五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

お水取り

2016年02月29日 | 第2章 五感と体感
お水取り 2016年2月29日

奈良 東大寺 二月堂のお水取りが始まります。
練行衆の僧侶が二週間の行に入ります。
3月1日から14日までの毎夜7時~7時半までは、二月堂で松明を掲げ、闇夜に炎が躍ります。
2016年は、1265回目となるそうです。

お水取りを終えると春がやってきます。

一月は元旦
二月は節分と立春
三月はひな祭りにお水取りと春分
四月は花まつり
それに加えて復活祭(今年の復活祭は3月27日)

年が明けると大事な節目が目白押しです。

歳時と祭事を待ちわびて準備をし、その時を大切に過ごしてゆくうちに、あっという間に季節が過ぎてゆきます。
季節に応じて人が慣習化してきた事柄は、人と成るにつれて尊い慣習となってゆくようにも思います。
文は武、武は文とし、それらを紡ぎ合いながら、自分の面白みを育んでゆきたいものです。


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村上隆が収集した美術

2016年02月25日 | 第2章 五感と体感
村上隆が収集した美術2016年2月25日

行ってみて良かったか、無駄だったかは、行ってみてから考えようと思いながら、長年の友人と村上隆のスーパーフラット・コレクションを観ました。

結果、「気になるなら行ってみた方が良い展覧会だ」と言う感想を一言述べておきます。

同じ時期に学生時代を過ごした同明度が、村上隆とほぼ同年齢ということで臨場感ありすぎて、息が詰まる様な思いも感じつつ、ベルリンの壁が出来た年に生まれた私が追ってきたアーティストと丸かぶりであることも当然であると思いながら、どんよりとした感情が沸々と湧いてきながら収集した作品を眺めました。
巨額の富を得ているアーティストがどんな美術収集をしているのかを興味津々でやってくる人々の期待を裏切る形で、時代の流れに則し整理された展示でした。
風呂無し木造アパートに住む友人宅に集まり、一つの炬燵に10本以上の足が突っ込まれ、夜な夜な語り明かす時代がそのまんま蘇る現象が、想定外でもあり、同世代であればこその成り行きであることも納得するようなもやもや感まで出てくる始末。でも、その頃の楽しさももちろん蘇えり懐かしくもなりました。同じ時期に美術を学んでもがいてきた一人であることを改めて重ね、突出した人とはとても思えない平凡さをも感じ取ったことを僭越ながら感じました。

共に観た友人は、私よりも一回り上のお姉さん。とはいえ、そろそろ30年位の付き合いになる彼女のコメントは、「あなただったらこの中で一つ貰えるとしたら何が欲しい?」であり、私は御宝の中にうずまった四足で立っている小さな狛犬かな、、、と答え、彼女は廬山人の徳利かな、、、と、答え、展覧会の会場でニヤニヤしながら品定めをする想定内の妄想は果たしてきました。

会場エントランスに設置されたキーファーの作品は、圧巻です。まさに同世代が選んだ一番手だと思うのです。
リーウ―ファンの新作も見がいがあり、展覧会の価値を高めているかもしれません。美しい作品です。
結局、自分自身の美術の足跡を観てきた様な投影的感覚になる展覧会という感想で締め括らせていただきます。
「気になったら行ってみるといいよ^^」と同世代の友達には言いたいです。

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ここで咲く

2016年02月24日 | 第2章 五感と体感
ここで咲く2016年2月24日

「自分が置かれた場所で花を咲かせましょう」等と、最初からそれを肯定的に受け容れる事はなかなか出来ないものですし、最初から不満な現況に対して素直にすんなり受け容れる事の方が少々心配なようにも思います。

理想と叶わない理想のギャップの不満は、自分の心の状態を測る一番見えやすいところのようにも思うのですが、自分の不満が何なのかの根源を探るには、案外事象が過ぎて落ち着いた頃でないと見えてこないものかもしれません。

現状の不満と果たしてこなかった過去の不満が、いつしかごちゃまぜになり、現状の不満が、ついつい過去の不満であるかのように繋がってしまうことは、私にも時々起る現象の一つです。

