五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

自分を取り巻く環境

2011年01月31日 | 第2章 五感と体感
ルーブルで出会った子

発病のメカニズム、6つの要因↓

外部的要因・遺伝と環境と老化
内部的要因・自律神経と分泌と免疫

風邪ひとつにとってみても、自分が風邪をひいた理由を一つに絞ることは難しいと思います。
体が弱っている(免疫力低下)のに、仕事が忙しく(環境と自律神経)、その上最近は年齢と共に(老化)ホルモンのバランスが悪いらしく(分泌)、ちょっと寒くなって乾燥している気候(環境)になると、私は風邪をひく、
といったように、「いろいろな要因が重なって風邪をひいた」と、自分なりの分析と解釈をすることができます。

今の心の状態の原因を一つに絞り切ることは、風邪の要因ですら複合的な要因の重なりなのですから、難しいはずです。

掴み切れない理由を思い巡らすよりも、この6つの要因を覚えておいた方が良い、と教えられました。

より良い方向へ自分を導くには、まずは自分が整えることができる環境をひとつひとつ変えていくことが必要なようです。自分の整えた環境を活用していくことで、他の要因が軽減されていけば、自ずからより良い方向へと向かっていくはずです。

2011年2月1日から新たに始まる腰越勉強会、そして、2月15日から四ツ谷の勉強会が開始です。参加される皆様と、個性の美を尊重しあい、和やかに過ごしていくことが私達の目標です。

これから一年間、改めてよろしくお願いいたします。

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味覚と思い出・パン編

2011年01月29日 | 第2章 五感と体感


パリの友人宅のミモザ

私の場合、旅先で頂く美味しいものの思い出は、風景よりも強烈に記憶します。

今回の冬のフランスの旅は、何と言っても「冬の味覚」が目的であったと言っても良いかもしれません。

借りたアパートは3階だったのですが、一階にパン屋さんがあり、朝方4時過ぎになると決まってパンの香ばしい匂いが漂ってきます。お店は7時にオープンするので、一日の始まりはパンを買う事から始まりました。
同行四人の旅人の中で一番のお殿様が買いに行ってくださったわけですが。。。

7時オープンと同時にバケットを買いに来る人は後を絶たず、そんな習慣に紛れこんでみると、等身大のパリの食文化を体感する楽しみを経験できます。

私はパリで頂くクロワッサンが大好きです。
日本と違い乾燥した空気が良いのでしょうか?クロワッサンの層が一枚一枚独立していて、濃いバターの風味が食欲をそそります。パリパリとした食感の次にはしっとりした食感がやってきて、クロワッサンの自己主張に蕩ける思いで「ああ~~、クロワッサン!♡!」と喜びながら頂くわけです。

食べることは幸せを自分に運びます。

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猫のまるちゃん

2011年01月28日 | 第2章 五感と体感
職場への坂道の途中に管理人室があります。

以前から数匹の猫が住みつき、修道院のシスターが餌を与え名前が付けられていたのは知っていましたが、最近一匹の猫が一人の警備のおじさんになつき出しました。

家につく、というよりも明らかに人についています。

以前までは人気が近づくと窓から顔を出して、私に手を振ってくださる警備のおじさんが、最近は管理人室に引っ込んだまま出てきません。

なぜかというと、居ついた猫のまるちゃんが、おじさんの腕に体を委ね、ゆったりとしているからです。つまり、おじさんは動けないわけです。
既得権を得た猫の表情は、ヒトに見えます。(そういえば、先日は友達の飼い犬のそんな表情を写真で見せていただきました。。。その表情と同じです)

今年度の冬の寒さは、外に住む猫にとっても過酷な環境なのかもしれませんが、そのおじさんのお人柄を感じ取ったのでしょう。

夕方はシフトの関係でそのおじさんはいらっしゃいません。
別の方に「猫のまるちゃんは?」と尋ねると「今日はきてないよ~」とのお返事。

あ~~、やっぱり人につくんだぁ~~~

と心の中で思いつつ、気の合うおじさんが管理人室にやってくると、まるちゃんが犬のように走って駆け寄る姿が目に浮かびます。(ほんとうに犬のようにダッシュで駆け寄るそうです!)

