五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

真夏を乗り越えるには

2011年06月30日 | 第2章 五感と体感
昨日、我が家のテラスによしずを設置しました。

海の家で使用している大きなよしずです。

高さが9尺(3m)あるので、ゆったりと立て掛け、強い日差しをよしずの隙間から垣間見るような感じになり、テラスの大部分が日陰になったお陰で、照り返しの暑さが回避されました。

お陰で、レースのカーテンをする必要もなく、すっかり海の家の気分です。

よしずを通して吹く風は、涼しさを運んでくれます。

木と土で家を造り、その文化を育んできた日本人は、この文化をすっ飛ばして高度成長を遂げてきました。

便利とか快適とかを求めた結果、それ果たすための労力に振り回されてきたのが現実かもしれないとも思います。
振り回すことを自己に課しながら便利な生活を得てきたとも言えるような気もします。

これから3か月近くの暑さと、どう関わっていこうか、多少の覚悟も必要でしょうし、気持の中でもスローな意識を忘れずに、時には沖縄の浜辺を思いうかべ、時には長野の高原を思いうかべ、想像力をフルに生かしながら、暑さの現実を正中線糺して過ごしていくことも一つの方法かもしれません。

今まで求めてきた便利さから、少し視点を変え、自分自身が自分なりに工夫する努力も必要になってきそうです。

よしずと打ち水。

今のところ、こんなことくらいしか思いつきませんが、暑さとの戦いの中、きっと良いアイディアが浮かんでくるのでは、、、と、自己に内在する解決力を期待しながら過ごしていきたいと思うわけです。

今朝は、4時半に目覚め、美しい朝日を拝みながら涼しい空気の中でパソコンに向かい一仕事終えました。

これもまた、工夫の一つかも…

皆様も熱中症には気をつけて、お過ごしください。

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新しい環境への不安感

2011年06月29日 | 第2章 五感と体感
若い時は、新しい環境で生活することは、当たり前のことだったように思います。

幼稚園、小学校、中学、高校、クラス替え、そして専門学校や大学等それぞれの学び場、職場、バイト、就職、転勤、結婚、離婚、転職、

一つずつ歳を取りながら、多様な人間関係、そして自分自身の生活環境の変化によって、いろいろなことを学習していきます。

この場合の学習は、勉強、技術の体得や仕事に慣れることだけではありません。

人間関係が生み出す自分に湧き出す感情の記憶も学習に入るように思います。
人間関係が上手くいっていれば、その学習効果は、その人にとって良き方向に向かうでしょうし、新たな環境に対しても恐れることなく、踏み込んでいくことがでいるでしょう。
もし、それが逆だった場合、きっと新たな環境に踏み出そうとすると、過去の学習が蘇り、不安感が増してくるのです。

誰でも、新しい環境に馴染むには、時間がかかります。
嫌な体験が、自分を不安にさせているのであれば尚更のことでしょう…

不安感が湧きあがっている自分は、いったい、何を解決できれば不安に押し潰されることなく過ごすことが出来るのでしょう。

同じような目に遭うのではなかろうか…
同じような失敗をするのではないか…
でも、その不安感が意識されているのであれば、もう一歩想像を巡らすこともできそうです。不安感が意識できておらず、同じような結果になったことで、「あー、またおんなじだ…」と、経験してから嘆くことよりも、進展はありそうです。

新しい環境への不安感が、自分で意識できているのであれば、それをちょっと利用してみるのも一つの知恵かもしれません。
それは、どのようにそのことを回避するか。または、そうならないように自分が意識し、努力できることは何か。
過去の経験は、必ず自分の内から答えを見出していくはずです。

今、不安感が増強している私の友人に向けて、このブログを通してエールを送らせていただきます
(((^^)))p!!

