五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

夏休みを過ごす

2013年06月30日 | 第2章 五感と体感
4月から7月まで、一学期は入学、進級で慣れないことばかり。。。5月の連休以外はほとんど祭日が無いので一学期は、ちょっと大変ですね。

でも、研修旅行があったり、スポーツ大会があったり、各々のイベントを通して馴染んできたのではないでしょうか。

今日は6月最後の日。明日から七月です。七月と云えば試験。試験が終われば夏休み。

夏休みの過ごし方はそれぞれでしょうが、身体の成長の期間でもあるし、色々な変化もありバランスも崩しやすいお年頃です。身体を休めて体調を整えることに意識を向けることも大切なことかもしれません。

暇な一日を過ごすことは、想像力を育むことにも繋がりそうです。

「となりのトトロ」のめいちゃんと、さつきちゃん達が住む家は、夏休みを過ごすには最適な私の理想のお家です。家の隣に神社の森があり、周りには田んぼ。縁側から吹く風は緑の香りが含まれて、ただ一日を暮らすだけで尊い生育史が育まれていくように思います。

昼寝のできる環境も大切な環境のひとつです。

目的に一直線に向かうだけでは面白みがありません。

ぶらぶらしているうちに知恵が生まれてくるのが哲学でもあるかもしれません。

規則正しい生活を試みても三日坊主なのは、ぶらぶらしていることに「人の成す意味」があるから故なのだと思います。

社会生活を営む大人になれば、毎日ぶらぶらもしていられません。
ぶらぶらできる時期は結果的に大切な時期であったと大人になってから思うのです。

「暇でしょうがない。。。」

と、思う時期をお大切に…。

あ。その前に試験でしたね((笑;))


7月27日土曜日10時~12時 東急セミナーBE雪谷にて「生き甲斐の心理学講座:24節気から自分を知る」を行います。
一日講座です。直接東急セミナーBE雪谷にお問い合わせください。ブログからのメールは使用しておりませんので御了承ください。

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日々の暮らし

2013年06月29日 | 第2章 五感と体感
昨日は久しぶりに表装教室の指導員が集まり、技術向上のための講義を受けました。
20年表装を続けている割には、ほんとうに技術が未熟な私です。
人に教えることが自分の技術に繋がることは、いつもしみじみ感じることです。
それは、どんなことにも通じることでありましょう。
昨日の午前中は生き甲斐の心理学の講座があり、講座生の皆様と時間を共にしながら、幸福感について語り合ったばかりでしたので、その思いを携えながら表装の勉強会に伺ったので、私自身も一層幸福感に満ちた一日となりました。

表装の師匠にお会いするたびに、好奇心の旺盛さと学ぶ意欲に満ち満ちていることに感心するとともに、いくつになっても衰えない心のありように勇気と元気を頂きます。

勉強会後、先輩方とのお茶会で師匠曰く、「いつも10年後を見据えての行動を今しているのですよ」と。
つまり、自分がいつまでも動ける状態ではないことを想定することで、それを見据えたうえで今を動く、ということを語っておられました。

なるほど。。。

確かに半世紀生きてきた私も、段々と体力が衰え、疲れていても頑張って動くことは出来なくなってきました。夜に仕事をすることを止め、早朝取り組むことで、一日の暮らし方に充実を感じるようになりました。
自分の身の丈にあった動きは、今まで通りでないことを意識する必要があるわけです。

今まで通りでないことを憂いで気力がなくなるよりも、今まで通りでないことを受け容れる体制を早めに整えておくことが大事なのです。

そのためには、「今でしょ!」を悔いなく暮らすことしかなさそうです。

自分の身の丈の行動が衰退するという捉え方ではなく、自分の満足度と幸福感のハードルを変化させる柔軟性が必要なのかもしれません。ハードルの高さばかりに気を取られていたら自分の老いは悲しみばかりです。