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モーツァルトの誕生日

2011年01月27日 | 第2章 五感と体感

マドレーヌ寺院

心理学の勉強をする前までは、ストレスはピアノを弾いて解消していました。
勉強を始めてから、何故かピアノは遠のき、それでもいつでも弾けるように調律だけは欠かしていません。無性に弾きたいという気持ちがつのってきたのは、学習する興奮が多少治まってきた証拠かもしれない、と思っています。

人は、何らかのバランスを取りながら生きています。
感性を意識しながら生活していたいという無意識の意識化が私からピアノを弾くことを遠ざけたのだとは思います。つまり、現在は意識化、言語化できているから足りないことを補う情動が減ったというわけです。

年末年始のパリは、教会コンサートが目白押しです。それぞれの教会近くにA3くらいのチラシが貼られ、直接聞きたいコンサートが行われる教会に行き、そこで前売り券を買う事ができます。

今回は幸運なことに二か所の教会でコンサートを楽しみました。

一か所目は、コンサート中、息子とトイレを我慢した思い出のあるパリで最古の教会(東方正教会)。そこでは弦楽四重奏。モーツアルトやビバルディ。

二か所目は、以前から聴きたかった場所であるマドレーヌ寺院。そこではモーツァルトのレクイエムをメインに声楽家の美しい声の響きと100人はいるであろう合唱を堪能。
勿論、オーケストラも素晴らしく、夢のような晦日の夜を過ごしました。

そんなわけで、昨年末から頭の中にモーツァルトの響きがグルグルと巡っているのです。

ああ、ピアノが弾きたい。。。という情動は、今年は消せそうもないので、週末はピアノを蓋を開けようかなぁ…
蓋を開けるとパンドラの箱を開けるような感情が湧きあがるような気がします。
弾いたら止まらなくなるような、そんな不安感です。不安感を解消するために弾いていた感情が蘇ってくる恐怖感かもしれません。
昔、ある靴を履くと足が動き出して止まらなくなると云う内容の童話を読んだことを思い出し、落ち着かなくなるわけです。

朝からへんな妄想的ブログで失礼します。これも今日がモーツァルトの誕生日だから、、、というオチで、許してください♡ちなみに1756年です。




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お預けする心

2011年01月26日 | 第2章 五感と体感

サクレクール寺院

自分の成育史における経験は、性格だけでなく知性や技術も育み、個性の美として今の自分をなしています。

ああ、○さんは、性格暗いけど、この技術はスゴイよね!とか、
△さんは、◇の知識と経験は優れているけど、あの性格、こまっちゃうよね、、、とか、

自分自身、足りていないものを学習したり、助けを借りたりするには、今の自分を受容する力が必要です。

努力してもできない自分、困った自分をそのままを受容していると、なぜか自分の周りに援助してくれる人が現れます。
出来ない自分の受容は自己否定とは違います。出来ない自分を受容することと出来ないことを卑下することは違います。

自分が出来ることは、たかだか知れたものです。でも、他者と補い合うこと、援助されることに自分を預ける心を持つと、いくといつしか自分の足りなさが自信へと導かれていくのです。

お預けした心が満たされたら、いつかまた誰かを援助していけばよいのです。

お預けする心は連鎖してこそ生かされていくように思います。

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保護者勉強会

2011年01月25日 | 第2章 五感と体感

パリ、シテ島の朝

昨日は今年初めての保護者勉強会でした。皆様、お疲れ様でした。

二年目の勉強会もいよいよラストスパートとなり、「テキスト第9章・人は何故心を病むのか?」がテーマでした。

「理想の設定と現実の解釈で人生が変わる」ということを最終的には理解していただきたく勉強会が進められました。
植村先生のサポートをしつつ、とててもやりにくい内容でもありました。

自分の持つ「理想」が、現実の自分の心を悩ませているとしたら、それは一体何故なのでしょう。

「現実」が受け容れられないがための「理想設定」だとすると、「現実」だと思い込んでいたものが「理想」に相当するものであることが受け容れることのできない自分を分析していく必要がありそうです。

人の本質は不安です。

時々、自分が平安で穏やかな感情生活で居ることが基本だ、と言い切る方に出会います。
自分の基本が、平安で穏やかで、悩みが無い状態でなくてはならいと思いこんでいるとしたら、どうでしょう?

