五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

總持寺で一日過ごす

2013年10月31日 | 第2章 五感と体感
昨日は横浜市鶴見区の曹洞宗大本山總持寺での座禅会に行ってまいりました。

鶴見は私達NPOの会員も多く、所縁の深い場所でもあります。

總持寺といえば、石原裕次郎さんのお墓があることでも有名ですが、鶴見の山側の住宅地から見える大きな本堂の銅板の若草色の屋根は、鶴見の象徴とも云うことができます。
幾度か訪れながらもあの規模の大きい建物の中には普段は決められた場所しか入ることができません。

今回は座禅をし、精進料理を頂き講和を聴くワークショップを当NPO講師のKさんが企画してくださいました。

總持寺と福井の永平寺は、同じ曹洞宗の寺院ですが、どちらも大本山と称し、どちらが中心かということは決められていないとのこと。もともと輪島にあった総本山が火事で焼け、それがきっかけとなり明治維新となって首都となった東京にほど近い場所に寺院を建てたそうです。山形から移築した御堂や篤姫が晩年過ごしたと云われている移築した建物、そして益田鈍翁などが愛した茶室も人目に触れない場所に楚々と移築されており、建物探訪に深く面白さを感じさせていただきました。

江戸から明治にかけての騒乱の中、各地域のお寺は大変な打撃を受けたわけで、そんなさ中、威風堂々と戒律を守り続けた僧侶の筋道が永平寺同様感じられ、それぞれの個性が一つの柱になっているような印象を持ちました。

私が五歳から七歳まで過ごした福井の家は格子の窓と玄関がある昔ながらの家でした。その玄関前にチリンと音を立てるお坊さんが時々立っていました。托鉢です。母のエプロンの紐にくっつき、お金を入れる様子を母の陰から見上げた事を思い出しながら曹持寺の建物を廻りました。

能登半島、加賀藩、琵琶湖や京都の風習が混じったような福井の暮らしも思い出し、たった2年間であっても私にとっては原型育む大切な生育時期に住んだ場所と重なる感覚を持つことができ、身体がスンとする思いをしました。

寺院内を案内し、私達のお世話をしてくださったNさんは今年大学を卒業した新潟のお寺の御子息とのこと。朝4時からの修練は厳しいもので、参加者の皆様(勿論私を含む)が息子や孫の様な眼差しで見守る姿も和やかさが増し、とても満たされた一日でした。

座禅会に感謝。合掌。

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文化を繋ぐこと

2013年10月30日 | 第2章 五感と体感
表装を始めていつしか20年。もともと絵を描いている頃から描き表装的な作品を描いていたので表装と向き合う事30年。
なんでこんなにこの形式が好きなのかなぁ。。。と、つらつら考えたこともありますが、多分、これは妄想ですが、いや、信じていると言ってもいいことですが、千年前ほど前に東大寺の学び舎にて各宗派を学ぶ僧の血が私に入っているからだ、と。
二月堂から正倉院方面に向かう小路を歩くと、草履を履き、巻子(かんす)を持った子坊主がパタパタと走る体感が自分のどこかから湧いてくるのです。必ずそんな気持と体感になるのです。きっと遺伝子の記憶が蘇るのかもしれません。
シンメトリーが好きであることも所以かもしれませんし。。。

表装好きは自分のDNAがそうさせている、ということで、自分の嗜好傾向を納得させております。

もともと表装伝来はチベットから始まったと聞いています。

字の読めない人々に布教するためにチベットのお坊さんはタンカ(仏表具)を背負って、村から村を説いて回っていました。
ブターン(日本語読みではブータン)では今に至るまで巨大なタンカを開きそれを祭儀で使っています。