つまり、過去の自分の不安感に折り合いをつけていないと、現状の不満と過去の不満の境界線が混同してしまうのです。

「自分の生育史が完ぺきである」と言い切る人よりも「自分の生育史は、足りないことだらけだ」と言い張る人のほうが、人間味を感じたりするのは、人に湧きおこる不安感は、幸福へのシグナルであることの証拠でもあるからです。

大げさに言うと、不安感がどんなものであるか知らない人は幸福感がどういうものかわからないかもしれません。
幸福感を知っているからこそ不安感が湧き上がるということです。

自分の理想と自分の不満を照らし合わせつつ、人と成り生きるための役割を吟味しつつ、迷いながら生きる事の方が人間らしく美しいと思うのです。

受験や就職活動、卒業や入学、異動や転勤、クラス替え、転職等々、人生の転機には不安と迷いが付きまといますが、必ず自分の内から答えが見えてくるので、それを信じて欲しいものです。

悩み苦しい行程があってこそ、ここで咲かせる花が美しいと思うのかもしれません。


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徳を積む

2016年02月22日 | 第2章 五感と体感
徳を積む2016年2月22日

「徳を積む」は、仏教用語ですが、人知れず善い事をすれば、それが自分の身に返ってくる、というような意味です。何故か「徳を積む」という言葉が朝目覚めると降りてきました。「人に見られていなくてもお天道さまが見ているよ」というような意味合いの言葉は、よくよく耳にしたり、自分でも思ったりするのですが、つまり一言でいえば、「徳を積む」ということなのでありましょう。

「人知れず善い事をする」
改めて、その言葉を復唱してみると、なかなか自分の事に当てはめてみると意識に上がりにくい事です。そして、意識的に善い事をすることは、そこで、もう徳を要求しているような気もして、少々偽善的な感じもします。

自分がどんな徳を積んできたかなんぞ、知る由もなく「自分の事をお天道さまが見てくださっている」ということこそが「徳」に値する事なのかもしれません。

徳を積む事は意識して出来る様なものではなく、それよりも自分が体験している現実を受容する心を育むことのほうが、お天道さまの眼に留るのかしらん、と思ったり。

そろそろ奈良東大寺のお水取りが近づいてきました。
四旬節も真っただ中。
仏教もキリスト教もこの季節は自らを改め直す時期です。

歳を重ね、経験と共に、自分のどこかが成熟しているのであれば、それが徳を積むということに繋がることもありそうです。
時と共に自分の役割も変化している事を自らキャッチすることも徳の一つであるのかな、と。

二月末の週の始まり。
東大寺二月堂の「糊こぼし(紅白の椿)」の土鈴を飾り、私も人知れず修二会の準備を致すとしますか。。。

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彩りの季節に

2016年02月19日 | 第2章 五感と体感
彩りの季節に2016年2月19日

梅の花が咲くと一気に春の彩りとなります。花屋さんにはミモザの花が目につき、目が覚める様な黄色い色に引きつけられます。

寒暖の差が激しい気候の中、着々と草木が芽を出す準備を感じます。

もちろん、花粉も飛び出し、インフルエンザも流行している中、マスクを付けている人も急激に増えました。

昨日の仕事帰りは気分転換したくなり、春物の服を見に、ふらふらとお店巡り。明るい色の服が目に留り、衝動買いをする気持ちを抑えながら「今日は見るだけ」と心に言い聞かせ、、、
黒色好きの私も流石に春になると明るい色を身に付けたくなります。

彩りの季節の始まりに、色射す景色は、仄かな暖かみを体感し、朗らかな心持ちが身体全体にいきわたります。

桜の開花予報も耳にし出しました。
鼻をむずむずさせながらも彩り良い春を楽しみたいものです。
・・・・
今日は、東急セミナー雪谷の生き甲斐の心理学講座です。改装後、初めての講座。新しいお教室、楽しみです。