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成育史と言葉

2011年06月28日 | 第2章 五感と体感
日曜日に一日中刷毛とカンナとのこぎりを持ったお陰で、心は満足していたものの身体には疲労感を引きずりながら学校の保護者勉強会に向かいました。
そうはいっても、皆様のお顔を拝見しているうちに、段々と元気が蘇り充実した一日を過ごさせていただきました。

中高合わせて6年間の学校生活を過ごしている生徒の護者の方々は、毎日お弁当を作り、事故の無い事を祈り、大きく成長していく我が子と喜怒哀楽を共にしながら学校生活の過程を経験していらっしゃいます。

中学受験が落ち着き、公立の小学校を経験されている方はお弁当作りにようやく慣れてこられた頃でしょうし、期末試験が近づき少々気持がそちらに向いていらっしゃる方々も多いかもしれません。

昨日は「ストレス曲線」がテーマでした。

不安感は、人の本質と言われています。
不安感が湧きあがらなくては、生活が成り立たないし、諸々の発展もしてきません。

理想と現実のギャップがあって初めて何かが生み出されていくわけですが、同時にこの理想と現実のギャップがストレスを生んでいくわけです。

「私の理想とは何か?
私の描く将来はどんなものか?どんな将来を送りたいのか?
私はどうあるべきなのか?

そのために、今、私はどんな行動を起こしているのか?」

こんな問い掛けを自分自身にしてみると、自分が生まれてから今日に至るまでに学習してきた概念から湧き出る言葉が、他の人とは違う個性を持っていることに気付かされます。

「他の人とは違う」というのは、どういうことでしょうか?

同じ言葉を使っていても、その言葉に裏打ちされた背景は、他者とは全く違うものなのです。
そのことを意識しているか、していないかで、暮らしの喜びに差異が出てくるように思います。

つまり、何気なく自分が使う言葉から、自己概念が見えてくるようです。

自分自身が、よく使う言葉について、その背景を思い巡らしてみると、自分の不安感が見えてくるかもしれません。

個性の美を大切に…

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表具職人の一歩

2011年06月27日 | 第2章 五感と体感
職業として成り立たせるには、このご時世難しい職業だと思います。

先日、訪れた徳川美術館で多くの職人の優れた仕事を見せていただき、日本人の手先の器用さと工夫する道具と技術、そして美を形式の中で追求していく繊細な感性は、他の国では見ることのできない独特なものだと、思い知らされ、表装の美しさに改めて魅力を感じました。

表装の世界に足を踏み入れて、今年で17年目ということにふと意識させられたことがあります。

毎日親方について、怒鳴られながら修業していけば、たぶん一通りのことが10年で出来るはずです。でもそれ以降の努力は、その人次第です。
私の場合、趣味の領域で続け、その延長から抜け出ることなく今まで来ました。
趣味でありながら、畏れ多くも人様そ指導することをしつつ、やはり、これじゃぁ進展が無いわけです。

震災をきっかけに、少しばかりこの世界にもう一歩足を踏み込んでみようという決意をしました。
(3月11日に帰宅困難になり、表具の師匠のビルに泊まり、ビルの最上階の仏間に泊まらせていただきました。そんなわけで、ちょっと考えたわけです。)

昨日は、職人のための試験のトライアルでした。

額装を一日で仕上げるわけですが、いやはや…
自分の技術の足りなさに、表具師の親方たちは、呆れながらも丁寧に指導してくださいました。

掛け軸を作成することは、私の身体に随分馴染んできたようには思っていますが、さしものの仕事は、ひどいなんていうものじゃぁありません。
それでも、のこぎりとかかなづちやノミ、刃物を使う仕事は針と糸を使う仕事よりも自分に合っているとは思うのですが…

これからの一カ月、平家物語を読みながら(笑)、能の仕舞いと謡いを覚えながら(笑笑)、職人登竜門をなんとか突破できることを目標に精進する日々を送らなくては…。

いえいえ、仕事もちゃんと致します(^^;).
今日は、保護者のための勉強会です。ストレス曲線についてがテーマです。

東京都の表具組合の先生方、心から感謝いたします。なんだかんだ、足りないところばかりなのですが、楽しくて仕方ありません。好きこそ物の上手なれを信じて頑張ります。

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新平家物語

2011年06月25日 | 第2章 五感と体感
数日前から新平家物語を読みだしました。

猛暑の夜の寝苦しさが幸い?して、新平家物語は寝苦しい夜の「友」になっています。

吉川英治著の新平家物語は、勿論、平清盛の生い立ちから始まるわけですが、その頃の庶民の様子、町の様子、諸々のことを情緒豊かに描き出しています。また、登場人物から湧き出す感情の表現は痛ましいほど臨場感があります。

