五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

身体で覚える

2011年07月31日 | 第2章 五感と体感
昨日、東京都の認定試験を受けてきました。

表具師というには、まだまだ力及ばずで、それでも17年間続けてきたものだから表装に関わっている者としてのプライドも生まれてきました。
そんなプライドはあっても、表具師は私にとって敷居の高いもので、まぁ、表装デザイナーだったら何とか形のつく名称かな~、、、等と思いながら表装を続けてきました。

表装を始めたのは阪神大震災の年だったと記憶しています。ちょうど17年前です。
そして、今年の3月11日、秋に行う展覧会会場を下見した足で、表装教室指導員の勉強会に出席しました。その勉強会の最中に地震が起こりました。結局、その日は表装の師匠のビルに宿泊させていただくこととなり、出席した女性陣は、ビルの最上階にある仏間に泊めさせていただきました。
余震の中、仏壇と師匠のご先祖様の写真や戦前のお店の写真に見守られながら、朝を迎えたのです。

私が、今年は挑戦しようか、と決意したのはそんな経過からです。

ある意味、自称芸術家なら誰でも云えるかもしれませんが、「職人」は、誰でも使うことのできない名称です。

今、経済新聞で長谷川等伯の小説が連載されていますが、その中に、彼の息子久蔵が、父が形を描くために指を膝に充て対象を描きなぞるのを幼いながらに真似るシーンがでてきます。
画師としてのある意味職人修業の始まりが、そんな何気ない真似ることから始まっていくのです。

身体で覚える、つまり体得ということです。

どんなものを覚えていくのに共通するのが、身体で覚えるという体感的感覚です。

「今まで身体で覚えてきたものをいかに早く正確に、しかも時間内にできるか、、、」これが出来て、初めて職人という名称が言えるわけです。
準備を始めて二ヶ月間、仕事の合間をぬいながら試験の内容を実際に作り、頭の中で段取りと作業内容をシュミレートして臨みました。

結果、火事場の馬鹿力が発揮され?過度の集中と緊張のあまり時間内で完成した瞬間、吐きそうになるくらいでしたが何とか終わりました。

9月には学科試験があり、まだまだ試験の行程は続きますが、目標を持ちながら修業し、そこから味わう達成感は感じています。
来月で丁度半世紀の誕生日を迎える身として、体調管理と筋力トレーニングをしながら元気な職人おばあちゃんを目指したいと思います^^/

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体感を言語化する

2011年07月29日 | 第2章 五感と体感
「身体で感じたことを言語化する」ことは、簡単なことではありません。

ゾクゾク
イライラ
ワサワサ
ムラムラ
ワクワク
ゾワゾワ
キリキリ
ギクギク
モヤモヤ
メラメラ
ミシミシ
クラクラ
ドキドキ・・・・

挙げればきりがありませんが、何らかを形容することによって言葉で表現することが難しいので、ついつい上記のような言葉で表現しがちです。

擬音語というのは、実際の音をまねて言葉とした語ですが、身体で感じている「音」というのも、人が共通して体感するもののようです。
だから、ゾクゾクする。。。といわれたら、そうか、ゾクゾクするんだ、、、と理解することができるし、相手と私の中に共有する体感を経験することができるのです。

これらの擬音語をなるべく自分の言葉や比喩的な言葉を使って具体的に言語化していくと、言いたい事が言えない防衛機制のある部分が外れていく経験をしていくように思います。これはあくまでも私の体感経験なのですが、感官で感じる感覚を自分の言葉で表現できるようになってくることで、詰まっていたり澱んでいた何かが浄化された感覚を得ていくような現象が自分の内に起きてくるのを感じるのです。これが、統御感だな、というような感覚です。

感覚的な癒しは刹那的なものですが、感覚的に得る統御感は、自分の内に必ず残存する体感のように思います。

さて、今日の私達はどんな体感を得ながら暮らすのでしょう(^^)

ジメジメした朝に、重力がかかったような身体を持ち上げ、カフェオレを飲みながらブログを書き終えると、段々と頭がすっきり!よし!今日も淡々とやっていこう、という気持ちが湧き出しいます・・・というのが、私の今の気持と体感です^^/

