五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

美しいものは美しい

2010年09月30日 | 第2章 五感と体感
日本画で美人画といえば、上村松園です。

10月17日まで開催してる展覧会を観てきました。11月からは京都で開催です。

10代から才能を発揮し、50代には古典文学や能に親しみ、無駄なものをそぎ落としながらも知性が画を深くし、安定した美人を描き続けます。

着物の配色や柄の取り合わせは、ため息が出るほどです。

並んだ画の中に、「虹を見る」という屏風画があるのですが、その画に登場する女性の帯が、叔母が少女時代に日舞を習っていたころにしつらえた帯と全く同じなのです。
一緒に行った母が気付き、昭和初期に実際に使われていた帯や着物を忠実に再現しているものも多い事を知りました。

美しいものを観る、観覧者の皆さんが、知らない人同士、にこりと笑みを返したり、言葉を掛け合ったり、、、日本の展覧会ではあまり見られない受容的連帯感のような空気の中、私も幸せいっぱいの気分で隅から隅まで美しさを堪能してきました。

美しいものを美しい、、、と感じる心は、生き延びていく人のエネルギーになるのだと実感した展覧会でした。

和を尊ぶ、大和人のアイデンティティは、四季折々の変化がもたらす美しさを共有することから生まれてきたのだと、ふと想いました。

美しいものは美しい、、、

ついでに、美人はお得だ、というのも本音のジェラシーかも

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理想と現実のギャップ

2010年09月29日 | 第2章 五感と体感
この二年間、ある仕事を任され、それに対して邁進してきました。3年目となる秋を迎え、ようやく地に足が付いたような安定感が芽生えてきました。
石の上にも三年、とはこのことで、私自身が落ち着くパターンはだいたいこのくらいの期間が必要なようです。

一年目は突っ走っている感じでした。
二年目は周囲の方々との信頼関係がうまく回るようになり、三年目は、これを粛々とこなしていこう、という心持ちです。衛星が軌道に乗った、という表現が相応しいかもしれません。

心に余裕が出てくると、次に新たなことをしたくなる情動が湧いてくるのが私のパターンでもあります。

勉強仲間と設立したNPO法人をもう一歩進めたい情動。。。
現実は、まだまだ現状維持のまま。

理想と現実のギャップがどのくらい開いているか?と秋の夜長、冷静に自問自答してみると、そんなに開いているわけではありません。要は「やりゃぁイイ」のです。

今、思い巡らしている小さなプロジェクトの下書きを準備しています。今年に入り会員仲間に参加していただきながら、少しずつ見えてきました。それをまとめていくことが「一歩前進」に繋がることは間違いないようです。

理想と現実のギャップをどう処理するか。。。

現実の感情を受け容れていくことから、身の丈に合った活動が見えてくるようです。

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自分で考える

2010年09月28日 | 第2章 五感と体感
「この子は、放っておいたら、何にもしない!!
だから、こちらが先回りしてやってあげないと。。。」

そのまま放っておいたらどうなるんでしょう。

放っておけない親自身の不安感は、どうなのでしょうか?

どんな不安感が湧くから先回りしたくなるのでしょうか?

「自分で考えて、行動する」には、どんな環境が必要なのでしょう?

「親自ら崖から落とすなんて、とんでもない」という考え方と「親に追い詰められて崖からおっこっちゃった」というリアリティは、なんだか皮肉にも表裏一体しているような気がします。

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恨みつらみの感情の陰に・・・

2010年09月27日 | 第2章 五感と体感
長年かけて溜まりに溜まった否定的な感情は、いつしか他者否定だけでなく自己否定へと発展していきます。

他者否定すると同時に自己否定の状態は、苦しいものです。

この自己否定的感情は、結構かたくなです。
どこから紐解いていけばよいのでしょう。

恨みつらみの感情は、案外表層的な感情だったりします。寄り添う人は、その恨みつらみの感情に惑わされて、本人の陰に隠れている「本音の不安感」までたどり着けません。
本音の感情が意識化され満たされないと、ますます恨みつらみが深くなっていきます。

