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心から楽しまないとねえ。

堺から再開、熊野街道 5

2013年10月27日 21時39分43秒 | ウォーキング

熊野街道が、
旧王子を通るルートであれば
通過するであろう旧地名を持つ地域に
立派な道標が立っています。

1本はこれ。



「右 わけ妙泉寺」と書かれてあります。



側面には是より一里半と書かれてあり、
和泉の和気町にある妙泉寺まで
距離的には大体そんなものです。

道標というより、お寺の広告看板みたいなものでしょうか。

しかし、この妙泉寺が
あちこちの道標に登場するのはなぜでしょう。

一度妙泉寺を訪れてみましたが、
さほど寺構えも大きくない普通のお寺なんです。

もしかしたら、PR予算を多くとっていた寺だったりして。

これもいずれ調べて見なくてはいけないと思っています。

そしてもう一つは、
明治35年に大阪府が建てた道標です。



「右 伯太 牛滝 岸和田 和歌山」と書かれ、

左側面には



「右 堺 住吉 大阪 左 三林 父鬼 槇尾 天野」と書かれてあります。

書かれてある地名からして
牛滝街道から移設されたものではないかと思われます。

さらに東に少し寄り道すると、
頭に笠石を乗せた立派な道標があります。



そこには



「右ハ しのだみち みづまみち うしたきみち」、
「左ハ まきのおみち よこやまみち ふどうみち」と書かれ、
「さかいへいちり」とも書かれておりました。

堂々たる要衝ぶりですね。

ろくな地図もない時代に、
きっとたくさんの人が
この道標に導かれたのだと思います。

そんな道標を眺めたあと
再度東の商店街に戻り、
テクテクと南下していきますと
旧13号線の交差点、「上(かみ)」の交差点に出ます。

熊野街道はそのまま真っ直ぐ続いていくように見えますが(矢印)、



それは「父鬼街道」です。

父鬼、鍋谷峠を経て和歌山の下笠田の西で
紀州大和街道につながっている
長い街道の起点がこの「上」の交差点です。

熊野街道は、右折れするように
旧13号線に沿ってしばらく歩道を歩きます。

歩いていると、道沿いに
神社の立て看板が出てきます。



それもあちこちにあります。

「等乃伎(とのぎ)神社」の看板です。

JRの富木駅の近くにあるこの神社の存在は知っていましたが、
訪れるのは初めてです。

気になる由緒をよいしょと確認してみますと・・・。

近くを流れる「兎寸河(とぎがわ)」のほとりに、
立派な楠の巨木があったそうです。
その巨木ぶりは、朝日を受けると影が淡路島まで届き、
夕日を受ければ高安山を超えて影が伸びたそうです。

古事記や続日本記にも記載がみられ、
藤原家の偉いお人がやってきて
住み着いたところから「殿来(とのき)」と名付けられたというのが、
おおざっぱな由緒です。

この神社は前から気にはなってたんです。

その理由は、看板に書かれたこの言葉

「よそでは手に入りにくいお守り」

に反応していたからです。

なので今回の街道歩きで
訪れるのを楽しみにしていた場所のひとつでした。

さあ、手に入りにくいお守りとは
一体どんなお守りだろう。

もしかしたらとても大きくて
手に入りにくいのかもと思いながら、
街道を少し外れて西の村中に入っていきました。

いよいよ初対面です。

近づくにつれ看板も増え、
こんな看板も現れました。



「ははーん、さては手に入りにくいお守りとはこのステッカーのことなのか」
とも思いましたが、これではあまりにご当地すぎます。

入手の必要性を感じません。

もっと別のお守りでありますように
と願いながら、たどり着いたのが、ここ。



神社の看板にもその言葉が記載されています。

はてさていったいどんなお守りが待っているのか
ワクワクしながら次回に続きます。