後悔したところで「覆水盆に返らず」です。

そのためには、「自分は、している。」という行動が自分の悔いのない人生を創り上げるのかもしれません。

日々の我が暮らしを慈しんでいたいものです。

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まずは現実吟味力

2013年06月28日 | 第2章 五感と体感
いくつかの心配事が重なった時、まず、自分の現実を吟味する力が正常か、それとも心配事に翻弄されて自分の状態が現実を吟味することに欠けているかを見極める必要があるようです。

大きな心配なことに翻弄されると、そのことに囚われ、判断して行動することを整理できなくなっている可能性があります。

自分の状態を冷静に受容することができれば、慌てた判断で二重、三重の災難を回避することができますが、自分の状態に気を向けることができていないと問題が増大してしまう恐れがあります。

自分は今、いったいいくつの心配事を抱えているのか?

複数の心配事を解決するには、どれを優先することがベストなのか?

人は千手観音のようにいくつも道具を持つことはできません。一番心配なこと、最優先すべきことを意識できることが出来ていれば現実を吟味する力はあると思って良いかもしれません。

一つの事が治まれば、連鎖していくことで、他の心配事が解決に導かれることもありそうです。

自分の現実を吟味しつつ、落ち着いて今すべきことを判断していきたいものです。
(、と、我が心に留める事は日常茶飯事です。)

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百年の佇まい

2013年06月27日 | 第2章 五感と体感
昨日、ある学校の修道院に招かれました。
某所の広大な敷地に足を踏み入れるのは初めてでした。

フランスの修道会が母体となっているので、佇まいはフランスの田舎にあるロマネスクの教会がそのまま現れた様な聖堂であり、第二次世界大戦の空襲にも耐えた強さがそのまま息づいていました。

上智大学のクルトハイムを大きくしたようなオーク材?の深い茶色に囲まれた壁は、ロマネスクの石にドイツ的な厳格さを兼ね備えた様な雰囲気を醸し出していました。

ヨーロッパを旅すれば当たり前の様な空間が、百年の時を重ねた日本の地にぶれることなく継承されていることに薄紙を重ねるように積み重ねてきた文化と祈りが、より深い空間へと作り上げられていることをよくよく感じ取ることができました。

創建当初に植えられたヒマラヤスギがまっすぐと伸びていることが戦災を免れた稀有な場所であることを物語り、空襲で焼け野原になった東京の光と影が見えたように感じ切なくなりました。

10年20年と経過する「時」によって、必ず人の思いが籠められて、それが重なり深まっていくのが特に祈りの場所の特徴でもあるのです。その思いをひしひしと心に留めさせていただきました。

このような場に佇む自分の体感を大切にし続けていてこそ、本質的な体感が養われるのかもしれません。

浅い虚飾と本質的な深みを感じ取る感性を養う岐路の場所でもあるやもしれぬという思いが湧き、私自身が糺された様な気分にもなりました。
つまり、天から見透かされていることをひしひし感じ、身を糺したというほうが素直な私らしい表現かもしれません。