他者否定の感情から湧き出す感情ばかりに惑わされないで、本人自身の不安感に焦点を当てて傾聴していくことは、何かからの脱却、または気付きのきっかけになるかもしれません。
その体感は、恨みつらみで萎えている本人でしかわからないのです。

傾聴する側が焦点付けしながら傾聴する作業行程は、簡単なことではありません。

感情を満たそうとする人間のしくみは、きっと宇宙創成の意味の中に含まれているのでしょう。そう思うと益々人の感情に興味津々となっていきます。

人の心の中に宇宙が宿り、宇宙は人を含んでいます。
だから人は面白い・・・

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感情を言語化してみる

2010年09月26日 | 第2章 五感と体感
「自分の感情を意識化する」

自分の感情を自分自身がダイレクトに掴むことは、やってみるとお分かりだと思いますが、ほんとうに難しいのです。

自分がいったい、どんなふうに不安なのか・・・?どんなふうに怒っているのか?

そんな時、役に立つのが、比喩的な表現方法です。

何でもよいのです。

頭の中に無数の羊を飼ったような気分である、とか。。。

土鍋を割りたいような感情である、とか。。。

源氏物語を引用しつつ、浮舟が川に身を投げる時の気分と同じかも、とか。。。

自分が豆腐になったような、いやいや、石になったような、、、とか。。。

何かに置き換えてみるだけでも把握できますし、その表現から徐々に自分の気持ちをフォーカスしていくこともできます。

そのためには、五感を広げて、自分の体感を言葉で表す日常的訓練が必要となってきます。

妄想だろうと、夢想だろうと、、、いいじゃないですか、、、自分の頭の中は宇宙のように広がりがあって、一番自由に羽ばたくことのできる場所なのですから。

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感情の曼荼羅

2010年09月25日 | 第2章 五感と体感
今現在湧き出している自分の感情をきちんと把握することは、案外していないものです。

自分の概念とか、考え方は口にしていても、
「不安」
「寂しい」
「悲しい」
「怖い」
「憎い」・・・・というような感情そのものを現実に意識し、口にしている人にはなかなか出会いません。

この感情が「防衛機制」によって覆いかぶされればされるほど、思考や行動が優先しがちになります。

他者に口に出すことが恥ずかしければ、自分自身の感情を自分の中で意識してみるだけでも、何かが変わっていくように思います。

その意識化までのプロセスが、大変な道のりである場合もあります。何しろ自己受容が大きなテーマなのですから…

今、ここでの自分の感情の意識化は簡単なようで実は難しい。。。人は不思議な生き物です。

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思考と行動

2010年09月24日 | 第2章 五感と体感
相手の「感情と思考と行動」を注意深く傾聴していくのは、実は労力の要る大変な行為です。
「うんうん、」と聞いているだけでは、相手の負のスパイラルにどんどん巻きこまれていきます。

それは、何故でしょう。

人の思考(考え方、概念)と行動(話すこと、しぐさ、行うこと)の元には、必ず何らかの感情が湧きだしているからだと私は思います。

その感情が自分で意識できない状態にあると、自分の思考と行動が狭まっていくようです。
狭まると、囚われている思考と行動がぐるぐると渦巻き、同じことの繰り返しの中で、どんどんストレス曲線へと落ちていきます。

そんなわけで、狭まっている思考と行動に潜む本音の感情を聴き取っていく必要があるのです。

答えは必ず悩む本人の内にあります。
傾聴する側の思考と行動は相手の答えではありません。

今日も感情のお話でした。

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感情

2010年09月23日 | 第2章 五感と体感
通常の生活の中で、無意識に口に出している言葉があるはずです。

口に出てくる言葉の背景にある「自己の感情」に意識を向けてみることは、多分ほとんどの人は経験しないことだと思います。

心理療法の勉強をしていると、「自己の感情の意識化」は避けては通れない作業となっていきます。

自分の感情を意識化する努力をしていない人が他人の話を傾聴することほど無謀は事はないかもしれません。

口に出す言葉には深い深い意味があるようです。
そこには、表に出てこない感情表出があるからです。

その感情を意識化するには、とても時間のかかる場合があります。

「私は不安だ」その不安の中に含まれている感情は自己の内に曼荼羅のように散りばめられています。
「私は寂しい」「私は嫉妬している」「私は怒っている」「私は悲しい」…