中国、朝鮮半島、そして日本へと伝わり、茶席には欠かせないものとなっていきました。

日本の家屋には床の間があり、季節に応じた設えが成されることは日本人の風習の一つでもあります。

石と土ばかりの荒涼としたチベットの土地で暮らす人々は寺院をとても大切にしていました。家族を養うために我が子を一人お坊さんにすることも風習の一つであったようです。寺院に描かれている極彩色の曼荼羅を見ると、荒涼とした自然界との対称性に驚きと憧憬の感情が溢れ出たこともあったと推測しています。
その曼荼羅を背負ってお坊さんはチベットの山々を歩きます。

昔、チベットの山を歩きたくてネパールのポカラ村からトレッキングをしたことがあります。
雪を被ったヒマラヤの山々の美しさは、この世のものとは思えませんでした。孤独の先にある神を見たような思いになりました。ヒマアラヤは、神様が居る所という意味だそうです。

文化とは、あらゆる条件の中で人が暮らしを営む中で複合的に洗練され構築されてきた形だと私は認識しています。
ですから形には必ず意味があるのです。
その意味を裏打ちに例えるなら、表装という形式はまさに裏打ち無くしては出来ないものであり、その言葉の所以そのものなのです。

自分が当たり前だと思っていることは、実はその文化の中で違いを知らずに生活しているだけのことです。

先月訪れた東北で、口に合わない味を表現する時に「知らない人に合ったような感じだ」と言うお年寄りの話を聞きました。まさに文化とはそういうものなのかもしれません。

自分自身が当たり前だと思い身につけてきた文化を大切にしたいものです。

チベットを知るためには映画「7years in Tibet」 見るもよし。何と言っても大好きなのは「キャラバン」です。
双方、とても好きな映画です。主人公的な女性は双方の映画に出演しています。

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自分の役割を整理する

2013年10月29日 | 第1章 意識と知覚
この10年間、NPO法人CULLkカリタスカウンセリング学会を設立したり、設立27年目の(有)ユースフルライフ研究所通信講座の内容も洗練され身の丈にあった体制となってきました。学校での仕事も色々な経験をさせていただきながら6年目に入りました。

ここにきて色々な事が整理され落ち着いてきたように感じています。

落ち着きだすと、フツフツと次の事が浮かんでくるのです。私はいつもこのパターンで走り続けてきたように思います。

貧乏症と云えば、それまでですが。。。ところがそんな私でも段々と年齢的な制約も視野に入ってきました。

40代ぐらいまでは、時間は無限大にあるような感覚を持っていましたが、50代となると活動できる期間を頭のどこかでシュミレーションしている自分がいるのです。動ける限り仕事をしていたいと思うのですが、意識のどこかで計算が働いているようです。

今や某銀行の頭取のお給料の金額が欧米並みであることを知り、自分の頭がガラパゴス化していることに気付き、改めて囲まれた環境で生きている自分の小ささを思い知り、世界はどんどん動いているんだな~~、という呑気な感想が思い浮かんできます。

小さな世界で生きていても、目の前にはやるべきことが沢山あります。自分が賄える仕事量はたかだか知れているはずですが、自分の仕事をこつこつとやり続けて行くことこそ自分の役割なのだと思うのです。

ノンプロフィットオーガニゼーション(非営利)という考え方の中で仕事をしていると、自分の役割が顕わになります。つまり、思考と行動に関し、余計な雑念が生まれにくくなります。

資本主義的な考え方と非営利的な考え方の経済のバランスが半々になる時代になることが壮大な私のビジョンですが、経済学者でもなければ政治家でもありませんので、自分の信じる良き社会のありようを行動するのみだと思いながら働いているわけです。

夢は大きく、やることは小さく。。。ということを真面目?に実行しながら、ガンジスの砂粒の一つである私は、自分と直に繋がるものや人との関わりを大切にしていけばいいのであります。

自分の役割を時々点検してみると、自分のストレスの源泉が見えてきます。他者は変えられませんが、自分の概念を改めて見直すことでストレスも軽減していきます。そのさい、自分の役割を今一度意識化してみると自分の内に宿っている答えに腑に落ちるかもしれません。