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自分の憂いと社会の憂い

2016年02月18日 | 第1章 意識と知覚
自分の憂いと社会の憂い2016年2月18日

嬉しいニュースがある半面、うんざりするニュースも後を絶ちません。
自分のストレスが何処から生まれるかの理由を考えてゆくと、自分の憂いが社会の憂いと混同し、いつしか自分の事を棚に上げ、すべては社会のせいだと思いこむようになると、自分の逃避は、自分自身の現実から随分遠いところまで行ってしまった表れではなかろうか。。。と思うのです。

自分の現実を見るにしても、どこを見るかにもよるでしょう。

見たくないところは見ないでしょうし、気付かないところは見えないでしょうし、かといって、他者から指摘されようものなら良い気分にはなりません。
、と、すると、もし、自分が憂いでいるとしたら、自分でその憂いをどうにかしない限り、明るい方向にはいかないようです。

自分は、何に気付きたいのだろう。
自分は、他者からどんなふうに愛されたいのだろう。面倒を見てもらいたいのだろう。関わってもらいたいのだろう。。。
もし、天の邪鬼な感情があるとしたら、自分の天の邪鬼はどこから来ているのかを意識してみないと、自分に覆いかぶさっている衣はなかなか剥がれません。

社会の憂いと自分自身の問題を一色単に考える前に、自分自身の問題に焦点付け出来るか否かを胸に手を当てて思索してみる時間も時には必要なようです。

自分の問題なのか。
他者の問題なのか。

私なのか。
あなたなのか。

これらがすっきりと分けられるのであれば、自分の憂いが晴れる時は近いようにも思います。

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自分の足元

2016年02月15日 | 悔いのない人生とは?
自分の足元2016年2月15日

二足のわらじの片方は、座りっぱなし。もう片方は、立ちっぱなし。私の仕事は極端な二種類に分かれています。

このところ、表装作業に集中する日が続いています。朝から7,8時間ほぼ立ちっぱなしの作業は、さすがに数日間続けると足元がよろよろとなります。
休憩時間は正座をしたり、ストレッチや太極拳をしたりして、やり過ごしていますが、数年前と比べると筋力が明らかに低下している事に気付きました。

生き甲斐の心理学関連の仕事や講座での勉強と表装作業は、私のよきバランスの暮らしだとは思いますが、あまり根を詰めると身体に変調をきたす恐れがありそうです。

本来、表装の作業は、中腰なのですが、腰を痛めないためとテーブルに天板を置くため、腰の負担は姿勢に気を付けていればそれほどではありませんが、集中して気付くと2時間、3時間は当たり前なので、足の脛「すね」あたりが、張るのです。
「数年前までは、そんなことなかったんだけれどなぁ~」
と、思うという事は、加齢の証拠なのでしょう。。。
ここはすんなり受け容れて、もっと足腰を鍛えなくてはいけません。

まずは自分の足元から地固め、ということですね。
そういえば、私の二足のわらじの双方の師匠は、よく歩いていらっしゃいます。
今日からエスカレーターを使わず、歩くと、しますか。。。
決意の宣言はできませんが。。。

牛の脛肉を煮込みながら、自分の足の脛と腿を鍛えなくては、と、思うのでした。



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左利きの良い加減

2016年02月14日 | 第2章 五感と体感
左利きの良い加減2016年2月14日

幼い頃は、左利きのお陰で、大変苦労しました。
右手で字を書くよう強制的に練習させられ、見えないところで左手に持ち替え生き抜きしつつ、人並み?を学びましたが、人の根本的な特性を無理やり変えることの歪みについては、すでに小学生の頃に気付いていたようにも思います。

「お箸を持つ手は?」と聞かれ、混乱していくうちに、どちらが右か左か混同してゆく幼稚園時代も記憶にあります。そのうち、「自分がやっている事とは反対のこと」と、心に留めている内に混乱している事すら解らなかったかもしれません。

「左利きだから右手のメロディが弱いのよね~」と、ピアノの先生から言われたり、「あなたが林檎の皮を剥くと分厚くなる」と母に言われたり、縫物にしても編み物にしても、右手で習うものは、自分の頭で再構築してゆかないと習得できなかったようです。でも、このような習得については、「不器用な私」という思い込みが、段々と手習いを遠くさせていったように思うのです。
右利き用の道具を左利きが使いこなすことは、ほんとうに凄い事なのですが。

