ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

再度茨木へ 3

2016年02月12日 21時04分16秒 | ウォーキング

さて、節分ということで
恵方巻のランチを終え、
ここからはしばらくは
河川敷の中の散歩道を歩くことにしました。



車も来ないし、ここはたいへん気持ちのいい道です。

岸の野鳥なんかも気持ちよさそうです。





そうして歩いてゆくと、
前方に見えてきたのが名神高速道路です。



安威川の橋を渡り、



この高速道路の下をくぐったら、



道は何となく旧街道風の道に入っていきます。



そう、この道こそが「西国街道」です。

かつては京と九州を結ぶ重要な交通路でした。
そういえば、昨年春に上った天王山のふもとで、
島本町辺りでは西国街道を歩きましたなあ。

あの道の続き部分に当たるわけですねえ。

ここが「阿為神社 御旅所」です。





毎年五月の御例祭には
神輿と布団太鼓がここで休憩をするそうです。



さらにこの街道を西へ進んでいきますと、



さすがに古い街道沿いですねえ。

法華寺や



安養寺などの



お寺が続いていきます。

あ、ここにあった鶴亀地蔵さんも
顔がきれいに化粧されていますねえ。



ところどころにこんな道標を眺めながら、
やがて道は、広い河原のところに出てきます。

ここは「茨木川」にかかる
「幣久良橋」です。



この川にも、旧の橋の柱のような石が
岸壁に残されています。



コースはこの橋を渡らずに、
右のほうに進んでいくわけですが、
その道路の入り口のところに残っていたのが、



白井河原合戦跡の石碑です。

これ。



むかし、茨木方と池田方が対立し、
この白井河原で争いとなりました。
しかし、茨木方はその数でも負けており、
この合戦地で大負けをしたそうです。

河川敷に死体が転がり
「白井河原は名のみにして 唐紅いの流れとなる」
と言われたそうです。

壮絶な映像ですねえ。

この辺りから川と反対側の左側は、
「耳原公園」となり、
木がしげり始めました。

チョットここらで休憩しましょう。

もう白梅も咲く公園に入っていきますと、
あずまやがありましたのでここで休憩です。

座って、持参のポットに入れてきた
ホットコーヒーとどら焼きを食べているとき、
ふと周りを見ると
野鳥がいくつも近づいてきました。



こんな鳥や雀、ハトなどが近づいてきます。

きっと、そんな鳥たちに
餌をまく人がよく来るんやろねえ・・・

ん?よく見ると、
そんな鳥たちを狙うこんな生き物も近づいてきました。



事件は起こらずに、
無事に鳥たちは逃げまどいましたが、
いやあ危うく耳原池が
「唐紅いの池」になるところでしたな。

そこを出て、街の中の狭い道を
くねくねと歩いていきますと、



横を茨木川が流れています。
その川の橋を渡ったところに、



見えてくるのが
「新屋坐天照御魂神社」
の入り口鳥居です。



平安時代の延喜式の
「神名帳」に記載されている式内社で、
茨木市内最古の神社です。



かつて茨木城主であった中川氏が
厚く進行した神社です。



では森の中に続いている
参道を登っていきましょう。

森に囲まれて暗い参道の階段を



のぼっていきますと、



本殿前の広場に出ました。



静かな神社やなあ~と思っていたら、
わきの参道からうじゃうじゃと
地元のおばちゃん連中が登ってきます。

こりゃあ参った。

いっきに立ち去りましょう。

神社を出てさあ、次は
紫金山古墳に向かう道を探しましたが、



これがどうもわかりません。

結局は、こんな道を無理やり見つけて、
降りて行ってみました。



おお~久しぶりの山道です。

竹林もしげる中、
どれどれと歩いていきますと、



紫金山古墳は遠くに見えましたが、
どうもスルーしたようです。

ちょうど、墓の写っている背後の山が
それのようです。



ここから写真を撮っておきましょう。

地図で見つけた白衣観音を
きょろきょろと眺めながら、
下っていきました。



続く