平安で穏やかな「理想」となかなかそうはいかない「現実」のギャップが心のストレスになり、きっと日常の生活は、苦しいでしょうね…

人は不安感が無くては生き延びていくことはできません。

自分の持つ不安感をどう処理していくかが、生き延びる術となっていくように思います。
そのためには、自分の本音を知る必要があるのです。
自分の本音と自分の理想が混濁していないか。。。まずはそこから自己分析していく必要がありそうです。
そこではじめて「理想と「現実」の「ギャップ」があぶり出され、自己の本音の感情が見えてくるかもしれません。

去年度から勉強を始められている方々は、学びの深さを感じてくださっていると思いますし、今年度から始められた方は、何を学ぼうとしているかが見えてくる頃だと推察しています。

のんびり、ゆるやかに時間をかけて自己をみつめる時間を楽しんでいただけると幸いです。

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友達の輪

2011年01月24日 | 第2章 五感と体感

パリで借りたアパートの窓辺

考えてみれば、2005年4月から始めた我が家でのワークショップは六年続いています。

自宅を開放しているため非公開での活動ですが、長いお付き合いの友人知人が仕事が休みの貴重な日曜日に訪れます。
最初の数年間は月に一回でしたが、去年あたりから二カ月に一度のペースで淡々と続いています。

自分自身の喜怒哀楽をあるがまま表出できる場所と相手は、そうそう居るものではありません。

普段、喜怒哀楽を表出していたとしても、それが自己の何らかの原因による八つ当たりやヒステリーだとしたらこんな悲しく哀れなことはありません。

湧き出してくる感情には必ず意味があります。

その感情が、何故ゆえ自分に訪れてきてしまうのか?
成育史における愛の孤独感、孤立感、悲しみ、閉塞感、、、
思うようにならない感情の曼荼羅を他者にぶつけるほど悲しい行動はありません。
その感情をぶつけられた人は、ほんとうに気の毒です。

感情をむき出しにしたい相手に表出できないとしたら、どんな感情を抑えているのでしょう。
案外、その感情を自分自身が見出していくには、長い長い時間がかかるかもしれません。

感情の抑圧は、自分だけでなく周囲も不安にしていきます。

昨日は、ラポール(信頼関係)のとれた勉強仲間との時間を過ごしつつ、よく笑いました。
信頼感を持ちながら繋がる友人関係は、私の喜びを深くしていきます。

傾聴しあってきた仲間が紡いできた時間は、尊く美しいものです。
これからものんびりペースで織り成していきたいものです。

「友達の輪!」の「笑っていいとも」の初代プロデューサー横澤氏が亡くなっても、友達の輪は個々に意味を持ちながら無限に広がっていくことでしょう。。。

蓮華の上の宝珠。。。是華厳也

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パリのカフェ文化

2011年01月23日 | 第2章 五感と体感

サクレクール寺院界隈の図柄でカプチーノ

日本でもチェーン店のCaféが多く立ち並び、手ごろな値段で美味しいコーヒーを頂くことができますが、下を向いて何かをしている人が多いように思います。

パリでの楽しみは、本格的Caféでショコラショーを(温かいショコラ)頂きながら、街行く人をぼんやりと眺めることです。ぼんやりと眺める人が居るということは、街行く人がぼんやりとCaféの客を眺めるということでもありますが・・・そこがパリに住まう人の意識にも繋がっているようです。
真冬ではさすがに外でお茶をする人は少ないですが、それでも明らかに何人かは座っているのがパリの日常の風景です。

久しぶりのパリは、アメリカ式Caféも増え、昔ながらのCaféが少なくなったように見えました。さすがに老舗のCaféは衰えることなく健在で、パリ在住のオシャレな人々も見られている意識を醸し出しながら格好良く座っている光景を見て何かほっとするものを感じました。

「見ること」以上に「見られている」ことを忘れてはならないのがこの街かもしれません。

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自分の調子

2011年01月22日 | 第2章 五感と体感

サントノーレのガルガンチュア

ひたすら歩いて食べたフランスの旅から戻り、あっという間に二十日経ちました。

体調を整える間もなく仕事が始ったので、旅の余波を引きずりつつ先週あたりからようやく体の具合いと仕事が塩梅良くなりました。

心が整っていても、体の調子が悪いとか、体の調子は良いのに心にざわつきがあるとか、残念ながらどちらも調子が悪いとか・・・

神経質になり過ぎると前には進みませんが、朝起きたら自分の調子を確認しながら今日一日の過ごし方を想像していくことも、上手な自分自身との付き合い方のように思います。

自分の生活を成り立たせている環境(心と体と魂)や諸々の条件が変化することで、自分にどんな変化が表れるかを知っておくと、予測も立てられるし回避もできます。

自分の調子に聴き耳立てる週末であってもよいかもしれません。

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自分を変える時期

2011年01月21日 | 第2章 五感と体感
モンサンミッシェル

人生に何度か、自分を変えようと思う時期がやってくるようです。

すんなりいくこともあれば、なかなか上手くいかず、変えられない自分自身が悲しい感情を繰り返すこともよくあることです。

変えたい情動が湧き出ているのに、周りの反応が気になり、自分自身の「変化する行動」を躊躇することもあるはずです。

でも、そんな時、

自分は何のために生きているのか?
自分の生き甲斐は何か?
自分の心と体と魂を大切にしているか?