言語表現と心身の健康は大いに繋がっているようです…

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持統天皇の罪悪感

2011年07月28日 | 第2章 五感と体感
女帝、持統天皇の成育史を読み解きながら、持統天皇の「思考」「感情」「行動」を思索していく勉強会は、4月から始まり、たぶん数年かけて学んでいくことになりそうです。

史実に基き、想像していくには、奈良時代の歴史や持統天皇に纏わる歴史上の人物、地形、慣習等、諸々のことを学ばなくてはなりませんが、大化の改新と同年に生を受けた持統天皇こと鵜野讃良(うののさらら)さんの人生を読み解くことで、今まで点と点だった歴史上の出来事が気持よく繋がっていくことに爽快感を感じます。

昨日の勉強会では、こんな問いかけから始まりました。

持統天皇の「罪悪感」とは、何だろう?という問いかけです

私の場合、迷わず「大津皇子を謀反の罪に仕立て上げ殺したこと」が思い浮かびます。

折口信夫の「死者の書」では、大津皇子に焦点を当て、この場面をリアルな言霊で描いています。
大津皇子の霊と當麻寺の中将姫を絡み合わせた物語「死者の書」を読むと、謀反の罪を問われ理不尽な思いで殺される大津皇子の心情がひしひしと伝わっくるのです。

持統天皇こと鵜野讃良が自分の姉の人望厚い希望に満ち溢れた息子を殺すことで、息子草壁皇子を皇位に立たせたい彼女の欲望を満たすための策略であることは間違いありません。

明らかに自分の息子よりも出来の良い大津皇子に嫉妬を抱き、鵜野讃良の飽くなき上昇志向が、彼を邪魔者にしていくのでしょう・・・

そうはいっても、鵜野讃良は、情感豊かな喜怒哀楽の激しい人であったと推測すると、仲の良かった自分の姉の愛しい息子をあやめたことに罪の意識が無いはずはない。。。と信じたいのが、私の心情です。

當麻寺は、大津皇子が眠る二上山の麓にあります。

大津皇子の怨念を恐れ、二上山山頂に墓を設けたのでしょうが、理不尽で悲しい出来事だからこそ、後世、伝説や文学、芸術を生んでいくのだと思うのです。

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自分の内にある答え2

2011年07月27日 | 第2章 五感と体感
JCCP日本紛争予防センター事務局長、瀬谷ルミ子さんの講演会が7月13日に学校で行われました。

一時間の講演会後、中高生はわずかな時間を使い、感想文を書きました。

その感想文を一部ではありますが読ませていただく機会を頂きました。

瀬谷さんが蒔いた種は、こうやって人の心に浸透し何かに深く繋がっていくんだ・・・と、深く感銘を受けながら読みました。

映像を通して見たこと、聞いたこと、そして知ったこと、体感したこと、考えたこと等は、一人一人の個性の賜物です。

一人の人間が、触れたことに関して、感じて、考えて、解釈していくプロセスが、ひとつの個性として表象化されていくのです。

普段の生活で、こんなことを考えているんだろうな~~とか、こんな感じ方をするんだなぁ~~とか、これからの自分をどうしたいのか本当に考えているんだなぁ~~とか・・・
生徒一人一人の個性の美が、お花畑のように広がって見えてくるのです。

短い時間で、しかも講演直後に、よくこれだけ自分の言葉を紡ぐことがでいるなぁ~と感心もし、上手く言語化できずにモヤモヤしている人も多かったのだろうな~~、とか、世界の情勢よりも自分が抱えている問題のほうで手いっぱいだと思っている人もいるんじゃないかな~から、などと、思いを巡らせ、あっという間に感想文を読み切らせていただきました。

人の感情と思考と行動は、一枚の感想文からも充分に見えてきます。

内容だけではありません。書いた字からも見えてきます。

多くの個性の美と関わることのできる私は、とても幸せ者だと思っています。

うわぁっ!こんなことを感じてるんだぁ~~すごいわぁ~~という思いが湧きあがった感想文もありました。それは、とても個性的で自然体で素直な文章です。その生徒はかしこまったことは一言も書いていません。それでいて、深く心に響いてくるのです。
引用できないのが残念です。

