でした。

天神橋6東の交差点に出たら、
「大阪暮らしの今昔館」が目につきます。



ここには、江戸時代の街並みが再現され、
ガイダンスはあの人間国宝である桂米朝師匠だそうです。

その米朝が昔にラジオで演じた

「地獄八景亡者の戯れ」の音源を持っています。

あれは名作ですね。

一度死んでみたくなります
(死んだけど・・)

しかしその日は商店街見物と決めていたので
そこに入りたい気持ちを抑えて、
横目に見るだけで、さあ、ここから一直線に南下です。

交差点の先からみたアーケードの入り口がこれ。



地面にはこんなプレートが埋め込まれています。



10(テン)と6(ロク)で「天六」です。
ほのかに渋谷「109」への対抗心を感じます。

平日の昼にもかかわらず、
商店街は多くの人で賑わっておりました。



その賑やかさに花を添えていたのが、
何本も建ち並んでいる

「天神祭ギャルみこし」の旗でした。



それは一体・・・続く。


小さな大自然

2014年07月19日 21時57分51秒 | 自然

今夏の大イベントであった
大自然に抱かれた北海道旅行も終わり、
季節はどんどん進んでいく。

そして北海道のような大自然ではないけれど、
doironが住んでいるこんな小さな街でも、
自然はいろんな営みの姿を見せ、
季節の移り変わりを教えてくれる。

では最近のほっつき時に、
目についた自然のことを
つらつらと書いてみよう。

今年も気がつけば、
1週間ほど前から大阪でも
クマゼミが鳴き始めている。
あのジャンジャンなくセミの声と、
モクモク湧き上がる入道雲は
すっかり夏の風景である。

いつも散歩する公園のヤマモモは
北海道に行ってる間にすっかり落ちてしまい、



今年のヤマモモ酒はついに作れなかったな。
収穫をミセスに委託をしておけばよかったなあ。

樹の下で傘を逆に広げて
わっさわっさと枝をゆすると、
時期が良ければヤマモモの実が
わんさかと落ちてくる。

おばさんが一人でやる作業じゃないけどね。

そんな公園に向かう散歩道で、
恐ろしい光景に出会った。

これ。



巨大なムカデが羽化前のセミを捕まえて、
貪り食っている姿です。
おそろしいでしょ~

近寄りがたいこの景色に、
思わず足が止まってしまいました。

こんな小さな神社の鎮守の森でも
食物連鎖はそこここで展開しています。

こんな葉っぱの上の蛹も



いつ鳥や他の虫に襲われるかわかりません。

そうそう、先日庭でゴーヤとトマトのお世話をしている時です。
物干し台の先にトンボが1匹止まっていました。



近づいて行っても逃げる様子がありません。
指を伸ばしていくと、
触る寸前に飛ぶのですが、
すぐさま同じところに戻ってきます。
それを何度繰り返しても行動が
doironを馬鹿にしているように同じなのです。

よほどその物干し台の先っぽが
気に入ってるんでしょう。

ん?待てよ。

ということはそれは何か理由があるからなんだな
と思って下を見ると、
メダカの甕の真上でした。

ははーん、さては卵を産みに来てるんだな。

以前、車で信号待ちをしている時に、
白い色を水面と勘違いして
灼熱のボンネットにトンボに卵を産み付けられたことがある。

それはトンボの勘違いで、
卵は一瞬にしていり卵になってしまったのだが、
まあそれほどまでに
トンボにとって卵を産み付けるということは
大事業で命がけの行動なんだろう。