人々の暮らしぶりや、喜怒哀楽の諸々を読んでいるうちに、読んでいる私自身との感情の比較が始まります。歴史を知ることは当然の事ながら、登場人物の「思考と感情と行動」に感情移入していくと、まるで自分が平清盛の時代に暮らしているような気分となり、映像が頭に浮かんできます。

ちょうど、我が家の夏椿(沙羅双樹)が咲きだし、この数日間の酷暑で咲いた花の花もちが悪く、咲いては落ち咲いては落ち、毎朝、落ちた花の掃除が日課となっています。
祇園精舎の鐘の音を夏椿から感じ取りながら、山間の大原の寂光院に思いを馳せると、多少の涼しさが空の上から下りてくる感じがしてきます。

超大作の16巻。読み終えるのはいつの頃か未定ですが、読み終えたら、今度は「平家物語」を読むのを目標に、当分楽しむことができそうです。

能を始めたおかげで、読むことを遠巻きにしていた日本の超大作文学にようやく手をつけることができていることに感謝しています。
きっと、読み終えたら、太極拳を始めたお陰で「三国志」にハマるのではないかと、、、自分の単純さに頭を掻いております(笑)

酷暑の夏、私の涼み方は、扇風機の前に座り、作家吉川英治が観た平家物語の悦に浸ることでしょうか。

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カウンセリングの現場のかろやかな裏話

2011年06月24日 | 第2章 五感と体感
某私立中高のカウンセリングを担当させていただいてから、今年で4学年目です。
訪れてくださる生徒や保護者の方々との温かい交流が確立されてきたのは、先生方の真摯な関わりを中心に互いの信頼関係を少しずつ、事あるごとに共にしてきたことにあると思っています。

皆様との信頼関係は、互いに認め合う「個性の美」から生まれてくるものであろうし、その信頼関係と気楽さが無くては、成り立たないものです。

朝、学校の入口にある警備の方々との挨拶と会話から始まり、学校で清掃の仕事をされているベトナム人の難民の方々と雑談を交わし、カウンセリングルームに入るまで、少なくとも6,7人の方々と会話をし楽しい気分で仕事に臨みます。

深刻な悩みやどうしていいのか解らない感情を抱えていたり、どうしても話したい事を伝えたいと思ってドアを叩いてくださる方との温かい関係はその場だけで成り立つものではありません。

人を敬い、挨拶を忘れず、適度な明るさを意識していくことは、平素の生活で実践していなくてはできないことです。

人と成りは、現象として相手に伝わります。
それが、相手にとって不快なものであることは、避けなくてはならない仕事だと認識しています。

訪れてくださる方の「現象」を聴く前に、私自身に表出されている現象を点検することが、一番大切な準備であると思いながら、仕事をさせていただいています。

一学期もそろそろ終盤となってきました。
保護者の勉強会も含めて、皆様との出会いと共に過ごす時間は、ほんとうにほんとうに尊いものです。

カウンセリングの内容を話題にすることはしませんが、理論的なことだけでなく私の心の持ちようを「裏話」として、ここで書き綴っていくつもりです。

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ようやく平家物語・・・

2011年06月23日 | 第2章 五感と体感
キリスト教文化から生まれた心理学の学問を学ぶ中、ユングの原型論から「チベットの死者の書」の80の自性の分別を再読したり、孔子や仏教経典を勉強したり、ギリシャ神話、ケルト、死海文書等、原始キリスト教についての書籍を読みあさり、この10年数年間、焦点付けされた密度の濃い読書をしてきたように思っています。