中学生、高校生という人生における大事な成長期に思索する機会を自分でどう生かしていくかは、その人自身の問題になっていきます。自分の内にある答えを見据えながら、人生に起こる様々なことを乗り越えて行く力を具えていくのだろうなぁ~~と思うと、頼もしい気分になります。

ありがとうございました。

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自分の内にある答え

2011年07月26日 | 第2章 五感と体感
真実と向き合おうとすると、必ず自分の心と身体が自ずから向き合う体制として整いだして、自分の内から答えが引き出されていくのは、ほんとうだ、としみじみ思います。

でも、嘘で固め、虚飾で着飾ろうとしても、最初はいくらでも取り繕う事ができますが、徐々に徐々に嘘と自分の中で意識化していた真実が離れていき、底知れない泥沼に足を突っ込んでいるような体感へと追い込まれていくことを経験したことがあります。

真実なのか?

虚実なのか?

本当なのか?

嘘なのか?

怖いのか?

怖くないのか?

安心しているのか?

不安なのか?


…自分が向き合っているものは、向き合うべきものに焦点が合っているのでしょうか?

自分自身の中にある「逃避」と向き合う事は、苦しいことだと思います。

「真実と向き合う事で、このことが本当のことであることとして認めるのが怖い」としたら、自分は何と向き合っていけばよいのでしょう。
でも、もし、そういう思いが湧き出したとしたら、そこが出発点なのかな、と思います。

自分が「怖い」という感情にあることを認めることは、大きな成果であるとも思うのです。

「怖い自分」を認める自分。「認めることを許す自分」に至るまでの苦しみを思うと、ほんとうに大きな一歩なのです。

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喧嘩の仕方

2011年07月25日 | 第2章 五感と体感
喜怒哀楽を発散する一つに「喧嘩」があります。

新平家物語では、家来の喧嘩の様子がリアルに描かれています。

源氏物語でも同じですが、事の発端は、「どっちが偉いか、身分が高いか、」という感情の発露が、ちょっとしたきっかけで、血みどろの争いになってしまいます。

その中で面白いのが「車争い」です。

源氏物語でもそうですが、六条御息所を乗せた牛車を然るべき場所に停めることが出来なかったがために、大騒ぎになります。新平家物語も清盛の孫が牛車に居るのを知らずに藤原一族の家来が道を避けるどころか喧嘩をふっかけてきたために大変な騒動になってしまいます。
どちらも、互いの家来がしでかしたことではありますが、手を下さないボスは、プライドを誇示したり傷つけられたりして、その後の人生に影響していきます。

喧嘩の中の一つの手法として、「駆け引き」があります。
この駆け引きが上手か下手かで、武将の命だけでなく一族の繁栄か衰退大きく別れていくのです。

でも、そんな喧嘩ばかりの時代に、飄々と生き抜いていく人が居るのです。

いつの世も柳の枝のようにするりとかわし、それでいて自分の意思を思うがままに生きようする人です。
平家物語に登場する麻鳥という男です。
もう一人、出家をし、罪悪感で苦しみながらも喧嘩の世界から遠のき歌人として生涯を送る西行という男も居ます。
愛する人の首を切ってしまったことがきっかけで長い期間罪に苦しみ、出家し荒行を続け人生を思索していく遠藤盛遠こと文覚上人もそんな中の一人かもしれません。

彼らの考え方や行動を物語で読むにつれ、喧嘩と争いの中に、人生の幸福とは一体何かを真面目に考えた人が存在していたことに、ほっとした平安感を覚えます。

喧嘩をする前に、私はどんな喧嘩がしたいのか…
何を求めて喧嘩をふっかけようとしているのか…
私は一体、何が気に入らなくて、何を求めているのか?
自分に求めているのか?それとも他者に求めているのか?

自分の喜怒哀楽が喧嘩で解決し悔いが無いのであれば止めはしませんが(笑)←悔いなき人生において本当に大切なことです!!