物干し台に止まったトンボも、
甕に浮かべた水草に卵を産みたい一心で、
doironの指先攻撃にもめげず、
その場所を死守したかったのに違いありません。

しかし、そうはさせません。
もし万が一そこに卵を産み付けられて孵り、
ヤゴにでもなられた日には
大切なメダカさん達が餌食になってしまいます。

これは阻止せねばと考えた挙句、

納戸にあったBBQの古い網を持ち出して、
甕の上に置くことにした。



これで完璧だろう。

ただ、もう既にいくつか卵を
産み付けられてしまっている可能性も否定できません。
でも孵化した直後ならメダカさん達も勝てるかもしれません。
そういう自然の摂理に期待しつつ、
一方でしばらくは甕の中を注視していなけりゃならんな
と思ったトンボ事件が先日ありました。

その後、写真に写っているトンボのことを調べてみたら、
そのトンボはなんと
オオシオカラトンボのオスでした。

オス~?

じゃあ、卵を産みに来てるんじゃなくて、
水辺に飛んでくるメスを待っていたのかも。

あるいはもしかしてdoironの知らないうちに
その甕で生まれて羽化したばかりの
トンボだったのかもしれません。

身近な小さな自然にも
いろんな大自然のドラマが潜んでいるんだと
しみじみ感じていたdoironなのでした。


山と街の道歩き本

2014年07月18日 21時36分58秒 | ウォーキング

街道歩きや山歩き、街歩きに凝っていると、
古本屋や図書館で
やたらその案内本が目につきます。

それこそ山ほどの関連本が出版されているようです。

え、普通の本屋にもあるだろうって?
まあそうでしょうけど、
書店ではなるたけそういうコーナーには
近寄らないようにしています。
貧乏なくせにすぐに欲しがるもんですから。

それにすでにこの手の本は、かなり揃えました。

これ。



右端は、某図書館の処分本の古本市で買いました。
これは古いけど、かなりのコースが
紹介されているので、
それを参考に今の地図と照らし合わせて使います。

お気に入りは右から7冊目。
山と渓谷社の本ですから
なかなか良い山歩きコースが
紹介されています。

左から3冊目は親父の本棚から
頂戴したものです。
先日歩いた巡礼道が書かれてありました。
駅から歩いて駅に着くというのが
やはりいいですねえ。
ビールも飲めるしね
それにバスと違って
時刻表を気にしなくて済みます。

これらは、たいてい
古本屋さんで税抜100円で購入した本です。
それに、各電鉄会社が出している
駅から歩こうシリーズの
パンフレットなんかもかなり充実していますので、
さほど新刊本は必要でもないんでね。

そうして、かなりこの辺の資料は
集まりました。

ところが本日、
義父の見舞いに行くときに
立ち寄ったコンビニで見つけてしまったのです。

この本。



よくある本なのですが、
表紙の写真にハゲしく魅かれてしまいました。
だって、だって、秋に予定している
ジダンとのコラボ企画目的地である
「友ヶ島」が写っていたんです。

買おうか、
それとも立ち読みしようか
手に取って58秒は考えましたね。

あ、歳の数です。

で、結局買ってしまいました。

それを持って病院へ見舞いに行き、
待合室でじっくりと読んだところ、
これが正解でした。

まだ未知のコースで
面白そうなコースが結構乗っていたのです。

どれもこれから夏の真っ最中には
ちょっと暑くて歩きにくいコースですが、
秋にはこの本を片手に
しっかり歩いてみようともくろんでいるのでした。


夜間歩行2 ~満月の夜に~

2014年07月17日 21時29分24秒 | ウォーキング

以前、エイの帰りに首Dさんと勅使道を歩いた。

普段通り慣れている道も
夜に通ると新しい発見があったりするし、
何よりこの季節、
晩酌後に涼しい夜風に吹かれて歩くのは
とっても気持ちいいものだ。

あの時一緒に歩いた首Dさんが
まだ闘病中ということもあって、
ジムが休みの日に
ミセスと夜間歩行をしてみた。

「え~、僕を置いてどこへ行くの」
という不安げなグーに



留守番を命じてさあ出発だ。

これはdoiron村の地蔵さん。



昔はたしか石の祠に入っていたように思うが、
今は立派なお堂が建てられ、
当番の人により毎日きれいに掃除され
たいてい花が供えられている。
一時、スーちゃんもその当番をやっていた。