でも、唯一、「絵は上手いよね~」と言われ出し、それが自分の中に自信が培われてきたきっかけでもありました。
「あなたは左利きだから~。○○だから~。」ということは、自分が言う言い訳よりも、人から気遣われて言われ続ける言葉の方が、自信を喪失してゆくことも後になって解りました。

私が言い訳嫌いであることは、そんなところから来ているのかもしれません。
「○○だから、出来ない」という言葉を気楽に言えたら、なんと楽な事か。。。とも思いますが、これも自分の生育史による個性の一つなわけです。

先日、友人3人とカウンターのラーメン屋に入りました。私が真ん中に座り、左で食べ出すと、左に居た友人が「あら左利きだったの?」と言い、彼女は右で持っていた箸を左に持ち替えました。そうすると、右に座っている友人が、「じゃ、私も、」と、箸を持ちかえたのです。
好い加減な応用力に、妙に感銘した私。

左利きの良い加減は、この経験者でないと解らない加減かもしれません。

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見える見えない

2016年02月12日 | 第2章 五感と体感
見える見えない2016年2月12日

「見える形」に作り上げる仕事と「見えない形」を見据えながらする仕事。
双方とも私が関わっている仕事の形ですが、いずれにしても満足感とか安堵感という感情を結果的に目標にしているように思います。

形が見えず、満足感や安堵感が感じられないと不安になるのは、「見えるもの、見えないもの」に関わらず湧き上がってくる感情です。

見える形に作り上げる仕事であれば、見えるのは売上だったり、完成した物や芸術であったりするわけですが、自分が拵えた物を見知らぬ他人が満足して購入してくださる事は、大変嬉しい事でもあります。
人間関係において、互いに満足し合う安堵感が得られ、積み上げてゆきながらそれなりの成果が出て、喜びが得られることもとても嬉しい事です。

いずれにしても何らかを拵えてゆく仕事で、不満足な感情が重なれば、不安感が増長していきます。
仕事をして暮らしてゆく中で「自分がどのくらいの暮らしを求めているか」という望みと現実の暮らしのギャップも自分の感情のスケールにもなります。

物理的に「見える見えない」に関わらず、信頼して、又は喜びの中で見えてくるものが自分を満足に導いていることは確かなようです。

拵える仕事を通して、人と人との繋がりが何らかの形で見えてくると、自分の仕事に対するモチベーションも高まってくるのです。
そのためには、自分の仕事を心籠めて誠実に成してゆくことでありましょう。

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生きている

2016年02月10日 | 第2章 五感と体感
生きている2016年2月10日

黒澤映画の「生きる」の主人公役志村喬のブランコをこぐ姿は、脳裏に残る印象深いシーンです。
黒澤明の「七人の侍」の面白さも映画を見続けている内に解ってきたものですが、「生きる」という映画も自分自身が歳を重ね生き続けているうちにしみじみと解ってきた映画です。
主人公が「生きる意味」を見出す事をブランコのシーンでじわじわと見ている者に感じさせる演出はとても味があります。このシーンが何故か20年、30年後に至るまで私の心の奥深くに刻まれているとは、思いもよらなかったのですが、先日ある場所で俳優の志村喬さんに似ている人にお会いしました。その方と1時間ほどお話したのですが、時間が立てば立つ程、「似ている感」が強くなってくるのです。穏やかな物腰、聴く態度、言葉の出し方等が俳優志村喬と重なり、なんだか映画の一つのシーンに入り込んだような気分になりました。

「生きる」ことを考えると、使命を課せられた様な脅迫的な受け取り方になりかねなません。でも、「生きている」ことを考えてみると、あら不思議、あたたかく受容されている様なそんな気持ちになるのです。

映画「生きる」では、自分が「生きている」ことを受容していくプロセスを描いているようにも思います。
「生きている」と「生きる」を混同すると、生きている事自体が辛くなりそうです。