5.6年前からは、特に日本人の原型を思索したく、古事記や源氏物語を舐めるように読み、奈良、京都を事あるごとに立ち寄り、それらをテーマに勉強仲間とも思索をしてきました。

4年前から能を習い始め、謡曲の中に、改めてこんなに日本の文化そのものが散りばめられていることに気付かされました。

伊勢物語や古今和歌集、万葉集、そして漢詩の抜粋…

それぞれの歴史に名高い小説の断片を織り交ぜながら、登場人物の情感を推察していくことに、なんとも言えない心地よさを右脳に感じさせてくれます。

そして、今、何よりも興味をそそるのは、平家物語です。
断片的に物語を知ってはいても、壮大な平家物語を読むのは骨が折れるなぁ~、と避けてきました。

心理学を学びつつ、日本人の原型、アイデンティティを自らを通して学びながら、いよいよ新平家物語を読み始め、
自分の生き甲斐をますます深めていきたいものだ、、、と、思っています。

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夏至

2011年06月22日 | 第2章 五感と体感
今日6月22日は夏至です。

横浜はお天気の良い一日になりそうです。
例年、お天気の悪い日が多いのですが、こんなに晴れているのは珍しい事です。
いつまでたっても陽が暮れず、長い日中をワクワクしながら過ごす特別な日のように感じます。

夏生まれだからでしょうか。夏至という響きにポジティヴな感情を抱きます。

お天気に左右される梅雨時だからこそ、今日のような清々しい夏至の日を大切に過ごしたいものです。

我が家に咲きだした夏椿(沙羅双樹)は、今日は沢山の花を咲かすでしょう。

洗濯物もカラッと乾きそうです。

太陽の光を浴びて、自分の身体にも夏至の恵みを頂くと、多分元気の「気」を貯金出来そうに思います。

何はともあれ、夏至の一日。太陽との会話を楽しみながら過ごしたいものです。

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介在の落とし穴

2011年06月21日 | 第2章 五感と体感
「誰誰さんが、あなたのことを○○と言っていたわよ」

「○×さんが、止めた理由は、あなたが、△と言ったかららしいわよ」

他者が面と向かって伝えられないことを「第三者に明かす思い」をいちいち代弁してくださる方がいます。

嬉しいことが伝わるのは嬉しいけれど、ブルーな気持になるような内容だったら、聞かせてくださらなくて結構です。

人に言われなくても、察することができるのが大人の付き合いであろうし、自分の目の前を静かに去っていけば、「ああ、何か、思いが湧いたんだろうな」と、推測的解釈はできます。

あなたと私の関係で、互いに向き合う事ができないのであれば、まぁ、その程度の付き合いなわけです。

あなたと私の関係で、どうしても、本人を目の前にして言いたい事があるのであれば、伝えることによって自分の気持ちを相手に知ってほしく、自分自身が互いの関係性の中でハッピーな関係性を求めているからこそだと思います。

第三者が言いたい人に言いたい事を言えない感情には、意味があることを忘れてはなりません…
「相手に直接伝えることが出来ない」本人に、なんらかの防衛機制があるか、言いたい相手にまでは伝わらなくても良いから愚痴だけを聞いてもらいたい程度の気持なのかもしれません。

余計な橋渡しをすることによって、介在した人が今度は感情転移(八つ当たり)の対象になり兼ねません。

良かれと思って行動する前に、この問題は自分が関わるべきものか、本人が解決する問題なのか、傾聴するだけのものか
、少々意識を働かせて判別つけたいものです。

専門用語的にいえば、役割遂行と言いますが、守秘義務を遂行すべき職業の人にとっては、当たり前の掟です。

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尊重するということ

2011年06月20日 | 第2章 五感と体感
いろいろな人々がいろいろな生き方をしています。

いろいろな事を選択して、自分の道を歩み暮らしています。

私とあなたは違います。

だから、相手を評価する前に、自分の道を信じているならば、あれこれ言わずにひたすら進みたいものだと思います。

自分の道を信じて行動している相手を尊重すると、自分の視野も広がります。

相手を尊重することと同調することは違います。

そして、自分の道を歩みながら、喜怒哀楽を仲間と共感し合うことで、自分が自分でいることに喜びを感じていきます。

「私はあなたよりも優れている」と感じていたとしたら、「なぜ、私はあなたよりも優れていると思いたいのか?」と自分に問いかけてみると良いかもしれません。
もしかしたら、「あなたより優れている私」の中に潜む大きな孤独感に突き当たるかもしれません。