車でやってくる花屋さんが
いつも我が家の前に車を停めて
声をかけてくれたもんだ。
そういえば最近はそんな花屋さんも、
車で商売していた魚屋さんや豆腐屋さんも
とんと見なくなったなあ。
ちょっと車でスーパーに行けば
何でもあるもんな。

隣村に入るところには、
隣村の地蔵さんもある。
ここは「せきの地蔵」といって、



気管支系の病に効くお地蔵さんだ。
その隣には「足神様」と「子安地蔵」も祀られている。



え~っと、最近どうも喉がいがいがしがちだけど、
子作りに励んでいるというランナーさん
にはフルメニューの地蔵さんですね。

doironの場合、
心臓の病によく効いて、
頭がアフロの地蔵さんがいいなあ。
とつぶやいてたら、
ミセスが「どっちもない!」とすかさず否定。

あるかもしれんやん~。

とそんなことを話しながら歩いていると、
絵に描いたようなY字路に出た。



この分岐の左が
村の中心部に入っていく道で、
doironの小学校への通学路だった道だ。
右からくる道が多分和気道だろう。

そこを左に入っていくと、
家の前に人影が・・・



兵馬俑です。
暗かったのでよくわかりませんでしたが、
ちょっとドキッとしました。
まさか口が郵便受けになっているなんてことはないでしょうな。

その先には公園があります。

おお、ここには夜でも陽気なお仲間がいます。



「あんたみたいなんいてるで」
というミセスの声は無視しつつも、
写真をパチリ。

そういえば、この村には、
教育方面の本をたくさん書いている著者の方が
住んでおられ、
その人は、晩年日本中を訪ね回って
「野の仏」を取材した本を出版されている。

先日図書館でその本を借りて読んだけど、
たしかにアフロの仏さんはおられないようだった。

パンチパーマの仏さんはおられるようだけどね
(大仏さんみたいな)。

ここでもミセスに
「罰当たりなこと言うてたらあかん」としかられた。

そんな村中を抜けて、
今年開通した新しい道に出た。

夜に見ても自転車道のブルーが鮮やかだ。



それを市のはずれまで歩き、Uターン。

道端の畑や歩道の植え込みを観察しながら歩いた。

これは早くも咲いている「コスモス」。



この季節に咲くのもあるんやねえ。

そしてこれは、昨秋まるで
きOたまみたいな実が成っていた、
勝手に名づけた「キンOマソウ」の花。



写真じゃわかりにくいけど、
その実の姿に比べて
可憐な花がつくんやな。

スワっ、木が燃えている!



と思いきや、これはその名も「スモークツリー」。

「またさっきの花みたいに
勝手に名づけているんちゃうん」というミセス。

「あのねわしもたまには本当のこと言うんやで」
とまあ、そんな具合にうだうだ言いながら
ご近所の夜間歩行を終えて、
ここまで帰ってきた。



参道の先の鳥居の上に、
満月がきれいにかかっていた夜間歩行、



これにてゴール。


ひ、膝に激痛が・・・後編

2014年07月16日 21時05分12秒 | スポーツ全般

近所にある整形外科は、
高齢者が多く
普通に行けば待ち時間が死ぬほど長い。

現に待合い中に亡くなった方がいたとかいなかったとか・・。

そこで近所の利をいかして
朝イチで診察券を入れに行き、
大体の時間を見当つけて
ふたたび診察に行くことにした。

そうして一旦家に帰ってきて、
原稿の準備をしている時だ。

ふと大変なことに気がついた。

この膝の痛みは、もしかしたら・・・。

まあ、でも一応レントゲンは撮っておかなくてはと、
頃合いを見て病院に向かった。

順番が来て、膝のレントゲン写真を4枚撮影し、
医者と向き合った。

「膝をどうされたんですか?」
「いやあ、ネイマールに膝蹴りを食らわした時にいためてね」
「な、わけないでしょ」
「へへ。で、レントゲンの結果はどうですか?」
「お歳の割にはすごい立派な骨ですね」
写真を見ながらまずそう告げられた。

「骨に全く異常はありませんよ」
少しホッとした。

「で、半月板なんですが・・」
むむ、きたか。

「傷もなくまっすぐできれいなもんです」
ほうほう。

「これで考えられることは・・」
うんうん、何なに?