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織物から経済を考えた

2013年10月28日 | 第2章 五感と体感
日本の神学校で学び神父になったベトナム人のTさんを久しぶりに見かけました。

彼のストラの色と意匠があまりにも美しく、ミサの間そればかり眺めていました。
きっと叙階(仏教で言えば戒壇)の時に周囲の信徒さんからプレゼントされたものだと推察。
祭服に首から掛ける仏教のお坊さんで言うと「袈裟」に相当するものをストラと呼びます。

首あたりは薄いキナリ色でそこから橙色が始まり、その橙色がまたキナリ色にグラテーションで変化し更に水を表わすターコイズブルーに近い色がやはり微妙なグラテーションで織られています。その水の部分あたりに小さな舟が黒色で刺繍されてあります。
故郷の風景の色なのでしょう。
晴々とした気持になる配色に惚れ惚れしているうちにミサが終わってしまいました。

シルクロードの時代を経て大航海時代から日本の西陣織物がバチカンで使用され、3年程前に国立博物館で開催された近衛家伝来の美術品の大規模な展覧会では、キリスト教ののシンボルを織った西陣の織物も公開されていました。日本の織物での祭服はかなりの高級品であるはずです。昔の貢物はお金ではなく「物」でした。物持ちであるからこそ蔵も建ったわけです。

祇園祭の鉾の設えはユーラシア大陸の工芸品の展覧会の様なものですし、博物館に行かなくても大交易時代を垣間見ることができるのです。

手間と材料費が値段と見合わない今の時代、どんどんと手間が省かれていきます。手間が省かれると人の脳みそに組み込まれている創造力の需要と供給のバランスが崩れていきます。
経済至上社会では、人の手間と材料にお金が付いて回ることで、手間のかかる値段のつけられないものに対しての価値がどんどん高騰していくのです。

対価を支払うことも大事でしょうが、物々交換も大事な生業での生き延び方かもしれない、、、と、思うのです。

手間暇かかるものに対しての人件費を加算していくと、日本の文化継承にもフェアトレードは必要です。

お金に代わるものを真面目に考える時代であるはずなのですが、ノンプロフィットオーガニゼーション、つまりNPOというシステムは日本では行政の外郭団体的な認識しか持っていない人が多すぎるようにも思います。ちょっと残念に思っています。

技を持つ人がそれを生業にして食べていける社会がいつの間にやら消滅寸前になっていることは、人間の消滅にも繋がりかねないかもしれません。

昨日のブログの続きではありませんが、プライスレス的生活は、精神面だけではなさそうです。

戦後反物を持って米と引き変え生き延びた祖先の話は、そう昔の事ではありません。

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プライスレスの解放

2013年10月27日 | 第2章 五感と体感
台風の影響で予定が変更となり一日家で書類を書く土曜日となりました。
台風の被害に遭われた方にお見舞いを申し上げます。

秋が深くなると嵯峨野を歩きたくなります。
虫の音も治まり、さやさやと芒の穂が揺れる音を頼りに歩くといつまでも歩いていたい気分になります。

嵯峨野は祇王や仏御前が平清盛に寵愛された後に住んだ場所でもあり、二尊院の庭に佇むと小倉山からの風がぴゅうと落ちてきたり、風情を堪能するにはもってこいの場所です。何よりも嵯峨野から大覚寺に向かう路は住宅地でありながら北側の低い山々の風景がいかにも雅さを醸し出し絶好の散策コースだと認識しています。

当分京都には行けないと思うと、シュンとしますがそんな時は源氏物語を読んで頭の中に平安の物語を思い巡らすと俄然元気を取り戻すのです。
昨日は夕方に集中力が切れ、あとひと踏ん張りというところでパソコンを打つ手が止まってしまいました。
「いやいや、明日遊ぶんだから今日頑張らなくちゃ、、、」という、いつもの貧乏症傾向がふつふつと湧き出し、コーヒータイムを終えると丁度次回から稽古に入る謡本を取りだしひとしきり謡いました。
次回からの稽古は幸運なことに「野宮」です。

