馬の古墳から太子道に戻る途中に
ローソンがあったので、
ここでコーヒータイムです。
最近はコンビニもいろんな
サービスがありますねえ。
ホットコーヒーもその一つ。
駐車場の片隅でコーヒーを飲みながら、
今日の歩きはどうかなあ、
次はどこ行こうかなあなどと
考えながらひと時のんびりします。
さあ、では次は黒駒の舎人である
調子麻呂のお墓に行きます。
案内に沿って進んでいきますと、
あれ?ここに左に曲がる
まっすぐの道があるはずやのになあ。
もう少しこのまま進んでみるか
と歩いていると、斑鳩東小学校に出ました。
ああ、一本間違えたけど
すぐに戻れるなあと、
富雄川の方に向かいました。
すると、道の横に看板が立っています。
ああ、ここに古墳の説明がありますよ。
この看板の向こう100m位のところに
あるのが「調子丸塚古墳」です。
これですね。
古墳を比較すると
駒塚古墳の方が大きいのが
面白いですねえ。
でもねえ、こんな風に言われてますが、
実はこれらの古墳の埋葬者は
はっきりわかっていないそうです。
地域の人の聖徳太子伝説のひとつとして、
こんな名前で両古墳を
呼んでいるんでしょうねえ。
あ、そこから見ると右前方に
公園が見えています。
寄っていきましょう。
ここが、上宮遺跡公園です。
どんなところかなあと中に入ろうとすると、
公園の中で高齢者が杖をふりかざして
取っ組み合いをしています。
ウヒャー、争いだ争いだ。
これはもう近づいてはいけませんね
というほど激しく4人が争っています。
さあてどっちが悪い?
とか判定を求められても困ります。
避けましょう。
doironはいつものんきに
へらへら歩き、道は富雄川に出ました。
ここに架かっているのが
「新業平橋」
ですねえ。
橋の中ほどに案内板があるので行ってみると、
そこには「業平道」のことが
かかれてありました。
天理から八尾まで、
在原業平が河内姫にあうために
通った道だといわれています。
ああ、また新しい道が出てきましたねえ。
ここもまたこれからの歩きの
参考にさせてもらうことにしましょう。
で、ここが新業平橋とすると
「業平橋」もありますよねえ。
そうそこから少し上流に
幅が2m位しかない狭い橋が
架かっていました。
これが「業平橋」ですね。
そこには今回歩いている
太子道の案内も載っていました。
法隆寺から歩いてきて、
やっとここで太子道の案内がありましたねえ。
太子道というのは河内を
斜めに横切る感じでついているので、
筋違道とも呼ばれているようです。
そしてその看板には業平道も
載っていましたね。
橋を渡って進んでいくと、
田舎の田んぼ道や古い村の道を
進んでいきます。
太子が歩いていたころと
あまり変わらないような
感じなんでしょうねえ。
この辺りは「高安」といいますが、
どうも業平の行動から
ついた名前だといわれていますよ。
まあ、聖徳太子が通っていたころと
あまり雰囲気も変わらないんでしょうねえ。
JRの線路を超えると新しいそうな
住宅街に入っていきます。
すると、あれ何となく見たような景色ですよ。
と思ったら、前回斑鳩を歩いた時に
立ち寄ったお寺「善照寺」が見えてきました。
あの「富生の松」の生えていた
ところでしたねえ。
ここから先はコースが前回と重なります。
広峰神社から飽波神社までは一緒ですね。
飽波神社には太子腰かけ石が
ありましたね。
今回はそこに腰かけて、
太子道の1回目を終わります。
歩いた距離は、ここまで約6キロ。
ここからは法隆寺駅まで
天理軽便鉄道の後を歩きつつ、
そこから法隆寺までの道のりを
歩いて戻る全10キロの旅
ということになりますね。
おしまい