招いてくださった方のお人柄がどこまでも本質的であり、生き甲斐と喜びに満ちていることにいつも元気を頂きます。
感謝の気持ちでいっぱいです。

ふとパリに住む人生の先輩である友人の声が聞きたくなりました。

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くちなしの花

2013年06月26日 | 第2章 五感と体感
梅雨空のグレーに映えるのはなんといってもくちなしの花です。

玄関先に植えている朝顔の花が今朝開花していることに気付き戸惑いを覚えましたが、やはり季節は梅雨なのです。

ぼんやりと路を歩いていると目に飛び込んでくる白い花にハッとさせられます。

そろそろある人の命日です。くちなしの花が何故かその人と重なります。

その人がくちなしが好きだと云ったわけではないはずです。

たぶん、悲しい気持で歩いていた自分の目に飛び込んできたのがこの白い色だったのだと思います。

それが記憶されていて、くちなしの花の季節になると蘇ってくるようです。

くちなしの花の白は不透明な白色です。沙羅双樹の花のように透いた白ではありません。自信を持って「私は白だ」と主張しているようにも感じます。

きっとそんな私のくちなしの花の色の解釈に、亡くなった人の人柄が重なるとも云えそうです。

今日もくちなしの白が映える天気です。

体調にも気遣いつつ、しばらく続く梅雨の気候と付き合っていきたいものです。


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幸福感の点と線

2013年06月25日 | 第2章 五感と体感
幸福感とはどのようなことなのかを示す「幸福曲線」という用語があります。

人の感情は無数あります。同じ幸福感という言葉の中にも個人が感じる幸福感の解釈は違います。

それをたった5つに分けたのが5つの用語を使った幸福曲線です。なぜ曲線かというと、直線のように真っ直ぐきっちりと描くことが出来ないからです。無数にある感情をたった五つに分けたわけですから一つ一つの用語の境界や感情の強さもまちまちです。

統御感
幸福感
健康感
友好的感情
平安感

ただし、これらの「幸福曲線」の用語の対極には、

錯乱

身体症状
怒り
不安

「ストレス曲線」があります。

つまり、統御感 ーーーーー 錯乱
    幸福感 ----- 鬱
    健康感 ーーーーー 身体症状
    友好的感情 --- 怒り
    平安感 ----- 不安

この関係性を見ると、自分が感じているストレスや幸福感が、表裏一体であることに気付かされます。

理想と現実のギャップがストレスを生みます。
モヤモヤとしている掴み切れない不安感を少しばかり明確にするには、上記を意識してみることが必要なようです。

昨日の一学期最後の保護者勉強会では、このテーマで行いました。
夏休みを家族の皆様が健やかに過ごすために、ちょっとした意識化ができると良いなぁ~~という気持ちを籠めさせていただきました。


7月27日土曜日10時~12時東急セミナーBE雪谷にて「生き甲斐の心理学1日講座:24節気を通して自分を知る」を行います。
申し込みは直接東急セミナーBEにお願いします。03-3728-7231 http://www.tokyu-be.jp/


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好きと嫌い

2013年06月24日 | 第2章 五感と体感
「怖い・怖くない」「好き・嫌い」は人間の原初感情と云われているそうです。

とても単純な感情表現ですが、この単純な感情を素地にしてあれこれと他の言い回し方を考えるのが、これもまた人であるように思います。

自分が悪く思われたくなかったり、訴えても聞いてもらえなかったり、否定されたりすることが続いていくと
「好き嫌い・怖い怖くない」の感情がいつしか真綿にくるまれて、単純である感情表現が自分自身見えなくなることもあるようです。

一体自分は何が好きで何が嫌いか。。。

何が怖くて何が怖くないのか。。。

これらを明確に意識できているか否か。。。

正直な感情が地面の奥深くに埋まっているとしたら、きっと息が苦しいはずです。

できることなら、口に出さずとも好き嫌いが意識化されている状態で日々を暮らしていたいものです。

本日は、保護者勉強会一学期最終日です。宜しくお願いします。

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表装展でつらつら…

2013年06月23日 | 第2章 五感と体感
昨日は東京都の表具協会主催の展覧会を見てきました。

仕事の無い日を表装作業に当てている身なので、土曜日の午前中に進めたい作業をこなし、なんとか行くことができました。

今やどれが仕事か勉強か趣味か解らない状態になっていますが、とりあえず、片方の仕事が片付かないと表装作業ができない状況が10年以上は続いているわけで、頭の切り替えのコツはここ1,2年でようやく身についてきたようです。

東北から北陸にかけての表具師、そして表具の訓練生やそのOBの皆さんも参加されているので、多様な作品を拝見することができます。

今回は箔を均等に細く切り、連続性のある同じ文様をにかわで貼った屏風に感服。根気強さや集中力、耐久力を持ち備えている日本の職人は素晴らしいです。
きっと私の場合、表装だけをする日々を過ごしていても、ここまで追求する精神が芽生えるかどうかは怪しいものです。