斎宮として伊勢に入る前に準備を整えている娘と共に野宮で過ごしている六条御息所を思い募った光源氏が訪問するシーンを盛り込んだ謡いです。勿論、葵上との車争いも盛り込まれていますが。
現在の野宮は、修学旅行者やカップルが訪れる観光スポットですが、謡いの境地に入ると一気に時空が変わります。

好きな世界に入ると解放感が得られます。

自分の解放感のツボをわきまえておくと、緊張感を緩めるタイミングも掴みやすいかもしれません。

言葉にはならないイメージを持つことは、人知れず切り替えの出来る都合のよい方法です。
閉塞的な気持や体感である時に「心の中は宇宙である」ことを思い出すと、プライスレスの解放を得る事ができそうです。

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生き甲斐を意識する

2013年10月26日 | 第2章 五感と体感
昨日のたまプラーザの生き甲斐の心理学講座は10月期の初回でしたので新規の方々をお迎えした講座となりました。
昨日は「思考」をテーマに講座を展開しましたが、初回から皆様の個性が花開き、和やかに時間を過ごすことができ嬉しく思っています。

自分の生き甲斐とは何か?という問い掛けが自ずから自分の内からふつふつとわき上がってくる人もいれば、まったく生き甲斐についてを自問自答しないで人生を終える人もいらっしゃるようです。

自問自答する機会に恵まれる人生は、もしかしたらそれだけで幸せかもしれません。
生き甲斐とは何かを自問自答することは、自分の将来への方向性の何らかの基準になるはずですし、心のどこかで悔いなく生きたいという意識が成されるようにも思います。

講座を終え帰路の電車内でお隣に座った80歳前後の男性お二人の会話に興味が湧き耳を傾けると、

男性1「いつもは家で何をしているんですか?」

男性2「何ってことはしていませんよ。テレビを見たり、ぼぉっとしたりしています」

男性1「何かしないとダメですよ」

男性2「・・・・・」

男性1「何かしないと身体も頭も動かなくなりますよ。私は、毎日やることがたくさんあって楽しいですよ。」

男性2「・・・・・」

男性1「今日は楽しかったですね」

男性2「ええ、楽しかったです」

男性1「来年早々の会でお会いするのを楽しみにしていますよ。お身体大事にして、来年お会いしましょう!では!」

男性2「はい。〇さんもお元気で。」


まさに生き甲斐の会話をしていらっしゃる、、、と、思いましたが、男性1はかなりアクティビティな暮らしをしていらっしゃるご様子。一方男性2は、どうも会話の通りの生活をしていらっしゃるご様子です。男性1が電車を降りた後、何気なく隣の男性2のお顔を確かめてみると、穏やかな澄んだ目をされた品の良い紳士風です。男性1を見送りながらにこにこと姿勢よく座っていらっしゃいます。お話するならこの男性2と会話してみたいなぁ。。。と、。

結局は「自分の生き甲斐については自分でどうにかするものなのであり、人からいちいち言われたくないものなのかもしれない」と、その男性の穏やかな横顔を見て思うのでした。人が何を言おうと、自分が自分のありように落ち着きを感じるのであれば、それで良いのです。

