五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

お水取り

2008年02月29日 | 第2章 五感と体感
いよいよ3月1日から15日まで奈良はお水取りです。
2月20日から今年は29日までが前行。そして1日から15日までが本行です。

11人のお坊さん「練行衆」がそれぞれの役割を持ちながら修行します。

テレビのニュースで見るのは、12日の松明が有名ですが、実は1日から14日まで毎日19時に二月堂に松明が走ります。

お水取りが終わると春がやってきます。

今年はキリスト教の復活祭が3月23日です。春分の日からそう間が無いので、一気に春がやってくるような気分です。

お水取りは、修二会(しゅにえ)と云いますが、「十一面悔過(けか)」が正式名称だそうです。
二月堂の本尊、十一面観音菩薩の前で懺悔することを意味しています。

「「人間が本性的に持っている「むさぼり」「いかり」「愚痴」の三毒によってさまざまな過ちを犯していて、それが心の穢れとなって蓄積され、正しいことが見えなくなっていく。悔過することで幸福を招くことを願う行事」」
(東大寺修二会・お水取りの声明 発行:東大寺)

カトリックのミサも「私は思い、言葉、行いによってたびたび罪を犯しました。。。」という回心の祈りから始まります。

大乗仏教は、いくつもの民族・宗教・言語から成り立ち、海を渡って日本までやってきました。経典は大陸を移動した人々の生きた証。いつしか経典を読む民族の血となり肉となり、わたしたちのアイデンティティとして深く根付いているのだと思うのです。

「日本人は無宗教よねぇ~」と決めつける前に、このような歴史を学んでみると、私たちの祖先の祈りがじんわり伝わってくるはず。。。
絶えることなく続いてきたお水取りから悠久の時を想像し、生き延びてきた祖先に感謝するには良い機会だと思います。

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食べていくということ

2008年02月26日 | 第6章 螺旋状に上昇する意味
「5万年前」というタイトルの本が、去年あたりから私の周辺で流行っています。

現在に至るまで、自分の祖先がどうやって生きてきたかをDNAのデーターを基に、生物学的見地で書かれたこのような本を読むと、精神衛生がよくなるのを感じます。

宇宙の果てを考えたり、人は死んだらどこに行くか、とか、考えたらきりのない話題はたくさんあります。不可知論的な話題であったものが、科学の発達により、限りない真実として私たちの知識に入り込んでくる時代になってきました。

自分という身体が、いったいどのようにして此処まで生き抜いてきたか?

私の祖先が生き延びてきたからこそ、私が今、ここに居るわけです。

とにもかくにも、「食べて生き抜いてきたのです」

太古の昔は、食べるための行動で一日を過ごしていたはずです。
畑を耕し、めぐる季節に順応しながら、環境適応していくことで、「住まう」ようになったのは、人類の歴史からみると、ほんの上澄みの歴史しかないはずです。
そのほんの上澄みのそのまた表層を生きている日本に住まう私たちは、世界中を駆け巡り、世界中から集まってくる食べ物をお金で買い、好きなように頂いています。
5万年かけて移動した人類が、あっという間にシャッフルされ、そうはいっても国と国の境界線は一層厳しくなり、自分がどの国の国籍を持っているかが、大変重要になってしまいました。

食べるものを買うために必要なお金。

それを得るために、どんな仕事に就くか。

人類は、媒体を置くことで、より「知」が必要となるのです。

しかし、
よく考えてみると、「どうやって食っていくか」
たったそれだけのことなんです。

しかし、しかし、そんなシンプルな人間の営みが、いつしか見えなくなってしまったように思うのです。

お金を得るための仕事。
仕事をするために必要な勉強。
勉強するために必要な努力。
努力するために必要な、決意と意志。

決意と意志が生まれるには、愛すること、愛されることの意識が、とても大切な要素なんだなぁ、と思います。

「食らう」ことは、「愛」を頂く、ということに繋がります。

さてさて、今日も「食らう」ことを考えながら、食事の支度を始めます。


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お水取り・花ごしらえ

2008年02月23日 | 第2章 五感と体感
強風の一日。春一番。
そんな時は、「ショコラ」という映画を思い浮かべます。

ヨーロッパのとある村に母と娘が越してきます。彼女はショコラの魅力を伝えるべく娘と二人で各地を転々としてきました。カトリックの古い風習にかたくなに自分を閉ざす村人との関わり。でも、彼女との関わりから村人は自分の内に秘める素直な心を開いていくのです。そして、主人公である彼女自身も、自分の殻を割っていく。。。