互いに尊重し合って、喜怒哀楽を共にして、我が道を歩んでいきたいものです。

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異文化から見えてくる魂

2011年06月19日 | 第2章 五感と体感


父の転勤で住んだ福井は、異文化の面白さを大いに体験した時期でした。

それは5歳から7歳の、二年半くらいの期間の話です。

もともと家系的には寺と神社の縁が深いのですが、両親は特にそれらに傾倒しているわけではありませんでした。

初めて通った幼稚園は、お寺が経営している幼稚園でした。毎朝、本堂の観音開きが開けられ、仏様に手を合わせて御詠歌を歌い、食事の時も手を合わせ、なにやら歌っていた記憶はあります。

福井県大野市は、水の美しい城下町で、至る所に水路がありました。お寺も多く、友達の家の仏壇の立派さも印象に残っています。
季節ごとのお祭りや、結婚式に新郎新婦が家からお餅を投げる風習があったり、托鉢のお坊さんが度々玄関先に訪れ、賽銭をあげるとお経を唱えてくれたり、それこそ、毎日がワンダーランドのように興味津々の日々を過ごしていました。

神社やお寺の境内を歩くと心が洗われる、ということを自ら学んだのもこの頃です。

気楽に遊べる友達がいなかったので、ふらふらと散歩をしては神社の銀杏を眺めてぼおっとしたり、寺の仏様に会いに行き、暇にまかせて境内のグルグルまわったり、織物工場の音に耳を澄ましてベンチに座っていたり、水路の水場に集まるおばさんたちの行動を観察したり、、、

つまり、異文化に関するフィールドワークを幼い頃から体験してたわけです。

転勤族の子供は、異文化に関するの情報収集と察知力は、多分長けていると思います。
なにしろ、子供なものですから、言語化もできず、身体で感じるしかありませんでしたから…(笑)

違和感なのか、興味の対象なのか、たぶん、そのどちらもあったのだと思います。

大人になってから、徐々にこれらを言語化したくなり、宗教心理学という学問を人生の学びとして選んだように解釈しています。

異文化に触れ、美術を学んだり、旅をしたり、本を読んだりしてきたことを学問の系統を通して整理している行為が、私の軸と成り出しています。

不可知論的議論することよりも、自分の体験したことから見えてくるものを言語化していくと「魂」に触れていくことになるのだと思います。

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母と子

2011年06月18日 | 第2章 五感と体感
母の考え方、感じ方、行動の仕方がいつしか自分の血と肉になりながらも、どこかで違和感を感じていたことすら解らずに大人になっている人が大半かもしれません。

その違和感に苦しんでいる人が、案外多いように思います。

母親の愚痴を言いながらも、母親と似ている自分。

母親のようになりたくない、と言いながらも、母親と同じことをしている自分。

最近、きっと自分も母と同じようなことをしているんだろうな・・・と、ある程度カンネンしている自分を受容できるようになったように思います。

受容していくうちに、段々と自分の足りないところも見えてきたように思います。

開き直ることもできるようになってきたように思います。

ああ、やっぱりあの母子は、なんだかんだいっても、やっぱり母と子だなぁ~~、というようなことが見えてくると、なんだかとても大きな愛に包まれているような温かさが湧きあがってきます。

平家物語を読みふけているうちに朝になり、平清盛と彼の母を想い、なんとなくそんな気持が湧きあがった土曜日の朝です。

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説得の落とし穴

2011年06月17日 | 第2章 五感と体感
良かれと思って、落ち込んだ人を励ますつもりが、だんだんと感情が高まって、強い口調の説得へと移行していく人に時々出会います。

