ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

天理軽便鉄道

2018年10月22日 21時33分05秒 | ウォーキング

2年前に東北を旅行した時だ。

花巻の駅前の掲示板で
「軽便鉄道」の案内を読んだ。



そうあれがdoironと
軽便鉄道の出会いでしたね。

以来、あちこちで軽便鉄道の話を
聞いたりもした。
軽便鉄道は建設費とか維持費の抑制のため、
低価格で建設される鉄道だ。

そもそも軽便鉄道法で建設されるが、
線路の間である軌間の
短い鉄軌道をそう呼んでいる。

軽便な電車であることから
輸送力をさほど必要としない
路線なんかに使われたが、
いまは廃線になったり、
JR軌道に変わったりして、
その痕跡を残しているところが多い。

身近なところでは、
あの浜寺公園の遊覧電車も
「軽便鉄道」の企画を使っているそうだ。

そんな過去に学んだ鉄道の経験を
斑鳩で思い出させてくれたのが、

「天理軽便鉄道」

の痕跡だった。
ここへ向かうときは、
そんな鉄道の跡があるなんて
全く予想もしていなかったなあ。

安堵町を歩こうとうろうろと
歩いている時だった。

こんな看板が目に入った。



天理軽便鉄道、と書かれてある。
法隆寺の駅から天理まで
つながっていたらしい。

ふ~ん、花巻で見かけた軽便鉄道が
ここでも走っていたんやなあ。

帰ってから調べてみると、
大体この電車が走っている経路は
地図上にも残っているし、
部分的には近鉄電車にもなったりしており、
それを訪ねて歩いている人のブログもあった。



鉄道の後というのはまっすぐな
経路が残っていたり、古い線路の
痕跡が残っていたりして面白そうだ。

ではdoironも太子道からの帰り道、
この線路の近くを法隆寺駅前まで
戻るので、その痕跡を訪ねて
歩いてみることにしたのだ。

資料に基づいて少し役場の方に戻ると、
この辺りを走っていたようだ。

道と重なっている部分もあり
この辺りはわかりにくい。

ただこの地方の取り組みである
案山子が、電車を待っている
乗客のように置かれてあるのが面白かったな。

そこから、鉄道の後らしきところを
歩いていくが見つからない。

で、ふと池にでると、
おお軌道の跡がきれいに
残っているじゃないか。



池の真ん中に古い軌道敷きが残っている。
近づいてみると、扉も開いているので
見学してくださいよというものなんだろうか。
草むらの中を
「ヘビが出てきたりしませんように」
と祈りながら進んでいくと、



こういう線路跡の切れ目に到着します。



へえ、切れ目のところには
レンガで形を作っているんですねえ。

でも、こんな狭い軌道で電車が
ごとごと走って行くのんて、
ちょっとジェットコースター的な
スリルもありそうですねえ。

その軌道の向こう側を見てみると、
家が立っていたりして、
あまり痕跡は残っていないですねえ。

ネットを見たら、この道路がそうだよとか、
この空き地が駅の後だよ
みたいな地元の人の話が出てました。

ところが、これから駅に向かう
反対側を見てみますと、
おお~痕跡があるじゃないですか。



doironでも判別できます。

川の向こう側になるので
ぐるりんと遠回りして近づいてみますと、
道が盛り上がっていかにも
田園風景の中をさっそうと走る
軽便鉄道が思いえがかれますねえ。



宮沢賢治が銀河鉄道の夜を書いたのも、
こんな田舎道を走る
軽便鉄道の姿を見たからかもしれませんね。

このちょっと高くなった
幻想的な軌道跡が
そう500m位は続いていましたかねえ。



やがて線路は、
もう住宅街の中に入っていきます。
法隆寺の駅がもうすぐになりました。



最後に住宅街の横を流れる
川の中をのぞいてみますと、
そこにも線路跡の痕跡がありましたね。



こうして天理軽便鉄道の
痕跡をみながら歩いてきましたが、
ほんとに真剣に探している人は、
あぜ道の横に転がっている
レンガや枕木何かも探していたりするようです。



1915年から1945年まで
続いていた天理軽便鉄道。

その痕跡をこうして少し紹介して
このブログはおしまい。