ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

事実経過

2010年12月27日 23時07分05秒 | 最近の出来事

あなたは死んだことがありますか?
僕はあります。

そう言える人はそんなに多くはないでしょう。
誰しも一度は死ぬ運命なのですが、
たいていは1度だけです。
その一度の経験を
生前にしてしまうという
すごい体験をdoironはしてしまいました。
今日のブログは
そんな体験を
赤裸々に綴る、このブログ最大の
問題作となるかもしれません。
文字通り、命を賭した体験談です。


平成22年12月23日
穏やかな気候の中で
開催されたハーフマラソンに参加してきた。
ハーフマラソンは、昨年の吉野川以来でした。
最近、腰痛も快方に向かっていたし
何より、長年苦しんだ
不整脈もほぼ治まりつつあった。
なので練習も結構順調に行っており
久しぶりのレースなので
ハーフの距離を、じっくり2時間かけて楽しむ
そんなつもりでの参加でした。

後方からスタートした直後は
選手が多い上に道も狭くて全く進まずでした。
最初の3キロで22分もかかったのをみて
「今日はもうタイムなんて気にせず
気持ちよく走りきろう」と
ジョグに徹して走ることにしました。

河川敷のコースは単調だったけど
それなりに色んな橋をくぐったり
アスファルトあり、芝生あり、でこぼこ道ありで
あっという間に折り返しがやってきました。
選手の中には、十字の入った
ビブスを被りながら走っている人もいて
「ああ、お医者さんも最近は
結構走ってるんやな」って感じで
眺めていたのを記憶している。
普段はあまり思ったことのない
そんなことに気持ちを向けたのも
その後のことを暗示していたのかも知れない。

このままのペースで走っていれば
2時間ちょっとでゴールできるな。
吉野川のときは、
歩いたり走ったりしながら
ゴールだったもんな。
身体と練習って正直なんだ、などと
考えながら、平然とゴールに向かっていた。

そしていよいよゴールが近づいてきたときだ。
ゴール手前20mくらいのところで
知り合いから声がかかった。
「おお~い、お疲れさん」
とこちらから手を上げて声に応えるほどの
余裕であった。
そして、ゴールまであと10mくらいのところで
急に気分が悪くなってきた。
あれ?なんで?今まで平気だったのに・・・
と思うまもなく
目の前が暗くなってきた。
ゴールまであと2m。

倒れた。

こんなところで倒れてたら
後から来る人の邪魔やから
とりあえずゴールしよと思って
立ち上がろうとしたが
手足に力が入らず
再び転倒!
おでこを打って
地面にキスをした。

あれ?変やなあ。息も荒い。
はあはあはあ

もう一度、今度は慎重に立って
ゴールをとりあえず超えたところで
係りの人に抱えられた。
そのまま、足を引きずるようにして
救護テントに運ばれた。
柿色のテント、白いタオルケット、数名の看護師さん。
上向きに寝るのがイヤで
「このまま横に寝かせておいて」と頼んだが
「あかん、上向かなあかん」といわれて
身体を起こされたところで


記憶は途切れた・・・


次に目覚めたのは
まさに救急車に乗せられようと
しているときだった。
あれ?なんで救急車に乗るの?
目が覚めたから帰れるのに。

「すみませ~ん、降ります、降ります」と
叫んだ。
まるで、ワンマンバスで運転手さんに声をかけてるみたいに。
「あかん、あかん、何言うてんねん!
帰すわけにはいかん」とえらそうに言う。
「いや、もう大丈夫やから。荷物もまだやし」
「あんたなあ、心臓止まってたんやで。帰れるわけないやん。
名前が言えるか?」
と聞かれて、普通に「doiron」ですけどと応えたら
「今度は、手を動かしてみ、足は?」
変なことを言うなあと思いながら
言われるままにしてたら
「よかったなあ」だと。

で、心臓止まってたってどういうこと?
と状況がよく飲み込めないまま
救急隊員の毅然たる決意に気圧されて
とりあえず病院に行ってみるかと
考えているうちに、すぐに病院に到着した。
あとで分かったのだが
そこは会場から
歩いても15分くらいのところにある
大きな病院でした。

ストレッチャーってうまく出来てるなあ。
救急車の乗り降りもとてもスムーズだし
病院に入っていくのも
まったくストレスフリーだ。
なんて考えていたら
部屋に入っていきなり全裸にされた。

ウヒャー恥ずかしい

そして、足の付け根、
つまりソケイ部にぶっとい針を
打ち込まれた。
あれ?これはどこかで見た景色だと
思いながら、ようやくこのあたりから
ことの重大性がわかってきた。
(以前、心臓カテーテル手術のときに
ソケイ部の注射は何度も経験している)
そして畳み掛けるように
足を動かして!
名前を言って!
住所は?電話番号は?
手は動く?
これが見える?
と質問攻めである。