「何かやりましょうよ」などと云う事はある人にとってお節介言葉掛けなのかもしれません。

「自分の生き甲斐とは何か?」という問い掛けが自分の頭に湧いて来た時に、私達の講座がお役に立てば良いと思うのです。

ソクラテスやプラトンと同様に永遠普遍の人間の思索テーマを自問自答しながら生きる選択をしている私は私なりの幸福感を体感していることに満足感を得ています。

個人の幸福感には、それぞれの尺度があるわけです。その尺度は他者にはわかりません。

まずは自分の尺度を測ることから始める事が大切であることをしみじみ感じながら電車を降りました。

そうそう。自分の内に答えがあるのですから…。

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白雪姫より玉葛

2013年10月25日 | 第2章 五感と体感
日本人のアイデンティティを思索・考察するのに6つの要素からアプローチすることを私達は学んでいます。

・もののあはれ

・幽玄美

・甘えの構造

・侘び・寂び

・穢れと禊ぎ

・恥

先日、テレビをつけたら、たまたまフランス語講座の番組をやっていました。その日のテーマがSensibility。ちょうど意味と解釈を先生が説明していました。

「センシビリティとは感受であり、その感受とは、自分が認識しているようでしていないもの、ないようであるもの、当たり前だと思っていることです。」と。

とても解りやすい説明だなと、思いました。

自分の中で当たり前だと思っている考え方や風習、習慣的思考は、異文化に足を踏み込まないと意識化しにくいものなのです。

例えば、幽玄という言葉一つをとっても、言葉だけが独り歩きしているような印象を持ちますが、ファジーなあいまいさは、まさに幽玄です。
だからこそ、イエスとノーの答えを突き付けられると、怒りの感情や迷いの感情、戸惑いの感情が湧き出してくるのは、自分の心身にしっかりと幽玄なアイデンティティが根付いているからこその感情なのだと思うのです。

センシビリティとアイデンティティを敢えて平素の状態で意識化することは難しいかもしれません。

しみじみと感ずる「もののあはれ」のなかで、見えてくるものかもしれませんし、言葉の中に潜む言葉無くしても気遣い合う唖吽が「甘えの構造」を構築しているのかもしれませんし…。

源氏物語の「雲隠れ」は、まさしく日本人のアイデンティティを象徴化した章でもあると思っています。
光源氏の最期を雲隠れとした何も書かれていない白紙こそ美しきかな。。。と、思うのは、私だけではないはずです。

彩色豊かなグレーこそ、私自身に宿る芯であるように思います。

長谷寺参りの玉葛が生き別れの乳母と出会い、新たな人生が始まる源氏物語「玉葛」は日本的シンデレラストーリーです。
そこから見えてくるものは、林檎を食べて眠ってしまうお姫様よりもガラスの靴を履きカボチャの馬車に乗るお姫様よりも感受的には確かに身近なものかもしれません。

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24節気霜降の頃

2013年10月24日 | 第2章 五感と体感
私の記憶では、この頃になると毛糸系のセーターを着ていたように思いますが、今年は台風のせいもあり空気の中に湿度が多く含まれ、寒いと思って上着を羽織って出かけても、結局は上着を手に持って帰路につくことが多いです。

台風27号、28号の進路も気になるところです。

24節気で見てみると、今は霜降の頃。「そうこう」とも読みますが「しもふり」と読んでもよいようです。
北の国では、霜が降りる季節ですし、富士山にも雪が被り、本格的に寒くなる頃でもあります。

表装の作業も、この頃から指先のささくれに気をつけ出す頃です。指が荒れていると裂の扱いが出来ません。ちょっとしたささくれに絹糸がひっかかると、それだけで裂を痛めてしまいます。
そのために指先のケアーは欠かせません。ネイルを楽しむこととは程遠い理由です((笑))
何故か男性からは、その気遣いの話題を耳にしたことなく、やはり女性は肌が弱いのか、はたまた家事労働が男性よりも多いせいか。。。それはわかりませんが、、、

雪降る前の準備は雪国に住む人にとっては当たり前のことかもしれませんが、この季節は雪に閉ざされる前の準備は私達の想像を絶するものだと思います。稲刈りが始まる頃からきっと一年の中で一番忙しい時期なのではないでしょうか?