風の強く吹く季節に、別の場所を求めて去っていくはずが、娘や恋人、村人の愛を信じることで、その村にとどまることを決意します。

春を告げる強風。南仏では、ミストラル、日本では春一番と称します。

そして、この季節は、カトリック教徒にとっては、四旬節。「復活祭」に向け、その前のキリストの受難を祈り、静かに時を過ごします。

その行事と重なるように、本日は、東大寺のお水取りの準備の一つである「花ごしらえの日」
(昨年の今頃にもブログに書きましたので、ご興味おありの方は読んでみてください。)

四旬節とお水取りの行事に要となる共通する「贖罪」というテーマ。

春一番の音を聴きながら、椿の花を和紙でつくるお坊さんたちの仕草を想像し、私に囁く天からの声に、ちょっと耳を澄ましてみることとしましょう。



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おひさまを浴びて

2008年02月22日 | 第2章 五感と体感
今日はテニスの日。
先週のテニスは、寒くて寒くて、家と外の寒暖の差の激しさから体調を崩し、三日間鼻たれおばさんでしたが、久しぶりに爽やかな気温の中、のびのびとプレーできる喜びを感じました。身体の動きが明らかに違います。

先日、年中身体を動かしている息子が、「春分に近づき、日が延びてくると元気が出てくるよ。やっぱり冬至に向かうと、気分が良くないんだよなぁ~」
としみじみ言っていました。そのとおり、人の体と心は、おひさまと一緒。古来から人は太陽とともに、月とともに生活してきました。

自分の体感や感情を言語化できるという作業は、なかなかできるようでできないことです。
でも、自分の体と心に気をとめて自分がどんなときに気分が滅入るのか、爽快になるのかを意識してみると、より良い日々を送れるように思います。

ここ数日、春の陽気を感じますが、また寒くなるとのこと。
こんな貴重な暖かい日は、窓を開けて、暖かいおひさまの光を浴びると、心の中に芽が出てきて気分も温まるようです。
身体の光合成で、気分爽快。

奈良の東大寺二月堂はお水取りの準備が進められています。

春が待ち遠しい。

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ギリシャ神話と心理療法

2008年02月20日 | 第3章 無意識の世界
生き甲斐の心理学教育普及活動をしながら、日々の学びは当然生涯のものです。
その中で宗教心理学という分野があります。この一年間、ギリシャ神話と人の感情の関係性を学んできました。というより、ようやく門の前に立ったくらいの程度です。

ギリシャ神話の神々は、倫理道徳とか常識とかが通用しません。
感情の湧き出るまま、自由に天空を駆け巡ります。

学びの中心は、ゼウスと関係した女性、そして生まれた多くの子供たち。
ゼウスは、ありとあらゆる性質の女性を愛します。
人の感情がひとつひとつそれらの女性に当てはまることが興味深く、自己分析は苦しいものがありますが、神話の女性を学ぶほうが、他人事で語ることができるので、ブレーントーミングが、一層盛り上がるのです。

昨日の勉強会のお題は「アルクメネと子のヘラクレス」。そして、その物語から私たちが見えてきた感情は「嫉妬」です。

先生曰く、
「あなたは嫉妬によって身を滅ぼしたことがありますか?」

その問いをめぐり、幼いころの兄弟関係、親子関係、学校での成績、職場での同僚との関係、大学でのポジション争い、、、「私は嫉妬なんて。。。。」と思っていたら大間違い。出てくる出てくる。小さなことから大きなことまで・・・

