ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

みちのく二人旅 回顧編

2012年04月10日 22時41分37秒 | 最近の出来事

なぜ、「みちのく」なのか?

ネットで調べると、どうも確定した説はなさそうで、
やはり一番素直に思うのが

「道奥国」(みちのおくのくに)

からきているという説だ。
道の奥であるからして、
遠いところである。
ましてや関西の人間となると、
遠いところだと一足飛びに
北海道へ行ってしまうもんね。

なかなか馴染みのないのが
東北だろう。

doironもこれまで東北には
二度しか行っていない。
一度は、盛岡中心の旅行だ。
バスを駆使して、八幡平や花巻にも足を運んだ。
もう20年以上前になる。

今回の旅の目的の一つは、
その時に訪ねた場所に
もう一度行ってみようということだった。

当時、そこまで行った交通手段は、
大阪から仙台まで夜行バスに乗り、
そこから開通して間もない新幹線で、
盛岡まで行った。

今回は友達と、大阪から飛行機に乗って
仙台に行き、空港で借りたレンタカーで移動した。

飛行機を降り立つと、
仙台空港の周りは、がらんとしていた。

言わずと知れた東日本大震災の影響である。
レンタカーの店で聞くと、
その店があったあたりは住宅地であったそうだ。
事務所もプレハブに毛が生えた程度で、
震災後に新しく建てたそうだ。
震災当時、社員は空港に避難していて
全員無事だったそうだ。
応対してくれた社員も、
その日は非番で難を逃れたそうだ。
被災地を歩くことも今回の旅の別の目的なので、
その社員の言葉に後押しされるように、
空港周辺に積み上げられたがれきを見ながら、
みちのくの旅に出発したdoiron一行であった。

借りた「マーチ」は快適に走った。

まず最初に向かったのは、

中尊寺。

ご存じ世界遺産の名刹である。
そこまでの高速道路は、
海岸から山を隔てているので、
復興作業のダンプが多く往来している以外は
まったく震災の影響を感じなかった。

中尊寺は、前回の旅でも行っていない。
初めて訪れる場所であった。



抱いていたイメージは、
山深いところにこの写真のような杉林があり、
その奥に寺が鎮座していると思っていたが、
杉林はほんの少し。
意外に町のはずれのようなところの
里山のような場所に建立されていました。

さて、中尊寺というと金色堂を思い浮かべますよね。
あの金色堂こそが、
中尊寺なんだと思っていましたが、
中尊寺というお寺が別にあるんですね。

こんな感じ。




そこからさらに、義経や弁慶に成りすまし




また時代変わって芭蕉



が歩いたであろう参道を進むと、
いよいよこの世界遺産の中心である、
国宝「金色堂」に到着します。

よく大晦日の「ゆく年くる年」
にも登場する金色堂参道でパチリ。



金色堂はお堂ごと後ろの建物の中におさめられています。
写真はNGなので、ここまでです。

金色堂は、実に美しく、
瓦は木製で、それはさすがに金色ではありませんでしたが、
床下の柱まで金色に塗り固められてました。

先に書いた芭蕉がこの地を訪れた時に詠んだのが、

「さみだれを 振り残してや 光堂」

芭蕉は「さみだれ」が好きなようです。

このお寺でかの地の無事復興をお祈りし、
次の目的地に移動しました。

20年以上前に訪れた頃、
doironは宮沢賢治に夢中でした。
彼の描くファンタジーは、
彼の広大な心象世界を反映し、
単なる幻想ではなく科学や宗教に満ちたもので、
今もdoiron家には、
当時に読んだ彼の全集が本棚に並んでいます。

当時、彼の記念館に行くべく、
新花巻に降り立った時です。

駅前でバスに時間を見ていると、
広場の奥のほうからかすかに
「セロ」の音色が聞こえてきました。
そちらへ行ってみると、
さすがに花巻ゆかりの賢治のことだけあって、
彼の作品である「セロ弾きのゴーシュ」をかたどったモニュメントがあり、
そこのボタンを押すと、
セロ(チェロともいいます)演奏が聞こえてくるしくみでした。

そのモニュメントがなんと今も残っていたのです。



記憶の中で消えつつある光景に出会って感動しました。
その後訪れた、宮沢賢治記念館も



周りの景色とともにそのままありましたし、
泊まった花巻温泉もほとんど変わってなくて、
まるで、タイムスリップしたような感動を覚えたdoironでした。
かつての思い出の地を訪ねるという、
この旅のひとつの目的はほぼ達成しましたわい。