「痛風ですね」。

やっぱり

朝、自室でふと思ったことは間違いではなかった。
実はそのことに思い至った時に、
前の職場のランニングの後輩で
痛風の大先輩であるI田クンに電話をしたのだ。

すると、彼に痛風が出たときと症状が全く一緒。

彼が初めて発病した時も
2日前にウエイトをして、
傷めたのだと思ってレントゲンを撮りに行った
という経過までそっくりだった。

そうか、痛風だったか。

尿酸値が高いのは知っていた。
定期的に行ってる健診で指摘され、
薬まで処方されているのだが、
それを飲んだ初期には
まれに痛風が出るとも書いてあったので、
飲むのは症状が出てからと思って
ずっと飲まないでいたんだよね。

北海道でご馳走食べてはしゃぎすぎたかなあ。

結局、消炎鎮痛の点滴をしてもらい、
痛みどめの飲み薬と湿布を大量に処方してもらった。



点滴の効果はてきめんで、
2時間ほどすると痛みがどんどんひいていき、
5時間もするとあの痛みは何だったの?
と思うほどまで快復した。

今はもうすっかり痛みも腫れもひき、
全快状態である。

薬をたくさん処方してもらったので、
これはもう心強い。

ジム友に「これからはビールも減らさないとね」
と言われたが「薬があるもん」と
全然懲りていないdoironなのでした。

とりあえずギプスで海水浴というのは
回避できたし
街や山歩きも継続できることとなり
ホッと胸をなでおろしたのでありました。

人間、痛みがあったりすると
思いのほか弱気になるもんですね~

すみません。御心配をおかけしました~


ひ、膝に激痛が・・・前編

2014年07月15日 21時13分44秒 | スポーツ全般

先日ジムでウエイトをした。

大体は腹筋、背筋、カーフレイズがメインだけれど
その日は久しぶりにレッグプレスをした。

レッグプレスをするときは、
座って前の板に足を置くときに
膝に負担がかかるので
あまり下の方に置かないこと、
膝を伸ばしきらないこと
などに注意しないといけない。

このウエイトは現役時には200kgで行っていたが、
いまは150kg位で15回を心がけている。

久しぶりにそれをやり、
そのときは心地よい疲労感に浸っていた。

ところがその二日後あたりから
膝がじんじんと痛み出した。

見ると全体に赤くボーっと腫れており、
触るとかなり熱を持っている。



アチャー、ウエイトで無茶したのかなあ
と先のウエイトをハゲしく後悔しつつ、
とりあえず湿布をしとこうと、
義父の遺品の中にあったのをペトっと貼っておくことにした。

その段階では、筋を痛めたか
悪くて半月板をいためたか
としか思っていなかった。

「これからは歳を考えて運動しなきゃな」
とその時は思っていたくらいだ。

しかし、それからも膝は痛み続け、
夜、布団に入っても痛みはひかず、
翌日、ジム友の勧めもあって
百均で氷を入れてアイシングする氷嚢を売ってるというので
さっそく買ってきて、アドバイス通り15分間冷却を試みてみたりもした。



