花巻周辺の思い出に浸った後は、
いよいよ太平洋側へ移動だ。
移動の途中、各地にある道の駅に何度か立ち寄った。
東北には道の駅が結構多く、
キャンピングカーとまではいかなくても、
ちょっとしたワンボックスでもあれば、
道の駅づたいにどこまでも旅をできるような気がするなあ。
そんな道の駅の一つで、
レジに並んでいるときにこんな会話を聞いた。
レジ係は、そうさなあ60歳くらいの女性で、
客は70台も後半くらいの老女である。
その老女が、手に野菜を持ち、
レジの人にこう言った。
「しいたけはまだ出てないの?
〇〇さん(たぶん生産者)のしいたけ、
うまいんだわ~」
と言った後、
「あ、セシウム?」
と気づいたように言った。
するとレジの人も
「そうなのよ、セシウムなのよ」
「じゃ仕方ないわね」と会話が続いた。
こんなことがなければ、
多分年配の女性にとって、
この原子番号55の元素名は、
一生口にすることないだろうな
と想いながら聞いていた。
その日の夜のおつまみのイカフライを手に、
レジに並んでいたときの出来事でした。
そんな道の駅を出て、
マーチを転がして
最初に向かったのが陸前高田市である。
山を越えていく途中、
仮設の市役所の前を通った。
市役所の人も大変だろうなと思うのも束の間、
目に飛び込んできたのは、
がれきが各所に積み上げられ、
ポツンポツンと巨大な建物の残骸が残る
広大な空き地でした。
初めて目の当たりにする、被災地だ。
道は幹線以外はどこが通れるのかわからない。
行けると思っていくと、
がれき置き場に突き当たったりする。
呆然としながら走っているせいもある。
途中、地図上の線路を横切ったけど、
そこには細長い空き地が残るのみで、
線路は途切れたままである。
病院やスーパーの残がいを見ながら、
海のほうへ向かうと、ありました。
今回ぜひとも見ておきたかった奇跡の一本松です。
まさにその松は津波の生き証人。
車を降りて、がれきを縫うようにして
近くまで行き
思わず掌を合わせました。
途中の道の駅にあった写真を紹介しましょう。
これが震災前の景色。
そしてこれが震災後。
震災前の写真があるってことが、
この木が現地の人に親しまれていたことがよくわかりますね。
今は、枯れかかっているらしいのですが
ぜひとも何とか生き延びてほしいものです。
ここから、津波が襲った海岸線を南下しました。
この時に絶大な威力を発揮したのがこれ。
道はまあまあナビでもわかるのですが、
通行止めになってる橋なんかが記載されているのと、
津波が襲った区域が色分けされているのです。
この地図とナビを駆使して、
次に向かったのが南三陸町です。
岬をめぐる道は、とてもあの牙をむいたとは思えない、
青い青い海沿いを走ります。
途中の入り江ごとにある
集落ももちろん被災地ですが、
南三陸に着いてまたまた衝撃の景色が
広がりました。
がれきや建物もさることながら、
港の雰囲気も異様でした。
もちろん釣りをしている人などいるはずもありません。
それに巨大な船がかなり内陸部まで流され
放置されたままという状況は、
まだまだ復興が進んでいないことを示しています。
しかし、気が付くと山すそには
「仮設マルシェ」と銘打った
急ごしらえの店の集まりもあります。
残った人々の生活をたくましく支える大切な市場です。
そうそう、たくましいといえば、
被災地のあちこちにあったのが、
コンビニです。
さすがにdoironの大好きなコンビニだけのことありますなあ。
プレハブのローソンやファミマは、
復興作業に携わる作業員でとても賑わっていました。
コンビニはたくましい。
きっと夜は、暗い被災地で
オアシスのように輝いているんでしょうねえ。
復興に向かう人々の力強さを感じさせる景色でもあり、
少し気持ちが和らぎました。
しかし、しかし、被災状況はこんなものではなかったのです。
この翌日に行った、
名取市閖上(ゆりあげ)地区で
doironは一生忘れることのない
衝撃の景色を目の当たりにするのです。
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みちのく二人旅は、ここでいったん中断します。
というのも、明日からはミセスdoironと
九州へ旅立つのです。
雲仙周辺に桜はまだ咲いているのか、
テポドンは飛んでくるのか、
また現地からリポートしまあす。