でも、負の感情を相手や世間に訴える前に、上記の問いかけを自問自答する時間も大切にしたいものです。

いずれにしても苦しんだり選択に悩まないと、先は見えてこないと思うのはいつの世も同じかもしれません。

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真実を知るということ

2011年07月24日 | 第2章 五感と体感
真実を踏まえた上で表出する不安感。

真実を知らないで湧きあがる不安感。

真実が隠された状態での湧きあがる不安感。

真実に蓋をした状態で湧き出す不安感は、蓋をしているが故に湧き出す感情が意識的に隠している真実とが入り混じり、アイデンティティのギャップが振り子のように大きく揺れ動くように思います。

そして、真実が隠された状態での不安感は、真実を把握できていない自分自身の心に得も知れない不安感が湧き出し、抑圧の中にある深い不安感が身体の現象に表れてくるように見受けられます。

真実を踏まえた上で湧き出す不安感は、変えようのない現実に対して明らかに湧きあがる感情なので、どんなに苦しい感情でもその感情に自分自身がフォーカスできます。

真実を隠し通していくことは、自分が生きていく上で必要な場合もあります。
口にしたくないことに口を噤んで天国に逝く人も大勢いらっしゃるはずです。

ただ、あなたと私という関係性において、真実を歪めた形で関係性を築いており、それが原因で何らかの不安感が表出していること明らかだとしたら、何故真実を歪める必要があるのかをじっくり思索してみる必要がありそうです。

「真実と向き合うことによって湧き出す不安感」と「真実と向き合わないことで湧き出す不安感」

自分の中から湧き出してくる不安感は、はてさて…どちらのものなのでしょう…

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涼しさのお恵み

2011年07月23日 | 第2章 五感と体感
台風が過ぎ去った途端、気温がぐんと下がりました。

それまでの猛暑の気温と涼しい気温のギャップで、身体が疲れているようです。お陰で眠い眠い…

気温の変化で体調を崩された方もいらっしゃるのではないでしょうか?

こんな時は、無理せず、次の猛暑襲来を切り抜けるために、眠りの情動に任せるのも良いかと思います。

身体を委ねることの体躯の体感は、太極拳を続けているうちに何となく解ってきたようにも思いますが、まだまだ先は長そうです^^

このところの気温の変化と高温の時間帯の過ごし方を意識してみると真夏の暮らし方を意識できるように思います。

心と身体。
心の不安感が身体と関係しているかもしれないし、身体の不安が心に影響しているかもしれないし…
こればかりは、自分自身で測ってみないとわかりません。

涼しさのついでに心と身体を点検してみてはいかがでしょう。

まだまだ、真夏は始まったばかりです。体調に気をつけてお過ごしください。

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いにしえを体感する

2011年07月22日 | 第2章 五感と体感
能の謡曲本の道行きの箇所を読んでいるとあっという間に京都から坂東や陸奥へ行けてしまうので、時空の魔法に掛けられた様な気分になります。

しかし、一見短いと思われる謡曲には壮大な情景描写と細やかな心情が籠められています。

自分が行ったことがある場所であれば具体的な情景を想像できるのですが、例え知っているとしても時代が違えば町も人の様子も違うので細かいところまでを想像することはできません。
でも、時を経ても地形や風景、気象、空気感はいにしえと共感できる体感を感じることができるのです。

今読んでいる新平家物語も、この体感をありがたく思いながら私の旅の記憶と絡めながら楽しんで読んでいます。

昨日は、土用の丑の日。神田に用事があったついでに、久しぶりの涼やかな気候に誘われて鰻を買いがてら日本橋、京橋を経て、銀座まで歩いてしまいました。地形もさることながら、江戸時代から続いている店の看板を眺め、お江戸情緒を体感し、遠くに見える江戸城を妄想しながら軽やかに歩きました。何というか、昨日は商人(あきんど)の気分です。

歩くだけでこんなに楽しめるなんて、なんと安上がりなんだろう、とも思いますが、時空を超えた妄想をしながら当時と共感できる体感を感じながらのお散歩は、誰にでもできるお気軽な歴史体感だと思います。

行って、見て、体感しながら歴史を楽しむと、現在の自分だけに囚われない視野の広がりにも繋がりそうです。

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不満な感情と不安感と自己主張

2011年07月21日 | 第2章 五感と体感
身近な人に言いたい事を言えない。言っても解ってくれない。聞いてくれない。かまってくれない。

「くれない」現象が続くと、当然不満な気持が増長します。

増長すると、どんな「思考と感情行動」が表出されるでしょうか?