さてさて・・・、今この時の感情を捉えてみる瞬間を大切にしたいものです。

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自分の良さを意識してみる

2010年09月22日 | 第2章 五感と体感
「日本人の傾向やアイデンティティを総体的に考えてみると、どんな言葉がでてくるか」

この問いかけは、昨日の四ツ谷勉強会でのひとコマです。

和を以て尊し
島国根性
お察し
金太郎あめのように皆同じ
名誉を重んじる
恥の文化
清め
穢れ
甘え
お返し
喉元過ぎれば…
水に流す
他力本願
幽玄
わび さび
もののあはれ
自然との調和
アニミズム
無の境地
表面的
格式
控え目
優柔不断
頑張る
沈黙
謙遜
誇り
自己評価の低さ
・・・・

という言葉が出てきました。よくよく考えてみると、海外で色々な人と接してみると、気の弱い人もいれば暗い人もいます。でも、いつも思うのは、自己評価の低さであると私は思います。とっさに他国の人に対して自分の国の良さを語ることが出来る人が少ないように思います。
「こう思ってほしい・・・」という要求はできても、「こうである」という自己主張が出来にくいために、誤解が生じることもよくあります。

控え目の美意識もほどほどにしつつ、「私の良さ」をアピールできるよう訓練することも必要かもしれない、と思った時間を過ごしました。

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心理学と神話の関係

2010年09月21日 | 第2章 五感と体感
ギリシャ神話を心理学的見地で読んでみると、登場する神様一人一人に、人の持つ感情そのものが顕わに表現されていることに気付かされます。

日本神話である古事記もそうです。「作為的なものである」という概念から大人になってから敬遠する節があったのですが、これもまた読んでみると、私達の日常に深く根差しているものの背景に大きく影響していることに気付きました。

日本で読まれている仏教の経典についても同じことが言えます。僧侶が読むお経を聞いているだけではさっぱり解りませんが、経典の解釈本や経典を素地にした本を読むと、自分の体に沁み入る考え方がしっかりとそこに書かれていることに安堵感を覚えます。

源氏物語や万葉集も同じことが言えます。読んでいるうちに、自分がその時代で生きているような錯覚を覚え、表現する文章や歌から情景が浮かび、人物の湧き出す感情までが体感として蘇ってくるのです。

土地に生きてきた人々から口から口へと伝えられた神話や昔話は、私たちのアイデンティティを形成する上での重要な要素となっていることを忘れてはならないのです。

生まれてから今日までの成育史に加え、自己が無意識に捉えているものの柱の存在は成育史の概念以上に深いものがあると思うのです。

祖先から受け継がれた深く長い歴史が積まれた遺伝子の存在は、私たちの生き延びる知恵も授けてくれているはずです。

神話を大切にしない民族は滅びる、という学説があるそうです。私もそう思います。

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都会と田舎

2010年09月20日 | 第2章 五感と体感
いろいろな情報を入手しやすい都市に住んでいる人が心の病になるのと、社会的な情報量の少ない土地に住んでいる人とでは、心の病に対する対処法が違うように思います。

インターネットの時代であるからといってすべての人が利用しているとは限りません。
新聞は?というと、地元の新聞社の新聞が要の情報源です。
広い情報を自分が選んで読むことのできる環境とは云えません。