幼い頃に住んでいた福井の大野市で、そのように働く人々を興味を持って眺める子供でした。
我が家はサラリーマンの転勤族。住まう場所によって風習が違えば、言葉も違うし、何と言っても人の解釈が違います。
その違いを子供ながらに「面白い」と思ったのが、私の比較文化という学問の始まりだったかもしれません。

冬支度が始まる頃、雪国の暮らしの光景をふと思い出します。

自分の生育史の中から育まれる解釈や考え方が自分を支配していることをしみじみと感じるのです。

冬支度の頃になるとピーターラビットの物語が生まれたウィンダミアの湖水地方やムーミン村が脳裏に浮かぶのも、私の生育史の何らかの経験によるものかと思います。

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書の持つ力

2013年10月23日 | 悔いのない人生とは?
昨日は一日表装作業を行いました。
3年ほど前に亡くなられた知り合いの書道の先生の書です。
よれよれの厚紙から剥がし修復しながら裏打ちし直し、着せる裂を二週間ほどかけて思い巡らし、ようやく掛け軸のための作業に入りました。
来月に行う表導会の作品展に出品するため急ピッチでやらねばなりません。
とはいえ、正麩糊を使い全てを手作業で作る表装はそんなに早くできるものではなく作業工程に時間がかかります。

今手がけている某先生の書は「池養右軍鳶」

右軍とは書の神様と謳われている王義之=「右軍」
つまり、王義之に習い、王義之が好きな鳶を池に飼う、というこです。
簡単に言えば、尊敬する人の真似をし、それに習い自分を養うこと、といった解釈で良いと思うのですが。。。(?)

書の先生が、弟子の知人にこの書を贈ったということもあり、書の意味を知った時から、その書を見るにつれ、身体がぞわぞわしていました。
今回作業をしながらも、どうもその書が醸し出す強さに圧倒され、なるべく書に目を向けないよう作業を進めています。

書の持つ力に影響を受けながら表装作業をするのは、私にとっては本望ですし、とても嬉しいことです。
作者の筆に籠めた思いが伝わる体験できるのは、表装する者の特権であるかもしれません。

ふと、空海の書を表装したら、どんな気が伝わってくるのだろう…?と、思いました。

しなやかで自由自在な空海の書を手に取り表装したら、宇宙の中に放り投げられてしまうのではないかと、ぶるぶると身ぶるいする自分が居ります。叶わぬことですが一度味わってみたいものです。

自分と対峙するものから感受するものは、自分を養います。

「池養右軍鳶」に出合ってから、「養う」と云う言葉が好きになりました。
自分を自分がどこまで養えるか。
若く盛んな時期には見えてこなかった自分の養い方を考える時期になったとも云えるのかもしれません。

愉しきことなり。

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口を噤むことの効用

2013年10月22日 | 第1章 意識と知覚
自分のストレスから表出する言葉や、
第三者が言っていることを自らの概念を通して口に出す言葉は、聞いている相手をストレスに追い込んでいきます。
言葉のリレーは、互いの解釈が加わるのでとても恐ろしいことです。

カウンセリングの勉強会で出る話題は必ず守秘を守っていただくようお願いしています。
これはどこの勉強会でも常識となっているはずです。
これは個人の人権を守るためのルールです。
ついつい家族や親しい人に話してしまうことで、思わぬ方向に展開してしまう事もあるので、とても大切なルールの一つとなっています。

「口を噤む」ということも、勉強が深まれば深まるほど「噤む」という抑制する力が訓練されていきます。

そのためには、自分のストレスの傾向を知り、自分の生育史によって育まれた概念を自分自身が知っておく必要があります。

誰しも「知らないうちに人を傷つけて」いたり「自分が傷ついた」と解釈する経験も幾度か経験しているはずです。

自分の傾向を知っておくといずれのことも回避できる力が身についていくはずです。

自分がついつい口に出して話している話題の傾向を吟味してみると、何らかのパターンが見えてきます。
そのパターンに隠れている自分の不安感に気付くことで、自分の傾向ももれなく見えてくるかもしれませんし、薄皮を剥がすように何かに気付いてくるかもしれません。