「自分は、生きている。」
ブランコをこぎながら。
ここから何かが始まるのでしょう。。。

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春節に思う

2016年02月09日 | 第2章 五感と体感
春節に思う2016年2月9日

春節。旧暦の御正月ですね。中国や台湾は春節の休暇で日本を訪れる人々が増え、昨年あたりから「爆買い」が話題になっています。
この現象まではいかないと思いますが、バブルの頃までの日本も同じく、ゴールデンウィークの頃になるとパリに住む友人が「「今年も日本人がパリに一気に押し寄せてくる時期がやってきました」、というニュースをやっているわよ~、あなたたちは、いつ来るの~?」と、冷やかされていました。

日本人がパリに一気に押し寄せる。

この言葉にバカにされた様な違和感を感じながらも、たしかにシャンゼリゼのブランド店に並び、店内で大声で喋っているのは明らかに日本人でした。

「爆買いツアー」と言う言葉に、かつての日本人を重ねながら、人間の業を思うのです。
他人の事に干渉しないフランス人であってもパリに押し寄せる日本人のニュースは、それだけフランスに経済効果をもたらしていた証拠でもありましょう。

イメージというものは、こうやって生まれるわけで、多少の欲を満たし、周囲の様子が見えてきた頃に己の恥ずかしさが見えてくるものかもしれません。
何事も経験が大事なのです。皆が皆、というわけではないわけですし。
多くの人々の内の数パーセントが現象に気付き自分だけは洗練されていると思い始めると、段々と周囲も変化していくようです。

春節を穏やかに過ごし、春の訪れに耳を澄ましたいものです。

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謡本(うたいぼん)の掛け軸

2016年02月07日 | 悔いのない人生とは?
謡本(うたいぼん)の掛け軸2016年2月7日

京都の古道具屋さんでお茶碗を求め、その包み紙が謡本であることがあります。
何度かその謡本の紙を掛け軸にしたことがあるのですが、昨年、数枚の謡本を託され、長い掛け軸にして欲しいと知人に頼まれました。
今年の初めあたりから裏打ちした謡本を眺めながら、いくつかの謡をひとつにまとめていいものか、少なくとも謡を習っている身としては気になり、先日能楽の師匠と一緒に能楽大全を捲ってみました。

一つは、お馴染みの「俊寛」。
他に「鳥追」、それと「水無月」。この二つは、私にとっては馴染みが薄く、能楽大全で調べて初めて知りました。
ゴマ(日本の譜)が少ないので、長唄なのかしらん、、、などと、思っていたのですが、能楽でした。
そうなると、ますます、裂地をどう取り合わせるかが問題になるのですが、偶然なのか必然なのか、この三つの謡は、それぞれ「水」が登場するのです。
「鳥追い」は、亭主が特命を受けて都に行ったまま帰って来ず、その制裁に目上から海鳥を追い払う仕事を命じられた母子の話です。幸いにも鳥追いをしている時に長年行方知れずだった夫が帰還。めでたしめでたし、、、という内容です。
「水無月」は、6月30日の夏越しの祓いの謡。
お馴染み「俊寛」は、島流しになった俊寛の悲しい話。

青海波に千鳥が飛ぶ裂がピタリです。色は、薄花桜(うすはなざくら)の薄い青にでもしましょうか。。。この色は、謡「鞍馬天狗」に義経こと沙那王の衣の色として登場します。俊寛に祈り籠め。夏越し祓いで禊ぎをし。

「謡本、どうせ読めないから、どんな掛け軸でも良いですよ。」と本心の言葉でお願いされたのですが、潜在的に挑まれている様な、そんな御遊びを知っている流石なお人であるな。。。と、一見バラバラの謡本の頁を眺めながら、統合されたイメージが見え出し、やる気が湧き立って参りました。