言ったところで相手からの反撃が怖いので、口に出さない…
同じようなタイプの人に出会うと、その人に対して憎悪の感情が湧いてくる…
自分自身の傷ついた心に触れたくないため、他者との関係性が構築できない…
言いたい人に言えない分、世間に対しての毒舌が強くなる…

他者の感情に触れる場合、できれば、互いに心地よい感情とお付き合いしたいものです。

でも、いつもそういうわけにはいかないのが現実です。

別に私に言われたわけでもないのに、不平不満を当たり散らしたりいる人に出会うと、なんだか自分が怒鳴られているような嫌な気分になります。
嫌な気分が続いていくと、自己主張が上手に出来なくなってくるのです。
そうなると、益々自信が無くなってしまいます。

自分の不安感をもう一度検証し直して、何が不安なのか、そうなる感情のプロセスをもう一度思い返してみると、自分の不安感を受容できるきっかけが生まれるかもしれません。
相手を変えることはできません。自分の内に解決方法があるはずです。

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感情と現象

2011年07月20日 | 第2章 五感と体感
昨日は四谷勉強会でした。台風の心配を抱えながらも、いつものように楽しく勉強会を終えることができました。植村先生ありがとうございます。

テーマは感情について。昨日のブログにも書きましたが「湧きあがる感情には必ず意味がある」わけです。

他者のことを羨ましいと思う感情・・・いいなぁ~
自信の無さから湧き出す感情・・・ダメだぁ~
人を疎ましく思う感情・・・イライラするわ!
自分が嫌だと思う感情・・・自己嫌悪感
他者を否定する時の自分の感情・・・ムカつく!!
そして、
幸せだと思う感情・・・高揚感、統御感、幸福感、至福感・・・

ここに感情の種類を書きだすとキリがなくなりますし、書いている私の感情は私にしか解らないものなので、読んでいらっしゃる方とは、いくら共感したとしてもニュアンスが違うはずです。

さて、
自分の感情をどのように取り扱っているのか。

羨ましい感情を、「フン!」と馬鹿にして表すとか。
本当は、こんなこと言いたいのに、気がつくと、不平不満を撒き散らしているとか。
自分の本音を言う事ができないので、皮肉でごまかすとか。

つまり、私達は、なんらかの防衛機制を使いながら、自分の内から湧き出す感情を自分自身で操作している可能性もあるのです。つまり、無意識にやっちゃってるというわけです。

では、なんで湧き出す感情をいちいち抑えなくちゃならないのでしょう…もしくは、抑えてしまうのでしょう…
ここからが、心理療法の基礎的な学びになっていくようです。

「湧き出す感情」には意味があり、人が口に出したり、書いたり、身体で表現したりする「現象」にも意味があるのです。

そして、自分自身の「現象」について、何かヘンだなぁ~と感じてきたり、変わりたいと思った時に、学びが更に深まっていくように思います。

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湧いてくる感情

2011年07月19日 | 第2章 五感と体感
湧いてくる感情には意味があります。

その感情を抑えていくと、意識していた我慢がいつしか我慢でなくなり、抑えていることを意識しなくなっていくようです。

意識しつつ、我慢することを「抑制」と云い、抑制が積み重なり、それが自分の個性となり、我慢していることが意識の上に上がってこない状態を「抑圧」と云うそうです。

長年の教育で、がんじがらめにされていることに気付かないということもあり得るようです。
自分を「~しなくてはならない」に追い込んでいるとしたら、いったい自分のどんな考え方がそうさせているのでしょう?

そして、自分の考え方は、いつどこで育まれてきているのでしょう?

考え方に支配されて、そこから湧き出してくる感情なのか?

支配されている考え方は、本来の自分自身をひょっとしたらがんじがらめにしているのではないでしょうか?

