ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

南河内雨中歩行 3

2016年02月07日 20時50分59秒 | ウォーキング

藤井寺駅から、道明寺までは二駅、
土師ノ里を過ぎたら、次が道明寺である。



この道明寺はいつも年末に
テレビなどに登場する。

というのも、毎年新年の干支をテーマに
大きな絵馬を掲げるからだ。

そんな道明寺をまずゆっくりと
みてから歩いていこうと考えた。

さっきの藤井寺市内はこんな距離を歩いた。



距離でいうと3.5キロだな。
まあ、ここからだと
どれだけ歩けるかわからないが、
とりあえずナビをセットしよう。

古市の駅前を降りると、
一番最初に目についたのがこれ。

「大坂夏の陣 道明寺合戦記念碑」だ。



NHKの大河ドラマで
「真田丸」が始まることに
引っ掛けてのことなんでしょうか。
今年はちょっと盛り上がるだろうね。
何かとこういう関連地は
いろいろと忙しいんだろうて。

碑の横には、この時の
夏の陣のことが書かれているのでしょうか?

中身はよくわかりませんが、
後藤又兵衛が死んだこと、
そのあとを受けた真田が
伊達政宗隊を引き留めたものの、
八尾の戦い敗戦をもとに
大阪城方面に呼び戻されたこと
などが書かれてあるんでしょうなあ。

そんな道明寺駅前から、
雨の中を道明寺に向かいました。



途中流れていた河川にも
たくさんの水が流れているよ。



雨はまだまだ強くなる一方だ。

マンふたは藤井寺の市の木
「梅」がえがかれています。



そうしてたどり着いたのが、
道明寺天満宮の駐車場入り口だ。



ぼちぼちと上がっていきますと、
参道の横に出てきます。

筆塚を見ながら



鳥居をくぐりますと、



そこにあったのが「撫で牛」です。



むかしはねえ、
こんな撫で牛があったりしたら、
足が強くなるようにと
足を撫でたものですが、
最近は心臓と脳をいじってしまいますわい。

これがさざれ石。



小さな岩が、固まって
大きな岩になったものと言われる。

このさざれ石は、
河内長野の滝畑から
持ってこられたものだそうだ。

そうそう、さざれ石は、たしか奈良三山を歩いた時に、
橿原神宮にもあったなあ。

ちなみに、国家のさざれ石の
もととなるものは
岐阜県揖斐川町春日の
伊吹山登山口にある
さざれ石なんだそうだ。

これが道明寺天満宮本殿。



おお~、さっき言ってた
doironの干支である
申の大きな絵馬も飾ってあります。



ん?ここの唐獅子は豪華ですねえ。



尻尾の毛も割れているし、
頭の毛もふさふさです。

これは髪を触っておかなくては
なりませんか。



おお、しかも「阿吽」の「吽」の獅子には
頭の上に、塔のようなものが立っています。

これはもう「撫で獅子」
と名付けることにしてください。

とりあえず本殿でお祈りをしておきました。

え~っと、これがこの神社の
「百度石」です。



大型ですねえ。
doironより大きい石でした。

え~っとこれが、小林一茶が
33歳の時に詠んだ句です。



「青梅や 餓鬼大将が 肌ぬいで」

その句を石に刻んでいます。

その石に書いたのがだれかというと、
あの有名な「榊莫山」だそうです。

むむ~名筆なんでしょうねえ。
doironにはよくわかりませんが・・・へへ。

これが道明寺の注連柱。



こちらのほうに行くと、
山門正面のほうに回ります。

これが、山門のところにある
「土師窯跡」です。



この道明寺は、かつて古墳の埴輪を
焼くなどの作業をしていた
「土師氏」の氏神として
成立していたといわれます。

その古墳を焼くなどの窯は
「土師窯」と呼ばれ、
それらが作られていた、
これら道明寺の地が
我が国の陶業発祥の地と言われています。

その山門をおりたあたりで、



服ももうぼとぼとなんですが、
アウトドア用のコートて
うまくできていますねえ。
さほど冷たさも伝わらず
快適そうだったので、
時間もあるし
もう駅に向かうのではなく、
これくらいだったら行けそうやな
という感じで、
街のほうに歩きだした
doironなのでした。続く。