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いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

ドジ旅日記豊臣秀吉の陰謀5

2019年10月14日 23時27分02秒 | ウォーキング

でも江戸時代は秀吉を
信仰することは妨げられていた
ようですがひそかに祀る
人々は集まっていたようです。

この神社の奥にはとても立派な
スダジイが生えています。



樹齢は500~800年なので
江戸時代にはもう生えていました。
秀吉の信者はその木の下に
集まっていたらしく、
秀吉の名前が
「木下藤吉郎」だったことから
「木の下」に集まったようです。

そしてさらに彼は昔
「日吉丸」と呼ばれていたことからも
神社名と関連しているようですし、
狛犬ではなく狛猿が
置かれてあるというのも
「猿」と呼ばれていたことからも
関連があるようです。

このもと社という社もありました。
ここも木下という名前と符合しています。



秀吉の陰謀とそれを取り巻く人々の
思惑が、どこかで一致している
というような、ここは
そんな神社でした。

この神社を出たらさらに
東向いて進んでいきましょう。



京都女子大学なんかの横を
通っていきます。
そこにあるバス停なんかは
女子大学生でいっぱいです。

ネットを見てみても、
いつも女子大学生に会える
心弾む道です、なんて
書かれてありましたよ。

ま、そんなわけですから
ジダンと一緒に歩いていると
二人にサインを求められないかと
かなり気を遣う道路なわけであります。

このコースの先端が豊国廟、
すなわち豊臣秀吉の墓というわけです。

高野山にもありましたねえ。
いくつか各地に墓はあるようです。
でもまあここが秀吉の墓地の
総本山ですな。
どうも彼の遺言で、この阿弥陀が峯の
てっぺんに埋めてほしい
といっていたようです。

森の中に入っていくと、
墓の入り口があります。



「今日は秀吉の命日ですよ」
という案内がありました。
なんかそんなイベントも
行われていたようですね。



「山頂の墓まで行きますか?」
という質問だったので「はい。」と
答えておきました。

「時間で30分ほどかかりますよ」
と言ってきます。

そうここには500段をこえる
階段が設置されているのです。

秀吉墓、階段登り競争なんて
ありませんわな。

まあdoironは涸沢から帰ってきたばかりだし、
ジダンも山行きの日々を
過ごしているわけですから
登れないわけはないでしょう。
ではその階段登りに
取り掛かって行きましょう。



スタスタ、スタスタ。

なんか歩きやすいなあと思ったら
階段がうまい具合の配置になっています。
わりとスムースに登っていけます。

どわーと登っていきますと、
うまい具合に休憩所があって、
またそこから階段が続いていきます。

とちゅう、Tシャツを着た男性が
階段に座り込んでましたね。

むむ、もしかしてこの階段は
もっと先があって、もっときついのか
と思ってしまいましたが、
やがてすぐに階段の上に
大きな五輪塔の墓が見えてきました。



いや待てよ。
もしかしたらそういう甘い考えは
秀吉の陰謀かもしれないぞ。
ここが中間地点で、
この先に・・・とか考えているうちに
到着しました。



やはりその五輪塔がお墓のようですね。

昔からこれが立っているのか
とおもいきや、これは明治8年に
後の世の人が建てたんだそうです。

その工事の際に、素焼きの壺に入った
秀吉の意外と思われるものが
見つかったそうですが、
白日にさらされるという陰謀に合わずに、
丁寧に埋葬されたそうです。

この五輪塔の近くに、
孫の国松の墓もあるそうです。
彼は8歳という身の上で、
家康により京都市内引き回しの上
斬首されたという
かわいそうなお孫さんです。

家康の陰謀は情け容赦ないですねえ。

さあではお墓参りをして帰りましょう。
帰りに階段を見たら
先ほどの座り込んでた
Tシャツのおじさんが
さらに上に座っています。

ああ、秀吉の陰謀の圧力を受けて
へとへとになって下っている
のではなく、上る途中の
休憩だったのですねえ。

う~ん、辛そうでしたな。

続く



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