しかし、効果はなく、ますます痛くなる一方ではないか。

腫れた膝をおそるおそる触ると、
膝の中よりも表面に痛みが走るので、
もしかしたら膝の皿にヒビでも入ったのか
と疑ってしまうほど、被害妄想はひろまった。

もしそうだとすると、これは長引きそうである。

ギプスをして親父の病院見舞いや
取材に行く自分の姿を想像してしまったり、
暑い時期なので、ギプスは蒸れるだろうなあと、
そんなことまで考えた。

そしてさらに妄想は深まり、
傷めたのは幸い左ひざなので、
車は運転できそうだから、
友達と海には行けるかなあとか、
治った後のリハビリが大変やなあとまで思っていた。

それどころか、もしこの痛みが引かなかったら
自転車も乗れないし、
山歩き、街歩きもできない。
これからは水泳しかないな
などと最悪まで考えてしまっていた。

身体のことに関しては、
現役のころは、ネイマールのように
腰椎骨折をしてもすぐに治るさと
全然楽天的だったのに、
宝塚であんなことがあってからは、
どうしても思考がマイナスに向かってしまう。

またそれほどに、痛みがひどかったのだ。

階段は降りれないし、歩くのさえ
杖がほしいほどにまでなっていった。

そこで意を決して、さらにその翌日に
整形外科にとりあえずレントゲンを撮りに行くことにした。

もっと早く行けばよかったのだけど、
腫れているのは治そうと体が頑張っているんだ
みたいな変な過信があったのかもしれない。

で、ここまで読んで、さては・・・
と思われた読者の方もおられるかもしれませんが、

案の定、レントゲンを撮った結果、
衝撃の事実を告げられたのです。

続く。


北の国から日常へ

2014年07月14日 20時32分51秒 | 生活

大蝦夷物語もようやく終わりました。

こうして毎日北海道のことを書いていると、
まるでまだまだ今も
あの北の国の余韻に浸っているように
思われるかもしれませんが、
そんなことはありません。

朝食には北海道バターも使わず
マーガリンを使っています。
昨夜食べたアスパラは北海道産ではなくて
カナダ産です。
ジャガポックルを食べるときだけ
なぜか目線を遠くにしてしまうくらいです。
それに、帰ってきた翌日から
ハードな介護の日々が始まっています。

帰ってきて荷物もすべてほどかないうちから、
実父の病院付添いがありました。
北海道だったら病院通いも大変でしょうねえ。
雪の季節なんかはさぞやハードでしょう。
雪用の車いすなんかあるんでしょうかね。

その日の親父の診察は、午前中で終わったのですが、
数日後に丸々一日病院に付き添った挙句、
入院となりました。
前回の退院から3週間は経っていません。

通常、入院となると、
色々と準備が大変なんですが、
その点は慣れたもんです。

災害時の非常持ち出し物品のように
常備してある入院セットを持ち、
薬情、病歴もすぐに出せるようにしてありますから。

実父を車いすに乗せて入院が決まるまで
病院内を検査や診察でウロウロしていると、
その病院には何度もお世話になっているものですから、
親父はすっかり有名人になっており
「doironパパさん、こんにちは~」と
何人かの看護師さんから声がかかったりします。