「湧いてくる感情には意味がある」には、必ず意味があります。

なんで意味があるの?バカバカしい…と感じるのであれば、何故、そのように感じるのか?を立ち止って自問自答してみると良いかもしれません。

「何故、この感情が湧いてくるのか?」この問いを自分自身の成育史を辿りながら考えていくと何かに気付くかもしれません。

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女子ワールドカップ優勝おめでとう

2011年07月18日 | 第2章 五感と体感
FIFAのあの音楽が流れる試合。つまりワールドカップのテーマソングが流れる試合で優勝したんだ…

感無量です。

女子サッカーの成長と共に活躍してきた澤選手は10年前は、先輩や同輩からのいじられ役でした。チームのムードメーカーが、世界の頂点に立ちました。

勝つ意志。
身体力。技術力。
チームプレー。
集中力。

すべてが素晴らしかったです。

ゴールを見据える集中力。

今日は、これ以上、言葉に出来ないくらい感動中です。

優勝が決まった瞬間、涙が溢れて止まりませんでした。

なでしこジャパン、おめでとうございます!

応援観戦に今日一日の「気」を使い果たしちゃいました。いやいや、まだ9時半。。。一日はこれからですね(笑)

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吉川英治の新平家物語

2011年07月17日 | 第2章 五感と体感
京都では祇園祭が催されています。

昨晩は宵山で、各町内で代々受け継がれている鉾をNHKが丁寧に生中継しました。
個性溢れる貴重な工芸、芸術を年に一度目の当たりにできる経験は、やはり、行かないとダメだな。。。と言う思いで興味深く拝見させていただきました。

能の仕舞いと謡いを習い始め、謡曲本を読んでいくにつれ、平家物語をきちんと読んでいないことに追い目を感じ、自分の中に沸々と読みたい情動が湧きあがり、一気に16巻を購入して一カ月。

時間が空くと本を取りだし、平氏、源氏、藤原氏、近衛・崇徳・後白河法皇…清盛の生い立ちから始まり、読むにつれ、どんどんと吉川英治の感情移入に感情移入していく私がいます。

只今、三巻の始めあたりを読んでいます。

保元の乱で信西入道の平清盛ばかりにえこひいきし、自分をないがしろにすることに怒った源義朝が反乱を起こす平治の乱。。。鎌倉で大事に育てられていた長男頼朝を呼び寄せ戦います。しかし…

坂東へ向かい一人で落ち延びる未だ13.4歳の頼朝の運命は…!!

吉川英治の心情描写、情景描写が読み手の私の情を動かしていきます。いやいや、タマリマセン…
新平家物語をこんなに感情移入して読むなんてことは想像しておりませんでした。

京都の街は、個性豊かな歴史上の武将達が戦う毎に、戦火にやられ、そのたびごとに、それ以上のものをつくり上げてきたようです。宵山に酔いしれながら、平家物語の情景を思い描き、猛暑の夜に妄想を楽しみました。

猛暑の夏、新平家物語のおかげで、多くの登場人物の人生を楽しみ、歴史的背景を大いに知ることができそうです。

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体の一部で比喩する意味

2011年07月16日 | 第2章 五感と体感
「身」の毛がよだつ

「はらわた」が煮えくり返る

「目に入れても」痛くないほど…

「耳」が痛い

「鼻」が利く

「目」は「口」ほどにものを言う

「足手」まとい

「骨身」に沁みる

「膝」を折る

「頭」に湯気が立つ

暖簾に「腕」押し

「骨」折り損の…

「額」に汗かき…

…数分間でこれだけの言葉が頭に浮かんできます。

人は身体のどこかで何かを感じ、他者にも表出する共通体感であることに気付いた「古人」(いにしえ人)が、感情表現するための「言語」として、こういった比喩を誰もが解る言葉にしてきました。

良くも悪くも身体で体感しているのに言語化できないでいると、頭の中がモヤモヤしてきて、それが言葉で表現出来るようになると、統御感を得られることがあります。

五感で感じたことを言葉にすることは、自分自身に浄化をもたらすことに繋がるようです。

これが言語療法の大切なポイントであるかもしれません。

そんなわけで傾聴するための訓練の一つにセンシビリティートレーニングというのがあります。感受性訓練のことです。
五感や体感を言語化していく訓練です。

言葉に出来ない体感は、案外自分の内にある身近な言葉に置き換えることができるはずなのです。それが一体どんな言葉なのか気楽に表現するには、どうもこの訓練が欠かせないようです。

季節に感じる体感や偶然見つけた本、そして身体を動かすことによって呼び覚まされる気付きを体感通して言語化できると、自分の中にそよ風が吹いたような通気の良さを感じることができそうです。

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