不安な感情と、嫉妬の感情、自分の内から湧き出てくる感情は、それらをの思索をくり返しながら、とどのつまり、自己愛の問題に突き当たるように思います。

防衛機制という心の壁を取っ払ってみると、ギリシャ神話の女神が自分の中にたくさんいるのがよくよく見えてくるのです。

そんな視点から、ギリシャ神話を楽しんでみるのはいかがでしょう?
自分の気持ちを代弁してくれている神々に出合うかもしれません。

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宮廷のみやび

2008年02月17日 | 第2章 五感と体感
上野・国立博物館に行ってきました。
近衛家1000年の名宝の数々をたっぷりと堪能。

茶の湯、歌合せ、書簡、藤原道長の日記、香、活け花、そして私のやっている表装・・・
あらゆるジャンルに興味のある人々が、食い入るように見入っていました。

今大河ドラマで放映している篤姫にも関係があり、去年までの朝日新聞掲載の宿神にも深い繋がりがあり、日本の歴史を一気に勉強してきました。

何といっても、掛け軸の裂地(布)の派手やかなことに驚きました。
明や清の刺繍を好んで使ったため、通常お茶室で拝見するような掛け軸の取り合わせとは、程遠いのです。
中には、清の官服や、バチカンに輸出していた司祭服の刺繍の裂地まであります。

庶民を「草」と言わせた宮中の「みやび」は、現代に住まう私から見ると意外にも田舎くさい世間知らずの成金趣味といえるなぁ、、、と思いながらも、「ひなび」と「侘び寂び」が時を経て混じり合い、徐々に品格というものが生まれてきたのかもしれないと、改めて「うんうん」と頷く私が居ました。

長い歴史と高貴な文化を持つ中国。そして、更に海を渡り、日本にやってきた物。

広い世界の一滴(ひとしずく)を垣間見た宮中の人々の、感動とため息が1000年の時を経て伝わってくるのを感じました。

艶やかな色の重なりと刺繍の美しさは、いつしか近衛家の「好み」となり、家としてのアイデンティティが構築されていくのです。

そろそろ雛祭り。24節季72候によると19日は雨水。「雨水がぬかるみ、樹の芽が芽吹くころ」
その「雨水」の日に雛人形を飾ると縁起が良いと聞きました。

庶民もみやびを愉しむことのできる幸せな時代。この時代に生まれたことに感謝した一日でした。

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思い出のバンド

2008年02月13日 | 第1章 意識と知覚
再結成したポリス。
今日は、東京ドームでコンサート。
私はチケット買いそびれ、「ま、いいか、、」と思ったものの、行きたい気持ちも半分。幸か不幸か、夜に仕事がらみの用事ができたため、それを理由に行くのをやめました。

20代の前半、「U2」が出始め(今も活躍しているアイルランド出身のバンド)、社会的現象のように、ハマる人が周りに結構いました。大学にはいったものの美術の世界で食べていくにはなかなか難しく、中退して、中には世界中放浪する友達もいました。60年代、70年代が過ぎ、80年代に入った頃は、なにか柱を失ったような感じで、掴むもの、もしくは反抗するものという対象が薄れ、自分というものに回帰せざるえないような、社会風潮であったようにも思います。

防衛機制でいえば、逃避ともいえそうですが、本人は本当に悩んでいるのだから、その時の分析をしようとしても、今の私にはできません。
ふらりふらりとしながら、結局、私は日本で生きることを選びました。

そんな中、当時、親友ともいえた男友達がT大の彫刻科を中退し、旅に出たのです。
日本にいよう、と決意した私と入れ替わるように、彼は旅にでました。

その頃の通信手段は、手紙しかありません。
二年間くらいでしょうか。
ひたすら手紙のやり取りをしました。

南米から始まり、最後はサンフランシスコ。
マラリアになって、高熱に浮かされて、ふと目覚めると、自分の寝ているベットのまわりに山羊がいた話とか、マチュピチュに行く山岳鉄道の風景とか、彼の旅日記が、克明に書かれてありました。
サンフランシスコでは、逞しく働く姿がありました。
その間、私たちの間にあった音楽は、ポリスでした。

旅をしながら、どんどん大きくなっていく彼に、羨ましさも感じながらも、励まし合いながら、互いの生活を自分のものにしてきたように思います。

あれだけ、手紙をやりとりし、帰国し商売を始めた友人と会ったのは一回だけ。
「こいつは、立派に食べていけるな」、それを感じたらもう会う必要を感じなくなったのです。

互いに自分の方向性を求めて、手紙を交わし、自問自答をしたおかげで、今の自分があるのだ、と思います。

今日は、同じ空の下、どこに住んでいるかわからない友も、あの頃の自分を思い出しているかもしれません。




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技術の体得と趣味

2008年02月11日 | 第2章 五感と体感
生き甲斐の心理学教育普及活動をしながら、もうひとつの私自身の生き甲斐は「表装」です。

御存知の通り、「表装」は技術を有します。
私自身、職人として育ったわけではありません。美術の世界に入ったものの、「これだ!」と出合えるものになかなか出合えず、表装に出合った時にはすでに子育て真っ最中で、集中して学べる環境ではありませんでした。