この三つを自問自答してみると、自問自答の時間が自分に何かを見出していくようです。

即答できないような問いかけが、生きることへの指針を示していくようにも思います。

変わる自分が怖いことと自分の不安感が同質のものであることは、たぶん、良い方向へ向かった時に見えてくるものかもしれません。

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思考と感情と行動

2011年01月20日 | 第2章 五感と体感
モンサンミッシェルの回廊

自分の悩みの根源を知るためには、思考と感情と行動のどこからアプローチしていくと良いのでしょうか?

傾聴していく側も、それを窺いながら傾聴していきます。

思考や行動を優先して聴いていくことから、感情がゆらゆらと見えてきます。

感情を優先して聴いていくうちに、悩んでいる方の行動が見えてくることもあります。

自分自身が何かに迷った時、何かに苦しんだ時、解決することばかりを考えることより、今現在の自己の「思考と感情と行動」を自分自身が検証していくことを優先する方が大切なようです。

自分から湧き出してくる言葉を自分自身が否定も肯定もせず自問自答できると、次の一歩が見えてくるかもしれません。

昨日の某場所での勉強会では、思考と感情と行動についての一つ一つを自問自答していく内容でした。
傾聴する空気が心地よいと感じた理想的な勉強会だったように思います。
皆様、お疲れ様でした。

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祇園精舎の鐘の聲

2011年01月19日 | 第2章 五感と体感
フランス北西部に世界遺産のモンサンミッシェルがあります。

その小さな島はかつて、潮の満ち引きによって渡ることがでました。今は浜辺に路が造られ車で渡ることができます。
諫早湾と同じ問題が起き、生態系に影響が出ているため、その路は何年か後には橋になるそうです。
中世の小さな修道院が、時を経ながらその役割を変容させ、今のような形になりました。

島全体が教会の塔のようです。
中に入ると、島名物のオムレツ屋さんがあり、人が三人並べばふさいでしまうくらいの幅の路が江の島の小路のように修道院に繋がっています。
牢獄となった時代もあったり、大きな戦い(第二次世界大戦も)では、軍の要塞にもなりました。
要塞の機能を果たすべく、ラビリンスのような路が周囲に張り巡らされ、島の中にも入り組んだ小路が数多くあります。
修道院内も、軍事的機能だけでなく、かつての牢獄の機能も窺うことが事ができます。

時代と共に変容してきたこの修道院は長い年月を経て継ぎ足され、歩いていると騎士や修道士にばったり出会いそうな気持になります。

現在は修道院がありますが、この歴史的建造物は入り組んだ順路を観光客に提供しています。まるでゲームの中に入り込んだかのようなラビリンスです。

定期的に鳴らされる鐘の音を中世期に建てられた小さなホテルのペントハウスの小窓から聴くとまるで京都の寂光院に居るかのような気分になりました。祇園精舎の鐘の音と同じです。

塔の突端に据えられている大天使ミカエル(戦いの聖人)が陽の光を受けてピカリと光ると、得も知れぬ威厳と活力がこの島の内からジワジワと湧き起こってくるのです。

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伊達直人さん的自己受容

2011年01月17日 | 第2章 五感と体感
年末から、タイガーマスクの伊達直人さんが大活躍していることが報道されています。
マスコミで広がる中、日本人のアイデンティティを象徴するような「伊達直人運動」などという名称を付けて報道しているテレビ局や出版社もあります。

キリスト教文化の国では、フリーメイソン的思想も加わり、自由と平等と博愛が人が生きる上でのベースとして尊ばれています。
寄付することは、日本でもお寺や教会、またはそれらを母体とする学校に通われている方でしたら、それほど特別な行為ではありません。
確かに、税法にも問題もあります。寄付する側に税金がかかるということも、日本に寄付の概念が広がらない要因のひとつでもあると思います。NPOやNGOの活動を通して、弊害を感じている団体は多いはずです。

一人の伊達直人さんが行った行為によって、温かい支援が広がっていることは、とても微笑ましく心からの善意を感じ、世の中捨てたもんじゃない、、、という思いも湧きあがってきます。