言葉は言霊です。ルン(魂)に乗って自らを表すものです。自戒を籠めつつ自らの言霊を大切にしたいものです。

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喜びの表情

2013年10月21日 | 第2章 五感と体感
先週の土曜日はたまプラーザでの一日講座でした。私好みの奈良の一年の祭事をまとめ書き上げたものに目を通し、自分自身の一年の歳時を思い出し思い巡らしながら、平素体感していても意識化していない感情の種類を意識化してみることを体験していただきました。
奈良県中心の地図を囲み、土地の位置を確認することで、奈良に纏わる歴史の関連性もついでに理解していただき、和気あいあいと学びの時間を過ごすことができました。

参加者の皆様、ありがとうございました。

リラックスした時間の中で思索すればするほど、自分にとってよいこと、わるいことが沸々と湧きあがってきます。
できることなら、せめてその時間だけでも湧き上がってくるものをそのまんま受容したいものです。
少しでも受容できる時間があると、だんだんと自分自身が見えていなかった自分の傾向も見えてきたりします。

笑っているわけではないけれど、なんだか嬉しそうな表情をしている人を見ているだけで私も嬉しい気分になります。
喜びの表情が一日に数分あるだけでも、日々の過ごし方が変わってきます。
通勤通学の行き帰りの電車の中でも、楽しそうな表情の人に出合うと何となくその感情が自分のものになるようにも思います。愛犬と過ごす時間も他の家族には決して見せない?和らいだ優しい表情が自分に出ているかもしれません。

一日を過ごす中で、自分が表出している喜びの表情を意識してみると、自分が一日眉間に皺を寄せているわけではなさそうです。

自分が喜びの表情であるひとときを大切にしたいものです。

☆☆☆
お知らせ:今日予定していた保護者勉強会は先週の台風の影響で試験が延期となり中止です。

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突然の出来事の対応

2013年10月19日 | 第2章 五感と体感
過去に起こった突然の出来事の対応に、よくぞやった!と自己評価しているものもあれば、自分の対応に大きく反省しているものもあります。

自分にとって「起こった突然の出来事は、自分とはどのような関係性の出来事なのか?」ということをとっさに思い浮かぶ人がいたら随分冷静な人かもしれませんが、
起こったことに対して、「自分は今冷静な状態ではない」ということを意識する方がかえって健全かもしれません。

自分と出来事との関係性を意識化することは、簡単に言うと「自分自身の問題なのか」「その出来事と自分はどんな関係なのか?」を意識することで、自分の立ち位置が見えてきます。

自分の立ち位置が見えると云う事は、自分の立場が意識化されるということです。

自分の立場を意識化すると、今度は自分の役割を考えてみると良いようです。

それは大きな勘違い中から生まれた役割なのか?
それとも身の丈に合った役割なのか?

もし、そのことを吟味する力が無いと、自他混合の中で周りをも錯乱に追い込んでいきかねません。

突然の出来事の対応を迫られた時に、自分の役割を見定める事ができたら自分の役割を信じて「一貫した状態」で行うことが大切なようです。

ロジャーズの6条件をおさらいし、自分を整えてから自分の役割に臨んでも遅くはありません。




東急セミナーBEたまプラーザにて10月19日(土)10時半~12時半「生き甲斐の心理学・四季折々の風景や日々の暮らしから自分自身と向き合う」講座を行います。会員では無い方も参加できます。金額は会員2,450円、一般2,550円です。
東急セミナーに直接お問い合わせください。045-904-3953 www.tokyu-be.jp インターネットからの申し込みもできます。

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訓練と修練を積む

2013年10月18日 | 第2章 五感と体感
訓練を積むことは、どの世界でも大事なことです。
訓練を積んでいないといざというときに自分を使いこなすことができません。

経験しておくと「感」も働きます。「予測」もたてることが出来ます。
昨日のブログに書いた「原初感情」も有効に働きそうです。
そして、「自分の身の丈と役割」をとっさに判断することもできます。