切って貼るよりも描いたほうが早いわけで、でも、それでは職人としての意味はないわけです。

それをやりたい情動に駆られるのが職人としての向上心であり、制作欲でもあるのです。

凡人の私が、今できることは、作業を丁寧にし、貼りつける時間をなるべく長くするために早めに制作を始めることぐらいです。でも、裂を合わせることだけには、ちょっとばかりこだわりが強いかもしれません。そんなわけで制作よりも裂を眺めている時間のほうが長いこともしばしばです。

受賞している掛け軸は、取り合わせが抜きに出ていました。

「丁寧な作業と、制作時期をなるべく前倒しにすること、取り合わせ、」今の私はこの3点をしっかりとやっていこう。。。と改めて心に誓い、会場を後にしました。

私の師匠は、技術力のみならず、向上心あり、健康感あり、指導力あり、です。目を輝かせて良い作品を褒めて弟子の私達に伝えてくださる大きな心にいつも感心しています。

粛々と学び、実行することを目標に、自分の暮らしそのものである表装を人生の楽しみにし続けていたいものです。
表装を始めて20年目にしてようやくそんな気持になってきたような。。。

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幸福感について

2013年06月22日 | 第2章 五感と体感
日本の場合、夏至は梅雨の季節と重なり、残念ながら雨の一日でした。二十四節気を意識した生活をし始めて十数年経ちますが、私の記憶では関東はほとんど夏至=雨であるように思います。

例外にもれず昨日も雨でした。

丁度、雪谷の講座と重なったので、夏至について参加者の皆様と語り合うことで勉強会が始まりました。

特に北欧では夏至の祭は冬至と同じように大切にされています。

日本は古来から夏至や冬至よりも、春分、秋分のほうが意識に上がりやすいように思います。

光と影の強さよりも昼と夜の長さが変わらない横軸的な体感を感じるのが秋分や春分です。

私自身も、光と影の強さの中に居るよりも、横に広がるファジーな体感のほうがストレスを感じにくく安心感を得る様な感覚を覚えます。

昨日の勉強会は「幸福感の体感や記憶から自分の生き延び方を考察してみる」ことを試みました。

自分の持っているストレスや理想と現実のギャップによる不安感は、幸福感を知らずして生まれるものではありません。

幸福感を知っているからこそ、不安感を感じることを意識してみると、自分の幸福感とストレス感が表裏一体であることが見えてくるように思います。

不安感ばかりに囚われていても、自分の中に巡るグルグルとした解決できないものは永遠に廻りっぱなしかもしれません。

自分の幸福感を得た事象を思い起こしてみると自分の折り合いの付け方が自分の中に備わっていることにふと気付くこともあるようです。

答えを出すことを色に例えると、白か黒のほかにグレーという色があっても良いのです。

自分の好みのグレーを探しだすと、黒と白も、グレーに含まれていることに気付きます。漆黒、純白には辿りつかない自分に観念してもよいことを赦すのも自分自身の器の大きさ次第かもしれません。修行は続くのであります。

縄文から今日に至るまで、大陸からもたらされたものと合い交じり合いながら無限の神様に裏打ちされているのですから、グレーも一つの確信であるかもしれません。

葛城山の一言主は、良いこと、悪いことを一言づつしか言わないそうです。解釈は自分次第、ということなのでしょう。

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頭の中でグルグルするもの

2013年06月21日 | 第2章 五感と体感
頭の中でグルグル巡るものをどうにかしたくてもグルグル巡ってくるのでどうにもならないことは大抵の人が経験することかもしれません。

どうにかしたいなぁ・・・と、思うのであれば、自分自身の何かに一歩踏み込んだと云えそうですが、グルグル巡りっぱなしで対処など考えた事がないのであれば、それはそれでその人の生き延びるコツでもあると解釈もできそうです。
ただし、後者の場合、同じ話題、同じ愚痴で一生を過ごしていると徐々に自分の周りから人が去って行くかもしれませんし、関わる他者をストレスに追い込む原因を自分が作っているかもしれません。

頭の中に巡る不安感をどうにかしたいと思った時が、人生の学びの時であると常々思います。

不安なことはいったいいくつあるのでしょう?