さすがに「元気ですか~」とは言われませんがね。

で、結局親父は今も入院中で、
毎日見舞いの日々が続いています。

おかげでこちらもすっかりスタッフと顔なじみになりました。

「北海道はどうでした?」
なんて聞かれることはさすがにありませんがね。

実父にはそんな風に振り回されていますが、
先日亡くなった義父の方も
後片付けが色々と大変なんです。

入っていた施設に行ったり、
市役所に行ったり、
年金事務所に行ったりと
手続き関係に往生しています。

先日は携帯電話の解約に行きました。
するとどうでしょう。
携帯電話って、自動的に2年間の契約になっていて、
途中で解約すると違約金がかかるんですね。

義父の場合、ちょうど今が1年目で、
今解約すると1万円以上の解約金が発生するとのこと。

それならと、一番安いプランに変えて、
一年間持っていた方が安い
ということになるのでそうすることにしました。

その間に義父の知り合いから
事情を知らずに電話がかかってきたりするかもしれないし、
もしかしたら、天国の本人から
かかってきたりするかもしれないしね。

それにしても携帯の契約って
そんな仕組みになっているんですね~。

他にも義父の後片付けは
仏壇を買いに行ったり
四十九日の法事の準備をしたりと
まだまだ当分続きそうです。

義父はあまり人との付き合いもなく
マイペースの人生を送ってきた人なんですが
こうして後片付けに回っていると
一人の人間が生きていくということは、
この世で本当に多くのことと
つながっていくということなんだなと
あらためて感じさせられている今日この頃です。


大蝦夷物語~花とほっつき編~

2014年07月13日 20時56分58秒 | ウォーキング

今回の旅を代表する花は3種。

湖岸や海辺でよく見たのが

「ハマナス」



あの名曲「知床旅情」にも登場する花だ。
ということはあの歌の季節は今頃ということやね。



絵に描くとき、この紅色を出すのは難しそうだ。

ちなみに「ハマナス」は茄子に関係しているんではなく、
実がナシの実に似ているところから
「ハマナシ」と言われ
それがなまったものだそうだ。

そして、この二つはたいていセットで咲いていた
「エゾスカシユリ」





「エゾキスゲ」



どちらも咲くところには群落を作っていたな。



北海道に咲くことが多かったり、
北海道の固有種にはこの
「エゾ」が接頭語のようにつく。

小清水原生花園にあった
エゾカワラナデシコ





エゾノシシウド、



エゾノコギリソウなどもそうだ。



他にも「シコタン」や「チシマ」などの接頭語がある。

美幌峠にはチシマフウロが咲いていたし、



釧路湿原にはチシマキンポウゲも咲いていた。



野付半島で一番目立っていたのは

「センダイハギ」



名前は聞いたことがあるものの実際に見るのは初めてで、
そこではそれこそ普通に咲いていた。

釧路湿原では本当なら湿原らしく
モウセンゴケやタヌキモなんかも見たかったけれど、
周囲を歩いただけではなかなか出会うことはできなかった。

オオヤマハコベも初めて出会った花だったな。



あと今の季節はヤマブキショウマも目立っていた。



道端にはコロボックルが潜むフキがずらっと並び、
広い空き地にはオオアワガエリなどの牧草が生い茂っていた北海道。

何もかもスケールがでかく広大でしたが、
道端をもっとよく見れば
他にもいろいろ咲いていたのかもしれないな
と思いつつ、これにて大蝦夷物語終了です。

あ、最後にジダンへのお土産映像がありました。

マンホールの蓋(略して「マンふた」)です。

これは佐呂間町のもの。



かぼちゃの姿をしたキャラクターが
ホタテの帽子を掲げています。
名前は「モモちゃん」です~

そしてこれは湧別町の下水のマンふた




コミカルな牛クンが書かれてあります。

一方これは何のマンふたかわからなかったけど



デザインの中にある「勇」の文字から
湧別町のモノであることがわかります。
星の絵柄が何となく開拓魂をにおわせています。

さ、お土産画像もアップしたところで
本当に終わりましょう。

長々とお付き合いありがとうございました。


大蝦夷物語~北の国から編~

2014年07月12日 21時05分04秒 | 最近の出来事

旅行社とサロマツアーの打ち合わせを電話でしたとき、

3日目以降のこのあたりは完全にオプションコースとなっていた。

いやオプションというより、
特別オーダー的な注文である。
「釧路湿原のすぐそばにあって、温泉であること」を条件に
チョイスしてくれたのがここ。



釧路市農村都市交流センター「山花温泉リフレ」。



釧路市が建て指定管理者が運営する施設だ。
本州ではありえない広大な敷地に、
2階建ての広々とした建物が建っている。
とても築16年とは思えないきれいさ。

温泉は海水と同じ塩分濃度の
中性高張性温泉で源泉100%の湯だそうだ。

湿原の底から湧き出たのではなく
太平洋の北端に湧き出る温泉なんだろう。
利用者はdoiron一行の他には3,4組しかなかったので
温泉はがらすきなので、
こんな撮影会も実施。