幼稚園に入ったばかりの子供を置いて教室に通うわけにもいかず、幸い魚類図鑑とスケッチブックを持たせていれば、何時間でも座っていられる子でしたので、子供同伴で教室に通うこともありました。
今から考えると、教室の皆さんの寛容な心に冷や汗が出てきますが、その当時は、必死でした。

コツコツと続けて、気づくと今年で13,4年目。
時ばかりが経ち、それでも、表装の魅力はどんどん深まっていきます。

追っても追っても、追いつかないものなのです。

職人として修練を積めば、また違うことを感じるのかもしれませんが、作品に衣を着せることは感性と知性の饗宴のようなものだと思うのです。

趣味とは違う規律と責任が大きく被さってきます。
技術の学習には、「お好きなように」と言えない、いわゆる「譲れない」領域があります。
もしかしたら、趣味としてやり始めても、そこに魅力を感じた人が、長続きしていることも言えるような気がします。

きっとどの世界もそうでしょう。

のめり込むと、次から次へとやるべき課題が見えてきます。

「完成」とか「極める」という言葉は、一生使えないと思いますが、この世界に出合ってしまった以上、やり続けていこうと思うわけです。

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きれいな背筋

2008年02月08日 | 第9章 愛
今日は、年に二度の検診日。

血液検査をするために、椅子に座って待っていました。

氏名と生年月日の確認をしてから、針を刺すのが最近の常識です。
そんなわけで、聴き耳を立てて待っている人には年齢はバレバレ。
というわけで、私の前に座って確認応答しているおばあちゃんお二人は大正生まれということが分かり、病院にいらしているとはいえ、若々しいのに驚きました。

久しぶりに「大正」という言葉を聞きました。
義母が生きていたら今年で89歳。
背筋の真っ直ぐな人でした。
いつも髪をきれいに染めてセットして、きれいな江戸言葉を喋っていました。
一気に痴呆が進み、寝たきりになりましたが、品の良さの中にある抑圧した一本義な個性が、彼女のプライドを守りきっていたように見えました。
見栄は張るけれど、張った分だけ美しい、というのも悪くないと思います。
(美容整形に明け暮れる、というのは好きではありませんが)

一人のおばあちゃんが私の席の横が空いていたので、採血が終わり、そこに荷物を置きカーディガンを着ようと手を掛けられたので、そっとカーディガンの袖を後ろから回してあげました。
「ありがとうございます」
そうおっしゃって、出て行かれました。

おばあちゃんの声色は予想通り、きりっとしていました。

美しい姿勢は、年齢を若く見せます。
そのうえ、カッコいい。

同じ歳を重ねるなら、いつも意識して背筋を伸ばせるよう過ごしたいものだ、と自戒を込めて、目標設定しました。

背筋を気にするくらいの見栄、可愛いものだと思いますが、心身ともに健康に生きるためには、大切な意識化だと思います。

行きたくない病院も、人との出会いでずいぶん違うものですね。

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春節

2008年02月07日 | 第6章 螺旋状に上昇する意味
長年お世話になっている編集者の方が作っている歳時記カレンダーと旧暦カレンダーは、私のブログのネタに大いに役立っています。

旧暦カレンダーは、それだけ単体で掛けておくと西暦と混乱し間違いのもとになるので二つのカレンダーを仲良く並べて掛けています。
案の定、家人が間違えて西暦のように捲ってしまうことがあったので、カレンダーの上には「触るな危険!」という注意書きを書いています。

さて、今日は春節。旧暦のお正月です。というわけで、旧暦カレンダーは、ようやくお正月です。
立春となると、まだまだこんなに寒くても春の訪れを意識します。
中国では、爆竹でお祝いし、水餃子を頂くそうですね。
地元横浜の中華街は本日華やかなお祭りです。
ブラジルではリオのカーニバルで大騒ぎし、キリスト教の「灰の水曜日」(今年は2月6日)には昨日までのお祭り騒ぎが嘘のようにピタッとおさまり、復活祭に向けて祈りが深くなります。
日本人の歳時を考えても、もしかしたら旧暦のほうが、なんだか明るいお正月のような気がするのですが、如何なものでしょう。