自分の事なのか。他者の事なのか。社会の事象についてなのか。一体何でしょう?

もし、他者の事や社会の事象の事が頭から離れないのであれば、それに対する自分の不安感は一体何なのでしょう?

自分自身の不安感に焦点を当てていきます。

「生き甲斐の心理学の学び」は、自分自身の学びです。

今日から来週にかけての「NPO法人CULLカリタスカウンセリング学会各勉強会」では「幸福感」をテーマに展開します。

他者ではなく、社会の事では無く、自分自身の幸福感についてを意識化できるよう、自分で問いかけ自分が答えを導き出していきます。

私が水先案内人をさせていただきながら、本日も和やかに楽しく行います。

本日は雪谷東急セミナーBE雪谷、来週28日金曜日は東急セミナーBEたまプラーザです。日曜日23日は非公開のプライベート勉強会です。。「東急セミナーBE」では一度体験されてから入会される方がほとんどです。

それぞれの講座で共に学び合う皆様にお目に掛かるのを心待ちにしております。

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東大寺二月堂 奈良旅12

2013年06月20日 | 第2章 五感と体感
薬師寺を拝観し、山門から歩いて5分ほどの西の京駅からタクシー三台を連ね、東大寺に向かう途中にある聖武天皇と光明皇后御陵を参拝。

真南に向く御陵からは東に東大寺、南に奈良市街地、西に生駒山を望む位置です。背後の北には奈良坂の奈良豆比古神社があります。

持統天皇を巡る旅を締めくくるに相応しい御陵を後にし、東大寺の転害門(国宝)を左に見ながら一気に二月堂まで駆け上りました。

旅の疲れも出ており、なんとなくぼんやりする時間帯だったため、初めて三月堂の真ん前のお茶屋さんに入りました。今まで何度訪れたかわからないくらい詣でているのですがお茶屋さんに入るのは初めてでした。皆さんと甘味を頂きながら、斜め50度ぐらいの絶好の角度で二月堂を眺めることができることが解り、次回からは必ず寄ろうと密かに心に決めました。

神仏分離で分けられたお隣の手向山八幡で、去年落として割ってしまった鳩笛を再度求め安心を得て、いよいよ二月堂へ。
ここは、東大寺建立と深い関係のある宇佐神宮と関わりのある神社です。

東大寺が大好きな私は、案の定制御不能状態になり、皆様が待っているのも忘れて二月堂でうろうろ…。
いつもは扉が閉ざされている参籠所で写経を行っている高校生を羨ましげに眺めていたお陰で、東大寺のお坊様からお話を伺う事も出来、居合わせた我らの太極拳の師匠と萌える気分が絶好調?になり、一層皆さんを待たせることに。。。^^;

その後講堂跡、湯殿、正倉院に通じる私の魂の故郷の小路を歩き、大仏殿の山門から盧遮那仏に手を合わせ(制御不能の私、いいえ厳密にいえば制御不能になった二人(笑)が二月堂に留まっていたため中に入る時間が無くなってしまったわけです^^;)、参道の鹿と戯れながら帰路に着きました。

元興寺や法華寺、興福寺、もちろん春日大社も皆さんと共に歩きたかったのですが、それは次の楽しみに取っておきましょう。。。奈良豆比古神社の楠も次回はコースに入れたいなぁ~~、、、奈良旅が終わると次の奈良旅を妄想することも私の生き甲斐です。
楽しいメンバーと楽しさを満喫した旅でした。