タイマーで撮影した本旅行最大の野生動物衝撃ショットがこれ。



広い温泉独り占めでした。

食事もこれまでバイキングと居酒屋だったので、
懐石コースが新鮮だったな。

翌朝、例によって早朝に目覚めたので
施設周辺を散歩。
ここでも「クマ出没注意」が気になって、
都会者は何となく周囲を気にして歩いてしまう。

そしてさあ、いよいよ今日は最終日。

新千歳まで一気に移動しなければならない。

約350キロの運転だ。

借りたレンタカーは黒のセレナのハイブリッド。
運転は快適なのだが、
いかんせん一人で運転だから大変なのだ。
(旅行中に1300キロを運転しました)

この車、借りた時は実に新車状態であり、
しかも最先端の機能がある車だった。

センターラインを超えそうになったらピコピコ鳴るし、
オートクルーズ機能もあるものの
どれも使いきれない。
また最近はやりの
衝突防止のオートブレーキ機能もあり、
一度試してみたかったが
それはなかなか勇気がいるので無理。

ま、とにかくそんな便利な機能は使うこともなく、
力づくでの運転しかできなかったわけである。



それでも5日間旅を共にしたから、
帰ってきてからすぐのときは
普段は白い車に乗っているのに
スーパーの駐車場で思わず黒い車を探してしまったよ。

そうそう、期間中に
「自分の車でなくてよかったなあ」と思ったことが
ひとつあった。
それは、とにかく車にぶつかってくる
虫や昆虫が多かったこと。
ひどい時は雨が降ってきたのかと思うほど
車にパラパラと音を立てて虫がぶつかってくる。
5日後の返却時のフロントバンパーあたりは
そりゃあひどい状況だったもんね。

さあ、出発だと車に乗ってナビを入れると、
かなり発達している
高速道路を経由すれば
時間に余裕があることがわかったので、
今の季節は多分ラベンダー盛りであろう
ということで

富良野に立ち寄ることにした。

道東道をすっ飛ばして、
トマムから一般道を一気に北上。

最初に行ったのがあの名作ドラマ

「北の国から」

の舞台となった麓郷の森だ。



あの黒板五郎が遺言で
「オオハンゴンソウの黄色の向こうに・・・
拾ってきた家を建ててくれると嬉しい」
と書いた“拾ってきた家”を集めた施設に着いた。

う~ん入場料を払ってまではなあ、
駐車場から見えてるし。



なのでここでは土産物屋さんと
トイレだけ済ませることにしようと言ってたら、
一台の高級バスが到着。

おりてきたのが、

な、なんとあの屈斜路湖畔で、
ラーメンを食べていたdoiron一行の横で、
巨大毛ガニとタラバに格闘を挑んでいた
中国人の一行であった。

彼らは何のためらいもなく中に入っていったな。

うう、日本人がみじめぢゃ。


そこから富良野のラベンダー畑に行ってから



駅前で、



ドラマにも何度か出たちょっと有名な食堂
「くまげら」に立ち寄った。



ここで北海道最後の昼食に、



名物の富良野カレーを



中国人の影に怯えながらいただいたあるよ。

新千歳からは最終便で帰阪した。

機内で飲もうと
ペットボトルに移し替えたワインが
荷物検査で引っかかり、
「中身は何ですか?」と聞かれて
「高級ワインです」と言い切ったdoironを
冷たい目で見送る保安員に別れを告げ、
レースの応援に興奮し、
大自然の懐に抱かれた
大蝦夷の旅行は終わりを告げたのでありました。

もう少し、花とほっつき編に続きます。