都市に住んでいることによる「理想」と「現実の」ギャップが、地方に住んでいる人と変わりがあるかと言うと、心の病の病理については何ら変わらないと思うのです。

人気(ひとけ)のない公園に佐藤忠良氏のブロンズ像を置くよりも、生身の人間のために予算を使って頂きたいものだ、、、と、とある田舎を歩きながら感じました。

人の育成は「見える物体」ではありませんが、いつしか何かの形で見えてくるものだと、私は思います。

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比較文化的考察の葬儀体験

2010年09月19日 | 第2章 五感と体感
北海道に住む親戚が亡くなりました。
持病は抱えていましたが大動脈瘤破裂だったため、あっという間の出来事。知らせを受けて慌てて荷物をまとめ飛行機のチケットを取り、出かけてきました。

北海道は秋の観光シーズンで、飛行機のチケット入手は一筋縄ではいかず、結局お通夜の前日から出かけることになりました。

富良野に比較的近い滝川も秋の収穫シーズンで、田畑は黄色に色付き低くなだらか見える山々を見ていると昨年訪れたスロベニアの風景と重なります。

葬儀は土地の風習を、直に味わうことができます。
内地からの移住者が定住し、苦楽を共にしている同じ地区の人々と助け合って生きてきた名残が葬儀によく表れていました。
すっきりと合理的ではありますが、案外、保守的に感じたのは、助け合いの中から育まれた心遣いが習慣化したからなのでしょう。

30キロの日本一長い直線道路を白い霊柩車が走り、だだっ広い大地に建っている火葬場の煙突は信じられないくらい低く、私たちは故人の灰をうっすらと被り、お骨はすべて自分達で拾い骨壷の中に入れていきます。

同じ日本であっても、場所が変われば風習も違います。フィールドワーク無しでは文化は語ることはできないとしみじみ感じた三日間でした。

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生き甲斐は大事

2010年09月16日 | 第2章 五感と体感
自分は何のために生きているのか?

自分の生き甲斐は何か?

自分の魂と心と体を大切にしているか?

人の感情は、思考よりも正直なようです。
自分の内から湧き出してくる感情は、生きるための生き甲斐に繋がっているのだと思います。

自分の人生は、いまこの時の一瞬一瞬の繋がりです。

目標を持ち、焦ることなく、今この時を大切にしながら生活したいものです。



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傾聴する前に意識すること

2010年09月15日 | 第2章 五感と体感
友人から相談を持ちかけられたり、愚痴を聞かされたり・・・

最初の内は、親身になって聞いていても、解決しない話の内容にだんだんと気が重くなっていき、しまいには親しいと思っていた友人がうっとおしくなってくる。。。

という経験はないでしょうか?

友人のことを心配しているうちに、自分の心身が心配になってくるわけです。

人の話を上手に聞く方法。。。それが「傾聴」です。

でも、傾聴する前に意識化しておくことがあります。
それは、自分が相手に対して、「どこまで関わるか」「どこまで関わりたいか」「どこまでできるか」
このことを、はっきりさせておくことだと思います。

誰かのことを心配する前に、自分の身の丈を意識しておきましょう。

それを意識しておかないと、自分と相手の心の受容と供給のバランスが崩れ、こじれが生じます。

悩みの答えは、自分自身の内に宿っているのですから・・・

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不安感と平安感

2010年09月14日 | 第2章 五感と体感
夏休み明けの学校での勉強会、蒸し暑い中お越しいただき、ありがとうございました。
いつものメンバーがいつもの通り集うことに、幸福感を感じました。

昨日は、不安感から平安感に切り替わった事例を話し合いましたが、如何でしたか?

「いつしか平安感になっている自分の切り替わる瞬間を意識したことがない」というのは平素の生活においては当たり前のことかもしれません。
そこを敢えて意識してみると、自分の傾向が色々と見えてくるはずです。

湧きだす感情の瞬間の意識化が、自分の思考と行動に大きく影響していくようです。

不安感から平安感への転換経験を日常の生活で意識化してみる訓練を積んでみることも、何かの解決に繋がるように思います。

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