合掌

ブログ奈良旅報告おしまい。ブログを読んでくださりありがとうございます。

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薬師寺 奈良旅11

2013年06月19日 | 第2章 五感と体感
唐招提寺の山門前に二件のおうどん屋さんがあります。奈良旅3日目は、関西在住のメンバーも加わり11名となり、6月8日は土曜日という事もあり、早めにお昼を頂いた方が動きやすいということで、初めて山門から見たら左側のおうどん屋さんにはいりました。券売機がある方のお店です。
小さなお店は私達が入ると一杯になりました。85歳の店主のおばあちゃんと娘さんが二人で切り盛りしているため、てんてこ舞い。。。全員が同じ冷やしうどんをお願いし、茹であがった順から皆さんと頂く光景が何とも暖かく、ありがたいお昼時間でした。「一杯のかけそば」ならぬ「一杯5百円の冷やしうどん」に旅の疲れも癒され元気をもらい、歩いて15分ほどの場所にある薬師寺へも足取りが軽くなりました。

唐招提寺から薬師寺に向かいながら、今度は頭の整理です。

鑑真和上から少し時代を巻き戻し、意識は持統天皇に。

藤原京の本薬師寺を始まりとした薬師寺は数日前ブログに書いたように、もともとは天武天皇が鵜野皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈り創建されました。病が治った鵜野皇后が、今度は天武天皇の平癒のためにバージョンアップしていくのです。やがて藤原京から現在の奈良市内にある平城京に都が移された頃に薬師寺も移されます。

確か1500年代に伽藍が焼失し、以来そのままの状態であった薬師寺は昭和42年に再建されました。

再建されて10年以内あたりに修学旅行で薬師寺を訪れた私は、薬師寺縁起を熱く語る話の内容は全く記憶にありませんが、お坊さんの熱き気持だけをよくよく覚えています。
大人になって何度か訪れている薬師寺には、その講和を聞いた中学生の自分に会って体感を再度体験するのが正直自分の目的になっているかもしれません。
制服着て、日陰の無い境内がやたらと暑かった体感の記憶は未だに残っています。

今回の薬師寺参拝も三十数年前と同じようなお天気でした。

旅の最後を締めくくるのは、勿論東大寺。。。続きは明日に^^//

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唐招提寺 奈良旅10

2013年06月18日 | 第2章 五感と体感
私が尊敬する人の中に鑑真和上が居ます。私の心の中に鑑真和上が住んでいるといっても過言ではないかもしれません。

井上靖の「天平の甍」も私が大切にしている小説の一つです。

日本に伝わった仏教の現状に警鐘を鳴らし、戒律を糺すために鑑真和上が自ら海を渡られたのは753年12月。

個性化した寺院からの軋轢も経験し、東大寺に戒壇院を築き、聖武天皇を始めとし四百人余りの僧侶に戒を授けたそうです。

東大寺に建立された戒壇院は現在の場所ではなかったようですが、多分、現在の場所が一番鑑真和上の功績を讃えるに相応しい場所のように私は感じています。
東大寺戒壇院のエントランスは白い石が敷き詰められ、その文様は波です。五度の失敗を重ね六度目にしてようやく日本の地を踏むことのできた鑑真和上の苦難と困難を象徴しています。

鑑真和上が戒律の専修道場を創建できたのは日本に渡り6年の後でした。つまりそれが唐招提寺の始まりです。

今回の唐招提寺参拝の目的は、鑑真和上忌に合わせた旅であったため御廟を拝み、その場に旅の友と佇むことと、御影堂の東山魁夷が描いた障壁画を拝見するすることでした。

東山魁夷の描いた障壁は、襖の奥に無限に広がる結界の手前に居る自分の存在を忘れてしまうくらい素晴らしいものでした。

空気を描くとはこのことでしょうか。
東山魁夷画伯自身が自ら描く画を深く慈しみながら描き切ったことが伝わり、自ら描くものを自らが愛することをどのくらいの画家が経験するのだろう…。そのような気持が湧く中、御影堂の全ての障壁を巡りました。

4月には「けい花」という花が御廟に咲きます。湿度の高い日にその花の香りの香を焚くと自宅に居ながらにして御廟を感じます。
今回の参拝で、沈香を求めました。

新たな香りを聴き、朝のブログ書きにも拍車がかかります。

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飛鳥寺と中学生 奈良旅9

2013年06月17日 | 第2章 五感と体感
奈良旅二日目は盛りだくさんの行程吉野~談山神社~岡寺を巡り、段々と疲れも出てきた閉院ぎりぎりの時間に、二日目最後の訪問寺院は飛鳥寺。