訓練とは現実吟味力の意識化とも言うことができそうです。

日頃の訓練や修練は、求道者や修道者、修行者の日々の祈りの様なものでもあるように思います。
同じ典礼を繰り返す事の中から自分の内からの答えが見えてきたりします。

生きている過程で悟りを得る事は不可能でしょうが訓練し、修練し続けることと何かを求め続ける情動は同じ境地のように思います。

黙々と修練している人の姿は美しいなぁ、と思います。



東急セミナーBEたまプラーザにて10月19日(土)10時半~12時半「生き甲斐の心理学・四季折々の風景や日々の暮らしから自分自身と向き合う」講座を行います。会員では無い方も参加できます。金額は会員2,450円、一般2,550円です。
東急セミナーに直接お問い合わせください。045-904-3953 www.tokyu-be.jp インターネットからの申し込みもできます。

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「怖い」感情を養う

2013年10月17日 | 第2章 五感と体感
自分の生死に関わることの判断は、自分自身の原初感情をどう解釈するかで生死を分けることもあるかもしれません。

「自分の命はを自分で守る」ことを太古の人々がしてきたことであるから故、現在の私達が今この時を生きているのです。

原初感情とは「怖い」「怖くない」という感情の事です。

この直感力は、経験を重ねた事によって起こる感情であるとも云えそうです。

自分が怖いと思う感情を大切にすることで太古の人は生き延びてきました。

怖い・怖くない
危険・安全

「情報」を得る事で、冷静な自己判断を促すことは確かなことですが、「危機が迫る体感」は当事者でないと解らないのです。

情報を上手に利用することと「怖い・怖くない」という感情を自分がどう取り扱うかを日頃鍛錬しておくと、とっさの時に自分の原初感情を信じる事ができそうです。

慌てる事はなるべく避けたいですが、情報と自分の原初感情を上手に使いこなすことができるよう、私自身訓練する必要があるな、と、今回の台風で感じています。

「怖い」という自分の感情は、他者と違います。
自分の怖いというスケールを信ずることは、自分自身の生命に関わることと繋がっていることを忘れてはならないと思うのです。

「自分の怖い感情」を上手に養い、いざという時に備えたいものです。



東急セミナーBEたまプラーザにて10月19日(土)10時半~12時半「生き甲斐の心理学・四季折々の風景や日々の暮らしから自分自身と向き合う」講座を行います。会員では無い方も参加できます。金額は会員2,450円、一般2,550円です。
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暴風雨

2013年10月16日 | 第2章 五感と体感
強風の音で幾度か目を覚ましました。これだけ長い時間の暴風雨は滅多に無いことです。

今朝、新聞を取ろうと玄関に行くと、玄関の床が水で沁みています。水気の無い場所なので「ありゃ?」と思い、その上を見ると滴がポタリ。
雨漏りです。

あれだけ横殴りの暴風雨が続けば、さもありなんです。軒先の通気口から雨が吹き込んだようです。

我が家での初めての雨漏り経験なのですが、昔の木造住宅ではあまり驚くことではなかったことを思い出し、懐かしいなぁ~~と、呑気に滴を眺めました。他の部屋に影響の無い玄関なので呑気でいますが、他の場所でしたら朝から大騒ぎをするところでした。

それにしても今後、こんな暴風雨の機会が増えるのであれば、対策を考えなくてはなりません。

天候による仕事の変更や配慮については慣れっこになってきましたが、これを機会に家のことも点検しておかなくてはならないようです。

7時半頃に横浜は雨は止みましたが物凄い風が吹き荒れています。空には青空も見えてきましたがまだ外を歩くのは危険です。

台風は東の方角に進んでいるので、東北の皆様も気を付けてお過ごしください。

今日は神奈川、東京のほとんどの学校がお休みだと思います。試験中の学校もありますが来週にずれ込んで試験となるところもあるようです。試験が終わって開放感ある週末になるというわけにはいきませんが…。

私もおとなしく家に籠ると致します。

被害がこれ以上出ませんよう…。



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