どうやらこれはdoironの
バイタル検査のようであると
さすがに汲み取ることができた。

そしてすべての質問に答え終えたら
次に、医者らしき人が
顔を覗き込んで説明を始めた。

ゴール後、心肺停止状態になり
人工呼吸、AED措置で
2分後に蘇生したこと。
奇跡的に後遺症がないようだとのこと。
3分が生死の境だということ。
そして、しばらく入院となること。
が淡々と告げられた。

もう状況は完全に把握できた。
そりゃ帰れないわな、と
この時点でようやく観念した。

集中治療室に運ばれ
普段スーちゃんに付けてあげてるような
紙おむつが下半身に巻かれた。
う~ん、スーちゃんは
こんな感触なのか。
正月に家に居るときは
普通のパンツでも穿かせてあげようかな。
なんて考えてしまいました。

体中に、管やらチューブやらが差し込まれ
「ロボットみたいやな」って言ってたら
看護師が笑った。

その夜、主治医となる循環器の
T医師がベッドに来て
今後のことを説明してくれた。
doironのその時の状況や
既往歴も説明し、
いろいろと原因を議論、やがて
こんな提案がなされた。

「あんたの今回の心肺停止の原因は
多分あんたの既往歴からきているもんやろけど
原因は出来るだけ排除しておかないと
いけないからカテーテル検査もしておいた方が
良いと思うんやけどやる?
ただし、2~3000人に一人は死ぬけど」
というのだ。
この先生のざっくばらん度はどうだ。
でもかえってこのときはそのざっくばらん度が
とても信頼できるような気がしたのだ。
よほど自信がなければこんな言い方は
しないだろうし。
その時点で、すっかり状況を飲み込んでいたdoironも
お返しにざっくばらんに返事をした。

「どうせ一度死んだ身ですから
先生にすべてお任せします」

「よっしゃ!ほな今からやるで」

てっきり正月明けにでもここに来て
色んな検査をした後やるもんだと思っていたから
今からと聞いて驚いた。

「ただあんたはようわかってるから、サインはするやろけど
死んだら家族がなあ」と先生が言うので
「ここから電話しますから聞いといてください」といって
ミセスdoironに電話をし
無理やり了解を取り付け
それを先生にも確認していただいた。

準備が出来たら呼ぶよと言われて
1時間あまり待った。
その間もずっと自分の選択は
間違っていないと言い聞かせつつ
どうせ一度死んでるやんと繰り返し
説得させたりしているうちに準備が整ったようだ。

「行くで」という先生の声を合図に
右手の手首の動脈にカテーテルが打ち込まれる。
痛みはあまりない。
身体にどんどんカテーテルが進入してくる。
でも、太い動脈に打ち込まれているから
それほどの違和感はない。
「造影剤入ります」という先生の
合図の直後だった。
「あ、狭窄があるわ。doironさん見せたるわ」

画面が顔の近くに持ってこられた。
そこに写っていたのは
心臓を取り巻く太い動脈
すなわち冠動脈のうち
一番太い部分の血管が
いびつな砂時計のように
一部くびれている。
「ここやねん。わかるやろ」
確かに一目瞭然でした。

「doironさん今からもう治療するで、ええやろ?」
と先生が言うので、「お願いします」としっかり応えた。

結局、狭窄部分にステント
(血管を広げる金網の筒のようなもの)
をいれ、すべての手術は小1時間で終わった。

カテーテルを抜き、
止血作業をしているときに先生がポツリと言った。
「doironさん、あんたテレビの
九死に一生スペシャルにでれるくらい
奇跡的に運のいい人やで」
まず第一に
倒れたのが、AEDのすぐそばだったこと。
あれがゴールから100mでも離れたところだったら
そこへスタッフが連絡を受けて駆けつけるだけで
3分間のアドバンテージを使い果たしていただろう。
すなわち、蘇生していなかったか
よくて半身or全身マヒまたは寝たきりだったという。
あんたは神様に導かれるように
AEDに向かって走ってきたんやと先生は
しみじみと語ってくれた。

もし冠動脈の狭窄が原因だったとしたら
日常生活のどの場面で起こっても
不思議じゃない。
たとえ家であったとしても
あんたは助かってないんやから。
と何度も何度も「奇跡は起こるんや」と
呟いておられた。

ある人はdoironにこう言った。
「4人も親の介護の面倒を見てる
doironさんを神様が見捨てるわけがない」
たしかにそうかもしれない。
誰かのために生きることについて
ブログを書いたばかりだ。
もしかしたら、神様も読者?

そしてまたある人は言う。
「年内の出来事でよかった。
今年は最後の最後まで色々ありすぎたdoironさん。
これで来るべき新年は新たにリセットで
もうこんな目にあうことはないよ。」と。
そうであることを切に願うばかりだ。

あなたは死んだことがありますか?
僕はあります。

あの記憶の途切れた
濃密に真っ暗なところが死なんです、きっと。
三途の川も花畑もない完全な「無」。
「命」って案外あっけないのかもしれません。

もう少し明日に続きます。