何度か訪れた事のある飛鳥寺は、現在は田んぼや畑の真ん中にぽつんと佇んでいます。縮小されコンパクトになりながらも明日香の風情が色濃く感ぜられます。日本最古の大仏と云われている飛鳥大仏を拝むために本堂に入ると、東京からやってきている中学生の団体に出会いました。

僧侶の話に耳を傾ける者、一心に拝んでいる者、面倒くさそうにしている者、どの姿も中学生らしく、修学旅行というきっかけを20年、30年後に活かしている私達のようになる子供達がこの中に数人は居るであろうことに、未来永劫を期待するワクワク感を頂きました。
本堂を出ると、一人の男子生徒が、靴を履き替える板の上に足を伸ばして座り、ぼぉっと境内の風景を眺めていました。
「こういう子、いいねぇ~~」と、友人と顔を見合わせ二コリ…。

飛鳥寺の裏木戸からは蘇我入鹿の首塚があります。この首塚も、畑に囲まれた処にぽつんとあり、住民の方々が普段使用する路でもあり、ふと20代の頃、一人で歩いた奈良の旅を思い出しました。農道を歩きながら石仏を巡った旅でした。多分、現在はその風景に出合うのは難しいと思います。
裏木戸の住職さんがお住まいになっているお家のエントランスにいつも居る柴犬のイブちゃんにも再会することができ、何度も手を振り、あちらは尻尾を振り、再会を喜び合いました。(再会を喜び合ったのは私の方ですが。。。)

飛鳥寺に住むワンコの名前が「イブ」というのも、「象徴学的に云うならば、明日香の始まりを意味する原初的な意味を含んでいる犬の名である。」などということも思いながら、飛鳥寺の境内から庭を眺める中学三年生に同じような意味を重ねてみたり。。。

盛り沢山な旅の二日目6月7日は暮れたのでありました。

続きはまた明日。。。

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清浄な空気の岡寺 奈良旅8

2013年06月16日 | 第2章 五感と体感
前回の岡寺訪問時に、山門をくぐると急に空気に澱みがなくなり森羅万象がくっきりと目に入ってきました。今回の岡寺訪問も同じ感覚を得ました。岡寺は現在は真言宗のお寺です。

持統天皇の息子である草壁皇子もここで育てらたという記述もあります。

持統こと鵜野讃良皇女は大田皇女の子息、文武両道人望厚い大津皇子を謀反の罪で殺したことで、一層敵も多くなったことでしょう。夫の天武天皇崩御による後継者選定は、国づくり只中の鵜野にとって目標の道半ばであり、ここで自らが蚊帳の外に成るわけにはいかないという思いが強くあったと推察しています。
日の沈む二上山に大津皇子の墓を造り、明日香を隔てた東側にある「岡」に鵜野本人も籠った時期があるとも聞いています。

龍を鎮めた伝説のある小さな池が本堂前にあり、そこを抜けると東側に切り立つ山の側面に天岩戸と称される祠があります。
以前は石棺が入っていた古墳であったと同行者に指摘され、入ってみると丁度両手を広げたら側面に手のひらが付くほどの幅でした。

鵜野の生きた千三百年以上前から既に霊場であった場所の空気は、何とも清々しいものであり、解き放たれるような解放感は一体何なのだろう。。。と、今回も謎のまま山門を後にしました。

子を守る母心は、永遠普遍のものであり、子を思う親の気持と行動がどんな形であれ、その人にとっては純粋なものであるとすると、その純粋性という永劫をそのまま、私が感じ取っているのかもしれません。

鵜野の息子草壁皇子は即位することなく亡くなってしまうのですが、天武天皇崩御から三年の後、鵜野が持統天皇として即位することとなるわけです。

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