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ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野古道 聖域の鼓動 2

2016年02月26日 20時30分42秒 | ウォーキング

そんな急坂の途中にあったのが

「胎内くぐり岩」



大きな岩の間に穴が開いています。

どうれ、中に入ってみましょう。
うんとこしょと進んでいきますと、
ウヒャーなんと出口が狭い。
リュックを背負っていたんでは
潜り抜けられません。

岩の中でリュックを外し、
それを前に突き出しつつ進んでいき、
最後の最後に何とかくぐれました。



ウヒャーと脱出して
くぐり岩をくぐったところで、
次は「乳岩」です。



こちらはちょっと隠れた物語があります。

子宝に恵まれなかった藤原秀衝が
熊野の神さんに願をかけると
妻が身ごもりました。
そのお礼を言いに参詣する途中
この岩屋で出産したそうです。

先に進むにも小さい子どもを
連れていけません。

どうしようかと悩んだところ、
熊野の神さんのお告げが、
ここに子どもを置いて行け
といわれたそうです。

その声にしたがっておいていき、
熊野に参って戻ってくると、
赤子は岩から垂れる乳を飲み、
オオカミに育てられていた
という伝承があるそうです。

いやあ、やっと生まれた子供を
置いて行けとは、熊野の神さんは大胆ですねえ。
奥さんだって出産直後に
よく歩けたもんである。

それこそが何とも言えない
熊野の思し召しなのであろう。

そんな乳岩を過ぎても、
道は結構登っていき、



やがて次の王子である
「不寝王子」に到着する。



場所的には滝尻王子から
500mほど離れているだけである。

その名前から「不寝の番をしたところではないか」
とも言われていますが、
当時の寝ずの番とは
どんな役割を課せられているんでしょうかねえ。

イノシシの襲撃?
オオカミの活動?

そうやねえ、1900年ころまでは、
当時紀伊半島にオオカミがいたもんねえ。

夜間火でもたいて警戒しとったんだろうか。

さてそんな「不寝王子」で、
doironはとりあえず熊野ブルーの
案内板を写真に撮り、



スタンプを押して過ぎていくだけです。



その王子のすぐ後に、
こんな道標がありました。



番号が「1」と書かれてあります。
そうなんです。滝尻王子から
熊野本宮大社の手前まで、
子の道標が約500m間隔で
建てられています。

山の中なので、あまり目印も少ないため、
こういう道標で旅人たちを
誘導しているそうです。

うん、これは助かりますねえ。

これが滝尻王子にあった
その起点の道標です。



さて道はまだまだ相変わらず登り続けていきますが、



当初しんどかった体も、
あの胎内くぐりをした後だと、
体がシャキッと起きたようになりました。

何故か体も元気になって、
ゆっくりと歩いて上っていけば
しんどさもさほど気にならなくなりました。



この先ののぼりは時折
「木の根の坂」が続きます。

スギやヒノキでできた人工林の根は浅く、
こういう姿になることが多いそうだ。

こういう様相になるのも、
このあたりに住む「熊野古道語りべ」の
人たちは山に住む「魔」の影響だというそうだ。

こんな様相を示す山でも、
あまり平地では見られない
珍しい花が咲くという。
寒い土地、温かい土地、
火山もないのに温泉が湧く土地と
変化に富んだ土地ということで、
「魔」は様々な自然の姿を見せているのだという。

だから、こういう木の根道も
しっかりと大地の「魔」を感じて
自然と同調しながら
歩いてほしいというそうだ。

そうだねえ、一歩ずつ足元を確認しながら
しっかりと歩いていこう。

左の樹木の間に、
富田川周辺の集落を見ていると、
ちょっとの間に
かなりの距離をのぼったもんだと驚いてしまう。

この道には、

<熊野古道>

と書かれた小さな標識や、



大型のこんな標識も
ところどころに立ちながら



道案内をしてくれるのがありがたい。

昔はこんなのもなかったんだろうな、
なんて考えながら続きます。