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いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

堺から再開、熊野街道 3

2013年10月25日 21時52分53秒 | ウォーキング

笑姿(えびす)様を祀る石津神社に架かる戎橋を渡り、
しばらく堺区と西区の境界となっている街道を南下します。

ホテル街をかすめ、
パチンコ屋、風呂屋などが居並ぶ歓楽街を抜けると
「神石市之町」の交差点に到着します。



この交差点は、6叉路となっており迷いやすいポイントです。
道はそのまま30号線、
通称13号線の東側にまっすぐ続いていくように見えますが、
設置された看板や
次の目的地鳳大社への経路を考えると、
30号線の西側の道を行くべきだということがわかります。

割合地元なので、この辺りはある程度の土地勘もありますのでね。

大きな病院の横を通り、
石標を見ながら歩いていくと、



大阪高石線との交差点に出ます。

その交差点の名前が、なんと「鳳小栗街道」です。



そうです、このブログの読者ならもうお分かりですよね。
熊野街道はこのあたりでは
「小栗街道」と呼ばれています。

交差点には立派な道しるべが2基もあります・・・
あれ?1基しかない・・



と思って探してみますと、
交差点を渡ったところの草むらに
すっぽりと隠れていました。



鳳大社が近づくにつれ、
街道沿いの家も、
なんとなく古めかしく立派なのが増えてきます。



虫籠窓や鍾馗さんはないようでしたが、
こんな家もありました。



そしてもうこのあたりから鳳大社の社叢が見えてきます。

ここが和泉国一宮の鳳大社、
正式名称は「大鳥神社」です。



訪れたのが22日だったので
「にいび」という市がたっておりました。

あれ?ちょっと待ってくださいよ。
先日、泉大津の勅使道を歩いた時に、
泉井上神社を「和泉国一宮」と紹介したはずです。



一体どうなっているのかと調べてみますと、
「大鳥神社」は確かに「和泉国一宮」でした。

そして、勅使道で紹介したように
「同二宮」は泉穴師神社。
ついでに「同三宮」が
これも一度紹介した「聖神社」、
「同四宮」が積川神社、
「同五宮」が日根神社です。

どれもこれもこれまでに
何度かこのブログに出てきた名前ですね。

では、泉井上神社は「何宮」なのか?
というと、上記五社を合祀している
「惣社」だったんですね。

だからこの神社を「一宮」というのも
「二宮」というのも、間違いではない、
とこういうわけだったのです。

当時、国府から歩いて2,3分のところにあるその神社を
「惣社」(「総社」ともいいます)にさせたのは、
もしかしたら遠くまで出向くことを面倒に思った
国府にいるお役人のわがままだったのかもしれません。

ま、それはさておき、大鳥神社の話に戻ります。

名前の由来は、
日本武尊の魂の化身である白鳥が、
大鳥連(おおとりむらじ)の住むこの地に舞い降り、
そこに社を建てて祀ったことからきているそうです。

境内には、白鳥が舞い降りた地が
一夜にして森になったという
「千種森」という神域があります。

先ごろ引退した宮崎駿の名作
「となりのトトロ」に、トトロの力で
ある夜一日にしてどんぐりから芽が出て
ぐんぐん伸びて森になるというシーンがありますが、
こういう伝説がもとになっているのかもしれません。

宮崎駿の作品を深く観賞すると、
こういう歴史的伝説を基にしているストーリーを
随所に発見します。

ま、それはこちらの勝手な思い込みなのかもしれませんが・・・。

さて、街道をはずれて大鳥神社の奥深くにまで入ってきたのは、
お詣りのほかにももう一つ理由があります。

この神社の奥深くに、
熊野街道の王子のひとつ

「大鳥居新王子」

があるとされているからです。

今回歩いた区間にあるまだ見ぬ王子はここだけですが、
この王子にも諸説ありまして、
その話は次回以降に続きます。