季節の移り変わりと、人の心はいつも添い合っているようです。
西暦のお正月が過ぎ、少し落ち着いたところで、旧暦のお正月を「心安らかに過ごす」、というのも「二度美味しい」贅沢な心持ちかもしれません。

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鎌倉勉強会

2008年02月06日 | 第2章 五感と体感
ユースフルライフ研究所主催「鎌倉勉強会」がいよいよ始まりました。

本日の寒さは尋常ではなく、私はほんとうに寒さに弱いことを自覚。
勉強会が昨日でほんとうによかったと思っています。

嬉しいことに世話人含み12人が参加。

江の島を臨む小高い山にあるお宅での勉強会です。この二年は、ご近所の方々対象に非公開で行っていました。
今年から気分を新たに講座生の皆さんと個性の美を絡み合わせながら「生き甲斐の心理学」を学びあっていきたいと思います。

長年学んでいらっしゃる方、初めての方、それぞれの思いで参加されています。
これからが楽しみです。

★「赤ちゃんから現在までのあなたの成育史は、好きですか?それとも嫌いですか?」

成育史は、個人のかけがえのない宝物です。
「生き甲斐の心理学」を学ぶことで、自己の成育史を理論武装していくことが目標となります。

★「あなたが今日まで生き抜いてきた理由を述べよ」

固い問いかけのようですが、いざ自分が生き抜いてきた理由を述べようとすると、あたたかい思い出、悲しい思い出、嬉しい思い出が、言葉であふれ出てきませんか?

そんな自分の歴史を、臨床心理学の見地で理論武装していきます。

この一年間、きっと笑いあり、涙あり、だと思います。

皆様、ぞうぞ、よろしくお願い致します。

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華厳の教え

2008年02月02日 | 第2章 五感と体感
ユースフルライフ研究所「カウンセリング通信講座」主催の大阪勉強会
10回目を行ってきました。

芽吹く気配の山々が淡い淡いピンク色となっている景色と遠く望む雪山をを新幹線の車窓から楽しみ、大阪往復。

今回の勉強会は、あと二回ということもあり、私たちの師匠の専門である宗教心理学を具体的にテーマで取り上げ、皆さんに投げかける、というセッションでした。

あなたの「愛の孤独感」を言語化せよ。

「自分は、孤独である。」
他人に自分の孤独を語ることは、なかなかできるものではないようです。

意地悪したり、暴力振るったり、嘘を言ったり、嫉妬したり、天の邪鬼になったり泣いたりすることは「自己の不安感」に繋がります。
それらの感情は自己愛から湧き上がってくるものと云えるようです。

素直に「寂しい」といえたらどんなに楽だろうか、と私なども思ったりするものです。でも、寂しいと訴えたところで、自分自身が動かない限り解決には至りません。

落ちてくるものを待っているより、自分から得るものを意識したときに、初めて、「ありがたさ」を感じ得るのかもしれない、と思うのです。

たまたま昨日の朝NHKに瀬戸内寂聴さんが対談で出ていたそうです。勉強会に出席の数人の方がそれをご覧になり、その対談の言葉に自分自身を重ね合わせ、「腑に落ちること」を思われたそうです。

華厳経、華厳の教えとは、「繋げる」ということが原点になっています。

自分と他人。自分と知識。それらを繋げていくことで、人生が深まり、知恵が身についていきます。自分の孤独と向き合い、多くの人と交わりながら、知恵を得る経験は、必ずその人の「生き甲斐」に繋がっていくのです。

宗教、民族に関係なく、湧き出す人の感情を知り合うこと。
他者を受け入れることは、まずは自分の孤独感、不安感に向き合うこと。
こんな小さな勉強会からでも、人は無限の繋がりをもたらします。

継続は力なり。

こつこつと、続けていきましょう。

私自身、この一年間、大阪に通わせて頂き、皆さんとの出会いから、多くのとこを学ばせて頂いております。

皆様に感謝をこめて。

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