ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

泉北低速歩行 3

2016年02月20日 20時57分11秒 | ウォーキング

コースはこの放光寺の中を
通り抜けるように進んでいきます。

入り口にあった夜泣き地蔵をみて





中に入っていくと、
中から出てきた女の人が、
怪訝な顔でこちらをにらんでいます。

ああ~こんな田舎に変な人
とでも思っているんでしょうか。

まあ、これに気にしてちゃいけません
それらしく、こんな石像や
「和田氏」の墓を眺めながら進んでいきます。



そしたらなんと先ほどの
女性が話しかけてきました。

「あの~もしかしたら上人様でしょうか」・・・

ではなく

「札所を書くなどのご要望はございますでしょうか」
と聞いてこられました。

ああ、そうかお寺の関係者さんか。
そういえば入り口のところに、
和泉西国5番とか和泉霊場第三十一番
とか書いてありましたな。



「いえ、大丈夫です。ただのほっつきものですから」
と断ると、はいわかりました
と言いつつ出かけていきはりました。

お寺でお参りしてふと後ろを振り返りますと、
おお~「Oンタマ草」



正式名称「フウセントウワタ」じゃありませんか。

しかし、このはな
家の近所でも植えて貼るのですが、
これがいつも秋に実を着けているのに
ここでは何故今頃?
札所よりこの意味が聞いてみたかった
doironなのでした。

花にピントが合いませんでした、へへ

裏口から神社を出て、
さらに南に歩いていきますと、
そこにあったのが「美多禰神社宮座跡」
と書かれています。



ああ、昔はここに神社があったんですねえ。

そこから右に曲がって、
こんな地蔵や



庭先の立派な植木を眺めながら





府道216号線の方におりてゆき、
さらにそれを渡ったところに、
伊勢灯篭が立っていました。



その前を見ると、
広い空き地と奥のほうに
いかにも旧跡といった大きな
古木の立っているのが見えました。

これは何だろうと思って、
探ってみると
電柱のよこにこんな石が立っていました。

「旧和田邸跡」



ときざまれています。

しかもこんな石碑もありました。



そうです、ここに二年前まで
旧和田さんの邸宅が立っていたのです。

資料を見たらこんな感じでした。



菊水紋を挙げているところからも、



楠木氏の子孫である
和田(にぎた又はみかわ)さんの
家であったことがわかります。

しかし、ここは長年放置されたままになっていて、
まともな部分もあれば、



こんなに荒れ放題になっていた
部分もありました。



そして2年前の今頃、
ちょうど解体が始まったそうです。

その前に三日間だけ一般公開があり、
大勢の人が集まったそうです。

残念、もう少し早くこの地を
うろついていれば見れたのにねえ

今は敷地の一番北側に、
こんなりっぱな巨木が植わっていましたとさ。



さてコースはこの近くで
「和田川」に出、



その左岸を歩いていくことになります。



そのこの「和田川」も
和田氏との関係のある川です。



こういう道は旧村と新しい村が
混在した泉北ニュータウンの中の、
気持ちい道の一つです。



川の流れのちょろちょろした音を聞きながら、
また畑もながめながら歩いていくと、
前方に泉北高速鉄道と
泉北一号線が見えてきました。



ここがそこにかかる「檜尾橋」です。



この檜尾橋の下あたりで、
先ほど公園で「落ちたら助からない」と
書かれてあった川「甲斐田川」が
暗渠の中から出てきて合流するのです。

コースは信号を渡るために
若干戻って、この高橋中の



交差点を渡ります。



そして今度はその和田川の
右岸を歩いていくことになります。



なおかつ気持ちいい道を進んでいきます。



お、石津川合流まであと5.8キロとあります。
あ、そうかあこの道は後で越える
石津川と合流するのか。

あの紀州街道や熊野街道でも渡った川やねえ。

川の周りはやはり田んぼが多く、



こんな玉ねぎ小屋も立っていました。



昔は家の近くに
いっぱいあったんやけどなあ。

最近はあまり見なくなりました。

続く。