表装は、こんなだから、益々面白さが増してくるのです。
本紙の一期一会、いと面白し。

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四旬節

2016年02月05日 | 第2章 五感と体感
四旬節2016年2月5日

四旬節について、一般的に知られている行事は、特にリオのカーニバルでしょう。
カーニバルが終わると翌日からピタリと静かになります。そこから復活祭を目指して四旬節が始まります。
今年の復活祭(イースター)は、3月27日なので、ちょっと早めの印象があります。
春分過ぎの初めての満月が過ぎた日曜日が復活祭なので、毎年日にちが違うのです。

仏教では、この時期、修二会が方々の御寺で行われます。
修二会がよく知られているのは、東大寺二月堂で3月1日から14日まで行われるお水取りです。

立春が過ぎ春分のあたりまで、春の到来を祝う前に、自分の内を見据え、穢れを浄化して祈りを捧げるのです。

特にこの時期になると人に与えられた感情は、森羅万象の中の一つにすぎないように感ずるのです。精神も自然の中の一部という考え方は日本という風土に育まれた感性かもしれませんが、この考え方を思うと、自ずから浄化してゆくような清涼感が訪れるから不思議です。

春が立ち、春分の訪れまでの一か月と少し。。。
役割に追われる日々ではありますが、心の内は豊かに豊かに・・・。

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立春

2016年02月04日 | 第2章 五感と体感
立春2016年2月4日

春が立つ。

「立つ」
物事やその作用がはっきり、または激しく現れる。
物事が立派に成り立つ。
保たれた末に変わってゆく。時が移る。
、、、というような意味があるそうです。

「今日から春だよ。」と宣言され、暦を改め振り出しに戻る慣習は、私の身体にもやはり沁み込んでいるようです。

昨日の節分は、用事のために増上寺の前を通ると本堂の特設テラスから響き渡る「鬼は外!福は内!」の声に誘われ、ふらりと寄ってみました。
豆まきが丁度終わる時間帯だったため、撒いた福豆をいただくことはできませんでしたが、手渡しでいただくことができ、お陰さまで幸運な節分を過ごすことができました。
増上寺には母方の祖父母や親戚の墓があるため、節分ついでにお墓参りもでき、佳き一日を過ごすこととなりました。

今日の立春から暦の一年が始まります。
諸々の事を始めるにあたり、縁起も良さそうです。

陽気の気を頂き、もうしばらく寒さを堪えながら、やるべき仕事に精を出したいものです。

私立中学の受験もそろそろ終盤ですね。
将来の学びの場に繋がる正念場の時期でもありましょう。
新たな学び場での出会いには未知の希望が宿っています。
立つ時、移る時の尊さを立春に思い、願いを籠めて。。

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節分

2016年02月03日 | 第2章 五感と体感
節分2016年2月3日

季節を分ける「節分」。本来は、立春の前の大晦日だけのものではありません。春夏秋冬の四回の節分があるからでしょうか、暦の項目に節分は見当たりません。

一年の始まりである立春は、諸々の事を始めるにあたっても大事な頃です。

「鬼は外!福は内!」
と、豆を撒いて、陰は外へ押し出し、陽を引き寄せたいものです。

私自身、元旦からこの時期までは、一年の様子を図る時期でもあり、新しい事をバタバタと始めるよりも落ち着いて事を始めるに立春のあたりが相応しいと感ずるのです。
体感的に、そのことを覚えているようなので体内時計がそのようになっているのかもしれません。
「奈良時代に巻子(かんす)を持って、草履をパタパタさせながら東大寺の裏手の講堂を出たり入ったりしている小僧の自分」という妄想的記憶は、本物だと信じているからこその記憶だとも思いますが…(笑)
毎日、正倉院の脇を歩いて、学問に憧れる小僧の将来は如何なるものかは知る由もありませんが、とりあえずは1300年命を継いできたことは、自分という存在自体が証明しているようにも解釈しています。「なんとおめでたいことか」と思う皆様もそのお一人だと思います^^。

命を繋ぎ、今に至る歴史で生き延びてきた祖先に感謝し、福を引き寄せ、大晦日を締めくくりたいものです。

明日は、立春。
めでたしめでたし。
今日の節分が佳き一日でありますように。。。

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