寄付する人は、これらのニュースを聞いている人たちよりも心が温まっていることは確かかもしれません。
そして、プレゼントした方のうち、ランドセルや文房具に手紙を添え、匿名で自分の生い立ちを書く方が多いようです。
実名を伏せ、自己の成育史を誰かに聞いていただく行為こそ、その人自身が浄化していくことに繋がるように思います。
自分の成育史を否定も肯定もされず聞いてもらうと、自分の体と心に溜まっていたものが清浄され、自己受容へと変換されていく体感を味わいます。

ナントカ運動、等と云う名称などを付けることは、バカバカしい事ですが、人の暖かさを感じる心と与える心がじわじわと広がっていくことを願いたいものです。

おっしゃる通り、世の中捨てたもんじゃない・・・

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新年を味わう

2011年01月16日 | 第2章 五感と体感
3学期も始まり、関わる皆様のお顔を拝見したりお喋りをしてホッとしました。お正月休みというのは、他の休みの期間とは違い、年末年始を挟むため、心新たに始める意識が一層強まります。

昨日は、以前から気になっていた鹿島神宮へと行ってきました。
鹿島神宮に行くのなら、「香取神社もいかなくちゃ、」という友人のアドバイスを聞き、二つの神社をハシゴしました。歴史的背景は端折りますが、おかげさまでとてもよき日を過ごしました。

そこで改めてJリーグの鹿島アントラーズの鹿の角が鹿島神宮の由来するもので、かつて奈良から贈られた鹿の角を象徴化したものだと言う事を初めて知ることとなりました。

今はパワースポットなどという言葉が使われていますが、何かパワーを頂くというより、自分の体と心がいったん「素に戻る」場所であると捉えたほうが、私はしっくりきます。
素に戻ると、外から入ってくるものが澱みなく取り込まれていきます。

取り込まれるものは、素であればあるほどより良い方向に解釈されていきます。

余計なものを抱えて着こみ、膨らみ切った自分の体に新たに取り込もうとしても、なかなか吸収できるものではありません。

鹿島神宮の広大な森を散策していくうちに、体も軽くなり、徐々に清々しくなる体感を感じながら、気持良く帰ってきました。

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シャルトル大聖堂

2011年01月14日 | 悔いのない人生とは?


17年ぶりに訪れたシャルトルの町は、パリから電車で一時間ほどのところにあります。かつて、シャルトルの寒さを語った詩人リルケの言葉をパリ在住の友人が教えてくれたおかげで、寒さの覚悟がつきました。

寒波のヨーロッパとはいえ、どこも室内は暖かいので、そのつもりで出かけました。でも、考えてみれば、訪れる先は大聖堂です。寒いに決まっています。この日に限ってホカロンを少しだけしか持っておらず、リルケ同様「寒い!」が体感に残った小旅行となりました。

シャルトル(サンピエール大聖堂12世紀~13世紀)と云えば、薔薇窓といわれる素晴らしいステンドグラス。シャルトルブルーと云われるステンドグラスのブルーは、名前が付くほどに美しい。聖杯伝説の小説のモチーフ。ロマネスクとゴチックが入り混じった壮大な建築。中世に作られたわりには、自由な表現…
聖堂の入口近くには、この世からあの世へと迷うことなく辿れたらまっすぐに天国に行けると言う円形の一筆書き風のラビリンス。そして、祭壇後ろのキリストの生涯の彫刻は、実は聖母マリアの生涯にすり替わっていて興味深い。

何日もここに佇んでいたら、きっと細部の色々なものが見えてくるのだろうな。。。と、日帰り旅行を恨めしくも思いました。

聖堂を中心に旧市街が広がっており、ウール川に添うように家が連なっています。

中世の家並みが残され、どこを撮っても絵になる町。

17年前は雨のシャルトル。そして、今回は霧のシャルトル。
その頃3歳だった子供は、たまたま大聖堂におられた神父様に走り寄られ祝福を受けました。日本の修道会におられた時を懐かしく感じ、思わず駆け寄ったと言われました。
17年後、その出来事を今度は私が懐かしく思い出し、多分、この世にはいらっしゃらないであろうその神父様を想う時間でもありました。

正面はただ今修復中です。地下聖堂も運良く入ることができました。通常はここでミサが行われているようです。
地下聖堂は、ロマネスクの香りでいっぱいでした。
一日では書ききれないので、続きは後日に。

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