傍で見ていて「あーあ、やっちゃったよ…」と思いますが、言っている本人は、言いたい事を相手に主張し、落ち込んだ人の肩を叩いたりしています。説得しているつもりの本人は気持良くなっても、落ち込んだ人はますますゲンナリしていくわけです。「あんたには、言われたくない・・・」と。

説得しているうちに、自分の思いや考えにのめり込み、そのうち、自分の抱えているストレスのはけ口になってしまったりしてしまうのが、大抵の人の「説得」かもしれません。

説得が余計なお世話だと思われる前に、相手が落ち込んでいる感情をきちんと受け止め、感情に添う訓練をしたほうが良さそうです。

「いかに、口を出さないか。」

「ありのままの状態を静かに見守り、沈黙を保つことができるか。」

「言葉にしなくても、ちゃんとあなたのことを今現在、見守っているよ、という愛情と気遣いが自分にあるか」

説得することよりも難しい事かもしれませんが、自分の言っていることは、実は自分に言い聞かせたい事か、または、自分が誰かに言いたい事ではないだろうか、、、ということを自問自答できる余裕くらいは持っていたいものです。

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人の感情は変化していくもの

2011年06月16日 | 第2章 五感と体感


人の心は、どんどん変化していきます。

昨日「好き」と思っていたことが、今日は「嫌い」だったり、心地良いものが心地悪くなったり…

傾聴する私は、何かの悩みを持っている人の「昨日の感情」に執着しないよう心がけています。「今日の感情」と「昨日の感情」がまったく正反対であることに、度々遭遇します。

「湧き出す感情」=「現象」を何より大事に聴いていくことが大切なポイントのようです。

「へぇ~、、、そう思ったのね~」と、ありのままをそのまんま、受け取って聴いていきます。

「昨日は、あんなこと言っていたのに……、」「なんで、ころころ変わるんだろ?」と、応答してしまったり、「そんなこと思っちゃいけないわよ~」なんて、言ってしまったら、悩みを打ち明けている本人は自己の湧き出す感情を素直に表現できなくなってしまいます。または、話す相手に対して不快感や不信感を抱くでしょう。

ありのままに感情を吐露できるまで、「今この時」に発する言葉を、ほんとうにほんとうに大切に聴いていくことを、ともかく続けていきます。

ともかく、明日は明日の風が吹くし、、、
昨日と今日は違うのです。

そして、今日より明日です。

色々な感情の中で苦しんだり、喜んだりしていくことが生きている証拠なのですから…(^^)

今、この時の「現象」、「湧き出す感情」には必ず意味があるのです。

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安らぎと癒し

2011年06月15日 | 第2章 五感と体感


芸術に触れたり、趣味のあれこれに没頭したり、自然の中に身を置いたり、気の合う友人と会ったりすると、自分の心と身体に満足感を得ることができます。

日々感じているストレスの中で、安らぎと癒しの時間、そして満足する時間を持つことで、自分が感じているストレスが小さくなる場合があります。

でも、そのストレスの基が無くなるわけではありません。

癒しと安らぎの時間を大事にしていくうちに、いつしか自分のストレスの基である何かにちゃんと向き合う事ができる日がくるかもしれません。

「私は、宴の後の虚しさを繰り返しているか。」

「私に、宴の後に向き合う時間が訪れているか。」

この問い掛けが自分の中でできるようになったら、きっと自分の問題と向き合う機会が訪れている証拠かもしれません。

この問い掛けに嫌悪感を感じるのであれば、まだ、自分自身をそっと癒す時間を大事にされたほうが良いかもしれません。
でも、自分をそっと癒しながら、何かに癒されながら、きっといつかは、繰り返すストレスから解放される時が来ることを信じていると、向き合う時間が訪れてくるのだと思います。

安らぐこと、癒されることだけに執着していると、たぶん同じことの繰り返しかもしれません。

自己の理想と現実のギャップを意識するところから、模索が始まるのです。
答えは、自分の内にあるのですから。

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